前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代への日本リーダーパワー史』『 決定的瞬間における決断突破力の研究 ㉓』★『 帝国ホテル・犬丸徹三は101年前の関東大震災でどう対応したか、その決断突破力に学ぶ①』

   

9月1日は「防災の日」。1923年に発生した関東大震災に由来している。関東大震災は約10万5千人の死者や行方不明者を出し、日本史上最悪の被害をもたらした。その記憶を教訓に防災意識を高めるため1960年の閣議で9月1日が防災の日と決まった。

今年は1月1日元旦に能登半島地震があり、 8月8日には宮崎県日向灘で最大震度6弱の地震が発生、マグニチュード(M)は7.1。気象庁は今後1週間以内に大規模地震が発生する可能性が平時より高まっているとして、南海トラフ地震臨時情報の「巨大地震注意」を発表した。2019年の運用開始後初となる。地震が頻発しており、台風10号のノロノロ台風は日本列島全体に線状降水帯などの大被害をもたらした。

ここに再録した「2011年3月11日の「東日本大地震「福島原発事故」から20日後に私はビデオジャーナリストに転身、国難にいかにリーダーは対応したかをという「日本リーダーパワー史」の連載を始めた。現在も連載を続けており1300回を超えた。

 2011/04/03   日本リーダーパワー史(136)記事再録

関東大震災、福島原発危機を乗り越える先人のリーダーシップに学ぶ

前坂 俊之(ジャーナリスト)

歴史的にみても危機、非常時には必ず思いがけないところから指導的人物が現れてくるものである。今回、3/11福島原発事故は長期戦になる覚悟しなければならないが、約3週間経過したところでダメなリーダー、政治家、官僚たちの化けの皮が剥がれると同時に、戦時の若手のリーダー、企業家、ボランティアの活躍ぶりが漸々その姿を現しつつある。

メディアはしっかり人物を見極めて、ダメ人間とやる人間を区分けして、批判し、ほめるべき点は賞賛すべきである。なぜなら、メディアがこれら実力もない、口だけの人気先行型のダメリーダーをバッコさせてきた責任があるのだから。危機にあって自分だけ安全地帯にいて、従来通りの垂れ流し報道をすべきではない。ここでは関東大震災で示されたリーダーたちのリスクマネージメントと『常在戦場』の危機突破力についてみていく。

犬丸 徹三は<明治20(1887)年6月生れー昭和50年(1981)4月 93歳)は元帝国ホテル支配人、社長。石川県出身、一橋大卒、同大学生リーダーでストライキを指導、政治と、読書と禅に熱中し最後から数えて3番目の成績でかろうじて卒業した強者。満州に渡り大和ホテルで修業、上海、ロンドン、ニューヨークのホテルで勉強した後、大正8年(1919)、33歳で帝国ホテル副支配人となった。その後、常務、代表取締役、専務等を経て、1945年社長。1970年顧問となる

帝国ホテルの建設は1912年、アメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトに新館の設計を依頼した。ライトは来日して、使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。設計から11年の歳月を経て、大正12(1923)年にやっとライトの本館は完成した。

9月1日(土曜日)はライトの『新館落成記念披露宴』が開かれることになっていた。まさにこの時、午前11時58分32秒(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の関東直下型地震が起こった。

帝国ホテルではちょうど宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞わわる中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せて、東京随一の偉観を示した。

そのとき、犬丸支配人はどう行動したのか。その時、歴史は動いた。

帝国ホテルの支配人、犬丸徹三は地震と同時に大混乱状態の中でその生来の沈着さからまず、調理場の火を消すように即座に指示、落成式の中止を決定、コックたちにさつま汁をこしらえるから炭火をおこすように命じた。

さつま汁というのは、さつまいもを使った煮こみのスープで、日本ではよく非常時用の食糧に使う。そして彼が宴会場にいってみた時、十二時十五分の大余震がやってきて、そのためにバルコニーの扇風機が雨のように落下してきた。

犬丸はすぐに、ホテルにとって最大の危険は火事であると見てとった。

通りをへだてて向いの二つの建物には、すでに火がまわっていたが、幸いなことに風向が逆で、火の手を逆の方向にもっていっていた。犬丸はみんなに、窓を閉めるように命じた。それから彼は、バケツ部隊を編成させて、百合の池―これは、ホテルの入口正面の庭にあるもので、設計者のライトがホテルの重役たちの反対を押し切ってこしらえたものであった-から水を汲んできて、ホテルの屋根にかけさせた。それが終ると、バケツ部隊はこんどは、向いの燃えている二軒のうちの一軒の建物の消火に協力した。

夜になると、別の方向から火の手がホテルに近づいてきたが、これではホテルに燃え移るなと危惧していると、風の方向が変って、火の手を南の方にもっていった。犬丸の回想録を読むと、彼は来賓たちの安全が確保されたと見ると、こんどはその慰安の方に注意を向けている。

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
NHK「花子とアン」の柳原白蓮事件(7)ー『憤怒の眦(まなじり)を決して伊藤伝右衛門氏下関で語る』「大阪朝日」

     NHK「花子とアン」のもう1人の主人公・ …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉚』●「EU域内のドイツの躍進ぶり」◎「平均寿命より健康寿命を延ばそう」

   『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉚』 &nbs …

no image
日本リーダーパワー史(184)『アジア経済時代の先駆者・犬養木堂④』 一貫して『産業立国論』を唱えた民権政治家―

日本リーダーパワー史(184)   <百年前にアジア諸民族の師父と尊敬 …

no image
知的巨人の百歳学(157)/記事再録/鉄道王・根津嘉一郎(79歳)の「克己心」ー「己に克つ」ことこそが健康長寿法

知的巨人たちの百歳学(116) 根津嘉一郎(79歳)の「克己心」ー「己に克つ」こ …

no image
終戦70年・日本敗戦史(83)「空襲はない、疎開は卑怯者のすること」と頑迷な東條首相ー田中隆吉の証言➂

終戦70年・日本敗戦史(83) 敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横の実 …

no image
「目からウロコ<歴史張本人・坂西利八郎 (在中国25年)の日中歴史認識>講義」④100年前の中国動乱の内幕

     日中両国民の必読の歴史の張本人が語る 「 …

『オンライン/日本議会政治の父・尾崎咢堂による日本政治史講義①』ー『売り家と唐模様で書く三代目』①<初代が裸一貫、貧乏から苦労して築き上げて残した財産も三代目となると没落して、家を売りだすという国家、企業、個人にも共通する栄枯盛衰の歴史法則

2012/02/23   日本リーダーパワー史(2 …

no image
『100年目となったブラジル日系移民の歴史』

新橋演舞場上演          2007,11月       「ナツひとり」パ …

no image
尖閣問題・(資料)『琉球処分にみる<日中誤解>(パーセプション・ギャップ)<歴史認識>の衝突④『琉球朝貢考』清国新聞『申報』

    尖閣問題・日中対立の先駆報道の研究 (資料)『琉球処 …

no image
日本メルトダウン脱出法(707)安倍首相は戦後70年談話で謝罪してはならない-古田博司氏に聞く「続・東アジア3カ国との付き合い方」

   日本メルトダウン脱出法(707)   安倍首相は戦後70年談話で …