終戦70年・日本敗戦史(118)日清戦争はなぜ起きたのか⑤ー日中韓パーセプションギャップの対立から戦争へ② 原因としての長﨑清国水兵事件、防穀令事件、金玉均暗殺事件
2015/08/03
終戦70年・日本敗戦史(118)
<世田谷市民大学2015> 戦後70年 7月24日 前坂俊之
◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』
<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が
あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑤
日清戦争はなぜ起きたのか
ー日中韓パーセプションギャップの対立から戦争へ②
原因としての長﨑清国水兵事件、防穀令事件、金玉均暗殺事件など連続発生
- 明治維新直後、朝鮮、清国と国交交渉に入るが、交渉が難航する。その底には清国の「中華思想」「華夷序列秩序」朝鮮の「小中華」『事大主義』対「日本思想」のネジレ、「自民族中心主義」(エスノセントイムズ)の対立、紛争がおきる ⑭朝鮮の反日、中華思想⑮⑯⑰、 ⑩福沢諭吉の脱亜論⑫⑬ 日清戦争の勝利真実⑲
- 日露戦争はなぜ起きたか。日本勝利⑳、<日露戦争の勝利が日英米関係の転換点となる、日米戦争の遠因に㉔
日中韓150年戦争史(80)伊藤博文、井上馨ら歴史当事者が語る日清戦争の遠因の長崎事件(長崎清国水兵事件)について
http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/4956.html
<日中韓150年三国志ー軍事大国・清帝国に対して小貧国日本の海軍力増強と長崎清国水兵事件』②
http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1824.html
日本リーダーパワー史(132)空前絶後の名将・川上操六(21)長崎事件の発端は何か
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3258.html
<朝鮮防穀令(明治24年)で朝鮮と再び紛糾、強圧によって、賠償金を払わせる>
「防穀令に賠償金要求」<明治24・9・22 東京日日>
近来朝鮮の事国人の議に登るもの多く、或いは済州島事件といい、或いは防穀事件といい、これらはみな直接に我が国に関係するものにして、その成り行きいかんによっては我が国の権利にも利益に
も至大の関係を及ぼすべき事件たり。(中略)
この防穀令の布かれしはけだし明治22年にあり。この令の出ずる、予期すべからざるの時にあり。しかるべき理由なきの時にありしをもって、我が居留商人は事の意外なるに驚きたり。既に売買の約束を調え莫大の手付金をも渡したる折柄、右のごとき突然の禁令を布かれ、約束の物品は得ることあたわず、手付金は取り戻すことあたわず。
これを朝鮮国に訴うるも、言を左右にして取り合うべき景色なし。これにおいて両国間の談判となれり。またやむを得ざるの勢いというべし。聞く所のごとくんば、我が政府の要償せる所は二十万円なりといえり。おもうに朝鮮政府、悦んで我が要求を容るるや否や。(後明
@交渉中にまた肪穀令<明治26・3・8 時事新報>
成鏡道防穀の事についてはしばしば報道する処なるが、大石公使着任以来主としてこの談判にかかり、今その最中なり。しかのみならず平安道防穀をも後に控えたる今日、またまた全羅左右両水宮にては防穀令を布きたる旨、釜山総領事より公使館に電報したるをもって、我が公使は直ちに外務督弁に照会し、電報をもってこの令を撤せしめたりという。
賠償金11万円、李鴻章が調停 <明治26・5・23 時事新報>
防穀事件とは去る明治22年、朝鮮国威鏡、黄海両道において防穀令を布き、米穀の輸出を禁じたるため、我が商民の損害を蒙りたるのみならず、右は去る明治16年に締結したる日韓通商条約に、朝鮮国において水早兵擾のため一時米穀の輸出を禁ぜんと欲するときは、その一箇月前に地方官より我が領事に通知し、しかる後にあらざればこれを決行するを得ず云々とあるに違背したるものなりとて、我が政府は朝鮮政府に右の次第を申し込み、かつ我が商民の
蒙りたる損害金元利合計21万7500百円余の賠償を求めたり。しかるに朝鮮政府はこれを6万円に負けて貰
いたしといい、はなはだしきは4万7千円に滅ずべしといい、談判少しもらち明かざるより、大石公使の赴任後は一日も早くこの問題を取り片づけて両国民の感情を釈然たらしめんと欲し、しきりにその談判を開きたれども、相変わらず纏まりのつかざるにぞ、かくては到底果てしのなき事なればとて、大石公使は政府よりの訓令を得、
本月4日をもって朝鮮政府に対し、向こう二週間を期して決答なきときは、断然決する処あるべしとの旨を通じて、もって最後の決答を促したり。
これすなわち今回我が政府が去る17日をもって、いよいよ朝鮮政府がなんらの返答もなさざるにおいては、早速京城を引き揚ぐべしとの訓令を大石公使に発したる所以なり。(中略)
防穀事件はいよいよ朝鮮政府より11万円の賠償金を受け取ることに決し、それをもって数年間の交渉事件も落着を告げしが、最初、我が政府は大石公使より本月17日を限りとして最後の決答を促したるにつき、同日に至るもなお朝鮮政府が満足なる返答をなさざる時は、断然たる処置に出ずるの外なかるべしとて、17日の閣議
をもってはば意を決し、大石公使より今一応の報告あり次第軍艦を派遣し、かねて警視一名また警部二名、巡査百名よりなりたる警視隊を派遣することに決し、警視庁へも内命を下し、万一の場合に応ずるの準備をなしたり。
右のごとく政府の意を決すると同時に、伊藤首相は清国直隷総督李鴻章伯の許に電報を発し、朝鮮防穀令の件については今後の成り行き上、ついに或いは最後の手段に訴うるのほか道なきやら知れずとの次第を通報せり。右につき李伯は本月十八日、今回の件については充分調停の労を執るべしとの旨を伊藤首相の許に申し来たりたる由。
かくて防穀事件は十九日に至りいよいよ無事に落着を告げたるを見れば、李伯の仲裁もまたあずかりて力ありし事なるべく、伊藤首相が右の次第を通じ、李朝鮮防穀令に強圧、賠償金払わせる李鴻章伯が自ら進んで調停の労を執りしは、いずれも天津条約の趣旨によりたるものならんという。
防穀事件の談判落着し、朝鮮政府より受け取るべき金額の内六万円三カ月払いの分は、被害者梶山新介ほか数名に下付するはずなりという。(後略)
朝鮮開明派の金玉均。韓国における評価は
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411874809
ウィキ金玉均
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%8E%89%E5%9D%87
http://www.ryuhaktong.org/material/history/03.html
金玉均の政治亡命と日本(大畑篤四郎)
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/1940/1/A03890546-00-051010133.pdf
<日中韓三国志・新聞資料編>『日清戦争の原因の1つの金玉均暗殺事件の真相とは・・・・』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/2680.html
日本リーダーパワー史(508)日中韓150年戦争史②「日清の戦争は文野の戦争なり(文明の衝突なり」(福沢諭吉)
http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/449.html
稀代の戦略家・陸奥・川上・山本権兵衛のトリオで、日本は先手必勝で強引に開戦に持ち込んだ。明治天皇は戦争をのぞんでおらず、「陸奥らがおこした戦争だ」と『明治天皇記』で述べているほどだった。
つづく
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