前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史 ⑰ 徳川封建幕藩体制をチエンジした<福沢諭吉>からしっかり学ぼう

   

日本リーダーパワー史 ⑯ 
徳川封建幕藩体制をチエンジした福沢諭吉
 
                  
               前坂 俊之
                 (ジャーナリスト)
 
 
 
今(09年4月)、国会議員の世襲化が問題となっているが、約150年前、勝海舟の「咸臨丸」で幕府使節団として米国を初めて訪問した福沢諭吉は、米国独立の父、初代大統領ジョージ・ワシントンの子孫がその後、どうなっているのかを質問してみたが、誰も知らないことに驚いた。

また、ホームステイした米家庭で妻が夫にテキパキ指示して家事を分担している日本とは全く逆の「男女平等」「女尊男卑」の姿に大きなカルチャーショックを受けた。

「門閥制度は親の仇でござる」と徳川幕藩体制ときびしく批判していた福沢は近代民主主義の政治体制と個人主義の米国社会を見聞することで、鎖国と封建制度に埋没していた旧態依然たる日本社会の「チェンジ」に取り組んだのである。

福沢諭吉は天保5(1835)年12月、豊前国中津藩(大分県)の下級武士の家に生まれた。人間を出自、身分、家柄で生涯しばりつける封建制度の幕藩体制に強い憤をおぼえて、脱藩を志し大阪の緒方洪庵の適塾でオランダ語を勉強し、万延元年(1860)に幕府使節団の通訳として勝海舟の「咸臨丸」で太平洋を渡った。  

文久2(1862)には幕府のヨーロッパ使節団に同行して半年かけヨーロッパをまわり、慶応3年(1867)には再度、米国を訪れるなど幕末屈指の西欧体験者となった。

こうして西洋文明を実地に見聞、観察し、英語力を活かして英米文献を翻訳して、政治、経済、社会制度を複眼的に分析、考察することで「西洋事情」(慶応2年)、「学問のすすめ」(明治5年)「文明論之概略」(同8年)など次々に啓蒙書のベストセラーを出版。明治第一の文明評論家となり19,20世紀の国際社会での日本の進むべき道を示した。

福沢の根本思想は「独立自尊」である。個人個人の自主、独立なくして国家の独立はない。『一身独立して国家独立す」で、決してこの逆ではない。

そのためには、個人の思想、表現の自由が不可欠で、その上に学問と教育が普及する。

それまでの蘭学塾を改めて慶応4年に慶應義塾を創設した。明治元(一八六八)年5月、上野に立てこもった彰義隊と官軍が戦争を始め、江戸が戦場になるかどうかの瀬戸際に立った。江戸の人々は逃げまどったが、浮き足立つ塾生を諌めた。

「過去の日本は滅び、新しい日本が始まる。将来を背負うお前たちには教育こそ一番大切なのだ」と大砲の音が響く中を、一心不乱に講義を続けた。
「長い刀をもっているやつほど大バカ」だと批判して、しるしだけの脇差しを一本残して、自宅にあった10本ほどの刀剣をことごとく売り払った。

開国を主張して、西洋文明を紹介する福沢を捷夷論者は暗殺の対象としてつけねらった。このため、明治五、六年頃までの13年間は暗殺を恐れて夜間の外出はまったくしなかった。

福沢は「スピーチ」を演説と訳した。自分の考え、意見をしゃべるのが「演説」であるとして、最初に演説を始めたのも福沢で、明治七年に慶応義塾内で演説会を開いた。翌年には三田演説館を建てて、演説の普及に努めた。両国橋の下に舟をつないで大声でスピーチの練習し、ジェスチャーも研究した。慶応義塾を米ハーバード大学の日本分校にする計画も企画していた。

明治15年には「言論の自由、不自由こそ文明の信号である」「多事争論」を掲げて日刊紙「時事新報」を創刊した。福沢は社説を執筆し、民意を高揚し「富国強兵」「殖産振興」「民権高揚」の新政府の方針を縦横に批判した。

時事新報は明治、大正期を通じて「日本一の新聞」とうたわれる日本の代表紙に育て上げた。民主主義社会にとって最も大切なものは『言論・表現の自由」であることを福沢はよく自覚していた。

福沢が生涯戦ったのは徳川幕藩体制とさほどかわらない薩長藩閥、中央集権、官僚主導の明治国家社会体制であり、官尊民卑の伝統である。

生涯在野にいて、「痩せ我慢の説」通り、節を曲げず官には一切属さず、実業界に多数の卒業生を送り出して、今でいう民間活力の導入によって、武力ではなく実業による日本の独立と富国を目指したのである。

明治34(1901)年2月、66歳で亡くなったが、福沢こそ、日本の近代社会を切り開いた父といって過言ではない。
 
                                
 
 
 
 
 
 
 
 

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『リーダーシップの世界日本近現代史』(287)/★『F国際ビジネスマンのリタイア後の世界ぶらり散歩「パリ/オルセー美術館編』★『オルセー美術館は終日延々と続く入場者の列。毎月第一日曜日は無料、ちなみに日本の美術館で無料は聞いたことがない』

     2015/05/18 &nbs …

no image
日本風狂人伝⑦ アル中、愚痴の小説家・葛西善蔵

日本風狂人伝⑦              2009,6,23   アル …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(142)再録★『異文化コミュニケーションの難しさ― 「中華思想」×『恨の文化』⇔『ガマン文化』の対立、ギャップ➃『『感情的』か、論理的か』★『中国の漢民族中心の「中華思想」華夷秩序体制)」 ×韓国の『恨の文化』(被害妄想、自虐 と怨念の民族的な情緒)⇔日本の『恥の文化』『ガマン文化』 『和の文化』のネジレとギャップが大きすぎる』

2014/06/17  /月刊誌『公評』7月号の記事再録 中国の漢民族 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(256)/ ブリヂストン創業者 ・石橋正二郎(87歳)の『「 よい美術品を集める」「庭を作る」「建築設計をやる」この3つの楽しみを楽しむことが私の一番の健康法』

     2015/08/19 &nbs …

no image
日本リーダーパワー史(222)<明治の新聞報道から見た大久保利通 ② >『明治政府の基礎を作った男』

 日本リーダーパワー史(222)   <明治の新聞報道から見 …

『オンライン・日本自主外交論講座』★『TPP,中韓との外交交渉には三浦梧楼の外交力に学べ②』★『交渉はこちらが弱味を見せると、相手はどこまでもつけ上がるが、強く出ると弱る。自主外交のこれが要諦』

  2012/11/13  日本リーダー …

no image
日本リーダーパワー史(267)名将・川上操六伝(39)野田首相は伊藤博文首相、川上参謀総長の統帥に学べ②山県有朋を一喝

日本リーダーパワー史(267)名将・川上操六伝(39) <野田首相は明治のトップ …

『リモートワーク/外国人観光客への京都古寺動画ガイド』(2016 /04/01)★『日本最大の禅寺』妙心寺は見どころ満載,北門から参拝』★『退蔵院の枯山水の禅庭園を観賞、ワンダフル!』

★5外国人観光客への京都古寺ガイドー『日本最大の禅寺』妙心寺は見どころ満載,北門 …

「Z世代のための『米ニューヨーク・タイムズ』(1860年(万延元)6月16日付))で読む米国からみた最初の日本レポート』★★『日本の統治の形態は中世ヨ一口ッパの封建制度に類似』★『日本には2人の君主がおり、士農工商の階級に分けられている』★『外国人への徹底した排他主義は,政治目的(鎖国)のためで、日本国民の意向ではない』★『日本人が一夫多妻制でないという事実は.日本人が東洋諸国の中で最も道徳的で洗練されていることを示す』★『日本ほど命がそまつにされている国はない。』

  2012/09/10 の記事再録 前坂俊之(ジャーナリス …

no image
『人気記事リクエスト再録』ー<2003年、イラク戦争から1年>『戦争報道を検証する』★『戦争は謀略、ウソの発表、プロパガンダによって起こされる』●『戦争の最初の犠牲者は真実(メディア)である。メディアは戦争 を美化せよ、戦争美談が捏造される』●『戦争報道への提言を次に掲げる』

<イラク戦争から1年>―『戦争報道を検証する』   2003年 12月 …