『オンラインクイズ講座・日本一の21世紀型の公益資本主義を実践した経営者は誰でしょうか?』★『正解は岡山の倉敷紡績(現クラレ)を創業して社会貢献に尽くした大原孫三郎です』★『単に金もうけだけしか考えない人間が多すぎる、そんな拝金亡者どもが地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の状況だ。社会貢献の偉大な父・大原孫三郎を見習いたいね』
★『 2019年 9月23日、Z世代の代表・スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンペリさん(16)が「人々は困窮し、生態系は壊れて、私たちは絶滅を前にしているのに、あなたがたはお金と永続的経済成長という『おとぎ話』をよくも語っているわね!若者は絶対に許さない』と国連に一堂に介した各国の首脳たちをしかりつけた。会場に突然、現らわれたトランプ大統領を刺すような強烈な視線でにらみつけた。。彼女にこそノーベル地球賞を与えるべきだったね』
『単に金もうけだけしか考えない人間が多すぎる、そんな拝金亡者が世界中でうじゃうじゃいて地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の状況だ。社会貢献の偉大な父・大原孫三郎を見習いたい。100年前に企業の社会的責任をこれほど果たし経営者はいないよ。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
明治・大正には志の高い、尊敬すべき企業人が多くいた。倉敷紡績の創始者・大原孫三郎(1880~1943)である。大原は大原美術館、大原社会問題研究所、労働科学研究所、農業研究所を始め、大病院や孤児院まで「自分はもうけた金はすべて、社会のために使い果たすつもりである」と提供した。その額、現在に還元する1千億以上である。渋沢が「日本資本主義の父」「見本株式会社の父」とすれば、大原孫三郎は「21世紀の公益資本主義をすでに100年以上前に実践した「日本公益資本主義の父」といってもよい経営者である。
-
もうけをすべて文化事業につぎ込む
東京から新幹線で約四時間半(1991年当時)岡山県倉敷駅から十分ほど歩くと、町並みは一変する。倉敷川に沿って、江戸、明治の面影を残す土蔵や白壁の建物が並ぶ。その中心に大原美術館の西洋建築や考古館、民芸館、赤レンガの壁が落ちついた感じの「倉敷アイビースクエア」と続く歴史的な景観地区である。このゾーンだけが時間が停止したかのような錯覚さえ覚える。
この倉敷を大原美術館や美しい蔵の町として知っている人は多いが、倉敷が倉敷紡績によって発展した町であり、その倉紡を明治、大正に地方の一企業から日本を代表する企業に成長させたのが大原孫三郎という志を持った経営者であることを知っている人は少ない。
明治、大正、昭和戦前を通じて大原孫三郎の存在は実業家としてみれば岩崎弥太郎、安田善次郎、武藤山治ほどに巨大ではない。中央から離れた岡山での活動が中心であったためだ。しかし、大正中期には一大紡績ブームを背景に倉紡を日本屈指の紡績会社にのし上げ中国合同銀行(現・中国銀行)、中国水力電気(中国電力)、中国民報(山陽新聞)など幅広く岡山県下で事業をおこし、大阪以西、関西では最有力の実業家となった。
日本の実業家の中で唯一といってよい「企業メセナ」の巨人
ヤり手の実業家として、数多くの実業を成功させ、大原は屈指の資産家になったが、それだけなら、世にざらにある成功物語の一つである。 大原にはもう一つの顔があった。彼の真骨頂は実秦家と同時に社会事業家であり、教育家であり、文化の偉大なパトロンでもあったことである。大原はもうけた金のすべてを社会、文化的な事業につぎ込んだ日本の実業家の中で唯一といってよい巨人であった。今でいう「企業メセナ」の先駆者であった。
大原孫三郎は明治十三年(一八八〇)に倉敷に生まれた。大原家は代々倉敷、児島などに六百へタタールの田畑を持つ大地主で、父親の孝四部は倉紡社長、倉敷銀行頭取を兼ねていた。孫三郎は東京専門学校(現・早大)を卒業、明治三十九年(一九〇六)に二十六歳で倉紡社長になった。昭和十六年、長男総一郎に社長の座を譲った時には、会社の資本金は四十万円から三千五百万円に、三万錘の設備は六十万錘にふくれ上がり、全国十数ヵ所に工場を持つわが国屈指の紡績企業に発展させた。
従業員の幸福なくして事業の繁栄はない
大原は東京専門学校に在学中に、足尾銅山事件で現地におもむくなど社会問題に深い関心を寄せていた。明治を代表する社会事業家で岡山孤児院を作ったキリスト教者の石井十次との出会いが、孫三郎のその後の生き方を決めた。
石井は一時、千二百人の孤児を保護し、独力で救済事業を行っていたが、大原はその人道主義に深く感銘した。石井から「聖書」を読むことを勧められ「報徳記」(二宮尊徳)と「聖書」の2冊の読書が若き日の孫三郎の思想の骨格を形成した。
大原は二十一歳の時、自らの使命を次のように日記に書いた。恵まれた資産家に生まれ、財産について罪悪感を持っていた孫三郎がその後、偉大なパトロンになる使命、金銭観がここに要約されている。
「余(私)の天職のために、この財産は与えられたのである。即ち、これは余の一生の間、その天職を全うすべく神より貸し与えられたもの。余がこの資産を与えられたのは、余のためにあらず、世界のためである。余はその世界に与えられた金をもって、神の御心により働く」
大原は「従業員の幸福なくして、事業の繁栄はない」と考えて、人道的な労務管理、経営を行いながら、社会、教育、文化事業に積極的に取組んだのである。明治、大正の紡績工場の職場環境は「女工哀史」に象徴されるように劣悪を極めていた。女子従業員は千人以上おり、寄宿舎は大部屋で伝染病が蔓延し、風紀も乱れていた。大原は個室形成で分散型の宿舎で、女工たちが個人的、家庭的な生活ができるように切り換える当時では驚くべき先駆的な取組みをおこなった。
さらに、教育する必要性を感じ、倉紡内に「職工教育部」を設置、一万円を寄付して「倉敷奨学会」を設立、育英事業も逸早く行った。 今、はやりの豪華な社宅ブームとは違い、いかに人道的な生活を保障していくかを孫三郎は考えた。今(1990年)との対比でいえば、企業や自治体のセミナーが大はやりだが、明治に初めて企業セミナーを最初におこなったのは孫三郎であった。
つづく
関連記事
-
片野勧の衝撃レポート(60)戦後70年-原発と国家<1952~53> 封印された核の真実ー原爆報道が一気に噴出①
片野勧の衝撃レポート(60) 戦後70年-原発と国家<1952~53> 封印さ …
-
<書評>田中等著『仏像経験―おもい出の古寺紀行、つれづれの古仏随想』(展望社 1600円)
<書評>田中等著『仏像経験―おもい出の古寺紀行、つれづれの古仏随想』 (展望 …
-
池田龍夫のマスコミ時評(28) 「情報公開=知る権利」目指してー「沖縄密約・文書開示」控訴審の攻防
池田龍夫のマスコミ時評(28) 「情報公開=知る権利」目指してー「 …
-
『オンライン講座/日本は新型コロナパンデミックを克服できるのか(下)』★『欧米紙はIOCを「ぼったくり男爵」と大批判』★『「無観客大会」へ 会議は踊る、されど決せず』★『「ホテルに缶詰め、食事はカップ麺と欧州選手団から非難殺到」』★『スペイン風邪の苦い教訓』★『「大谷選手の100年ぶりの快挙」』
『オンライン講座/日本は新型コロナパンデミックを克服できるのか(下)』 …
-
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎ーハーバード大同窓生ルーズベルト米大統領を説得して いかに日露戦争を有利に進めたか
<まとめ>日本最強の外交官・金子堅太郎について①― 金子堅太郎はハーバード大学同 …
-
速報(79)『日本のメルトダウン』『<取材動画>福島原発放射能阻止10年戦争ー山田恭暉氏インタビューへのコメント』
速報(79)『日本のメルトダウン』 『<取材動画>福島原発放射能阻止10年戦争ー …
-
日本リーダーパワー史(828)(人気記事再録)『明治維新150年』★『3・11直後に書いた日本復活は可能か、日本をチェンジせよー明治維新の志士は20歳の若者たちを見習え、を再録』★『今こそ、「ゲームチェンジャー」(時代を変える若者) こそ出でよ、『日本老害社会をぶち壊せ』●『2025年問題」をご存知ですか? 「人口減少」「プア・ジャパニーズ急増」…』★『2025年問題が深刻過ぎる件』
2011、6,14に書いた< 日本リーダーパワー史(160)> 『3・11 …
-
『Z世代のための国会開設、議会主義の理論を紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民講座①』★『兆民、大久保利通に知られる』★『 自由民権運動の演壇に股引と印ばんてんの服装で登場』★『伊藤、大隈、山県らの元老たちを罵倒す』
逗子なぎさ橋通信、24/06/30/am700]梅雨の合間の夏空に富士山はお隠れ …