『オンライン講座/日本戦争報道論②」★『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑮『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』(下)決戦スローガンとしての『流行語』★『強制標語に対して、人々は「贅沢は敵だ」→「贅沢は素敵だ」●「欲しがりません勝つまでは」→「欲しがります勝つまでは」●「足りん足りんは工夫が足りん」→「足りん足りんは夫が足りん」とパロディ化して抵抗した』
2021/01/06
2014/10/18 記事再録
月刊誌『公評』<2011年11月号掲載>決戦スローガンとしての『流行語』
昭和17年「決戦スローガン」
さあ二年目も勝ち抜くぞ 頑張れ! 敵も必死だ。
その手ゆるめば戦力にぶる 今日も決戦 明日も決戦。
「足らぬ足らぬ」は工夫が足らぬ。欲しがりません勝つまでは
大日本一億にして一家族 身を捨ててこそ国興る
耐へ抜く一億 勝ち抜く日本 アジアは一家 日本は柱、
大和心を アジアへ根分け
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
第3期 太平洋戦争へ、決戦スローガンとしての『流行語』
「戦時国策標語」とは情報局(国家総動員法により新聞、出版社も政府の統制下におかれ、政府、陸海軍、新聞社などが一体となって作った言論統制機関)が戦争昂揚のために作った標語、スローガン、キャッチコピーでプロパガンダを展開した。いわば官製の「流行語」である。これが新聞、出版、ラジオなどのすべてのメディアに強制され、その代表例が「大本営発表」なる虚偽の発表だが、当時の国民は毎日、洗脳されたのである。
昭和十五年の「国策標語(スローガン)はー
贅沢品より 代用品
贅沢三昧より 債券一枚
贅沢品こそ 興亜の廃品
贅沢は、銃後を乱す 便衣隊
馨りと縁切れ 貯蓄と結べ
贅沢亡びて アジヤは興る
昭和16年の「決戦スローガン」
この一戦 何が何でも やりぬくぞ
見たか戦果 知ったか底力
進め一億火の玉だ
屠れ米英 われらの敵だ
戦ひ抜かう 大東亜戦
この感激を 増産へ
昭和17年「決戦スローガン」
さあ二年目も勝ち抜くぞ
頑張れ! 敵も必死だ
その手ゆるめば戦力にぶる
今日も決戦明日も決戦
「足らぬ足らぬ」は工夫が足らぬ
欲しがりません勝つまでは
大日本 一億にして一家族
身を捨ててこそ 国興る
耐へ抜く一億 勝ち抜く日本
アジヤは一家 日本は柱
大和心を アジヤへ根分け
ところで、「標語」「スロ-ガン」とはゲ-リック語(ケルト語派の一分枝)の「siuagh ghairm」(時の声、集合合図の叫び)が語源である。スコットランド高地人が緊急の場合に大声で叫んで合図しあった声のことで、そこからある特定の主張を広く知らせるため、その意図を簡潔に表現した言葉がスロ-ガン、この訳が標語となった。
標語は時代のキ-ワ-ドであり、社会の鏡として、時代の空気を鮮やかに映し出し、時代の病理をも浮き彫りにする。標語、スロ-ガンの基本的な性格は簡潔性、印象性、シンボル性、キ-ワ-ド性、口にしやすい、覚えやすいことなどにあり、合理的、理性的なものよりも、非合理的で情緒的なものへ傾斜しやすい。日本の標語は5・7・5調の「行進曲」的な歯切れのいいリズムのものが多い。
戦時標語は言葉の大量コピーとしての戦時流行語であり、言葉の行進曲、プロパガンダ、大衆動員語でもあり、軍歌と似ている。平和な時代には「スローガン」はソフトに脚色され、資本主義下の大量消費のための宣伝、PRの洗脳語の「流行語」に変色する。
第3期の年ごとの「流行語」は次の通のものだ。
・昭和16年(1941)配給時代―戦陣訓、 配給時代、ABCD包囲網 産業戦士 ニイタカヤマノボレ 月月火水木金金
・昭和17年(1942)戦勝・激戦時代―軍神、敵性語 非国民、七つボタン、欲しがりません 勝つまでは
・昭和18年(1943)物々交換時代― 星に碇に闇に顔、買い出し部隊、玉砕、学徒出陣
・昭和19年T944)玉砕・疎開時代-雑炊食堂、集団学童疎開、女子挺身隊。神風特別攻撃隊
・昭和20年(1945)青空市場時代―東京大空襲 ピカドン 堪え難きを堪へ 一億総懺悔
太平洋戦争中の「国策標語」と代表例は「贅沢は敵だ」(昭和15年)「欲しがりません 勝つまでは」(同17年)にまず指を屈するだろう。
「欲しがりません 勝つまでは」は1942年(昭和17)11月に大政翼賛会、各新聞社が大々的に募集したスロ-ガンの入選作であり、東京の国民学校五年生の10歳の少女が作ったものとされていたが、戦後になって実際はこの少女の父親が作って娘の名前で応募したものと判明した。
この時は「たった今、笑って散った友もある」「今日も決戦 明日も決戦」「理屈言う間に一仕事」「足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」など計十点の入選作があったが、いずれも勇ましいスロ-ガンとは裏腹に、決戦スロ-ガンの下で、飢餓寸前の物不足をギリギリの耐乏生活と我慢我慢でしのいでいた庶民の必死の生きざまが凝縮されている。
強制標語に対して、人々は「贅沢は敵だ」は「贅沢は素敵だ」「欲しがりません 勝つまでは」「欲しがります 勝つまでは」「足りん足りんは 工夫が足りん」は「足りん足りんは 夫が足りん」とパロディ化した。当時、こうした批判が特高や警察官が耳に入ると「非国民」として即、逮捕される暗黒社会だったが、ひそかに人々は憂さを晴らし、クチコミでより広く伝えられた。
今、振り返ってみると「贅沢は素敵だ」「足りん足りんは 夫が足りん」は庶民の本音として昭和最高のパロディ-として時代を超えて笑いを誘う。
「鬼畜米英」「アメリカ兵をぶち殺せ」「米英撃滅」など勇ましい標語で敵愾心を最大にあおった昭和18年には英語は「敵性語」として、一斉に禁止になった。18年3月には日本野球連盟は、英語の野球用語の日本語化を決めた。
大衆娯楽、スポ−ツ、音楽、文化など英語表記は一切禁止の文字通り言葉のいいかえの「文化鎖国」に逆戻りし「グローバリズム」を完全に否定した。
「ストライクは本球」「アウトは外球」とかき、試合のときは、ストライクは「よし!一本」、三振は「それまで」、セーフは「よし」、アウトは「ひけ」、ファウルは「だめ」と言い換えた。
米英音楽は「敵性もの」との烙印を押し、同年1月、内務省と情報局により演奏を禁止するリスト一千曲を発表した。音楽についで、すべての分野の外国語表記を否定、ラグピー→闘球、サッカー→蹴球、ゴルフ→打球となり、野球のチーム名もタイガース→阪神などと言いかえられた。
こうした言葉のいいかえ、報道の禁止、虚偽の発表が結局、事実を覆い隠し、自らも事の本質を見えなくする江戸時代の「三猿主義」(見ざる、聞かざる、言わざる)の封建的な鎖国の精神へとわずか70年前に逆戻りさせたのである。この日本人伝統的な精神現象、思考停止を私は「ガラパゴスジャパン」(グローバルジャパンの反対)の「死に至る病」と名付けている。
ガダルカナル島から日本軍撤退(昭和18年2月)、山本五十六戦死(同年4月)とますます絶望的となり、5月にアッツ島の守備隊が全滅、11月にマキン、タラワ両島も全滅。これを大本営は「玉砕」の美辞麗句で言い換えた。「玉砕」とは「玉が美しく砕け散るようにいさざよく死ぬという意味である。
「敗退」「撤退」を「転進」と言い換え「敗北」を「勝利」と「大本営発表」
「尽忠報国」「七生報国」「神州不滅」「神風特別攻撃隊」(片道燃料で爆弾を積んで米艦に体当たりする作戦で2520人が戦死した)などの神がかりスローガン、殉国、散華の死の精神が賛美される。殺すための言葉、言葉が凶器と化した国策スロ-ガンが時代の死臭を漂わせている。
同時に一方では、時代を批判しひそかに落書きされ言葉や口コミのパロディーが伝えられている、この方にこそがより正常なる近代精神、批判精神が宿っているといえよう。
「世の中は星(陸軍)に碇(イカリ・海軍)に闇(ヤミ)に顔 馬鹿者のみが行列に立つ」(モノ不足の中で陸海軍の軍人関係者が品物を手にいれ、庶民は馬鹿正直に配給に並んだ)
戦争の最高指導者の東条英機首相への批判、抗議の言葉である
「米機英機を葬れ」のポスタ-が銀座に掲げられ、「米機逃して英機に叱られ・・」とウワサされた。
また、軍人たちの横暴を引っかけて「乱暴、無謀、参謀」「軍人は忠節を尽くすを本文とすべし」(軍人勅諭)を「軍人は要領を本分すべし」と言い換えたり、「徴用は懲用だ」、「三宅坂幕府」(三宅坂に陸軍省、参謀本部はあり、首相官邸より力があった)、「皇軍は蝗(いなご)軍」といった具合だ。
人々は笑いとユ-モアに完全に飢えていた。「愛国行進曲」の替え歌は「見よ!東条の禿頭、旭日高く輝けば、天地にぴかりと反射する、ハエがとまればつるとすべる」が密かに流行した。
いずれの流行語、標語、スロ-ガン、流言飛語をみても日本人の言葉の感性がにじみ出ており、日本人の思想性を考える上での重要なヒントが隠されている。
以上、時代のキーワードとしての流行語は時代の風であり、その時代の空気の最大公約数的な言葉のである。
日本人は言葉を「言霊」、感情表現の道具として使っており、その分、センチメンタル(情緒的)な言葉が多い。事実の正確に伝えるための言葉を、事実、真実への追及としてではなく、それを自分はどう感情的にとらえているかを言葉として表現する。
一方、英米人の思考形式としての英米語の場合は論理的、合理的な思考を表現する記号として言葉を使っている、事実、真実を肉薄するための科学としての言葉の使用であり、そこから近代ジャーナリズムが誕生した。
その違いが端的に現れているのが「戦時スローガン」「敵性語」である。
アメリカは「日本語」研究の日本人の思想について、戦争中だからといって禁止などはしなかった。逆に徹底して勉強しベネディクトは「菊と刀」の古典名著を書き、敵国のあらゆる情報を収集して研究した。ドナルドキーン氏は日本文学を研究し、戦争中は日本人捕虜から聴きとりを行い、日本人以上の「日本専門家になったのである。
英米語を禁止し、過激なスローガンを掲げて絶叫しても勝てる訳もないのは子供でも分かる。ところが、1945(昭和20)年には全面敗北の「玉砕」が続き、米B29の本土無差別爆撃の後に日本軍は「神州不滅」「本土決戦」を叫び、「女性、子供まで竹やりを持たせて1人1殺の作戦を強行しようとしたのだから、その狂信的思考、アナクロニズムには心底驚く。
開戦前の日米の重要戦略物資生産比率は1対78の圧倒的な差があり、それを知りながら日米戦争に突入して、当然のごとく全面敗北「自滅の戦争」をしていった原因は情報、事実を的確に見ることができない言葉(思考力)の喪失であることがわかる。
参考文献 森川方達編著「帝国ニッポン標語集」(現代書館、1989年)
鷹橋信夫著「昭和世相流行語辞典」(旺文社 1986年)
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