『リーダーシップの日本近現代史』(114)/記事再録☆『世界が尊敬した日本人(36)ー冷戦構造を打ち破り世界平和を模索した石橋湛山首相』★『世界の平和共存、日本の対米従属から自主独立を盛り込んだ「日中米ソ平和同盟」の大構想を掲げ対米関係は岸、池田首相に任せ、自らソ連に飛んで、日ソ平和条約を話し合った大宰相』
日本リーダーパワー史(582)記事再録
前坂 俊之[ジャーナリスト]
月刊『歴史読本」〈2007年11月号掲載)
今、世界はグローバリズムの大波に翻弄されているが、『日本丸』の若い船長・安倍前首相の突然の辞任劇(2007年8月)ほど日本政治の貧困を見せつけたものはない。
歴代宰相の中でその見識、外交力、実行力を3拍子兼ね備えた人物の1人といえば石橋湛山といってよいが、総理就任わずか2ヵ月で、健康問題で潔く身を引いた。
安倍の曽祖父の岸信介があとを継いだが、この石橋の辞任こそ戦後政治史の1つの転換点となったのである。
石橋湛山は1884年(明治17)年9月、東京港区で日蓮宗の僧侶の子として生まれた。甲府第一高校に進むが、ここで札幌農学校のクラーク博士から薫陶を受けた校長から、米国流の民主主義、自由主義的な教育を叩き込まれた。
湛山の仏教哲学と民主主義、リベラリズムの思想の融合はここで生まれた。早稲田大を卒業後、27歳で東洋経済新報に入社、月刊誌『東洋時論』の記者となり、その後新報に移り、街の経済学者、エコノミストとして次々に鋭い論説を書きまくった。
日米戦争の発火点となったといわれる日米移民問題(1913=大正2)、第一次世界大戦での対ドイツ宣戦布告、参戦(1914)、対中国21ヵ条の要求(15=大正4)、シベリア出兵など日本の対外膨張政策は多くの新聞ジャーナリズムの支持を得たが、湛山1人り反対の論陣を張った。
明治以来の日本は軍事力を背景に台湾、朝鮮、満州などを植民地にする対外膨張政策『大日本主義』をとってきた。湛山はこれに反対し「力ずくで外国から領土を奪っても異民族、異国民をうまく統治できない。必ず反発をかい、独立解放運動で、最後に敗れる」と軍国主義の敗北を予見し、軍事力ではなく、互いの主権を尊重する自由貿易主義、経済中心主義の『小日本主義』(四島だけの日本で十分)を唱えた。
中国の民族独立運動に理解を示し、列強の帝国主義的な行動が失敗することをいち早く見抜き、昭和に入っての満州事変、日中戦争、太平洋戦争への道で、一貫して警告を発し続けた唯一のジャーナリストであった。
湛山の予言通り、1945年(昭和20)8月15日に『大日本帝国』は崩壊する。
敗戦に打ちひしがれ国民が悲観論一色になっている時、湛山は「更生日本の門出」で「前途は実に洋々たり」(東洋経済新報8月25日付)で楽観論をぶち、経済大国になって日本は必ずよみがえると、これまた日本の将来を的確に予言したのだから、つくづくその洞察力には舌を巻く。
戦後、湛山は言論人から政治家に転身し、社会党ではなく、保守の自由党から出馬して周囲を驚かせた。昭和21年(1946)5月、第一次吉田内閣でいきなり大蔵大臣に抜擢された。
時に61歳。リベラリスト湛山の真骨頂はこの後半生にある。
積極財政論者で経済の自力更生をめざし、イエスマンとして対米追随せず、中国のよき理解者でもあった湛山の独立不羈のその言動が、GHQから危険人物視され、約1年後に、公職追放となった。
昭和31(1956)12月、保守合同で誕生した自由民主党で初の総裁選挙が行われ、石橋が岸信介を僅差で破って奇跡的に当選。ここに初の官僚出身ではなく、言論人・思想家の総理大臣が誕生した。
石橋首相は福祉国家の実現と世界平和の確立など掲げて、翌年1月末に全国遊説中に脳梗塞に倒れ、休養2ヵ月と診断された。国会に出席し、予算委で答弁できないことを知った湛山は政治的な良心に従って、直ちに辞任した。日中国交正常化が期待されて船出した内閣はわずか2ヵ月間の短命に終わった。
しかし、石橋の凄さはこのあとにある。昭和34年9月、米ソ対立、冷戦がケネディ・フルシチョフ会談で一時的に雪解けするが、石橋は脱冷戦の大構想の実現に向けて病をおして取り組んだ。行き詰まった日中関係を打開するために訪中し、毛沢東、周恩来と会談、『石橋・周共同声明』を発表し、国交正常化へのワンステップを果たした。
世界の平和共存、日本の対米従属から自主独立を盛り込んだ「日中米ソ平和同盟」という大構想をよびかけた。対米関係は岸、池田首相に働きあけ、ソ連には自らが飛んで、日ソ平和条約を話し合った。
戦後世界の冷戦構造を打ち破るため日本がリーダーシップを発揮した唯一の例だが、その後世界情勢は冷戦が逆行し、国内でも『大風呂敷」「理想主義」として、退けられた。それから13年後の昭和47年9月に田中角栄が日中国交正常化を実現、石橋の大構想の一端がやっと実現した。
湛山は翌年4月、88歳で亡くなった。
関連記事
-
日本リーダーパワー史(334)日中ディープニュース動画解説(90分)◎『日中韓百年戦争勃発か」前田康博氏に聞く① ②③
日本リーダーパワー史(334) 日中ディープニュース動画解説(90分) &nbs …
-
★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク管理 ,インテリジェンス(51)★『陸軍参謀本部の俊英・明石元二郎と宇都宮太郎のコンビが日露戦争勝利の情報謀略戦に活躍②』★『宇都宮大佐はロンドンでポーランド社会党首領のヨードコーらと接触、帝政ロシアの支配下からポーランドを解放し、第1次世界大戦後、新興ポーランドの元首となったユゼフ・ピウスツキ、特にその兄と親交があった』
★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク …
-
百歳学入門(73)沢庵禅師(73)の『剣禅一致』ー心海持平なる時、前に敵なく、後ろに物なし。無の境地じゃ>
百歳学入門(73) 吉川英治創作の宮本武蔵の師・沢庵禅師(73)の『 …
-
『地球環境異変で鎌倉湾も10年でこんなに変わったという釣り話。今は磯焼けでカジメが減少、釣れませんわ』』=『First day of Spring in KAMAKURA SEA』の『老人と海』=『春近し』『目玉パっちりの大メバルの歓迎会じゃ』
東日本大震災の1か月前の2011/02/05 の記事再録   …
-
速報(364)「日本の将来は明るい』『救世主は赤ちゃん』『CIA長官が不倫で辞任』『日中経済失速と戦前日本と中国の共通点』
速報(364)『日本のメルトダウン』 世界は変わる、日本も変わる。 …
-
知的巨人の百歳学(128)ー大宰相・吉田茂(89歳)の晩年悠々、政治健康法とは①<長寿の秘訣は人を食うこと>『「いさざよく、負けつぷりをよくせよ」を心に刻み「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」と外交力に全力を挙げた。』
2013/11/04 記事再録/百歳学入門(83) 大宰相・吉田茂( …
-
「集団的自衛権の行使」について、政府の安保法制懇座長代理の国際大学・北岡伸一学長の記者会見(2/24)90分
「集団的自衛権の行使」について、政府の有識者会議「安 …
-
終戦70年・日本敗戦史(77)大東亜戦争開戦「朝日,毎日などの新聞紙面」ーフィリピン戦線ー「ミンダナオ島にも敵前上陸」 「マッカーサー司令官」マニラ退去」
終戦70年・日本敗戦史(77) 大東亜戦争開戦の「朝日,毎日な …
- PREV
- 『リーダーシップの日本近現代史』(113)/記事再録☆『軍縮・行政改革・公務員給与減俸』など10大改革の途中で暗殺されたライオン宰相・浜口雄幸の『男子の本懐』★『歴代宰相の中で、最も責任感の強い首相で、国難打開に決死の覚悟で臨み、右翼に暗殺された悲劇の宰相』★『死後、3週間後に満州事変を関東軍が起こした。』
- NEXT
- 『リーダーシップの日本近現代史』(115)/記事再録☆『百年先を見通した石橋湛山の大評論』★『一切を棄てる覚悟があるか』(『東洋経済新報、大正10年7月 30日・8月6日,13日号「社説」)『大日本主義の幻想(上)』を読む②『<朝鮮、台湾、樺太も棄てる覚悟をしろ、中国や、シベリヤに対する干渉もやめろーいう驚くべき勇気ある主張』