前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス➄』★『ルーズベルト大統領は「旅順陥落」に大喜びー 黙っていると”Silence is Consent”(同意した) とみる。どしどし反論せよ』★『黄禍論と戦う、旅順の戦闘、日本海海戦の大勝利に大統領も大喜び』

   

 

  2017/06/25日本リーダーパワー史(833)

黙っていると”Silence is Consent”(同意した)とみなされる。どしどし反論せよ』⑤

 
前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

その機をみるやロシアの大使はすぐそれを利用して、合衆国の政府に向かって、それ御覧なさい。このとおり日本は乱暴をする。これでも日本が国際法を守る国かといって非常につっこんだ。語を換えて言えば、アメリカから日本に抗議を申し込めというのである。

 

ときあたかも悪かったのは、かねてより日本に反感を持っているイギリス人の国際法の学者のローレンスという人が、丁度その頃、出版せんとしている国際法の再版の中にこの事件をすぐ追加して、国際法をこの通り踏破ったということを書いて非常に日本を攻撃した。国際公法学の泰斗たるローレンスがこれをその著述に書いたから、普通のアメリカ人は日本をドシドシ攻撃し始めた。さすがのルーズベルトもこのときだけは、「あぁ、これは日本が悪い」

 

と知人に漏らしたと聞きました。そこで私はすぐ新聞記者を呼んで、これは決して国際法違反ではない。米国も一八一二年の英米戦争のときゼネラル・アームストロングという英国の軍艦が、局外中立港に逃げ込んだのを撃沈した例がある。

 

日本はアメリカの先例を手本としてやったのであるから決して国際法違反ではないと弁明してこれを新聞に書かせた。

ときあたかも小村外務大臣が強硬なる声明書を発表し、露国は芝栗(チーフー)港をもってその策源地としてあそこの領事館に無線電信を据えつけて常に旅順と通信を交換し、このデシトリヌイをして軍需品や必要品を、旅順に送らしめている。よって再三日本政府からロシアに抗議を申し込んだがてんとしてかえりみない。ゆえにやむをえず日本は踏み込んで捕獲したのであるということを弁明した。

 

ここにおいてその攻撃はまったく止まった。けだし戦争のときにはいろいろの出来事が起りますから、黙っていては損である。

黙っていれば承諾したもの”Silence is Consent”とみなされる。ゆえに何か事が起ればこちらでは言うだけのことは言うというのが最も必要である。

 それから各地方の友人の別荘廻る回りをして名士と会していろいろの話を聞きましたが、それをいちいち申しますと長くなりますから止めますが、ただ一つここに申し上げたいと思うことがある。

これは私の旧友たる大審院判事のホームス氏の話であります。この人のベバレー・ファームの別荘に一週間泊った。二日、縁側の寝椅子に寝ころんで話をするうちにホームスがいうのに、私はアメリカ人として日本人に会った初めは明治四年であった。それ以来日本人にはいろいろの人と交際している。日本という新興国の状況は自分も研究した。研究した結果、今度の戦さは日本が勝つと私は信じている」

とこう言った。やはりルーズベルトと同意見である。

◎日本は半面はサムライ、半面は文明の国民だから強い。

 「今度の戦争は日本が勝つと信ずる理由を君に言いたい、それは今日の日本というのはー明治三十七年のことですがー維新前の封建時代の武士道というもので訓練した精神がまだ残っている。それに欧米の文明的の学術技芸を輸入して加味したから、精神は武士道で日本の古武士である。

それに文明の利器を与えたからこれは実に強い人種である。一面には封建の武士であって、一面には二十世紀の文明の利器をもった人種である。こういう人種は世界にない。それゆえに決してロシアはこれに敵対して勝つことはできないと私は信ずる。-それまではよいーしかしここに君に忠告することがある。けだし日本といえども世界の大勢に伴うて、だんだん進歩していけば、封建時代の精神もだんだん薄らぐということは、やむをえない結果である。

それをよく考えてもらいたい。現にギリシャ・ローマは昔ヨーロッパにおいて一番雄大なる国であったが、一たび文明の域に達した後は柔弱に流れてついに北方の野蛮人種のために征服されたではないか。

1. 中古においてはスペインやポルトガルが世界に雄飛していた。それがだんだん文明が進み、ぜいたくに流れ、金が殖えてくると弱くなって、スペインやポルトガルは第三位、第四位の国にさがって、イギリスとかフランスとかドイツとかいう国が盛んになった。又ナポレオン一世は一時はヨーロッパの覇権を握って、イギリスもドイツもロシアもナポレオン一世の前にはひざまづいたが、これも奢侈(しゃし)に流れ、ぜいたくにふけったために、とうとう捕虜となってイギリスに囚徒となったのではないか。

近い例がこういうものである。ゆえに日本が封建の武士道の精神を長く維持して、それに欧米文明国の学術技芸を輸入消化して両立して長く行くことができるかどうかに将来の問題である。今日の日露戦争について観察するのに日本人は精神は封建的にして、使用する武器は二十世紀の文明的の物であるからロシアに勝つ。

もしこの国情がいつまでも日本に存在している間は日本は世界独歩の強国である。しかし世の進歩というものは思想に変化を及ぼし、又精神もだんだん薄弱になる。それでこれは日本人が深く反省しなければならぬ。

今日のー(日露戦争当時)-日本は、半面は昔の武士、半面は二十世紀の文明を有する国民であるから強い。これを長く維持していけば世界中に日本に敵する国はないと思う。私はこの日露の戦争において日本の将来を祝福する」

と言った。私はこれを非常に適切なる忠告と思って常にこのことを友達などにも話したのであります。

 ☆ロシアの巡洋艦に厳正に対処したル大統領

それが今日では、思想がだんだん薄弱になって、昔の気風が薄らぎ、そうして欧米の薄っぺらな皮相の文明をまねて、ただ服装とか、髪の形とか、挙動とかいうものは文明人種のようになったが腹の中、頭の中は文明ではない。

それでは武士道の精神が残っているかというと、これも残っていない。或いは言いすぎかも知りませぬけれども、実に今日の日本(昭和3年当時)はよほど危い時に立っているようにも思われるので、このホームスの言った半面は封建の武士的の精神を保持し、半面は二十世紀の文明たる学術技芸を修習するというのは、日本国民が大いに味わうべきことであると思っている。

 それから九月一日にロシアの巡洋艦が旅順から逃げて太平洋を横切ってサンフランシスコに突然入ってきた。すなわち中立港に逃げ込んできたのである。そこでアメリカの官憲がすぐ臨検して調べたところが、言を左右に托して一向真相を言わない。

それでアメリカでは調査委員が乗り込んで調べてみたところが、機械もどうもなっていない。結局旅順から逃げてきたにすぎないということがわかった。そこで大統領がすぐ命令を出して、二十四時間内に武装を解いてこの戦争中サンフランシスコに停泊するか、又は二十四時間以内に港を出て日本の海軍と戦うか、二つのうち一つを選べという厳令を下した。

それでロシアの艦長は武装を解除して戦争のすむまではサンフランシスコに停泊して上陸もせぬ、戦争もしないという誓約をしてそこに停泊していた。ところがロシアの方では非常に反対してルーズベルトはどうもロシアの方にあまりにも過酷だということを言ってしきりに攻撃した。それで私はそのときたまたまワシントンにおりましたが、ルーズベルトが私に言うに、

 「あのサンフランシスコに逃げ込んだロシアの軍艦に対する僕の処置は至当のことではないか、ロシアの方では峻厳にすぎるというが、それは通用しない議論である。僕は中立国としてロシアに対して手ごわい処分をした。

しかるにイギリスという国は実に頼み少ない国である。イギリスは日本の同盟国でありながら、イギリスの商人が軍艦に最も必要なるカーディフ炭をイギリス海峡の海上でロシアの軍艦に売って金をもうけている。しかるにイギリスの外務大臣はそれを知りながら黙過している。これが君の国の同盟国であるか。それして公平なる態度をもって日本とロシアに対して処置をしている。あまりひどいではないか。これでも日本の同盟国かと一本手紙で突っ込んだところが、イギリスの外務大臣は一言もない。必ず止めさせますと言って止めた。それだから今度僕がロシアの艦隊に対する処置は少し強いけれども、これは中立国のヨーロッパの諸国によい手本を示すつもりでやった」

という話でありました。これなどは大統領として非常に日本に同情を寄せたことの一例である。

それからもう一つついでに申しますが、ロシアの艦隊がアフリカの東海岸のマダガスカルや安南のカムラン湾に来たときに、フランス政府はその地方に持っているところのドックに入れ軍艦の修繕をなさしめた。上陸すればそこの知事が大夜会を設けて艦隊の将校を歓待したのみならず、軍艦に必要な食糧品を給したり、いろいろな便宜を与えた。そこでルーズベルトはフランスの外務大臣デルカッセーに手紙をやって、

●ル大統領―フランス政府は中立違反

 「日本の敵たるロシアの艦隊をフランス政府のドックに入れて修繕をなさしめ、陸上においては艦隊を歓迎するやら食糧品その他の物品を給与するということは、日本に対してあまりに片手落の仕業ではないか」

と言って突込んだ。これもデルカッセーが閉口してただちに止めた。これらは日本の外務大臣が頼みもせず、も一言も言わぬのにまったく大統領が自発的にやってくれたのである。かくのどとき大統領がアメリカにいて日本に直接間接便宜を与えてくれたことはまことに日本のためには幸福であったと思う。

 かくしてわが軍が連戦連勝の喜びを重ねている間に実に憂うべき宣伝がヨーロッパからアメリカに来た。それは陸軍においては日本が勝つから、ロシアはだんだん予定の退却としてずんずんハルピンに向かって退却する。軍艦は旅順とウラジオストックを日本が封鎖しているからできらない。ゆえに戦においては陸海ともロシアが負ける。しかし財政の点では日本が必ず負ける。ロシアはあの通り世界無比の大国であって、人口も多い。そうして金はフランス・ドイツという後楯があって援助するから心強い。これに反して日本は人口も少ない。国も小さい。

金を借りようとしてもアメリカが貸すくらいのもので、ヨーロッパではロシアほどにはさぬ。公債に対し抵当を入れる点においてもロシアは金鉱その他の鉱物が大変あるけれども日本にはそういうものが無いから、財政で日本は倒れる。今年一杯か来年中には日本が財政上疲弊してついに降参するであろう。ゆえにロシアは予定通り引きさがり引きさがりして,日本の疲れるのを待っているのであるという論が大分ヨーロッパからアメリカに伝わってきた。

これにはアメリカ人もよほど動かされた。もしそういうことになればさきに日本の公債に応じた連中も利息の支払いはどうなるか分からぬと思って自分の懐工合から心配し始めた。そこで「Review of Reviews」という有名な雑誌がある。その記者にモンローという私の知人がある。これが私を来訪して、

 「日本の財政について危惧の念を持っている人が大分ある。貴下は何かこれに対する弁明を書いてくれないか」と言う。

 「よろしい、書こう」

 それから私の手許にある日本の財政の有様、私立の銀行諸会社の株券の払込み等、すべての経済を基にしてこういう有様であるから、決して一年や二年では日本の財政は弱りはせぬということを、数字と統計によって事実を論文に書いたところがモンローが喜んで、それが十月号の雑誌に載りました。これは大変アメリカ人の危惧の念を消散させるにあずかって力があった。

このようなことは戦争中、始終誰か外国に滞在して、何か日本に不利な事件があればすぐそれを説明するだけのことをしていないと、非常な損害になる。東京の真中におって俺は国士だ、日本の陸海軍は偉い、強いとただ国内で威張っていても、波打際以外の外国にはその声は達しない。これが日本人の欠点である。

しかし外国に行って嘘八百言ってはいけぬが、事実は事実として発表することが最も必要である。これから先日本が世界列強の間に立つにはこのことは必要なことである。政府はもちろん国民もその覚悟でいなければならぬということを私はそぞろに感じた。

●黄禍論と戦う、旅順の戦闘、日本海海戦の大勝利

十一月三日は天長節(明治天皇誕生日)である。私はこの天長節を機会にアメリカの朝野の人に感謝の意を表しましょう。-同情をしてくれたことに対して感謝の意を表しましょうと思って、ボストンのサンマセット・ホテルで大夜会を催した。二千人ばかりに案内状を出した。

十二月初めはアメリカの交際季節の始めでありますから、日本の天皇陛下の天長節をボストンのホテルでやるということと、それが交際季節の第一番の宴会に当るというので非常に歓迎されました。戦勝国の天皇陛下の天長節にはぜひ行かなければならぬというので、我も我もと競争して私にいろいろの伝手を求めて招待状をもらいに来た。

そこで私は我が天皇陛下の天長節を祝うのであるから、たとえ知らない人でも友人の紹介があればやってもよろしいと秘書にいつけた。それでとうとう二千の予定が二千五六百に達するほど招待状を出しました。アメリカ人は日本の天皇陛下の天長節の祝宴会に列するのを栄誉として非常に期待されました。

 米国は幸いにそういう気運になってきたけれども、ヨーロッパ方面ではまだ日本に反対の態度を取っておった。ヨーロッパではさきに日本の財政について攻撃したけれどもこれは成功しなかった。そこで今度は黄禍論“Yellow Peril”いうことで日本を攻撃し始めた。これは先年ドイツの皇帝が発明した言葉である。日露戦争で日本人が勝てば黄色人種が世界の文明国にPeril(禍害)を及ぼす。ゆえに日本に勝たせてはいけない。どこまでも白色人種は黄色人種なる日本人を叩きつぶさなければならぬ。これはたしかに世界の文明の禍だということをやかましく言ってきた。

●黄禍論に雑誌で反論

このときに当り、”North American Review”という有名な雑誌の主筆にコネル・バーベという人がある。(後駐英の米国大使となった。)この人が私にどうかこれについて反対論を書いてくれと言うので、私は筆をとって”The Yellow Peril is the golden opportunity for Japan”「黄禍論は日本のためには黄金の時期なり」という論文を畢生の知恵をしぼって書いた。それは黄色人種は決して世界の禍にはならない。黄色人種がアジアにおいて勢力を得れば、むしろ世界の平和を維持する基であるという論であった。その要点は明治四年、岩倉右大臣が欧米に行って、条約を改正したいからと言ったときには各国からいじめられたのである。

しかるに日本が日清戦争に勝ったところが白皙人種(びゃくせき)の諸国が、今度は条約改正はごもっともですから対等条約に致しましょうということを向うから言ってきた。対等条約につき従来、最も反対した英国が第一番に対等条約を締結致しましょうと言い出してExtra Temitoriality(治外法権)を廃棄した。それからアメリカ、フランス、ドイツ等をはじめ、我も我もと対等条約を結んで治外法権を撤去して初めて対等条約を結ぶに至った。

これは日清戦争に勝ったたまものである。そもそも兵力がなくて外交はできない。兵力なしでから御世辞の外交のみでやろうとしても先方は鼻の先であしらうだけで決して取り合わぬ。しかるに日清戦争に勝てばただちに治外法権撤去ごもっともと条約改正を向うから言い出すようになる。

 

 

私は外交談判というものは国力を如実に示す兵力が伴わなければ、たとえいかなる英雄が控えていて、いかなる雄弁家が弁舌を振っても、如何なる交際術の上手な人があって国交を図ってもだめである。日本が今日のような世界的地位に立つことができたのは、日清戦争と日露戦争の賜(たまもの)である。これは日本の真相をアメリカ人に紹介させる上に大分効能があったと思う。-こうして東奔西走する間に三十七年は暮れました。

それから翌三十八年の一月一日はご承知の通り旅順が陥落した。それより前にちょっと申し上げたいことがある。三十七年の十一月というのはちょうど大統領の改選期でルーズベルトが再び大統領になるや否やという分れ目である。その前の十月頃からルーズベルトはピシャッと意見を発表することを止めた。

それまでは随分、日本に同情を寄せる意見を発表しておったが、十月になると全然止めてしまった。それで十一月の大統領の選挙までは黙っている。

そこで私は大統領を訪ねた。

 「君はこの頃、大分黙っているがどうしたわけか」

 「そうだ、今度僕が選ばれるか選ばれないか分らぬ。あまりに日本に同情することを言うと、反対党がそれを口実にして日露戦争に厳正中立を布告した大統領が日本に同情を寄せたということをタテにとって僕を落選させようとするから、僕は大統領に選挙せられるまでは沈黙を守ろうと思う」

 「それはごもっともだ」

と言って私は何とも要求しなかった。そうするといよいよルーズベルトが大統領に大多数で選ばれた。これはワシントン以来の大多数で選ばれた。このときルーズベルトはこの大多数で選ばれるならば、俺が日本に対していかなることをしても国民が承知すると思ったらしい。そこで私に手紙をよこして、食事をしたいから来てくれとのこと。で約束の十二月十九日に行きました。そうするとイキナリ言うことが面白い。

 「今回僕の当選は将来君のために一つの援助となるべし。これ僕が最も楽しむところなり」

今度当選したから将来君のために加勢することができるので喜ばしい。自分が大統領になれば日本のためにどこまでも尽くして平和にこぎつけたいと思う。旅順はどうも今年中には落ちまいと思うが、来春になったら必ず落ちるだろう。そのときは僕が日本のために働く時機であると言いました。

 

◎「旅順陥落」―ル大統領は大喜び

大統領は旅順陥落をもって講和の時機と思っていた。又アメリカ人もそう思っていた。果たして三十八年一月一日に旅順が陥落した。そのときルーズベルトが私に会いたいと言って来た。早速行って会ったところが非常に喜んで、

「旅順の砲台というものは今日世界のありとあらゆる学術機械を応用した堅牢無比の砲台である。とてもヨーロッパやアメリカの軍隊ではこれを陥れるということは思いもよらぬ。しかしこの難攻不落を陥れるのはひとり日本の兵隊あるのみ、日本の陸軍の人はこれをもって非常な名誉とするであろうと思う。」

と言った。これほどまでに大統領は旅順の陥落を喜んだ。しかるにルーズベルトは言葉を改めて

 「しかしここに僕は一つ君に忠告しておく。どうかそのことを日本政府に通告してくれたまえ。旅順が陥落したと言って図に乗ってどんどん北に行ってハルビンまで取ろうというような軍略は止めてもらいたい。

ひっきょうそれは損だ。かりにハルビンまで日本の兵が行ったとして、それでロシアが降参するかと言うと決してそうではない。まだ六千マイルもセントルーペまであるのみならず、ハルビンに行けば戦線が何百里に広がる。それを守備する兵隊が日本にあるかどうか。又それに補給すべき兵器弾薬があるかどうか。どこかよい潮合を見て戦争は止むべきものと思う。多分これでロシアの方でも講和談判を要求するような気になりはせぬかと思う」

 こういうような話を致しました。私はただちに暗号電報で、小村外務大臣に報告した。そうしてだんだんみていると旅順は落ちたけれども、ロシアは少しも平和を希望するような態度が見えぬ。モスクワからはどんどん新しいよい兵隊をハルビンに向って輸送する。五十万、あるいは六十万と号し、少くとも四十五万は行ったようである。それはなぜであるか日本でも分らぬ。アメリカでもだんだん研究したがどうも分らなかった。

ところが戦争の終りがけになってはじめて分った。もし私がこれを初めに知っておったら無論、日本政府に電報を打ったろうけれども、判断がつかないから致し方がない。しかるに平和回復後帰朝して、児玉大将に会って、

 「君は満洲軍の参謀総長をしていたから疑を抱かれたでしょうが、どうしてロシアがあれだけの大軍をモスクワからどんどん極東に送ったかお分りでしたか」

と尋ねると、大将は、「僕もあのことは不思議に思っておった。あの輸送は誰がやったか知らぬ」と言ったから私は児玉に告げて、

 「じつは米国において僕は大統領を始め各種の人びとに聞いたところが、単線で六千マイル、モスクワからハルビンまで沢山の兵を送るのは不可能だ。であるから二年続けば鉄道は壊れるから、新兵を補充することはできぬ。兵器弾薬を補充することもできぬと思うと言っておった。

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