『オンライン講座/日本陸軍の失敗研究』★『大東亜戦争敗因を 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(大将)が証言する①』★『第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本は有色人種への「人種差別撤廃提案」を主張、米、英、仏3国の反対で拒否され、これが日本人移民の排斥につながった』★『毎年100万人以上の人口が増加する日本はアジア・満州に移民先を求めたのが、満州事変、日中戦争の原因になった』
日本リーダーパワー史(711)
Wiki 今村均陸軍大将
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87
① 第Ⅰの反省 (満洲・支那(日華)事変の過失)
なんと言うても、清洲事変はあせり過ぎた。踏むべき順序、取るべき手段を尽くさずして、やってしまった。
満洲での、わが利権が、また、わが民族の平和的発展が、いかに、蒋介石、張作霖政権の対内政策上の便宜から、条約を無視し、不法に庄迫され、阻害されているかの実状……。そして、これに対し、わが政府、とくに外交機関が、どのように手をつくし、平和的交渉に努力して来たかの経緯を、もっと十分に国民同胞に、また世界に認識させ、日本の行動が真にやむを得ないものであることを納得させ得るまでは、いかに彼(中国)から挑戦されても、隠忍しているべきものであった。
その手順を踏まず、政府の腰もきまらぬうちに、関東軍は堪忍袋の緒を切ってしまい、非が彼にあったにもかかわらず、世界は、最初に泣き声を張りあげた支那(中国)に同情し、いっさい、日本の言うことには耳をかさないことになってしまった。が、この満洲事変については、自分も大きな責任を持つ一人である。
支那(日華)事変も、またそうである。排日、排貨のあらしは強かったが、また蒋介石政権の北支に対する兵力の増強があったにしても、日本としては、どこまでも十分に満洲を育てあげ、世界をして、なるほど、満洲建国は、領土侵略ではなく、在満三千万民衆の福祉増進に意義あるものであったと認識させ、これに対する蒋政権の報復的排日行為は、東洋平和のためによろしくないとの判断を得しめたあとで、対応策をとるべきであり、それまでは、なんとしても隠忍をつづけるべきであった。
いわんや、北支に生じた紛争を、中支の長江方面、やがて南支那にまで波及させることは、世界政策上絶対に避けなければならぬことであった。
中、南支那の飛び火に馳せつけることにしたのが、支那(日華)事変を収拾のつかない、泥田の中での仕事にしてしまった。
支那事変に対する、アメリカの対日干渉が、資金凍結、経済封鎖までに進んでは、これはたしかに日本民族死活の問題で、こうなっては、取るべき道は、二つの中のどちらかである。対米戦争か、または支那(中国) からの総撤兵で、満洲だけに力を集中し、理想的建設をすみやかならしめるかである。
そして、そのいずれによるとしても、こんな大きな真に国家を賭けるような決断は、もっと国民の総意をたしかめてからあとに決すべきで、ここでも手順を省きすぎたと思う。この支那(日華)事変についても、私は責任を負わなければならぬ一人である。
② 第2の反省 (日本民族の宿命)
私が、1941年(昭和16)十二月、南支那から呼びもどされ、蘭印方両派遣軍司令官を拝命したときは、武者ぶるいというのか、身体の全筋肉が細かくふるえるように覚えた。
民族の興廃を決する、また東亜十億の民族を解放する、このような聖戦に、最意要な一方面の最高指揮官に当てられることは、なんとした光栄のことであろう。また、なんという大きな責任を負わされたものであろうとの感激で、緊張したためである。
私は、第一次世界大戦当時、欧洲にいて、つぶさにベルサイユ平和会議の経緯を知り、そのとき以来、わが民族がこうむって来た、米英からの迫害というものを心にし、とうとう大東亜戦争にまで追いこまれてしまったという、民族的宿命の観念をもっていたので、なんとしても戦いを勝ちぬかなければならないとの決意のもとに、ひざまずいて天の加護を祈った。
わが国は、第一次大戦のときは、勝ったほうの連合国に加担し、犬馬の労をとった。そして平和会議のとき報いられたものは、総面積伊豆半島よりも小さい、裏南洋の委任統治諸島だけで、わが海軍の守った独領ニューギニアではなかった。これでは、ふえてやまない民族の生存確保には、なんの足しにもならない。のみならず、わが国が、全有色民族衆望放衆塾の上に、平和会議で提案した、たった一つの条件〝有色人種差別待遇の撤廃″は、無残にも、ウィルソン、ロイド・ジョージ、クレマンソーの米、英、仏三巨頭により踏みつぶされ、次いで、太平洋をめぐるアメリカ、カナダ、オーストラリアにより、つぎつぎに日本人は、入国を拒否されてしまった。
人種的差別撤廃提案
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88
パリ講和会議
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E8%AC%9B%E5%92%8C%E4%BC%9A%E8%AD%B0
一年に、百万、百五十万とふえてやまない日本民族は、どうすればよいのか。ただ、白人にまさる力をたくわえ、余地の残されているアジアのどこかに発展するより生きる道はないと考えられているとき、蒋介石政権は、支郡(中国)統一の政策として、巧みに列国の対日圧迫の傾向に即応、排日排賃の一点張りに推進してきたものである。
私は満洲事変以来の戦争で、わが国は、取るべき、なすべき準備手段をやらなかったことを反省はするが、こうまでになったのは、民族の宿命であった″という考え方が、どうしてもとりのけられんでいる。
③ 第3の反省 (大権の侵犯)
このように日本民族の宿命を感じたとしても、それは責任の所在や、将来の教訓を無視するつもりのものではない。私は、こんな宿命論は、おのれ一己の自慰的のものに過ぎないとさえ反省し、もっと理性的に敗戦の原因 -とくに重大のもの-と信ずるところを率直に披歴する義務があることを認め、次のように述べる。
敗戦の第一の大原因は、私を含めて軍の首脳部が、こんなに文化が進み、万事が科学的分科に進んでいる時期に、なおかつ、戦争は軍人のもの、軍部が行うもののような、近代戦争の性格にそぐわない思想で、戦争のことを考え、また進めた誤りによるものだ。
近代国家という大有機体は、人体のように、頭脳というひとつの統制のもとにではあるが、各専門の部分部分が、それ自体健全であり、相互に連鎖し、かつ調和を保ち、はじめて機能を発揮し得るものである。
しかるに、憂国の気持ちからではあっても、いつか、それが独善的に、軍人が、他の部門に干与し干渉し、各部各部の健全と調和とを害したことは否認出来ない。ことに、それが政治部門にわいてひどかった。
軍人の政治干与ということは、今日に始ったことではない。戦いに勝つということは、軍人の国家に負う最大の義務であり、これを果たせば、それに対し、国民多数が尊敬を払うことは自然である。
だから、世界のどこの国の歴史を見ても、戦勝後の軍人の発言権は大きくなる。大ローマ帝国が、幾多軍人政治家の角逐の後、シーザーが、その基礎をたて、クロムウェルや
ウエリントンのような軍人が、英国の主権者や大宰相になり、支那歴代の王朝創始者が、周以降は、ことどとく戦勝軍人であり、民主主義の本場と自負するアメリカでさえも、戦勝直後、参謀総長だったマーシャル元帥を、国務長官の地位にすえ、アイゼンハワー元帥を大統領に選挙したことでも、右の傾向はうかがえる。
わが明治維新は、各藩青年武士の力で、徳川幕府を打倒した結果、成り立ったものであるため、明治政府が、これら武士、なかんずく最も多くこれに貢献した、薩長二藩の武士出身者の発言を一口を無視することができず、引きつづき日清、日露、日独戦の勝利が加重し、幾多の軍人出身者を首班とする内閣が構成され、この因縁は、その後にもあとをひき、今上陛下の昭和になってからの政府でも、終戦までの十九年間、政治家出身六人、陸軍出身五人、海軍出身三人の首相を見ている。
が、なんと言っても、政治は軍人の本務ではない。軍人は、ただ戦いに勝つだけの研究と、創意と糾兵とに精進してきたものであり、また精進すべきものと信ずる。
だから、時の情勢で、軍人が組閣を命ぜられたとしても、その人一人が、そのほうの知識者と相寄り、相助け、政治に任ずべきであり、軍人幕僚を、その渦中に人らしめてはならない。しかるに、いつもいくらかの軍人が、その渦中に明躍したり、暗躍したりする。そして、その傾向は、陸軍がはなはだしく、ついには、陛下の命ぜられた組閣者を道に擁し、これが断念を強要したような、大権侵犯の罪悪をもあえてしている。
(以上は今村均『幽囚回顧録』秋田書店(1966年刊、240-250P)
つづく
関連記事
-
-
●『著書「新大陸主義21世紀のエネルギーパワーゲーム」の『ケント・カルダー ジョンズ・ホプキンス所長の記者会見動画(90分)』
速報(436)『日本のメルトダウン』 &nb …
-
-
F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(238)ー『サウジ執行部とトランプは益々窮地に追い込まれています。』★『MBS(ムハンマド皇太子)とネタニャフの二人が一遍に失脚すると、米の対イラン戦略は完全に 空洞化します』
風雲急を告げる中東情勢 ≪F国際ビジネスマンの情勢分析≫ CIAによる、MBS殺 …
-
-
『Z世代のための日本戦争報道論』★『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』★『80年前の太平洋戦争下の決戦スローガン(流行語)』★『人々は「贅沢(ぜいたく)は敵だ」→「贅沢はステキだ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」』とパロディー化して抵抗した』
2014/10/18 記事再録 月刊誌『公評』<2011年11月号掲載>決戦スロ …
-
-
速報(247)◎『日米原子力委員会のリスク管理の天地の落差』『情報隠し、公文書の不保存は国民への重大犯罪である」
速報(247)『日本のメルトダウン』 <日本が民主国家ではないことの証拠> &n …
-
-
日本リーダーパワー史(406)『安倍首相は東京オリンピック誘致で最強のスピーチ力を発揮せよ」(2日後に迫る)
日本リーダーパワー史(406) 『安倍首相はオリンピック …
-
-
福沢諭吉の「韓国独立支援」はなぜ逆恨みされたか⑥「華兵(中国兵)凶暴」の記事が支那側から激しい抗議があり、辞職、帰国した。
「日本開国の父」『アジア開国の父』の福沢諭吉 の義侠心からの「韓国独立支援」 …
-
-
日本リーダーパワー史(868)『明治150年記念ー伊藤博文の思い出話(下)ーロンドンに密航して、ロンドン大学教授の家に下宿した。その教授から英国が長州を攻撃する新聞ニュースを教えられ『日本が亡びる』と急きょ、帰国して止めに入った決断と勇気が明治維新を起こした』★『ア―ネスト・サトウと共に奔走する』
イギリスの公使に泣きつく 井上はなんという名だったか …
-
-
『オンライン/「百歳・生き方・死に方・臨終学入門(117)『 斎藤緑雨、司馬江漢、正岡子規、高村光太郎の死に方』
2015/08/28   …
-
-
[ オンライン講座/清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』12訓★『 人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ』
清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』 人生は諸行無常や。 …
-
-
日本リーダーパワー史(296)福島原発報道との対比ー大新聞はアジア太平洋戦争(大東亜戦争)をどう報道したのか③
日本リーダーパワー史(296) –3.11福島原発事故 …
- PREV
- 『オンライン講座/日本陸軍・失敗研究』★『大東亜戦争敗因を 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(大将)が証言する②』★『陸海軍の対立、分裂」★「作戦可能の限度を超える」★ 「精神主義の偏重」★「慈悲心の欠如」★ 「日清日露戦争と日中戦争の違い」★「戦陣訓の反省」
- NEXT
- 『オンライン講座/東京五輪開催での日本人の性格研究』★『 緊急事態宣言下の五輪―開催も地獄、中止も地獄』★『あと40日余の東京五輪はますます視界不良に包まれている』★『 日本人には何が欠けているのか?論理の技術、科学的思考法だ。西欧の近代合理主義と中国文化圏(古代中華思想)を分ける方法論の違いは、中国・日本の教育制度は.ただ記憶力だけを重視している』