前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(43)』★『ロシアと違い日本は宗教が自由の国』★『ルーズベルト大統領は「なぜもっと早く来なかったのか!私は君を首を長くして待っていた」と金子特使を大歓迎』★『ル大統領「日本のために働く」と約束』

   

ルーズベルト大統領は金子特使を大歓迎 米国到着、米国民はアンダー・ドッグを応援

それから私は行李(こうり、旅行カバン)を整えて、二月二十四日に随行員阪井徳太郎(米ハーバード大学卒、外相、首相秘書官。その後三井財閥の最高経営者)、鈴木純一郎の二人をつれてアメリカに向いました。しかし伊藤公の話、陸海軍当局者の話を回想してみれば、十八日間サンフランシスコまでの航海というものは、じつに惨澹たるもので、将来どうなるかわからぬ。
アメリカはいかなる有様であるか、いかにしようかとただ計画を工夫するだけであった。
 
 それから3月10日にサンフランシスコにつきました。総領事はただいまの宮内省大膳頭(だいぜんのかみ)の上野季三郎君であった。その報告によれば開戦の当初は小さな日本の国が、あの膨大なロシアに向かって戦をするということはじつに偉い勇気だといって一時は大分日本に同情をしました。
 
アメリカ人はご承知のとおり、Under dog=(アンダー・ドッグ)というほうにいつも賛成する。弱い小さい犬と大きな強い犬と途中でかみ合うというと、通行者はその犬の性質や犬の所有者は分からぬが、弱いほうの犬をかばって大きな強い犬をステッキでなぐる。そうしてアンダー・ドッグを保護する。日本がちょうどアンダー・ドッグに当たるから当初は同情を寄せておったが、困りましたことは三月の十日、すなわち私が着く前の目にアメリカ合衆国の大統領が局外中立の布告を出した。
 
 
それがアメリカ全国の新聞に載せられた。その局外中立の布告によれば、今度日露の戦争が始まって露国といい日本といい、いずれもアメリカの修交国である。ゆえにこの両国いずれか一方に加担し、又応援するというような言論行為は一切厳禁である。
 
 
陸海軍の武官はもちろん、文官も国民も、両方にひいきしてはならない。もし一方にひいきすれば一方に悪感情を起さしめてついに国交に影響を及ぼすから一切そういう行為は慎めという厳正中立の声明であった。そこでいままで日本に寄せていた同情が、この声明によって止んでしまったという。それを聞いたときに私は落胆した。かってハーバード大学の同窓関係から懇意なるルーズベルト氏が大統領になっておるから、ワシントンに行って、援助してもらおうと頼みに思って上陸した。
 
 
しかるに前の日にアメリカ国民は一切日露両国にたいして、援助又は片手落ちのことをしても、厳正中立の布告を出した発頭人に、日本に加勢を頼むといったところが承知しないにきまっている。私はじつに失望した。そこでともかく、サンフランシスコを立ってシカゴ行った。
 

シカゴの富豪はご承知のとおり皆ロシア人と婚姻関係がある。故大統領グラント将軍の一家も又ポックー・パーマーの一族もそうである。彼らの娘が露国の貴族のところに嫁いでいる。又ここかしこの商売人は、旅順・ウラジオストックに商品を売りこみ、商業関係が結ばれている。日本から運動してもとても手を出す余地がないから、早くここを立ってニューヨークに行けと清水領事が言われた。そこでシカゴを立ってニューヨークに参りました。

ところがニューヨークには総領事なり、正金銀行なり、三井物産なり、大倉組なり、高田商会なり、高峰譲吉氏(工学博士、タカジアスターゼ発明者)なり、多数の日本人がおったが、それらの人びとが私の宿屋に来て、

 「さて日露の関係はどうなりますか。」
と言う。どうなるか誰もこの先は分からない。
 「しかし一体アメリカはどうか。」
と聞くと、
 「私共はじつにこの戦が始まって以来ただ心配して寄り合って、どうしたらよかろうと額を集めて協議しているのですが、貴方がおいでになったから、どうか御指導を願いたい。」
 「いや僕に指導を願うと言われても僕にもどうしようという見当はまだつかぬ。」
と答えるのみで、じつにニューヨークにある同胞の在留人は皆落胆しているのみ。後でこそ連戦連勝で偉い勢いがついたけれども、私が飛び込んで行った当時の日本人の顔色というものはみられたものではなかった。それはそうでしょう。外国にいる者の身になれば、ああいう大戦争が本国に起れば心配するにきまっている。
 
そこでつらつらニューヨークの模様をみますと、どうもじつに日本が不利の立場にあった。私がホテルに到着したところが、新聞記者が続々来訪しました。これを一室に集めて、日露開戦の起因につき日清戦争後の三国干渉から説き出し、現時にいたるまでの沿革と国民の決心の情況を詳述したから、各新聞は翌日の紙上にこれを掲載しましたから、多少戦争の真相が米国人に分かったようであった。
 
 私が泊まっていたところはホランド・ハウスといって、ニューヨークのフィフス・アベニューにありますが、その一軒先にウオルドーフといって有名な人や立派な外交官などの泊るホテルがある。私が着くと間もなく、それはかねて計画してあったものとみえてニューヨークの交際社会で花形といわれたヒチコック夫人が主催となり、当市の富豪や有力な紳士の夫人が賛成人になって、一大夜会をウオルドーフで催す企てがあった。
 
その夜会の入場切符の売上金はロシアの赤十字社に寄付して傷病兵の手当てに使用するという触れこみである。すなわちこれは親ロシアの宴会であって各新聞は筆を揃えて書き立て、いよいよその夜は数百名の紳士淑女が寄って大舞踏会を催した。その席に招待されたロシアの大使カシニー伯自身は出席しなかったけれども、参事官をわざわざワシントンからニューヨークによこして、宣言書をその席上で読み上げしめ、日本が開戦したことは国際法違反なりとさかんに攻撃して米国人の同情を惹起するよう巧妙なる言辞をもって聴衆に訴えた。これが翌日の新聞に載った。これはすなわち私に対する脅威の第一でありました。
 

●ニューヨークでロシア大使との対決

 
このときに当たり露国大使カシニー伯はワシントンにおいて新聞記者を毎日大使館に招いて優待し、茶を飲ませる、ハバナの葉巻、タバコ、エジプトの紙タバコをやる、シャンパンを飲ませるというようなことをしてしきりに新聞記者の機嫌をとり、今度の戦争は日本のけしからぬ陰謀である。わがロシアは少しも戦意がないのに、突然、仁川においてわが軍艦を沈没させた。宣戦の布告をせずしてただ国交断絶だけで戦争を開始するという日本の態度は、国際公法違反であるとしきりに宣伝する。
 
そうしてニューヨークヘラルドという新聞が先鋒となってさかんにロシア大使の言うことを受売りして同紙に発表する。のみならずロシア大使は今度の戦争は宗教戦争であってキリスト教と非キリスト教の戦である。ロシアはキリスト教国で日本は非キリスト教国である。 
 
ゆえにヨーロッパ・アメリカのキリスト教国はこぞってこの非キリスト教国の日本を撲滅しなければ、キリスト教が東洋に伝播せぬ。よって欧米のキリスト国は連合してロシアを助けろという。のみならず大使いわく、日本は何だ、ロシアに比べてみるとじつに小っぽけな国である。一“Yellow little monkey”(黄色の小猿)に何ができるか。なぜかというとロシアは世界無比の強国であって、ヨーロッパの強国といえどもロシアに指一本さすことができない。国土も膨大で人口も多い。陸海軍も整っている。それに小っぼけな黄色な小猿が戦をするということはじつにおこがましい。みておれ、二、三ヵ月のうちには日本の国を撲滅させてみせるぞ。気の毒なものであるというてしきりに日本を攻撃した。
 
そこで新聞記者がその記事の切り抜きをもってきて私に見せて
 「これにたいする貴下の意見を聞きたい。」
と言う。それで私はいちいちこれを見て、 
 「これは弁駁すればいくらも弁駁ができるが、簡単に言えば、第一ロシア大使は宣戦の布告なしに戦をしたのが国際法に背くと言われるが、今日では国交断絶すればすぐ戦端を開いてよいということは国際公法の常例になっている。宣戦の布告は後でもよい。現にロシアが先年トルコと戦をしたときに、国交断絶の後ただちに戦闘行為に出でて、その数日後に宣戦の布告をしたではないか。露国自身の歴史をみてもそういう先例がある。日本は決して国際法に違反したことは行っておらぬ。」
とこれは向うの歴史をもって説明した。

 

◎ロシアと違い日本は宗教は自由の国

 
 「第二に宗教戦争であるといっておだてるとは何事か。これは昔Crusade(十字軍のときキリスト教国が非キリスト国を撲滅せんとしたことがあるが、今日は日本が非キリスト教国か、ロシアが非キリスト国か事実が証明する。かってキシネフ〈モルトバ〉においてロシア政府が人民の虐殺を行ったことがある。 
これ果たしてキリスト教国のすることであろうか。現にこのことについて欧米の文明国は非常にロシアを攻撃しているではないか。又ロシアは政治上の罪を犯した者をシベリアに送って極刑を科し、その待遇また甚だ残虐を極めている。この点についてもキリスト教国の人が皆、攻撃しているではないか。これに反して日本は憲法を以て宗教の自由を許している。キリスト教でも仏教や神道と同じように保護している。しかるにロシアはどうであるか。ロシアのギリシャ正教ではカソリック教でもプロテスタント派でも許さないではないか。わが日本国は宗教は自由である。これもロシアよりも日本がはるかに自由である。
第三にロシア大使の言うごとく露国の彪大な国土と、人口の多数なことと、兵備の完備した点では日本は比較にならないほど劣っている。
 
この事はわれわれも知っている。日本の政府当局も知っている。しからば日本は何がゆえにこの戦をしたのであるか。国土といい、人口といい、兵器の完備の点からいっても、日本は少しもロシアに優るところがなくして、何のために戦をしたか。
 

これは数年前から日露の関係が険悪になって、我一歩を譲れば彼一歩進み、飽く足らざる利欲をもって、飽く足らざる圧迫をもってわが日本に加え、このまま行けば日本は遠からずロシアのために撲滅される危機に臨んでいるから、座してロシアのために亡ぼされるのを待つよりは、むしろ失敗を度外して、進んで剣を取り国を賭して戦ったほうがよいというのがわが日本人の決心である。

最後の一戦まで、最後の一兵卒まで日本は戦っていくのである。今日は国の存亡を賭しての戦いであるから、このことをどうぞよく考えておいてくれ。けっしてわれわれは勝つ見込みがあってしたことではない。これだけは弁解しておく。

 
と言った。それが翌日の新聞に載って米国人の注意をひいた。
 
 その後間もなくセント・パトリックという祭日がありました。これはアイルランドの国の祭日であります。このセント・パトリックの祭日にはアイルランド系のアメリカ人だけが、毎年馬車に乗って市中を練り歩くのが例であります。その日に限ってロシアの旗とアイルランドの旗を両手に持って、何千人という人がニューヨークの町を練り歩いた。
 
先頭に立っているのがニューヨークの市長であります。その市長がアイルランド系であったものですから、これまた馬車の中からロシアとアイルランドの旗を打ち振ってきて、私の宿屋の前に止まって私のいる部屋を見上げて、その旗を打ち振って私にこれ見よがしに脅威したこともありました。私はかくのごときしうちにあって、殆んどどうしてよいか思案に暮れたくらいであった。

◎警備の警官を断る

 
 
そのときにニューヨークの警視総監が私のところに使者を通わして
「じつは日露の戦争が始まると、ロシアの大使の申し出には『日本人はずいぶん暗殺はやりかねないというから、日本人があるいは爆弾を投げつけるかもわからぬ。暗殺するかもしれない』と危険がるのでロシアの大使が外出するときには護衛巡査をかたわらにつけることにした。先日、新聞に貴下のロシア攻撃の御意見が出たが、ロシア人はこれをみて必ず憤慨するだろうと思うから貴下に或いは危害を加えるかもわからぬ。米国は局外中立国としてロシア大使を保護すると同様に、日本に対しては貴下は大使ではないけれども、やはり護衛巡査をつけたいと思うがいかがですか。」
と言った。そのとき私は、
 「誠にご厚意は有難いけれども私は大使でもない、公使でもない。唯一個人としてアメリカに来ているのであるから、官府の保護を仰ぐ資格はない。」
 「けれども危険があるかも分らぬ。」
「よろしゅうございます。もし私がここでロシアの人、ロシアびいきの人から爆弾を投ぜられて死ぬとか、又は暗殺されたならば、金子は満足する。金子は命を賭して米国に来ているのだから、暗殺をされても一向かまわない。しかし一人の金子が暗殺されたならば一億有余万のアメリカ人の半分ぐらいは定めし日本に同情を寄せてくれるであろう。一人の金子の死が五六千万のアメリカ人の同情に代わることができれば、私は喜んで死ぬから、どうか護衛巡査はよして下さい。」
 
と言って断った。それで私は二ヵ年ほどおったけれども一度も護衛巡査はつけてもらわなかった。しかし再三、脅迫状や無名の投書で、明日の演説は注意せよとか、どこの演説は覚悟をしろというよな脅威がありました。
 
以上のごとく、ニューヨークの形勢が分ったから、ひとまずニューヨークを去って、三月の二十六日にワシントンに参りました。ルーズベルトは先に申したとおり局外中立の布告を出して警告した大統領である。以前ならば友人であるから玄関から名刺を出してルーズベルト氏に会いたいと言えるけれども、今日は局外中立の布告を出しているのであるから、国際の法規によって正式に全うのはかないと思って、高平公使に会って、
 「僕はルーズベルト氏とは旧友であるけれども、今度はこういう場合であるから御苦労であるがルーズベルト氏に手紙をやって、金子が会いたいというからいつなんどきど都合がよいか、時間をお示し願いたい。」
と聞いてもらうことにした。
 

☆★ホワイトハウスでルーズベルト大統領は大歓迎、「なぜもっと早く来なかったのか」 

 
高平公使は早速公文をもって問い合わせてくれた。そうすると明日の午前十時に官邸に来いという回答が来た。そこで翌日約束の時間に高平公使と同伴し訪問して玄関で名札を出した。
ご承知のとおり、その玄関には広いホールがありましてそこに三、四十人の訪問者がじっと腰かけてつめかけている。これはみな大統領に会いに来た男女の人びとである。
 
彼らは順ぐりに大統領官房に行って手を握って敬意を表して帰る。私が名札を出すや玄関の奥の官房からルーズベルト氏が早足に走ってきて、玄関に立っている私のところに来て私の手を握って
 「君はなぜ早く来なかったか。僕は君をとうから待っていた。なぜ早く来なかったか。」とだしぬけに言った。私も実はびっくりした。そうするとそこに待っている三、四十人の男女の訪問者一同は、一国の大統領が奥から走って来て、
 
「君を僕はとうから待っている。なぜ早く来なかったか。」というのを聞いて異様に感じたらしい。
ルーズベルトは元来大きい背の高い人でありますが、ちっぽけな黄色な人間に、一国の大統領が、さも親密らしくしているのを見て、これは何者が来たかと怪しんでいるくらいである。そうするとルーズベルト氏は例のごとく親密を示していきなり私の左の手をぐっと巻いて、道すがら、「なぜ早く来なかったか、とうから待っておった。」と言って私を引張って行った。官房に入ってそこにすわると、
 「じっはグリスカム公使が東京から電報を打って来たから、君がアメリカに来るということはとうから知っていた。今か今かと待っていたが一向に来ない。一体いままでどこにおったのか。」
「今までニューヨークにおった。」
「なぜ早く来ないか。僕は待っていた。」
 「そうか。」
 「君は僕の厳正中立の布告を読んだか。」
とこう向うから聞いた。
 「読んだ。」
 「どう思う。」
 「失望した。」
 
「そうだろう。君が失望したろうと思うから、僕は早く君が来たら説明しようと思っていた。じつは日本の宣戦の布告が出て日露問に戦争が始まるや、アメリカの陸海軍の若い軍人は、今度の戦は日本に勝たせたいから、我々は予備になって日本の軍に投じて加勢しようという者が諸所に出てきた。以上のような意見を宴会で食後演説をする者もある。そこでロシアの大使が困って、どうもお前の国の陸海軍の若い軍人共は日本びいきとみえ、日本軍に投ずると、いうような演説を、かしこでもした。ここでもした。どうかああいうことは取り締ってくれろと懇請せられたから、やむをえずあの布告を出したのだ。
 
 
しかし、かく言うルーズベルトのはらの中は、日本に満腔の同情を寄せている。あれはロシア大使の交渉があったから大統領として外交上やむをえず出したのだ。僕のはらの中とは全然違う。君に早くそういう内情を話そうと思って待っていたのだ。さて今度の戦争が始まるやいなや、僕は参謀本部長に言いつけて、日露の軍隊の実況、又海軍兵学校長に言いつけて、日露の軍艦のトン数及びその実況いかんということを、詳細に調べさせて、ロシアの有様、日本の有様をよく承知しているが、今度の戦さは日本が勝つ。」と言った。
 

◎ル大統領「日本のために働く」と約束

 
 これは意想外の話である。日本の陸軍当局も、海軍当局も、元勲も、勝つか負けるか分からぬと言っているのに、縁の薄い米国大統領から日本が勝つということを聞こうとは思わなかった。しかのみならず大統領はなお語を続けて、
 「勝たせなければならない。」
とも言ってその理由を述べていわく、
 「日本は正義のために、はた人道のために戦っている。ロシアは近年各国に向かって悪虐非道の振舞をしている。とくに日本に対しての処置は甚だ人道に背き正義に反した行為である。
 今度の戦さも、ずっと初めからの経過を調べてみると、日本が戦さをせざるをえない立場になっている。よって今度の戦さは日本に勝たせなければならぬ。そこで吾輩は影になり、日向になり、日本のために働く。これは君と僕との間の内輪話で、これを新聞に公けにしては困る。」
 これは困るわけである。ルーズベルトは米国の大統領である。
「のみならず君はハーバード倶楽部員で、東京におけるハーバード倶楽部の会長であるから、そのハーバード倶楽部の会長が今度米国に来たといえば、アメリカ全国にあるハーバード倶楽部の会員は、日本に同情するに決まっている。」
とつけ加えた。
 「そう聞けばいかさまそうだ。今の外務大臣小林寿太郎はハーバードにおいて我々と同時に卒業した。ロシアの公使で国交断絶のため引き揚げた栗野慎一郎もハーバードの卒業生。仁川で第一番に海戦をした瓜生外吉氏はアメリカのアナポリスの海軍兵学校を卒業した。かく使命をもってきた金子もハーバードの卒業生の一人である。四人の者は皆アメリカの教育を受けている。アメリカの教育の効能を今回の戦争によってアメリカ人に示さなければならぬ、と我々共は決心している。」
 「その決心で君達がやればこちらにいるハーバードの連中は皆同情する。」
 そういう話を会見の初めに聞いたときと、さきに三月の十一日サンフランシスコで局外中立の布告を見たときとは全然、転倒して、初めてルーズベルトの真意が分かった。そこでただちに公使館に馳せつけ、その話を英文に書いて、暗号電報で小村外務大臣に打ちました。
この電報を見た日本の内閣各大臣や元老の人達が喜んだの喜ばないの、ルーズベルトがこう言ったのはじつに百万の兵を得たと同じことであると喜んだ人もあったくらいだそうであります。
ほどなく、小村大臣から私に暗号電報を打って来たその電文によれば、
 「君と大統領との会見は予想外の好結果である。大統領と君との話をヨーロッパ・支那・南アメリカにいる日本の公使にはことごとく暗号電報で通知して、アメリカ大統領の態度はこういうものであるということを公使達に通ずることにした。」と日本政府ではよほどあの大統領の話を嬉しがったと見える。
じつは当の私もこういうことまでもルーズベルト氏から聞こうとは思わなかった。ただルーズベルトに頼んで最後の調停をしてもらおうというくらいのところであったのが、向うから唐突に今度の戦さは勝つ、又勝たせなければならぬという確信を私に言ったときには、私とてもじつに百万の兵を得たよりも有難かった。

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