『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』⑮ 「甲申事変をめぐる英、米、仏,ロシアの外交駆け引き」(英タイムズ)
2016/03/20
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』⑮
日中150年戦争のルーツは中国が冊封体制によって属国としていた
『琉球王朝』(日中両方に朝貢していた)を明治維新
後に一方的に「琉球処分」して、日本が沖縄県に編入したことが
対立の発火点なのである。
中国が世界の中心であるという「中華思想」「冊封体制」韓国のこれに服属し
た『事大主義』対「西欧近代主義に転換した明治日本」との対立の構図である。
これが「壬午事変」(明治15年)「甲申事変」
(明治17年)とエスカレートして、「日清戦争」(明治27年)へと爆発する。
この三国関係の外円には西欧列強の英国、フランス、ロシア,アメリカ、ドイツ
が加わって中国、日本、朝鮮をターゲットに19世紀の帝国主義的領土、
経済利権の分捕り合戦、戦争が繰り広げられたわけである。
現在の日中韓の対立、紛争の発火点もここにある。
以下の記事を読むと、最近は全く頓挫しているが北朝鮮をめぐる
「5ヵ国協議」を思い出す。
朝鮮で起きた反乱(甲申事変)は,
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%94%B3%E6%94%BF%E5%A4%89
<壬午事変>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E5%8D%88%E4%BA%8B%E5%A4%89
1885(明治18)年1月13日英国紙『タイムズ』
「甲申事変の日中間の衝突をめぐるイギリス、アメリカ、
フランス,ロシアの外交駆け引き」
天津駐在通信員は,次のように伝えている。中国政府は.サー・ハリー・・ノヾ一クスとアズトン氏の顕著な功労を評価しており,この評価は,調停においてイギリスの通商やその他の利益が考慮されたという証拠として歓迎すべきものであると。問題解決の原則は,朝鮮をめぐる日中間の係争中の問題を,イギリス,ドイツ.アメリカ合衆国代表の調停にゆだねるということらしい。
どの国を調停国に入れ,どの国をはずすかということは重要だ。フランスとロシアは当然除外されている。フランスと中国の間ではだらだらと戦いが続いており,いっなんどき実際に宣戦布告(清仏戦争)があるかもしれないのだ。
台湾封鎖は今再開されたばかりで,フランス政府の積極策に反対した前陸軍相カンプノン将軍は辞任した。また一方.ロシアは中国の隣人としてあまりに近過ぎ,また落着きがなく.微妙な交渉の場合信用することはできない。ロシアの新聞は,ロシアの朝鮮への干渉を公然と唱えており.現在の好機をとらえて,朝鮮においてイギリスあるいはその他の競争相手国の国旗よりもロシアの国旗を高く掲げることをロシア政府に勧告している。
日中両国政府は明らかに.そのような勧告が何を意味するものかを熟知しており,きわめて賢明にもイギリス.ドイツ.アメリカ合衆国の好意に頼ることにしたのだ。上記3国の利益は朝鮮の独立と.少し前にアメリカの中国方面艦隊提督によって得られた自由な通商のための便宜が維持されることにある。ロシアも他の列強とともに便宜を享受することができるだろうが.ロシアが調停から除外されたことにより,朝鮮の独立にとってあまり好ましくない影響や,概して共通の通商上の利益のためにならないような影響は阻止されるだろう。
朝鮮のような,今まで国際政治の舞台にほとんど登場しなかった王国での事件の調停に,中国,日本,イギリス,ドイツ,アメリカ合衆国という5か国もの独立国が直接関与し,そしてフランス.ロシアの2か国が間接的に関与しているというのは.一見奇異に感じられるかもしれない。
しかし地図をひと目見て,そして中国とその属国の政治状況や国際関係を考慮すれば直ちに,そのような驚きの念も払拭されるだろう。朝鮮は,中国と日本がその宗主権をめぐって何百年もの間争い続けている.独立ないし半独立の王国だ。中国の主張は朝鮮政府によって喜んで認められてきたが.一方日本の主張は.概して力ずくで行われてきた。
つい最近までこの王国は外国人に対し門戸を閉ざしていたが.アメリカの提督によって行われた通商条約の交渉以来,中国政府は他の列強とも同様の条約の交渉をするよう勧めてきた。それは列強に朝鮮の独立維持について関心を持たせようという抜目のない,もっともな意図があってのことだ。事実,中国にとってどの国であれ外国が朝鮮で卓越した勢力を得るような事態よりも.朝鮮の実質的な独立が認められる方がずっと大事なことなのだ。朝鮮の北端はシベリアの沿海地域と接しており,ロシアの港ウラジオストクは朝鮮の国境から35マイル以内のところにある。朝鮮半島は幅150マイルもない水路で日本と朝鮮を隔てるブロートン海峡に向かって南にのびている。そして朝鮮の西海岸は黄海の東側の海岸にあたり,黄海の向こう側には白河と中国の首都に通ずる渤海湾がある。
したがって朝鮮を支配する国は,北京の頭にピストルをっきっけることになるのだ。
別の見地から,敵国あるいは非友好国が朝鮮を所有することは.日本にとっても同様に脅威となろう。したがって朝鮮をめぐり日中間が張り合っている理由も.また両国がいかなる外国も優勢な影響力を持たないようにすることに共通の関心を持っていることも容易に理解できる。
もし世界のこの地域での情勢が平穏だったとしたら.事態はもうしばらく現状のまま続いただろうし,中国と日本の対軍関係が難しい国際問題にまで発展することもなかっただろう。
しかしヨーロッパ諸国との通商の影響力は.長い間その影響力から締め出されていた国では革命的なものになりがちだ。そして中国の内外の全般的な政治状況により,中国と関係のある国での革命運動が看過することのできない重要な国際問題になっている。
最近そういう運動の1っで,原斑や本質はあまりはっきりしないものの,きわめて残酷な暴動(甲申事変)が朝鮮の首都ソウルで起きた。国王が宴会を開きイギリス代表をもてなしていた12月4日の夜.暴徒が宮殿を襲撃したのだ。王妃の甥ほか多数の者が刺され,夜明けまでに6人の大臣が殺された。朝鮮では一般にきわめて神聖な人物とみなされている回王さえ襲われ,日本公使に護衛兵の保護を願い出なければならなかった。
2日後、今度は通常ソウルに駐屯している数百人に達する中国の軍隊の援助を受けた朝鮮の民衆によって,宮殿は再び襲撃された。日本の護衛兵は打ち負かされ公使館まで撤退し.国王は中国によって
連れ去られてしまった。暴動は激しさを増し,30人もの日本人居留民が中国人に襲撃を受け破壊され.護衛兵に守られた公使は投石の雨をかいくぐって進み.城門を押し通って済物浦の港に退却した。
このあと、秩序は回復したらしくやや奇妙ではあるが、国王は日本の公使に友好的なメッセージを送ったということだ。事件の詳細については,北京駐在の本社通信員から陸路,電信で初めて伝えられ.1月8日の本紙に掲載された。
ソウルが数日間,全くの混乱状態に陥っていたのは明らかだが,朝鮮在留の外国人の安全が,暴動勃発時より数日以内にソウルに到着したイギリスの砲艦によって守られたことは満足すべきことだ。
12月の末.2隻のフランス艦が朝鮮に向かって後から出航したが,それはいささか間のびした行動ではあるものの.同様の目的によるものだろう。しかし現在のフランスと中国の関係から見て,別な解釈を下すこともできる。
前に述べたように,暴動の原因はきわめて不明瞭だ。中国はこの重大時期に日本と争い起すつもりがないのも確かだし、一方、日本が暴動の張本人とも思われない。
朝鮮にはすなわち親中国派,親日派.そして敵対する両国のどちらに対しても非友好的な国粋主義者の一派がいるようだ。国粋主義者の一派があらゆる列強に対し等しく敵対心を抱いていることや最近朝鮮が鎖国を撤廃したことに腹を立てていること.また外国の代表をもてなしている宴会の機会をとらえて,親中国派,すなわち外国との通商に好意的とみなされている政府の転覆を試みようとしたことは十分ありそうなことだ。
国王が日本の公使に保護を求めたことは,親中国派と国粋主義者を結合させたのだろう。国王は襲撃の直接の対象だったので,日本人は,1つの党にとっては国粋主義的な理由で,もう1つの党にとっては国王の大義を擁護したという理由から不快な存在として,国王とともに襲撃されたのだろう。
それはともあれ.日本の公使が重大な侮辱を受けたことは確かで,日本政府が黙って見過ごすことはあり得ないだろう。一時はその争いが中日間の戦争に発展するのではないかと考えられた。それを見越して日本の紙幣が20%下落したという長崎からの報告が先週.本紙に掲載されている。
また日本が朝鮮に軍隊を急派したといううわさも広まっているが.これは根拠がないように思われる。実をいうと中国と日本には,平和的かつ迅速に話合いをつけるべきちゃんとした理由があるのだ。たとえ中国がフランスとの争いにそれほど手いっぱいでないとしても,中国はロシアがグルジャの放棄の埋合せを得ようと絶えずあたりをうかがっていることや.ロシアが朝鮮を公然と所有したがっていることも.また朝鮮がロシアの支配下に入れば,中国にとって絶えざる脅威となることも知っている。
一方,日本としては,中国との不和によりほぼ間違いなく起こると思われるような事態,すなわちフランスあるいはロシア,または両国の手先に使われるようなことを望むはずがない。日本が朝鮮に敵対的な干渉を行えば,新たに革命的な暴動が起こるのはほぼ確実で.そうなればロシアが長い間求めてきた機会を簡単に与えてしまうことになる。
イギリスは.朝鮮の宗主権をめぐる日中両国の対立する主張のどちらも支持したいとは思わない。イギリスの唯一の関心は,朝鮮半島の真の独立,国内の平静,通商の自由そしてヨーロッパの国であろうと東洋の国であろうと,こういった主要な目標に反するようなあらゆる影響力を排除することにある。
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