前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(30)インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生 <増田政巳(編集者)>

   

日本リーダーパワー史(30)
 
インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と山際素男先生
 
      増田政巳(編集者)
インドに建つ碑
 
柿色の僧衣をまとい素足にサンダルをひっかけて、ひとり飄然と降り立った早朝の成田空港から、都心に向かう車が高層ビル群に近づいてくると、佐々井秀嶺師は、のしかかってくる威圧的なコンクリートの塊から身をかわすように手をかざし、驚嘆とも悲鳴ともつかない声をあげたそうである。
そして「物ばかりで、東京から人が消えたのか?」とつぶやいた。迎えの若い同乗者は「ここは高速道路だから、人は歩いていません」と答えたという。
 佐々井秀嶺師が、日本の土を踏んだその足で向かったのは、東京の西端に位置する高尾山の薬王院であった。
一九六五年(昭和四十)、当時の薬王院貫首・山本秀順上人の命をうけてタイ留学へ旅立ってから、一度として日本に戻ることなく、およそ四十五年が経っていた。
 
日本は、とくに東京は大きく変わった。高度経済成長期がはじまったばかりの当時の街並みを偲ぶよすがはほとんどない。
そして、佐々井秀嶺師の境遇もまた激変していた。
 
タイからインドへ求道の場を移した留学僧は、仏教生誕の地の惨憺たる現状に当惑した。

インドでは仏教はほぼ壊滅し、釈迦が悟りをひらいたというブッダガヤの大菩提寺はヒンズー教徒に支配され、最大の庇護者であったマガダ国王ビンビサーラの王舎城ラージギルに残る釈迦の遺跡は荒涼とした姿をさらし、霊鷲山に連なる山頂で日本山妙法寺がささやかな宝塔を建設しているだけであった。


インドの仏教は、仏教徒はどこへ行ったのか

失意のうちに帰国を決意した夜、夢枕にあらわれた龍樹菩薩に導かれて、佐々井秀嶺師は中央インドのナグプールという未知の町に流れ着いた。
奇しくもそこは、独立後の初代法務大臣をつとめインド憲法の起草者であるアンベードカル博士が、一九五六年に五十万の不可触民同胞とともに仏教への改宗式を挙行した仏教再興運動発祥の地であったのである。それは、インド史上に記憶されるべき、三千年にわたるヒンズー教の呪縛からの民衆の大脱走のはじまりの瞬間であった。
この地で佐々井師は、仏教に、生きる灯火を見出す人々に初めて出会ったのである。
そこから、アンベードカル博士の死後、分裂し衰退していた仏教再興に向けた、佐々井師のいのちをかけた獅子奮迅のたたかいがはじまる。
石もて追われるような出発から民衆の導師への半世紀におよぶ活躍の模様は、山際素男著『破天――インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(光文社新書)に詳しい。
いまやインド仏教徒は、一億五千万にのぼると言われる。そのほとんどが、東洋の果てからやってきたこの異邦人を敬愛し、アンベードカル博士の衣鉢を継ぐ大指導者として信奉しているのだ。
しかし、佐々井師の偉業が日本に知られることはあまりない。小さなそして一見複雑そうな理由はいくつか考えられるが、その根底には、この桁外れの壮大な物語をすなおに受容する精神の想像力が現代人には失われてしまっているということがあるのであろう、とわたしには思われる。
 
日本への帰国にあたって佐々井師は、なによりも早く恩師・山本秀順上人の墓前に額ずいて、四十五年間の無音を詫び、自らの大業を墓石にささやきかけるようにひそやかな声で語りかけたにちがいない。
 
佐々井師が日本での出会いや再会を楽しみにし、支援へのお礼や報告をしたい人たちのなかのひとりに山際素男さんがいる。
山際さんは、作家・翻訳家としてたくさんの著作を遺して、佐々井師の帰国の二カ月前に世を去った。わたしは、処女作の時からの付き合いで、よく酒を酌み交わした。
青壮年期の力にみなぎった佐々井師が、ナグプールの街を法華太鼓を打ちながら歩きまわり、人びとに受け入れられ、しだいに尊崇を獲得していくころから、山際さんはたびたび佐々井師のもとを訪れては行動をともにし、その破天荒ともいえる一途な布教活動を激励しつづけた。
そのころ、佐々井師を真に理解し注目した日本人は仏教界を含めて、山際さんをおいて、ひとりとしていなかったと思う。
 
晩年は心臓病をわずらって体調がすぐれなかったが、ご自宅近くの西武線玉川上水駅前のうなぎ屋や喫茶店でときどき会った。山際さんは、ながく念願してきた佐々井秀嶺師帰国の話を聞くと、すこし不自由になった口調で、佐々井師を生きて迎えることのできる感動を涙とともに語った。
しかし、日本での再会はわずかな時間のいたずらでかなわなかった。
佐々井師は、日本滞在のひとときをさいて山際さんの霊のために自らの手で法要をとりおこない、遺骨をインドに持ち帰った。そして、ナグプールの地に埋葬し傍らに石碑を建てることを計画して、その碑文をわたしに書くように要請した。
わたしはのちに、後掲のような文章を佐々井師のもとに送った。
 
若者をはじめ、そのエネルギーに触れた人びとに旋風を巻き起こし、ふたたび日本に戻ることはないと言い残して、二カ月余りののちインドに帰っていった佐々井師は、ナグプールにあるインドラ寺の私室に腰を据える暇もなく布教のためにニューデリーをはじめインド中を飛び廻っていると、しばらくして、同行している若い日本人僧のひとりから便りが届いた。
 
    *  *  *
 
山際素男先生の碑
 
「最も深い真実は、最も深い苦悩と、その苦悩との誠実な闘いを通してしか生まれえないものであろう。インド仏教徒、不可触民の人びとは、その意味において最も人間的真実を語る資格を持ち、語りうる人びとではないだろうか。          山際素男」
 
山際素男先生(一九二九二〇〇九年)は、現代日本の作家であり、翻訳家であった。
著書として『不可触民』『不可触民の道』『不可触民と現代インド』『インド群盗伝』『チベット問題』(以上、ノンフィクション)、『カーリー女神の戦士』(小説)などがあり、翻訳書として『アンベードカルの生涯』『ダライ・ラマ自伝』『マハーバーラタ 全9巻』があるなど、多数の著作品を残した。
 
先生はインド国立パトナ大学、ビスババラティ大学へ留学するなど、はやくからインドへの関心をもちつづけたが、インド社会の中・上流階層との交流のなかからは、自らが求めているインドに出会えないことを知った。

疑問と煩悶ののちに、インド社会の最底辺に位置しヒンズー教徒でありながら他のすべてのヒンズー教徒から差別され、三千年にわたって非人間的な境遇を強いられた「不可触民」や、その桎梏からの解放をめざす活動家らとの交流をとおして、悠久の大地に生きつづけてきた民衆の、もうひとつのインドに出会ったのである。そして、その深い感動を多くの作品に書きとどめた。

「不可触民」の現実は、今なお苛酷な状態にあるが、そこには、あらゆる邪悪に取り囲まれ、飢えと貧窮にさいなまれる日常にあっても、残酷と憐れみ、罪と敬虔、激しい憎しみと深い愛といったアンビバレンツで非合理な世界からこそ生れる豊かな人間性と篤い宗教性が生き生きと躍動しているのだった。

その宗教性の極北に日本人僧・佐々井秀嶺師の存在がある。「不可触民」のただなかでともに生活し苦悩し、インド仏教徒の大指導者として半世紀にわたり身命を賭して活動する師との親交は、先生にインドと日本をつなぐ精神的な強い絆を確信させた。
そして、インド仏教再興の父・アンベードカル博士の主著『ブッダとそのダンマ』を翻訳し、佐々井秀嶺師の波乱に富んだ半生をえがいた『破天――インド仏教徒の頂点に立つ日本人』を著して、その偉業を日本に初めて紹介したのである。
 
私たちは、先生の遺志が、インド・日本両国の心ある人びとによって引き継がれることを信じて疑わない。
その業績を永く記憶にとどめるために、山際素男先生の魂を育み愛したインドの地に、佐々井秀嶺師のお力によって、この碑は建立された。
 
二〇〇九月    増田政巳
 

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(454)「明治の国父・伊藤博文の国難突破のグローバル リーダーシップに安倍首相は学べ②」⑥

     日本リーダーパワー史(454) …

「われわれは第3次世界大戦のさなかにある(NATO元最高司令官)」のに「75年たって憲法改正できない<極東のウクライナ日本>」★『よく分かる憲法改正論議』★『マッカーサーは 憲法は自由に変えてくださいといっている。 それを70年以上たった現在まで延々と 論争するほど無意味なことはない』

   2019/11/03 『リーダーシップの日本 …

『Z世代のための世界が尊敬した日本人(47)』100回も訪中し、日中国交回復の「井戸を掘った」岡崎 嘉平太(ANA創業者)

世界が尊敬した日本人(47) 前坂 俊之 (ジャーナリスト、静岡県大名誉教授) …

no image
『オンライン/百歳学入門講座』★『日本超高齢社会の過去と現在ー(1)<70年前の昭和20年代【1945-55年)までは人生わずか50年だった日本(1)』

   『日本超高齢社会の過去と現在ー(1)      前坂俊之(ジャーナリスト) …

no image
日本リーダーパワー史(348)まとめ>政治家必読!明治維新から150年-日本最強のリーダーシップ・勝海舟の国難突破力に学ぶ

日本リーダーパワー史(348) <まとめ>政治家・官僚必読 明治維新から150年 …

『Z世代のための日本風狂人列伝②』★『 日本一の天才バカボン・宮武外骨伝々②』★『予は時代の罪人なりは超オモロイ!で、マルチ作家、ジャーナリスト、風刺漫画雑誌発行者、明治期最大の百科事典派、パロディストだよ、ホント! 』

    2009/07/12 &nbsp …

『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか>の講義』②<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』②『自民党の裏金問題の無責任・C級コメディーの末期症状!』●『80年前の1942年(昭和17)の尾崎の証言は『現在を予言している』★『『 浮誇驕慢(ふこきようまん、うぬぼれて、傲慢になること)で大国難を招いた昭和前期の三代目』』

     2012/02/24&nbsp …

no image
  日本リーダーパワー史(755)近現代史の復習問題<まとめ記事再録>『日本興亡学入門』/2018年は明治維新から150年目ーリーマンショック前後(20年前)の日本現状レポート(10回連載)ー『日本復活か?、日本沈没か!、カウントダウンへ』★『グローバリズムで沈没中のガラパゴス・日本=2030年、生き残れるのか』

    日本リーダーパワー史(755)  ◎ <まとめ記事再録>『日本興亡学入門 …

★『鶴岡八幡宮の秋の例大祭は10月6日(日)に開催。恒例の「流鏑馬神事」が午後1時から挙行される。』★『鎌倉流鏑馬の動画ハイライト集の一挙公開、アメイジング!?

鶴岡八幡宮の秋の例大祭は10月6日(日)に開催されるが、恒例の「流鏑馬神事」が午 …

『Z世代のための憲政の神様・尾崎行雄(95歳)の「昭和国難・長寿逆転突破力」の研究』★『1942年、東條内閣の翼賛選挙に反対し「不敬罪」(売り家と唐様で書く三代目)で起訴』★『86歳で不屈の闘志で無罪の勝利、終戦後「憲政の神様」として復活、マスコミの寵児に』

2021/10/08オンライン決定的瞬間講座・日本興亡史」⑭』 ★「売り家と唐様 …