日本リーダーパワー史⑬ 100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正造
日本リーダーパワー史⑬
100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正造こそ世界のトップリーダーだよ
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
(静岡県立大学名誉教授)
「お願いがございます」―1901年(明治34)12月10日、第15回帝国議会開会式からの帰る途中の明治天皇の馬車が東京・日比谷にさしかかった際、男が右手に願書を高く捧げながら、人垣から飛び出して直訴した。警備の警察官に取り押さえられたが、この男こそ田中正造(61歳)であった。
当時、全国最大の「足尾銅山」(日本の産銅量の40%)から出る亜硫酸ガスの煙害や鉱毒によって渡良瀬川流域の農作物は枯死し、魚類も全滅、農民の健康にも大きな被害を出ていた。被害住民は栃木、群馬、埼玉3府県で約50万人に及んだが、「殖産振興」がスローガンの政府はこれを無視して、因果関係を認めなかった。
田中は代議士を辞し、命がけで直訴する決意を固め、社会主義者・幸徳秋水に無理やり頼み直訴文をしたためてもらった。この直訴は大反響を呼び、各新聞は競って号外をだし、足尾鉱毒事件は一躍全国的に有名となった。
田中正造は、天保12(1841)年11月、下野国小中村(現・栃木県佐野市)で名主の長男に生まれた。17歳で名主となり、「予は下野の百姓なり」と語るように、終生、農民の立場に立って行動した。
栃木県議会議長から、明治23年の第一回衆議院選で当選して代議士となるが、口を開けば鉱毒事件ばかりを追及するので奇人扱いされ「栃木鎮台、略して栃鎮(トッチン)」とのあだ名がつけられた。
鉱毒被害は広がる一方で、明治33年2月、3千人の被害農民が政府に請願に押しかける途中で抜刀した憲兵、警官隊が襲いかかり、逆に51名が兇徒聚集罪などで起訴される川俣事件が起きた。
この直後
「鉱毒で何の罪もない人が毒のため殺され、その救済を訴えると、凶徒という名で牢屋へほうり込まれる。政府は人民に軍(いくさ)を起こせと言うのか。(古河市兵衛に対し」こんな国賊、国家の田畑を悪くした大ドロボウ野郎!」と田中は国会で「亡国論」の激烈な演説を行い、議場は大混乱に陥った。あわてた政府はやっと思い腰を上げ、谷中村に遊水池を作る渡良瀬川の治水計画を出した。これは反対運動を抹殺するネライだったが、田中はすべてを捨てて谷中村に移り住み、反対運動の先頭に立った。「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、62歳にして「聖書」を初めて読んで帰依した田中は「聖書は読むものではなく実践するもの」と「谷中学」(谷中村の生活と運動と実践に学ぶこと)に没頭した。
田中には数多くエピソードが残されている。ある時、30年連れ添った妻・かつ子に手紙を書いたところ、その名を忘れて想い出せなかったという。それほど救援運動に全身全霊で打ち込んだ「野にいる聖人」なのである。
しかし、政府、栃木県は土地買収と移転を強行し,最後まで残った16戸、約100人の農民たちも明治40年6月,土地収用令で家屋を強制破壊されてしまう。こうして谷中村は水没し、滅亡した。この時の日記には「政府と戦うべし、予は天理によりて戦うものにて、斃れても止まらざるはわが道なり」とある。
正造は最後まで谷中を離れることなく大正2年9月、胃ガンによって72歳で亡くなった。亡くなる数日前、病床で「現在を救い給え、ありのままを救い給え」といって意識を失った。枕元に残されていた全財産はズダ袋のなかに,帝国憲法の小冊子と新約聖書1冊、石ころ数個と書きかけの原稿だけだった。
田中正造について、天皇直訴事件の印象が強いため、一部には、天皇、キリスト主義者とみるむきも少なくないが、切り捨てられていく少数派の人権を最後まで守って戦った明治期では稀有の民主主義思想家であった。憲法の精神の遵守を政府に強く求め、人民の抵抗権と、監督権、自治権をも強く主張している。
今、地球環境問題が世界的なテーマとなっているが、百年前の田中正造の思想と行動は公害を世界共通の普遍的な課題として先取りしており、その先駆的なエコロジー感覚と環境倫理思想と相まって、世界中の人々にに大きな啓示を与えてくれる。
いまこそ田中正造から学ぶべき時である。
関連記事
-
-
<まとめ>児玉源太郎について ―『坂の上の雲』の主人公― 明治陸軍の名将・児玉源太郎を研究せずして『日露戦争勝利』の要因を知ることはできない。
2013/02/03 記事再録/ <まとめ>最強の …
-
-
日本リーダーパワー史⑥ 最高のリーダーは西郷従道,そのおもしろエピソード②
2009、08,14 西 …
-
-
日本リーダーパワー史(83) 近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論とは・(上)
日本リーダーパワー史(83) 近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法 …
-
-
『日本最強の宮本武蔵の<見える化>チャンネル』★「宮本武蔵が『五輪の書』を書いた熊本の霊厳洞を訪ねる」★『霊厳洞は五百羅漢が立ち並び迫力満点の超パワースポット』★『勝海舟の宮本武蔵評』
★『日本史最強の人物の現場を訪ねる動画チャンネル』 20 …
-
-
『Z世代への昭和史・国難突破力講座⑭』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力②』★『戦時下は「渇しても盗泉の水をのまず 独立自尊の心証を知らんや」と隠棲し、茶道三昧に徹する』★『雌雄10年、75歳で「電気事業再編成審議会会長」に復帰』★『池田勇人と松永安左エ門の「一期一会」』★『地獄で仏のGHQのケネディ顧問』
2021/10/06「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑪」記事再録再編集 渇して …
-
-
安倍<多動性外交>の行方は(1/31)「靖国参拝・ダボス発言は成功か失敗か」「NHK新会長「従軍慰安婦発言」動画座談会(70分)
日本リーダーパワー史(471 ) <安倍<多動性外交? …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(3)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』③「高杉晋作のインテリジェンスがなければ、明治維新も起きず、日本は中国、朝鮮の二の舞になっていたかも知れない」
2015/11/22  …
-
-
『オンライン太平洋戦争講座/ガダルカナル戦の研究』★『敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横の実相』で陸軍の内幕を暴露して東京裁判でも検事側証人に立った陸軍反逆児・田中隆吉の証言⑤『ガダルカナルの惨敗、悲劇ー敵を知らず、己れを知らず』』
2015/05/25 終戦70年・日本敗戦史(85)記事 …
-
-
『Z世代のための日中韓外交史講座』⑳」★『150年前の「岩倉遣米欧使節団」の国家戦略と叡智に学べ』★『『1872年―岩倉遣米欧使節団がロンドンに到着』(英タイムズ1872年8月20日付)』
2012/09/22 日本リーダーパワー史(322)記事再編集 前坂 …
-
-
<日本最強の参謀ー「杉山茂丸」の経済雄弁術⑦ 細かい数字を百年の国策に取り交ぜ、談論風発、相手を煙幕に巻く。
日本リーダーパワー史(481) <日本最強の参謀は誰か– …
