『Z世代のための日本戦争学講座②』★『 歴史インテリジェンスからみた真珠湾攻撃と山本五十六②』★『山本五十六は三国同盟への反対をなぜ最後まで貫けなかったのかー今の政治家、トップリーダーへの遺言』
『Z世代のための日本戦争学講座①』★『今日(2024/12/08)は80年前の真珠湾攻撃(太平洋戦争開始)をした日で、この4年後に日本は敗戦・亡国した』
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●1940年(昭和15)9月27日の山本と近衛首相の荻外荘会談
真珠湾攻撃1年2ヵ月前の1940年(昭和15)9月27日、日独伊三国同盟が締結された結果、日米戦争はいよいよ不可避となった。締結後に、山本は、近衛首相の招きに応じ、海相の諒解を得て、荻外荘の私邸で約二時間にわたって会談した。
日米戦争の勝敗について聞かれると「ぜひやれと言われれば、初めの1年や1年半は、存分暴れてご覧に入れます。しかし二年、三年となっては、ぜんぜん自信はありません。三国同盟ができたのは致し方がないが、こうなったなら、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います」といったことは有名である。
この時、最後の元老・西園寺公望は静岡県の興津の坐漁荘で、三国同盟の成立を聞いたが、「やはり尊氏(足利)=松岡洋右をさしての言葉=が勝ったね」と他人事のようにいい、日米戦争の敗北を見通した。
側近の侍女たちに、「これでもうお前たちさえも、畳の上で死ぬことはできなくなるだろう」とつぶやいた。床の上に一日中物思いに耽り、何も語らなかった。そして2ヵ月後に90歳で亡くなった。
日本が太平洋戦争への道を転がり、ほぼ全員が内心では望まなかった米国との戦争に突入していった経過をみると、「決められない政治」「時流に便乗する政治」「見通しを誤った陸軍と外交」「最後まで徹底して負ける戦いはしないという海軍の徹底反対、大勇気」「命をかけても真実を報道していくという新聞の勇気の欠如」など数々の複合的な要因がある。
この場合も、山本も西園寺も日本での最高権力者、トップリーダーで一国の運命がその双肩にかかっていることを自覚せず、断固として三国同盟を止める勇気も行動もせず、唯々諾々(いいだくだく)と状況の悪化に身を任せていった。
当時の陸海軍トップ、幹部の多くは個人的に聞くと、「日中戦争をやりながら、これ以上米英とことをかまえるべきではない」と内心は反対であり、非戦論者なのに大勢(体制、大声)ムードに乗って、会議があると、はっきりと反対意見をいう勇気のある者は小数で、ズルズルと戦争に引きづられていく。
●「赤信号、みんなで渡ればこわくない。そして、引かれて死んじゃった」(日本病)は今なお続いている。
一歩一歩のぞまぬ戦争に流されていくという「決められない政治」「正確な判断と決断」が下せずー大勢順応で「赤信号、みんなで渡ればこわくない。そして、引かれて死んじゃった」という日本の「死にいたる病」「集団死病」に結果的になる。
昭和16年(1941年)東条英機陸相が全陸軍に発した戦場での心得「戦陣訓」(「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」による玉砕、集団自決、特攻隊の賛美は武士道「葉隠」の精神の延長線上であり生命人権尊重、自由、平等の民主主義理念とは全くかけ離れた封建思想そのものであろう。しかし、当時は治安維持法によって、「戦争反対」「赤(共産党)」「自由主義」などを口にしたり、便所内に張り出しでもすれば、特高にすぐ捕まる。「新聞紙法」によって、特高が新聞社内に常駐し、紙面の検閲を厳しく実施、「大本営発表しか書けず」言論、表現の自由は全くなかった。現在の共産党独裁の習近平政権下でのメディア・SNS検閲体制とまるで似ている。
ここでは海軍の行動形式と、その中でも最も見識もリーダーシップもあった山本五十六は「なぜ最後まで反対を貫かなかったのか」をみていく。
日独伊三国同盟を阻止するために、米内・山本・井上らのコンビ、海軍の進歩派が勇敢にたたかったのは事実である。このフシズム三国同盟を締結すると、日本は米国をはじめ世界各国と戦わなければならない、天皇や山本五十六らの予想したように科学的、合理的に計算すれば、勝負は始めから判っている。
海軍が一致結束して三国同盟締結前と、日米交渉の破裂前でも戦争に反対すれば、陸軍だけでは戦争はできない。たとえ、そのために、陸、海軍迎え撃つ内戦、内乱になっても、日本が大敗北するよりはましであるというのが常識的な判断ではなかろうか。
近衛首相が第二次内閣の組閣を終えると、三国同盟がすぐまた表面化して議論がわき上がった。海相の吉田善吾は山本と同期だが陸軍の横暴と、山本司令長官の強力な反対の板挟みで、ついにノイローゼで入院する。
山本は「日米正面衝突を回避するため、両国とも万般の策をめぐらすを要すべく、帝国としては絶対に日独同盟を締結すべきでない」と絶対反対した。結局、吉田は米内や山本ほどの度胸がなく、勇敢に抵抗することができず10ヵ月後にやめる。
吉田の後に及川古志郎が海相に就任した。及川は吉田よりもさらに迫力がない。それを見越して陸軍がわざと要求してきたので、一挙に三国同盟に押切られてしまった。この背景は、反対を押し切ってまで自らの信念を貫く性格ではなかった及川ら海軍首脳部が、陸軍との争いを回避する向を持っていたためだ。
豊田貞次郎海軍次官はその間の事情を「日本海軍は対米戦の備えが不十分で、肚の中では甚だ不本意だが、国内の政治情勢からみて、海軍だけが頑張っているわけにも行かないゆえ、賛成した」と答えている。
及川や豊田は、勇気と見識に欠如しており、大勢便乗そのままに陸軍に追随してしまった。
1940年(昭和十五年)九月五、六両日に、及川は海軍大臣の名において、海軍首脳を東京に招集し、三国同盟に関する最終の意見を聞いた。条約調印まで、約三週間である。
及川はもし海軍が賛成しないとすれば、第二次近衛内閣はつぶれるほかはなく、海軍は内閣瓦解の責任はとりたくないから、三国同盟に賛成しようではないかとあいさつした。
山本連合艦隊司令長官は対米戦の不利を証明する資料を用意して会議に臨んだ。伏見宮軍令部総長、大角岑生軍事参議官、艦隊司令官らは、一人として発言する者がなかった。
山本は、「……昨年八月まで、私が次官を務めておった当時の、企画院の物動計画によれば、その八割は英米圏内の資材でまかなわれることになっておりました。今回、三国同盟を結ぶとすれば、必然的にこれを失うはずであるが、その不足を補うために、どういう物動計画の切り替えをやられたか、この点を明確に聞かせていただき、連合艦隊の長官として安心して任務の遂行をいたしたいと存ずる次第であります」と質問した。
及川海相は、それには一言も答えず、山本の質問を黙殺した。
「いろいろご意見もありましょうが、先に申し上げたような次第ですから、この際は三国同盟にご賛成願いたい」と前言を繰返した。
大角は真先に、「私は賛成します」と発言し、ついで一同の出席者次々に賛成した。まことに大勢便乗の雰囲気であり、長いものに巻かれる、仕方がない、という態勢順応そのものの態度である。このあいまいな、矛盾した決定が大敗北につながる日本病である。
(24年12月8日追加ー今国会で論議されている「106の壁」について、財源がない、
ステルス増税問題は無視されて見切り発車される可能性高いケースと類似)
会議の後で山本はさらに及川海相に食い下がって、その無責任を追究した。「事情やむを得ないものがあるので、勘弁してくれ」と及川はあやまったが、山本は「勘弁ですむか」とかみついて放さなかったという。
<これが日本病の正体である。今回の原発事故もこの通リの結果になりつつある。
ここ一番の国の運命をかけた勝負で、心にもない決定を下して、その論拠が国の敗北ではなく、内閣の倒閣と海軍がその原因となったと批判されることを忌避する責任逃れれである。
海軍の存在理由は国の安全、防衛と負ける戦争はしないということにあれば、たとえ内閣がつぶれようと、陸軍との内戦、内乱になろうとも断固戦うべきなのに、陸軍の無理押しを国の敗北を予見しなが、勇気がなく追随したのである。
政治家、官僚の目的は国益、国民益である。陸軍益、海軍益、官僚益、省庁益ではない。
原田熊雄は、三国同盟がいよいよ調印されたのを聞いた山本は、つぎのように悲憤したと述べている。
「言語道断だ。自分の考えではアメリカと戦争することは、全世界を相手にするつもりでなければならぬ。ソ連と不可侵条約を結んでも当てになるもんじゃない。アメリカと戦争しているうち、後から出で来ないと誰が保証するか。自分はこうなった以上、最善を尽して奮闘する。そうして長門の艦上で討死するだろう。その間、東京あたりは丸焼けにされ、そうして近衛なんかは、気の毒だけれども国民から八裂きにされるようなことになりはせぬか」(原田日記)と述べたという。まさにその通りになったのである。
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