日本風狂人列伝(30) 日本奇人100選①南方熊楠、田中正造、淡島寒月、野沢如洋、富岡鉄斎、田尻稲次郎・・・・
前坂 俊之(ジャーナリスト)
いつ出てくるかわからないから用意だけしておきますと、そのうち出てきて 『お前たち、わし今朝からめし食ったかし、自分が食べたか、皆覚えているかと言うのです。『いや、まだ何にも』と言いますと『それは大変だ』 と言いまして……。それぐらい没頭しておりました。夏はここへ蚊帳を吊ってちゃんとしておくのですが、入って寝ていたことがございませんでした。
いつも蚊帳は空のまま残っているのです。はなれの部屋でうたた寝するていどで、夏はたいてい起きていましたね。三日くらいは大丈夫でした。そうなると、こちらへ来てご飯を食べながら、机の下に足を投げて寝るのです、食べながら子供みたいに。書き出したら決して反古にできないのです。破ったりそんなことは一切ないのです。サーッと一気に書くんです、手紙でも原稿でもぶっつけで。書き出したら、こちらへちょっと休みに来ましても二時間ですね、眠るのは。
机の上ではちっとも書かないで畳の上に何にも敷かないで書くのです。若いうちは机にしたり、テーブルにしたりしていましたが、晩年は足の具合が悪いので畳でした、畳に肘をつきましてね。原稿も同じでした。アンパンが好きで、子供にアンパンを配ったりしました。徹夜のときはアンパン六つと決まっておりました」
『エラそうな話ばかりしているくせに、サア鼻水が出ましたよ。こっちへお向きなさい』 と云うと驚いたことに先生は、まるで幼稚園の生徒が先生に叱られた時のようにおとなしくなって、口の所まで垂れ下った二本棒のハナを、すなおに奥さんの方へ向けるのだった。奥さんはフトコロから出したハナ紙で、チンと先生の鼻をかんで、そのまま向うへ行ってしまった。先生はまた元気でしゃべり出した」
12月8日の真珠湾攻撃に感激し、山本五十六大将に紀州ミカンを送るように頼んだ。28日、「天井に美しい棟(オウチ)の花が咲いている。縁の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」と、家人に妙なことをいい、「私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前たちも休んでおくれ」と言い残した言葉が最期となり、翌29日午前六時三十分に萎縮腎亡くなった。大阪医大で解剖されたが、熊楠の脳は平均より百グラム多い千五百グラムであった。
上京には夏なら古浴衣で現われ、身ぐるみ洗濯して主人の衣服を借受けてから面会し、大頭には十五年も同じ麦ワラ帽をかぶっていたという。議員歳費値上げに反対して、ただ一人歳費を辞したことよりは、第一帝国議会以来「馬鹿野郎」「泥棒」「うじ虫」「国賊」と連発した野次で有名だったが元来は美声
風呂帰りの手拭を下げたまま大阪へ行ってしまったり、一円札で六十銭の買物をした釣銭が勘定できぬくせに、好事家に五銭のカスガイを五円で売りつけて儲けたことを得意で吹聴したり、ひたすら好むところに従って生きた泰平の逸民。息子の服装が違うのできいてみたら、三月も前に高等学校に入っていたとか、その息子はまた手紙の上書に「淡島寒月先生侍史」と書いたという達人ぶり。晩年特に玩具を愛して一九二六年没、六十八歳。
一三五七九奇数 二四六八十偶数″『一体これは何のためでしょろ』冨の老年になるまで大方奇数偶数ということを知らないでいて、人から聞いたかまたは何かで見たかして、新知識だと思って書き留めておいたのでしょう』ここで皆が笑った。
晩年浅草雷門前で五銭の玩具を八つ買ったが、財布を見ると生憎五十銭銀貨が一枚なので、翁は大いに狼狽し『またこの次持って来るから』と言っていく度か詑びた、その玩具屋は常花客なのであるから、足りないとて悪い顔をするのではないが、お神さんはまごついた様子で『いえどういたしまして、ただ今おつりを差上げます』とて十銭翁に返した。
翁にはその訳がどうしても解らなかった。傍についていた経子さんにもまたどうして翁がそんなに狼狽するのか分らなかった。『お父さん、あの玩具は一つ五銭でしょう、五銭なら四十銭じゃありませんか』と言うと翁は初めて気がついたように『ああそうだったな、私はまた五八の六十だと思った』と言って大笑いになった」(生方敏郎「梵雲庵淡島寒月翁を憶ふ」中央公論1926年6月号)
三条大橋で出会した婦人の裾さばきに眼をつけて十丁も跡をつけ出歯亀だと巡査に怒られたあげくに一九〇四年中国へ。和服のままロバに乗り孔子廟の階段を駈下りて〝曲垣平九郎″の名をとり、南京では一日千枚の画を描き、大連では四十間の砂上に七頭の大馬を描くなどの腕を見せ、十年後帰国。
文展審査員に推されて受けず、貫災直後洋行、アフリカで黒人に包囲されたり、二八年台湾生者部落を単身訪れて無事帰ったり、冒険と暴力に富んだ一生を送った山水画の大家。料亭で卒倒して1938年没、七十二歳。
議論でも吹きかけて一つ制裁をしてその陣なる心術を匡正してやろうかと考えたのですが、そういう機会も生じません。
そのうち主人は座を外して奥の方へ行きました。如洋氏小便が詰まってたまらんので、便所も知れず、『面倒臭い、そんなに金があるなら、床の間の一ツや二ツは叩き壊わしたって困らんだろう。いわんや、ちょっと漏らすくらいはなんともなかろう』と、たちまち股間を開いて、床の間からかけて、畳へたっぷりと急場の用を便じて蘇生の思いでした。そこへ主人再び入り来り、床の間の水を見て、『これは変だ。さっきまでなんともなかったのに、この水は』と血相変えて如洋氏を視詰めたのです。
ベ夕べタと真黒な人の姿を画いた。「人が電話をかけているところじゃ」と得意そうに笑って返してくれたが、せっかくあね様や花ばかりで椅麗な画帳をつくる心意でいた私は、内心すくなからず不服であった。遊びに行っていて帰ろうとすると、祖父はいつも『いや、何のお愛想もなしに、大きに失礼した』と、まるで大人に云うように慇懃に挨拶するのであった」(富岡ふゆの「祖父・富岡鉄斎」文芸春秋一九四〇年七月号)
実力もこれに伴ったが、風采はきわめて上らず、卒業した子供の制服、夏なら縞のズボン下が三寸も見える兵隊の古服的カーキズボンに渋紙色の麦ワラ帽に手拭を巻き、冬は黒セル詰襟に黒山高帽、竹の皮包握飯を腰に下げ、主義として一里の道を徒歩通勤する姿は、戊申詔書(ぼしんしょうしょ)(明治41年10月13日)当時、明治天皇が日露戦争の勝利で人心が戦勝気分に酔い、次第に浮華に流れるのを戒め、国民、青年の胆を寒からしめたのとまるで同じ。号して北雷(着たなりと訓す)、斗酒も辞せず、牛肉を好み、一日大隈重信を訪うて長靴の中に牛肉包みをしまって上ったら犬が靴ごとくわえ去って大騒ぎしたという。
東京市長をやめてのち一九二三年没、72歳。
そしてアルバベット順でタジリ、タフトと隣り合って席を与えられたものだ。タフトはさすがに大統領になるほどあって偉い男であったよ、我輩とはすこぶる親密な間柄であった。卒業式当日は我輩がクラスの総代で卒業証書はタフトにも我輩が渡してやったものさ、彼が後年大統領の候補に起った時、我輩に相談の手紙をよこした、我輩も彼の友情の厚きに感心して、すぐ返事をやった。
お前は米国の大統領などよりは、もっと偉い人間だ、馬鹿々々しいからやめにした方がいいだろうとね、ところが彼は我輩の忠告を容れず遂に大統領なんかになってしまったから、後には置場に困るようになってしまったアハハハハ』とすこぶる悦に入ったもの」
東洋自由新聞では園公(西園寺公望)を居酒屋へ連れこんで下情を伝え、東雲新聞(しののめしんぶん)主筆としては紅いトルコ帽に印絆纏、火の用心と書いた革のタバコ入れを提げドテラを着て議会に入り、盛夏に某遊廓で浴衣のまま天水桶に飛込み巡査が来て叱りつけたら「裸体なら文句もあろう、着物を着てる以上答められるはずがない」と逆ねじを食わせたとか。キンタマ酒の奇談も残して1900世紀第一年に没、53歳。
紅葉を「江戸ッ子の生れ損い蔵を建て」と評したのなど名高い。外出には斜子の紋付に一楽の小袖というゾロリとした服装で一日中、車屋を待たせ鳥は浜町の筑紫に限るとか、テンプラは横山町の丸新でなけりやとか、贅を並べて通人を気取っていたがやがて出費に苦しみ、毒舌は内攻して閃かず、警句は冴えを失って愚痴となり最後に「僕本月本日を以て目出度死去致候間此段謹告仕候也四月一日 緑雨斎藤賢」と新聞広告して一九〇三年、我親愛なる正直正太夫はヒョツクリ鶴と化した、三十八歳。
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