片野勧の衝撃レポート(83) 原発と国家―封印された核の真実⑭三谷太一郎 (政治学者、文化勲章受章者)の証言②『主権国家中心の現在の「国際社会」ではなく、 主権国家以外のさまざまな社会集団も加えた 多元的な「国際社会」を再構築することが必要だ」。
2016/08/21
片野勧の衝撃レポート(83) 原発と国家―
封印された核の真実⑭(1997~2011)
片野勧の衝撃レポート(83)
原発と国家――
封印された核の真実⑮(1997~2011)
核抑止力と脱原発 ■東海再処理工場で
火災・爆発事故発生ー三谷太一郎の証言②
①「原発事故が起こったら、取り返しがつかないのに、
なぜ、再稼働するのか」
② 『主権国家中心の現在の「国際社会」ではなく、
主権国家以外のさまざまな社会集団も加えた
多元的な「国際社会」を再構築することが必要だ」。
■ドキュメント映画『フォッグ・オブ・ウォー』
「もちろん、戦時中、防空訓練はありました。しかし、現実の空爆はとても防空訓練が想定しているようなものではありませんでした」
こう言った後、三谷さんはロバート・マクナマラ元アメリカ国防長官の晩年のインタビューから構成されたドキュメント映画『フォッグ・オブ・ウォー(戦争の霧)』を思い出す。
この映画はマクナマラが85歳の時にインタビューに応えているもので、彼は第2次世界大戦中、兵役につき、米軍空軍基地で空軍司令官の命令で日本全土の都市をいかに効率的に壊滅させるかという作戦を立案した人物。
三谷さんは続ける。
「当時の若いマクナマラが考えたことは低空飛行で爆撃すること。それをやったのが3月10日の10万人が亡くなった東京大空襲です。
竹やりで火たたきしたり、バケツ・リレーによる消火訓練など、日本の防空演習は問題になりませんよ」
破壊の効率を最大限に高めよ――。
日本の都市を効率的に壊滅させるために練った緻密な戦略には到底、敵うはずはない。この効率主義の指針はマクナマラがマサチューセッツ工科大学の助教授をしていたころからの哲学であり、指針だったという。
この効率主義に基づいて、彼は東京大空襲をはじめとした日本本土の焦土化作戦の立案に関与したのである。
インタービューの中でマクナマラは東京大空襲で10万人の市民が亡くなったことについての戦争責任を問われ、率直に「責任はある」と認めた。
アメリカの軍事分野の元高官がこのように過去の戦争について述べたということは興味深い。しかし、責任は感じても、誤りであったとは言っていない。「それで……」。表情を引き締めた。
「米国の現職大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ米大統領は『1945年8月6日の記憶を薄れさせてはならない』と訴えました。
しかし、米国が原爆投下したことへの謝罪や、原爆投下の是非には言及しなかった。
[これはマクナマラの発言と同じです」 責任は感ずるが、謝罪はしない――。それは太平洋戦争だけでなく、ベトナム戦争の場合も、そうだったと三谷さんは言う。さらに核戦争の一歩手前まで行ったキューバ危機に言及して、
「やはり戦争あるいは戦争の危機になると、どんな賢明なリーダーでも、どう進んでいけばよいのか分からなくなるとマクナマラは言っています。
マクナマラによると、米国のケネディも、ソ連のフルシチョフも、キューバのカストロもいずれも賢明なリーダーでした。しかし、戦争という霧の中に置かれると、人間はどっちの方向に進んだらよいのか分からなくなるのです。それが戦争の現実です」
マクナマラの立案した超低空からの爆撃――。
三谷さんはそれを身を持って体験している。先に述べた岡山空襲である。三谷さんの言葉は熱を帯びる。
「1945年6月29日。未明の1時から2時ごろでしたけれども、B29という重爆撃機が屋根すれすれに飛んでくるような感覚なのです。百発百中、外れることはない。絨毯爆撃とはよく言ったものです。本当に超低空からの無差別爆撃でした」
■「日本が負けたのは国民の努力が足りなかった」元陸軍大臣
1945年8月15日、終戦。
三谷さんは天皇の玉音放送をラジオで聞いた。「日本が負けたことは非常な衝撃でしたけれども、それよりも大日本政治会の総裁・南次郎大将の談話記事により大きな衝撃を受けました」
大日本政治会というのは1945年3月、戦争体制強化のため小磯国昭内閣が大政翼賛会を解散して組織した衆議院の多数派を率いる政治結社。
総裁は満州事変が起きた時の陸軍大臣・南次郎大将。彼は国民糾合・国体護持・大東亜建設などを主張していた。
南次郎は8・15「終戦」の談話に、こう述べていたという。「日本が負けたのは国民の努力が足りなかったからだ」と。
「私は国民学校(小学校)3年でしたが、この言葉に衝撃を受けました。我々は戦火に焼け出され、疎開していろんな苦難に耐え忍んでいたのに、国民の努力が足りないとは何事か、と。
私はこの時、はじめて日本のリーダーというものに幻滅を感じましたね」
東京大学出身の政治外交史家には、元陸軍大臣の言葉は一生、忘れられないものだったようだ。
我が国は過去にいくつかの過ち、錯誤、誤謬を経験したが、その責任の少なからぬ部分は大日本政治会にあったのではなかったのか、と思う。
戦時下、大日本政治会の協力で国策が決められ、国民に犠牲を強いていたのではないのか、とも。
それは原発の安全性についても、東電や原子力安全・保安院の「原発は絶対安全」という発想と似てはいないのか。気が付くと、もうすでに1時間が過ぎていた。
三谷さんは疲れるどころかますます冴えている。自らの考えを「伝えたい」という思いのみが体を突き動かしているのだと思った。
「アジア・太平洋戦争も、もちろんですけれども、戦争というのは年齢差とか男女差とか、そういう平時の差異をミニマムに極小化するものです。
結局、老齢者も子供も女性も同じ条件の下で戦争することを実感させられましたね。
しかし、そこから戦後民主主義が生まれてくる必然性があると思います。だからといって、戦争にも価値があるとは言えませんけれども……」
――日本は戦後、GHQの指令で内務省・陸軍省・海軍省を解体しましたが、しかし、その組織と人脈は名称や形態を変え、現在に至るまで残り、この国を動かしています。私の問いかけに、
三谷さんは「その通りです」と言った。「だが……」。そして語気を強めた。
「日本のリーダーは先ほど述べた元陸軍大臣ではないが、戦争に対する責任感がきわめて薄い。マクナマラでさえ、東京大空襲に対して戦争責任を感じているのに、南次郎大将は日本が負けたのは国民の努力が足りなかったからだという、こんな無責任なリーダーはどこにいますか」
この政治外交史家は、やるせなさを顔ににじませた。
■関東大震災と本土空襲
――明治の近代化以降、国家を揺るがすような巨大な都市災害を2度、経験しました。1923年の関東大震災と第2次世界大戦での本土空襲です。日本の浮沈にかかわる、これらの巨大災害に対してのお考えは?
三谷さんはこう語る。
「まず、関東大震災は日本の電力政策に大きな影響を及ぼしたことは、今回の東日本大震災と同じ。日本は第1次世界大戦後、アメリカと密接な経済金融関係にあって、アメリカ資本がどんどん入って来ました。
その最中に関東大震災が起こり、それで日本の電力をつぶしちゃいけないというので、東京電力の前身である東京電燈や台湾電力の米貨社債発行引受がウォール・ストリートの有力投資銀行によって行われたのです」
もちろん、当時、原発はなかったので、現在とは異なるが、それによって日本の金融政策も強化され、外貨による電力開発も進んだのである。
しかし、1931年、満州事変が勃発すると、それまで緊密であった日米の経済協力は危うくなる。金融提携は閉塞状態に陥ったのである。
「実は……」。三谷さんは言葉を選びながら、こう語った。
「1960年の日米安保条約改定の時、反対派は岸信介内閣の日米軍事同盟化に警戒感を持ちました。しかし、その結果は、軍事的な同盟ではなく、経済的な同盟だったのです。改定された安保条約の条文の中にも明確に書かれています。そして岸首相が退陣し、池田勇人内閣が登場して高度経済成長時代に入ったのです」
安保改定に経済条項が入ったが故に日本は高度経済成長が実現できたと三谷さんは強調する。つまり、非軍事的側面からアメリカが日本に市場開放したことは、アメリカの戦略の大転換だったという。
もちろん、日本の経済復興はアメリカにとって必要不可欠だったのだろう。当時、日本の最大の輸出市場は東南アジアだったが、それがアメリカ市場にも向かったのだから。後の日米貿易摩擦の原因はそこにあったとも語る。
■福沢諭吉の「文明開化」「富国強兵」
ここで、身を乗り出すように「ところがですよ……」と言葉を継いだ。 「福沢諭吉は幕末の徳川慶喜政権の近代化路線を支持しました。
『文明開化』や『富国強兵』といったスローガンは、当時この路線を方向づけるものとして作られ、福沢らによって唱えられました。
そのためにフランスから資金を得て、横須賀に造船所をつくり、幕府権力の再強化を考えました」
しかし、徳川幕府は倒れ、明治国家が生まれた。幕府に仕えていた洋学者たち(西洋の学問や技術を学んだ人々)は、そのまま明治政府に仕えた。
しかし、福沢諭吉だけは例外だったという。
「そこで福沢は、かつての自分の生き方、旧幕府官僚としての生き方を放棄します。権力から独立した生き方に方向転換し、福沢は明治政府に仕えなかったのです。それは明白な『転向』でした。しかし、福沢はそのことを自伝の中で一切、語っていない。自伝の最大の空白です」
そして、福沢諭吉によって鼓吹された「文明開化」「富国強兵」のスローガンとともに、幕末の近代化路線は、ほとんどそのまま明治政府によって継承された。
明治政府の前後で権力の交代はあったが、権力の路線は連続していた。そして、それ以後の国家戦略はこの路線の延長線上に策定されたのである。
ところで、東日本大震災と原発事故の爪痕は、三谷さんの想像力をはるかに超えていた。三谷さんの証言から。
「日本近代の最初の挫折はアジア・太平洋戦争の敗戦であった。それは幕末以来の『富国強兵』路線を挫折させた。敗戦後の日本は、日清戦争前の明治日本に回帰することを想定することによって、『富国強兵』路線の修正を図った。それが現行憲法第9条の導入による『強兵』路線の放棄である」(岩波書店編集部編『これからどうする』―一国近代化路線の終わりと将来の日本)
そして続ける。
「戦後日本は『強兵』なき『富国』路線を追求することによって、新しい近代日本を形成したのである」
■「強兵」なき「富国」路線も挫傷
ところが、「強兵」なき「富国」路線に根本的な疑問を投げかけたのが、2011年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故である。それは1923年の関東大震災の場合と異なり、原発事故を伴うことによって、戦後日本の近代化路線そのものに深刻な挫傷を与えたと、三谷さんは考える。
「それは、まず第一に、これまで「強兵」なき「富国」路線を推進してきた電力を産出するエネルギー資源の供給の危機を顕在化させたことである」
戦後日本のエネルギー資源は石炭から石油へ。さらに石油から原子力へ。原発事故が起こるまで、政府や電力業界は原発を強力に推進してきた。
右肩上がりの成長を前提に、利益の最大化を目指してきた。明治以来の富国強兵の延長である再近代化路線。その曲がり角で起きた原発事故。三谷さんは強い口調で訴えた。
「原発の場合は事故が起こったら、取り返しがつかないのに、なぜ、再稼働するのか。また原子力危機を突破しうる展望も開かれていないのに、なぜ、急ぐのか」
しかし、エネルギー危機は日本にのみ限定されず、世界的なものであり、これがエネルギー資源をめぐる国際的対立を惹起し、領土紛争を激化させているのだと、三谷さんは考える。
「第2次大戦前の『持てる者』と『持たざる者』との対立の図式が再現しているとさえ見られるのである。国際的な協力が最も必要な時代に『国益』と国民感情を最優先するナショナリスティックな主張が世界的に強まりつつある。
そのような趨勢に即応して『安全保障』の必要が強調され、さらに進んで軍事力の強化(『強兵』)の必要さえ叫ばれている」(前掲書)
■「有形の文明」から「無形の文明」へ
経済成長を是として発展を遂げた戦後の日本。では、どうするか。今後の進むべき道とは? 「難しい問題ですが……」と前置きして、福沢諭吉の『文明論之概略』を例に挙げた。
「私はやはり福沢が強調している『有形の文明』<かたちのある文明>ではなく、『無形の文明』<かたちのない文明>を強化することではないのか、と考えます」
では、無形の文明とは何か。「それは端的にいって、教育立国、学問立国、芸術立国、環境立国です。それを実現するために現行憲法第9条を維持していくことが必要ではないのかと思う」と。さらに続ける。
「現実と理念の間に大きなギャップがあります。しかし、現実に合わせて理念を放棄することには反対です。今の憲法改正論者の中に第9条第1項の戦争放棄はいいが、第2項の戦力不保持、交戦権の否認の部分は変えるべきだというのが、憲法改正論者の多数の人たちの意見です。
私はそれに反対です。要するに、第1次大戦後以来、日本が取ってきた軍縮を徹底する。将来といえども、富国強兵路線に対して日本が取ってきたもう一つの選択肢を追求していくべきです」
声はやわらかいが、言葉は厳しい。
「70年間、日本が戦争をやらなかったということは近代の歴史の中でなかったこと。あと70年、平和を維持してもらいたい。そうすれば、日本は相当立派な国になれると思う。よく、国際社会の要請を無視して一国平和主義を唱えると批判する人がいますけれど、そうじゃない。
一国が平和を維持することは、それ自体人類全体に対する大いなる貢献ですよ」 さらに言葉を選びながら、言う。
「それと直接、関連するものとして私は原発問題を考えたいわけです。いわゆる、抑止力という考え方の危険性です。かつての日英同盟、日独伊三国同盟だって戦争への抑止力として必要だと強調されましたが、ことごとく戦争の導火線になったのが現実の結果です」
最後に、こう言葉を結んだ。
「今、最大の抑止力は核抑止力です。仮に第9条第2項が撤廃されるとして、そこに抑止力の概念が適用されるとすれば、核抑止力に結びつかざるを得ないと思う。
現に米国の共和党大統領候補であるトランプは、それを公然と唱えています。それを非常に恐れます。ですから、日本が核を廃絶するためには、その根源である脱原発に舵を切らなければなりません」
そのために今、必要なのは何か。
かつて日本の近代化を支えた社会的基盤をさまざまな国際共同体の組織化を通して、主権国家中心の現在の、いわゆる「国際社会」ではなく、主権国家以外のさまざまな社会集団が発言力を持ちうる多元的な「国際社会」を、グローバルな規模で再構築することではないのか。三谷さんは、そう考えている。
取材を終えて外に出ると、そこは赤門だった。
(かたの・すすむ)
片野 勧
1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。
『8・15戦災と3・11震災』(第3文明社、2014)
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