『日本敗戦史』㊱『近代最大の知識人・徳富蘇峰の語る『なぜ日本は敗れたのか➁』「リーダーシップ・長期戦略の欠如」
2017/08/15
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㊱
『来年は太平洋戦争敗戦から70年目―『日本近代
最大の知識人・徳富蘇峰(「百敗院泡沫頑蘇居士」)
の語る『なぜ日本は敗れたのか・その原因』②
―現在直面している『第二の敗戦』も同じパターン』
① リーダーシップの欠如(コロコロ変わるトップ、政権)
② 長期戦略、自己哲学の不在(自立的でなく、他動追従型、)
③ そのために世界の状況の変化に、すぐ影響され、間違った
選択して、状況は悪化していく。
④ 敗戦の発端は満州事変(関東軍の謀略・下剋上による事変)
⑤ トップは何も知らない。この軍部独走,暴走、政府の追認の繰り返し
⑥ 典型的な『リーダーシップ、権力トップ不在(中空型)の無責任膨張、
最後には破裂・自壊していく統治体制(今もこの構造矛盾は克服できていない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%AF%8C%E8%98%87%E5%B3%B0
以下はWikiによる『軍部との提携と大日本言論報国会』から、
徳富 蘇峰はいうまでもなく日本近代、最大のジャーナリストである。日清戦争に従軍し、日露戦争では開戦を支持、山県有朋、桂太郎ら明治のトップリーダーの伝記編纂、著者となり、太平洋戦争中は「大日本言論報国会会長」として、日本の新聞、出版のトップに君臨して、戦争の旗振り役に徹した。昭和16年12月8日の海戦では東条英機の依頼で、開戦の詔書を添削した。昭和19年)2月には『必勝国民読本』を刊行した。終戦後の昭和20年9月、敗戦責任を取り、自らの戒名を「百敗院泡沫頑蘇居士」とする。GHQによって戦争責任を追及されて、A級戦犯に指定されたが、後に不起訴処分となった。徳富の死後半世紀たった2006年、蘇峰が終戦直後から綴った日記「終戦日記」が初めて公開された。
以下の「敗戦の原因①」については、八月一五日の終戦のわずか二週間後に書いたものである点が注目される。
敗戦の原因➁(昭和二十年九月二日午前、双宜荘にて)
1945(昭和二十)年九月二日、今日は米国戦艦ミズーリ号上にて、聯合軍と日本代表者との降伏調印の日である。これを前にして、重光葵外相
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%85%89%E8%91%B5
は、懇々切々日本国民が、敗戦国民である事実を自覚せんことを宣している。これは今度に限ったことでもなく、裏にも重光外相は、同様の言を為し、その為めに米国側では、流石に重光外相だと、讃辞を呈している。
だが、我等はこれを聴いて、異様に感ずる。第這、日本国民の女子供の末までも、いやしくも心ある者は、降伏の事実を自覚せぬ者はいない。日本国民に向って告ぐる必要ないのみならず、むしろその見当が間違っていると思ぅ。
世の中には何事も罪は国民に在りとして、総ての罪を、何も知らぬ、また何も知らせない国民に被せて、己れはしたり顔をして居り、中には降伏を以て表の勝利の如く心得、どうだ、乃公(だいこう)がいった通り、その通りになったではないかなどと、恰かも予言者顔をして威張り返っている者もある。奴等にとっては、日本の敗北は即ち自己の勝利であって、むしろ今日を以て祝日としているかも知れぬ。
かかる者に向ってこそ重光外相の説法も無用ではあるまいと思う。且また今日の降伏に日本を導き来たった者の中には、健かに重光外相もその1人でないということは出来まい。外相は東條内閣、小磯内閣の外相であった。而してその以前に、大使として英国に在り、活躍している。若し外交上に欠陥がありとしたならば、獅子の分け前は、むしろ何人よ。重光氏が負うべきではあるまいかと思う。
それを自覚しているや否やは、我等の知る所ではないが、他所事の如く、しきりに国民を相手に説法していることは、如何にも片腹痛き仕打ちである。しかし何は兎もあれ、今日の屈辱日である事だけは、我等も重光外相とともに、これを認むるにやぶさかかでない。但だかかる屈辱日を、我が三千年の歴史に、初めて印し来たったことを、我等は甚だ情けなき事と思う。同時に我等は飽くまでもその責任者について、反省を促がしたいと思う。
さて、いよいよ敗戦の原因に立入て吟味せんに、数え上ぐれば山ほどある。しかしその主となる一は、戦争に一貫したる意思(戦略)の無きことである。言い換えれば、全く統帥力無きことである。
これでは如何に奮闘勇戦しても、如何に特攻隊が出で来っても、勝つべき道理が無い。早き話が、この戦時中は、敵米に於ては、政務も軍機も、一切ことごとくこれをルーズベルトの手に集中していた。
英国ではチャーチルの手に集中していた。ルーズベルトは途中で倒れたが、しかもその時は既に戦争の峠を越していた。チャーチルはポツダム会議まで居て、日本に対する降参勧告の文書には、親しく署名している。支那に於ては、重慶政府の一切万事悉く蒋介石の手に在り。ソ連に於ては、一からまで十迄(まで)、十から百迄、悉(ことごと)くこれをスターリンの手に収め、今尚お収めていることはいう迄もない。
し
かかるに我国に於ては、一切軍国の機務は誰れの手に掌握したるか。申す迄もなく、明治二十七、八年戦役(日清戦争)に於ても、三十七、八年戦役(日露戦争)に於ても、全く明治天皇の親裁し給う所であった。
日清戦争に於ては、内外の政務は伊藤博文これに当り、軍機は山県有朋、大山厳、西郷従道を擁し、陸軍には川上操六あり、
児玉源太郎あり。海軍には伊集院五郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%9B%86%E9%99%A2%E4%BA%94%E9%83%8E
あり、山本権兵衛あり。日露戦争の時には、政務は桂これに当り、陸軍は児玉源太郎、寺内正毅、海軍は山本権兵衛、東郷平八郎など、各々その責任者があり、しかも首相桂太郎は、あたかも幹事長の役目を勤めて、一切の取まとめをしていた。これを以て政治と軍機とも足並を揃えることが出来た。
戦争と外交とも協調を保つことが出来た。陸海軍共に鳥の双翼、車の両輪たる働きをした。しかも当時の日本で、いやしくも智勇弁力の士は、その朝に在ると、野に在るとを問わず、何れもその力を効(いた)さざる者は無かった。
これは明治三十七、八年役(日露戦争)に於て、最も然りとする所で、かく言う予の如きは、眇(びょう)たる新聞記者ではあったが、いささかその消息を知っていると自から信じている。
しかるに、我が大東亜戦争(太平洋戦争)は、誰れが主宰したか。それは申す迄もなく、大元帥陛下(昭和天皇)であることは多言を俟(ま)たぬ。
しかも恐れながら今上陛下の御親裁と、明治天皇の御親裁とは、名に於ていて一であるが、実に於ては全く別ものである。
明治天皇は、単りその職域に在る者ばかりでなく、例えば野に在る、もしくは政治の中枢以外に在る、松方正義、井上馨の如き者さえも、御諮詢(しじゅん)諮諷あらせられ、彼等をして、その力を効(いた)さしめ給うた。而して細大洩らさずというが、中にも大事に至っては、群議を尽して、悉(ことごと)くその行く可き所に行き、止まる可き所に止まらせ給うた。これは申す迄もなく、悉く皆な聖断に依った。固より日清日露の両役でも、人と人との関係、官と官との関係に於て、多少の軋轢、摩擦のあったことは、見遁すことは出来ぬ。
しかも大体に於ては、今申す通り、一切の献立が出来、-切の筋書が出来、その通りに行われて行いたのである。しかるに我が大東亜戦争は如何。
固より天皇の統帥権を干犯(かんぱん)したる者もなければ、せんとする者もなかったであろう。また今上陛下の励精で在らせ給うことは、隠れなき事であり、軍務にも政務にも勤しみ給うことについては、我我はむしろ感激している次第である。
しかし明治天皇の御親裁という意味に於ける御親裁は、遂に
現代に於ては見出すことが出来なかった事は、誠に恐れ多き事ながら、遺憾千万である。
元来この大東亜戦争は、満洲事変に遡(さかのぼ)らなければならぬ。歴史的にいえば、尚お遠く遡らねばならぬが、姑(しばらく)く満洲事変を目標として置かんに、抑も満洲事変は如何にして出で来りたるか。支那側の方は姑く措いて、日本側に於ては、当時の政府は素より関知していなかった。当時の陸軍省、参謀本部はまた関知していなかった。
然らば何人が関知したかといえば、我等よりもむしろ前に掲げた石原将軍の如き人が、極めて能くその事情を知っているであろうと思う。本庄〔繁〕大将の如きは、その功によって男爵となり、固よりそれは相当であろうと信ずるが、しかし決して本庄大将までは当時の関東軍の司令長官として、当初からこの事に関与した人ではなかったことは、いう迄もない。
極めて露骨にいえば、この事変に関係したる人々は、将官といわんよりも、佐官級の若干士官であったと思う。彼等は事が出来れば、その勲功は上司に帰し、出来なければ、自から責任を執る積りであったと思う。しかるに満州の火は宛かも疾風の枯葉を播くが如く、大火事となり、ここに満洲事変として発展して来た。これからは人が勢を制するではなくして、勢が人を制し、次から次に発展して来たのである。
いわば関東軍は局部、局部の人によって動かされ、陸軍省は関東軍その他出先将校によって動かされ、
内閣は陸軍省によって動かされ、かくの如くにして、首相も何事たるや知らず。陸軍大臣、参謀総長も、半分位は知っていても、他の半分は知らず。
現地の主将も、三分の二は知っていても、他の一は知らず。つまり事件が人を支配して、人は唯だ事件の跡を追っかけて行くというに過ぎなかった。
かくの如くにして、あたかも薮から飛び出した兎(うさぎ)を追いまくり、どこまでも兎の跡を付けて追って行く内に、自からその身が何処に在るやも、判らなくなったような次第である。
つづく
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