『オンライン/明治外交軍事史/講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々烈士鐘崎三郎」(花乱社』 の背景を読む➄』日中友好の創始者・岸田吟香伝②『 楽善堂(上海)にアジア解放の志士が集結』★『漢口楽善堂の二階の一室の壁に「我堂の目的は、東洋永遠の平和を確立し、世界人類を救済するにあり、その第一着手として支那(中国)改造を期す」と大書』
2013/02/19『リーダーシップの日本近現代史』(189)記事再録
近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝②
<陸軍参謀本部員の荒尾精ら情報部員をバックアップし中国各地の情報を収集させた>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
台湾出兵に日本初の従軍記者として岸田は参加した。当時は写真版などまだなくて、すべて木版画の時代。写真撮影は三脚を立てて長時間をかけての時代なので、戦闘状況などの撮影できない。新聞や雑誌のカットはすべて浮世絵師が書いていた。ところが、吟香の絵は現地の写真画であり、「東京日々」の大きな特ダネとして新聞は売れに売れた。
台湾従軍から帰ってきた吟香は、月給二百五十円の福地源一郎社長につぐ鉱待遇(月給百円)となった。
1877年に東京日日新聞発行所である日報社(毎日新聞の前身)を退社して、銀座にクスリ屋の「楽善堂」を開いた。1880年、中国の上海イギリス租界に楽善堂支店を開き、眼薬「精錡水」の製造販売を主体にして、雑貨や書籍などをも扱って大儲けした。各地に支店を拡げた。岸田は表向きには一介の貿易業者だが、東亜に志をもち、西欧列強の清国侵略に対して日清が手を組んで排撃し、アジアの解放を念願する気骨のある国士であった。その頃中国では、岸田の名は日本人で一番よく知られており十八省に鳴りわたっていた。
楽善堂にアジア解放の志士が集結
楽善堂には、大陸で活動することを志す人々が集まってきた。当時、中国大陸にわたった志士たちで、彼の世話にならないものはなかった。85年には陸軍参謀本部員で大陸進出の先兵となった「荒尾精」を支援するかたちで漢口にも楽善堂支店が置かれた。
荒尾精(一八五八―八九六)は、尾張藩士荒尾義済の長男として名古屋に生まれた。陸軍士官学校を卒業、-八八六年(明治十九年)参謀本部支那部付となって、念願の中国大陸へわたった。その頃すでに日本は不平等条約の重圧、シベリア鉄道を主軸とするロシアの南下政策の活発化し、清国の朝鮮半島への進出で日本との間で緊張が高まり、日清間の諜報活動がひそかに行なわれていた。
荒尾精が吟香を上海の楽善堂に訪ねたのは、ちょうどそうしたときであった。荒尾は吟香の人物・経歴については、すでに日本を出発するときから聞き知っていたので、たちまち二人は意気投合した。荒尾は岸田の支援のもとに漢ロに根拠地をかまえ、楽善堂の看板をかかげ、商人になりすまして、中国各地の情報蒐集や調査を進めた。
著者:桜井忠温編著『聚類伝記大日本史』第14巻陸軍編 |
発行年月:1935年01月
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=42
漢口楽善堂での情報収集活動の方法
荒尾精が軍から命ぜられた任務は、国際情勢の緊迫に伴い、清国の国情を知る必要から、武漢一帯の事情を探ることであった。彼は、これを機会に同志を糾合し、年来の志業である大アジア主義の実現に一歩を進めたいと考えた。
荒尾の勧誘に応じて、宗方小太郎、山内いわお、浦敬一、石川伍一、広岡安太、藤島武彦などの同志が集まってきたので、漢口楽善堂は、さながら日本志士の梁山泊の観があった。
右のうちの宗方小太郎は、元治元年熊本県に生まれ、明治十七年、中国にわたって六十歳で上海に客死するまで、中国各地に在住した。末広重恭が創設した上海東洋学館の逸材で、革命的情熱がみなぎっていた。
彼を有名にしたはじめは、なんといっても日清戦争である。彼は一人、旅順威海衛方面北洋艦隊の動静を探り、結果は黄海大海戦で、日本に勝利の誘因をもたらしたことである。このことは『宗方小太郎文書』(原書房)にくわしい。
山内は宗方よりも古くから中国にわたっていた。中国語はもとより、英・独語にも通じた志士であった。
石川伍一は日清戦争のとき、敵情偵察のため、ただ一人で天津城内にしのび込んだが、とらえられて、天津西営門外の刑場の露と消えた。
藤島武彦も、日清戦争のとき諜報任務についたが、清国官憲にとらえられ、杭州の清波西衛門外で散った。
漢口楽善堂の二階の一室の壁に、「我堂の目的は、東洋永遠の平和を確立し、世界人類を救済するにあり、その第一着手として支那改造を期す」と大書してあった。
荒尾は、部員にはその日的達成のために、中国のどこに、どういった人材がいるかを、明らかにしておく必要を認め、人物の探査方法を示している。
君子、豪傑、豪族、長者、侠客、富者に該当する人物には、注意してその住所、姓名、年齢はもとより、その行跡などについても詳らかに調べることを要求していた。さらに、可(これを上下に2つ)老会とか、九竜会、白蓮会など、中国社会に強大な潜在勢力をもっていた秘密結社にも調査の手をのばした。
荒尾が参謀本部から命ぜられていた任務は達成するために、楽善堂同志は、岸田吟香の販売する目薬や薬品、書籍を背にして行商人に化けて、中国の奥地に入り込み、秘密裏に詳細な実地調査を行った。
堂の組織を内員(内務)と外員(外務)とにわけ、さらに内員を理事、外員掛、編集掛に三分し、理事は専ら商業会計表の事務を総理し、その拡張はかる。外員掛というのは、常に外員と連絡を保って、情報をキャッチする。
編集掛は、各地の同志から寄せられた報告および各国新聞から、他日参考になるようなものを摘要してチェックする。もちろん荒尾堂長は総指揮監督にあたる。堂内にいるものは、毎日曜には研究会と称して、アジアの諸問題の研究はもとより、事務報告や運動方針を協議することになっていた。そして軍隊式の週番制度をとり、堂内の風紀、衛生、警戒などに意を用いた。
外員の多くは、弁髪(男子が頭髪を編んで背後にたらす風習で、古来北アジアの満州族、女真族.に広く行なわれていた。清朝でもそれを強制的に行なわせていたが、民国革命後廃止された)して各地に潜行したのである。
近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香は『230年ぶりに上海に住んだ最初の日本人』https://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1919.html
⑪中国大陸への進出と日中親善への貢献とである。彼は慶応四年(一八六八年)一月以来、上海に「精鏑水」 の販売所を設けていたが、明治八年(一八七五年)九月、東京銀座に「精鏑水調合所」 (楽善堂薬舗)を開店したのを契機として、中国各地に楽善堂分店を設置した。そしてこれ等の分店は日中親善および日中貿易の要衝となり、中国に進出する邦人の拠点となった。
⑫東亜同文会、同仁会、日清貿易研究所等の創設に関与して、日中親善の深化、日中貿易の伸長に努め、かつ大東汽船会社、湖南汽船会社等の創立にも与り、中国における汽船航路の発展に貢献した。
(13) 創設に力を尽した東亜同文会その他の機関は、明治三十三年(一九〇〇年)、上海に東亜同文書院の経営を開始,、順次、天津に日中書院、漢口に江漢中学校等を経営し、中国に羽翼を伸ばす青年の養成および中国青年の知日教育に努力した。日中親善への寄与・貢献は、かずかずの彼の功績の中で、特に輝かしき、そしてまた特に偉大なる功績であった。
関連記事
-
世界/日本リーダーパワー史(958)『ファーウェイ幹部逮捕で本格化、米国の対中防諜戦米国と諜報活動協定を結ぶ国が増加中』★『 AIの軍事利用で世界最先端を進み始めた中国』★『狙われる東京五輪とサイバーセキュリティー』
世界/日本リーダーパワー史(958) 『狙われる東京五輪とサイバーセキュリティー …
-
速報(457)『日本のメルトダウン』『自由の「失われた10年―米国』○「クール・ジャパンの全然クールじゃない動画』
速報(457)『日本のメルトダウン』 ●『自由の「失われた10年―米 …
-
日本メルトダウン脱出法(766)「中国バブル崩壊「世界大恐慌」の可能性(大前研一)」●「TPPを取り巻く不穏な政治(浜田宏一)」●「残り任期3年、安倍政権に打つ手なし(大前研一)」
日本メルトダウン脱出法(766) 東証一部上場へ、郵政3社の未来絵図ー大前研 …
-
ジョーク/ミステリ―?日本史(7)明治のトップリーダーは超人、奇人、変人ぞろい<アルコール中毒で妻を切り殺した疑惑が浮上した2代目首相・黒田清隆>
ジョーク/ミステリ―?日本史(7) 明治のトップリーダーは超人、奇人、変人ぞろい …
-
速報(34)『日本のメルトダウン』47日目ー『事故とリーダーシップ、日本経済の転落が始まる』
速報(34)『日本のメルトダウン』47日目 ◎『事故とリーダーシッ …
-
日本リーダーパワー史(120) 明治の2大国家参謀とは誰でしょうか!?・驚くなかれ、杉山茂丸と秋山定輔だね
日本リーダーパワー史(120) 明治の2大国家参謀とは誰か・杉山茂丸 …
-
速報(445)『日本のメルトダウン』『パナソニック」「ソニー」など電器産業は総崩れか』●『サムスンの勢いはいつまで続くか』
速報(445)『日本のメルトダウン』 経済評論家・野口恒氏から聞 …
-
池田龍夫のマスコミ時評(122)「三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言、議員辞職に値する」(3/30)◎「辺野古作業で岩礁破砕、政府・沖縄県知事が真っ向対立」(3/25)
池田龍夫のマスコミ時評(122) 池田 …
-
日本リーダーパワー史(408) 『東京五輪決定。安倍首相のリーダーシップの勝利⑤ 『今後の短期国家戦略プログラムを実現』
日本リーダーパワー史(408) 『東京五輪決定。安倍首相のリーダーシ …
- PREV
- ★『オンライン天才養成講座/エジソンの発明術を学ぶ』➂ 』★『発明発見・健康長寿・仕事成功11ヵ条」★『私たちは失敗から多くを学ぶ。特にその失敗が私たちの 全知全能力を傾けた努力の結果であるならば』★『臨終の言葉――「将来に信仰を持ちなさい。前進しなさい。私は人々のためにするだけのことはした。もう思い残すことはない。ブルーに輝いた美しい国の人々が待っている。さようなら」』
- NEXT
- 『オンライン講座/国難突破学入門』★『ロケットの父・糸川英夫いわく」★『なぜ事故は起きたのか(WHY)ではなく「事故収束」「復興・再生」の「HOW TO」ばかりの大合唱で、これが第2,3の敗戦につながる』②『すべての生物は逆境の時だけに成長する』★『過去と未来をつなげるのが哲学であり、新しい科学(応用や改良ではなく基礎科学)だとすれば、 それをもたない民族には未来がない』