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日本リーダーパワー史(516)日清戦争120年➂高陞号事件で見せた東郷平八郎の「国際法遵守」が日本勝利を決定した。

      2015/01/01

 日本リーダーパワー史(516


日中韓150年パーセプションギャップの研究-日清戦争120年➂


◎『日清戦争(甲午戦争)から120年(7/24

 

日清戦争の勝敗は国際法を遵守した日本が国際法を無視

した中国に完勝したのである。戦緒を開いた高陞号事件

で見せた東郷平八郎の「国際法遵守」の姿勢が

日本勝利を決定した。 

           

  前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

豊島沖海戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%
E5%B3%B6%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6

 

 

高陞(こうしょう)号撃沈事件はこうしておきた。

 

 高陞号撃沈事件は、豊島沖海戦の最中に偶発した。豊島沖海戦なるものが、両国の宣戦布告もない前に突発した一戦である。

一八九四年(明治27)七月二十五日に起きた。

 

豊島沖の場合は、日本の第一遊撃隊の三艦(「吉野」「秋津州」 「浪速」)が、偶然に海上に出会った清国の護送艦隊(「済逮」「広乙」「操江」)に対し、礼砲を用意しているところへ、敵から実弾を見舞われ、おどろいて応戦したもの。

 

この時、「吉野「秋津洲」は敵艦と戦闘をつづけ、「浪速」が逃走する汽船高陞号の処理を分担したのである。

「浪速」(艦長は東郷平八郎大佐)は追いついて停船を命じ、英語達者の人見分隊長を派して臨検したところ、英船長は、船籍載貨書類一切をしめし、船内に清兵一千有名、大砲十四門および弾薬を積んであることを明らかにした。

 

そこで「浪速」艦長は信号を掲げ、「ただちに抜錨して、本艦に続航せよ」とだ捕を命じた。すると英船長から、

 

「清国軍隊はわれを擁して太沽港への帰航をせまり、貴艦への続航を不可能」という信号があがった。

 

そこで「浪速」は英船長に対し、「ただちに船を見捨てよ」と信号すると、「端艇の派遣を乞う」という応答があった。

 

そのとき清兵は船長以下に銃口を突きつけて脅し、日本に応ずるならば、ただちに射殺する勢いをしめし
たので、臨検中の人見大尉は急ぎ帰って、殺気みなぎる状態を報告した。

 

その間、「ポート派遣乞う」の信号がくりかえされたのに対し、「浪速」艦長は、

「ボート送りがたきにより、貴君は、すみやかに船を見捨てよ」と信号し、船長から、「清兵われを阻む」と答えたのに対し、ふたたび、「即時船を去るべし」と信号し、つづいて艦上に赤旗を高く掲げた。
「浪速」艦上の赤旗は、「これから砲撃を開始す、危険なり」という意味の戦時国際法に則る意思表示であり、世界にB旗として通称された「生命的危険」の信号であった。

 

 

撃沈者は大佐・東郷平八郎

 

 砲術長広瀬勝比古大尉は、おどろいて東郷艦長の顔をみた。顔には微笑さえあった。やがて英船長も船から飛び込んで、少々は泳いだころをみはからい、

 

右舷魚雷一本と、右舷の八〇年式六インチ砲を発射するよう下命した。射程九百メートル、照準あやまたず、初弾一発で高陞号の機関室に命中して、船はたちまち沈んだ。「浪速」はボートを急派して、英国人ウォルズウェー船長を救いあげた。清国兵の大部分は船と運命をともにした。

 

以上が、事件の概要である。

 

 

当時、世界の大国の一つとして東亜に君臨していた清国(中国)に対して、小さい島国の3等国家日本が挑戦したのである。世界は例外なく清国の勝利に70%以上を賭けていた。緒戦第一日に、おどろくべき大事件が豊島沖で起きた。日本の巡洋艦「浪速」が、大英帝国のジャーデン・マジソン会社の所有船(清国の傭船となって高陞号)を撃沈したのだから、おどろいたのは日本だけでなくて世界であった。憤ったのはイギリスだけでなくて、日本の朝野であった。

 

「至急、『浪速』に回航を命じて、艦長を軍法会議にかけよ」とか、「没分暁漢の艦長を罷免すべし」とかいう声が巷にわきおこった。気の早い新聞は、即時、陳謝賠償の手続きを論じた。

 

 政府も、おどろきと憤りに包まれ総理大臣伊藤博文は、ただちに海相・西郷従道と会見し、閣下の部下からかかる軽率な軍人が出るのは残念至極であると訴え、何分の措置を依頼した。相手が西郷でなかったら、伊藤は大声、叱咤、けん責したであろうカンカンの大立腹であった。

 

外務省はとりあえず三番町の英公使館を訪問して、遺憾の意を表するとともに、早急の調査善処を申し出るという騒ぎ。

 

日清戦争は開戦と同時に終わり、日本は一切をあげて朝鮮から退却しなければならないのか。朝野の心痛は想像に余りあるところであった。

 

 日本の国を挙げての心痛とは対照的に、清国側は大喜びした。李鴻章以下が、緒戦好運来と喜んだのはもちろんだが、艦隊根拠地の威海衛における将校たちの歓びは、あたかもイギリスが清国の味方にくわわったような祝杯さわざを演じ、冷静にこれを制止めした「鏡遠」艦長林泰曹大佐との間に、一騒動がもちあがったほどである。

 

 

 一方ロンドンでは、外相キンバレー伯が青木公使を外務省に招致し、「貴国海軍将校の行動によって生じたる英国民の生命財産の損害にたいしては、貴国政府は賠償の責任がある」と警告すると同時に、東洋艦隊司令長官フリーマントル中将に指示して、日本艦隊の根拠地に伊東司令長官を訪問させ、厳重な抗議を申し入れた。

 

「七つの海を支配していた」大英帝国の海上航行権が、名もなき小国日本の軍艦によって傷つけられたことに対する厳重な抗議である。

 

 

 イギリス政府と同時に英国民衆も激怒した。英国ジャーナリズム界も、センセーショナルな記事を掲げて、英船が日本軍艦に撃沈されているさし絵を、大きくかかげ、「野蛮人の暴行を禁止せよ」 「極東の無法国に警告せよ」なぞと、報じてわが公使館員は外出を遠慮するような羽目におちいった。

 

 

 三等国日本は、ちちみあがったが、なぜか「浪速」東郷艦長のみが平然とかまえていた。

 

 

 

 東郷平八郎の撃沈は正当―ロンドン・タイムスの一声に鎮まる

 

 

 三日目に太陽がロンドンの空に上った。言論界の怒号渦巻く中に、国際法の権威ウェストレーキとホーランドの両博士が登場したのである。両博士はタイムス紙に寄せ書きして、戦時国際法のいかなる条文に照らしても、日本軍艦「浪速」艦長のとった処置は、適法にして一点の非難すべきところがないと論証し、英国の言論界に一大警告をあたえたのである。

 

 政府、言論界が一斉に東郷の撃沈にいきどおる中に、毅然として正論を説いた両博士の立派な態度は、一大教訓である。というのは、昭和十五年一月、英艦が浅間丸を臨検し、船内からドイツ人の乗客数名を拉致した事件の当時-日本は親独排英の時代-日本の学者は、ことごとく政府の対英抗議を支持し、英艦の適法なる措置を弁明する一人の学者も現われなかったことを回顧する必要がある。

 

人気とり専門の学者が国をあやまり、勇気ある正論の学者が国を救う一大教訓は、今日もなお変わらないからである。

 

 さて、ロンドン・タイムスはただちに社説をかかげ、両博士の説を引用するかたわら、くわしく「浪速」艦の行動を解説し、日本の海軍と同艦長とが、国際法的にもすでに訓練をつんでいることを称揚し、反日言論の「英国人らしくない」ことを戒めた。

 

タイムスの一論あらわれるや、あたかもライオンの一吼、百獣を圧するごとく、排日の言論はロンドンではピタリと消えてしまった。

 

 もともと「浪速」艦長・東郷平八郎大佐は明治四年から八年間も英国に留学、もっぱら、商船ウオースター号およびバンプシフ号で訓練を受ける一方、商船学校で国際法と海商法の勉強をつんだのである。当時、世界一の海軍大国イギリスは、英国海軍兵学校の門を、アジアで開国したばかりの三等国日本の士官には開いていなかったのだ。そのため、やむを得ず商船学校で八年間も苦労した結果が、国際法について徹底して勉強して日本の第一人者となっていたのが、なんとも幸運であった。

 

撃沈された高陞号の英船長ウォルズウェーが、同商船学校で東郷より二期後の卒業生であったというのだからまさしく奇縁である。

 

こうして、東郷平八郎の名は世界にとは一躍、有名になり、伊藤博文以下、日本の朝野は一安心したのである。

 

<参考文献は伊藤正徳の「大海軍を想う」光人社(1981)>

 

 

 

 

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