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日本リーダーパワー史(126)辛亥革命百年(28) 内山完造の『日中ビジネス論』「民間外交力』『前事不忘 後事之師』(2)

      2018/10/16

日本リーダーパワー史(126)
辛亥革命百年(28)内山完造(2)の『日中ビジネス論』『民間外交力』
『前事不忘 後事之師』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 

 
内山完造は大正初めから昭和20年の敗戦以降まで実に30年以上も上海で内山書店を経営し、中国ビジネスを成功させると同時に、日中のきびしい冬の時代に「日中友好の架け橋」を作った稀有の人物である。
100年前に犬養毅らが孫文を助けて、辛亥革命が実現し、その後は日中戦争という最悪の事態に転落していく中で、唯一、その困難を克服して民間外交を推進し続けたキーマンである。

 
その内山は中国各地を訪れ、中国の知識人から庶民まで幅広く付き合い、友情を培い、その体験に基づく中国人論、日中文化論、日本人と中国人の考え方、価値観、行動パターン、文化、風俗、習慣、歴史の違いをつづったエッセイを数多く出版している。
今後、中国ビジネスを展開しようと考えている企業や、中国を理解しようとしている人たちにも、内山のこうした本は大変参考になる。日中コミュニケーション論のいわば基本的な文献、教科書になるものです。
以下で、内山の中国ビジネス、中国理解のポイントを紹介する。
 
内山書店とは・
 
内山書店の中央にある書棚に続いて完造の小さな机がある。
それを中心に何脚かの藤椅子があって、客は誰彼の区別なしに空いた椅子があれば腰をかける。完造や妻・みきのいれたお茶を飲みながら雑談の仲間入り。そこでは日本人も中国人もない。みんなお客であり、サロンの仲間であった。
客が客を呼んで店は繁昌する一方だった。
 
内山はお客さんが金の持ち合せがなくとも欲しい本があれば取寄せた。そんなことから貸売りの客がふえ、日本人、中国人、朝鮮人の区別なしに誰にでも貸売りをした。今のローン販売そのものである。勘定が滞っても請求するようなことはしなかった。そのため信用された客は金ができれば何をおいてもお金を払いに来た。町では日貨排斥運動が吹き荒れていたが、内山書店は平穏そのもので、日中の文化人の交流が続いた。
このサロン雑談から日中交流に役立つ文化活動が誕生している。完造は身銭をきってパトロン的な役割を果たした。内山書店は「私設大使館」であり、完造が「民間大使」とまで言われたのである。
 
内山と魯迅の友情
 
その内山が魯迅と会ったのは昭和二年(一九二七)十月のことである。
大正15年(1925)3月、当時、北京で大学教授をしていた魯迅の学生たちのデモが弾圧され、多数の死者が出た。魯迅も北京から逃れて内山書店の近くに移り住んでいた。魯迅は毎日、内山書店に現れて本を買い内山や友人らと茶席を語らいの場とした。内山は魯迅を心から尊敬し、その出版も手掛けるなど魯迅が亡くなるまで十年にわたって深い友情と信頼を築いた。
 
昭和六年(一九三一)九月、関東軍が満州事変を起こし、日本軍は満州国の建設に暴走した。昭和七年二月、戦火が上海におよんだとき、内山は中国人の友人、知人を安全地帯へ移すために、内山書店の名刺に「この人は私の知人だから、その身元を保証する」と書いて渡して、日本軍の歩哨線を通過するのに便宜を与え、日本の憲兵隊から拘束、殺される寸前の中国人を数多く助けた。いわば、日本版シンドラーの役割をも果たしたのである。
 
その後、国民政府から逮捕状が出た魯迅を内山は同書店や近く日本人名のアパートに匿って親身に世話した。昭和十年、魯迅が病気となり、内山の紹介で、日本人医師が魯迅の診療にあたるが、昭和十一年五月、魯迅は55歳で亡くなった。内山は最後の最後まで親友、パトロン、生命の保護者として魯迅をみとったのである。
 
 
 
           内山語録
 
<第1条>
『よい品物だという信用があれば、客は外国の製品かどうかまでは念をおさない。客はよいのが欲しいだけなんだから』
 
日貨不買運動、ボイコット、排日、反日の空気が吹き荒れたときでも、内山の取引先の老主人は「政治と商売は違う」と内山を信頼して目薬を買ってくれて、内山書店も襲われたり、中国人客が途絶えることはなかった。互いの信頼関係で、強く結ばれていたのである。政治と経済は別、政府と国民は別なのであり、この点のギャップをしっかり認識する必要がある。
 
<第2条>
『ただ、文献を読んだだけの中国研究家が何と多いことか。文章の研究家よりも実際生活した中国論しか信用するな。』
 
 これは今にも十分通用する教訓である。現在の中国論の大半も内山のいう実際生活のない感情的な反中本である。
「文章に表現された中国の文化は、決して実際生活と同一物でなく、実際生活は実際生活として別に存在する」、その実際生活という現実を無視して中国を見るが故に、観念的で抽象的な「支那論」になってしまうと、第一の著書『生ける支那の姿』で中国生活体験の長い内山は言いきる。
 
「日本の支那研究家の大部分が(左派も右派も)ただ文章文化を研究するのみであって、生活文化を具体的に観察し、研究されている人は殆んどいない。少なくとも私はまだそういう人にお目にかかったことがない」。
 
 「日本の研究家は文章でなければ-文献でなければ信用しない。それが如何ほど確かな事実であっても、文献にない事実であれば見て見ぬふり、聞いても聞かぬ振りをしてしまう。 

私が見たとか、事実存在しているというよりも、何々の書の第何節にどう書いてあったかということが、確められなければ信用できぬというのが日本の研究家の態度である。(中略)中国の文章なるものは、既に実際の事実から離れて、高く昇天しているものであり、生活の所産でなく頭脳の所産であり、有閑文化の精とでも称すべきものである。これのみによって中国を知り、中国人を解し得ようとするならば、それは全く滑稽なことである」

 
 
<第3条>
 『儒教はすでに中国ではすたれてしまっているのに、日本では実践倫理の基準として日本人を自由を拘束している』
 
 儒教の受けとり方の日本と中国の相違を挙げている。儒教の本家である中国においては儒教はすでに観念的抽象的存在物と化してしまっているのに対し、それを移入した日本では実践倫理の基準となって人間の自由を拘束しているという事実である。内山は中国に行ってそれを知ったが、魯迅は日本に来てそれを知った。
 
魯迅が日本に留学した時、牛込の宏文学院入学早々、宏文学院の教師は得々として、諸君は儒教の国から来た学生だからといってお茶の水の聖堂(孔子廟)に引率、参詣させられて、魯迅の方がその時代錯誤に面喰ったという。
内山の言う日本の中国認識が如何に現実を無視したものかということのこれは好個の例証になるであろう。(小泉譲『評伝・魯迅と内山完造』五月書房、1989年)
 
 
<第4条>
『中国人、朝鮮人に対してはいわれなき排外的差別、オゴリは、本質的には日本人の自信のなさの表明である』
 
日清、日露の戦争に自力で大勝したと信じこまされていた日本人のうぬぼれが、中国を一段、低く見、中国人を軽視する風潮をうみだしてしまった。それが当時の知識階級を含む大方の日本人がもっていた中国観である。
 
仙台医学専門学校における魯迅が、中国人であるというだけのことで不当に軽視されたことに共通する。魯迅が学年試験に好成績で合格したのを見た多くの日本人学生は疑いをもち卑劣極まる方法で調査までしたという。これは中国人蔑視の差別的風潮がうみだした象徴的な事件であった。魯迅が西欧からの留学生であったなら絶対に起こり得ることではなかった。 

彼が「愚かなシナ人」であったが故に蒙ったいわれなき排外的差別なのである。西欧人に対しては排外思想があり、中国人、朝鮮人に対しては排外軽視の思想があった。だが、これは本質的には日本人の自信のなさを表明するものであり、劣等感の矛盾した1つの顕われ以外のなにものでもないのである。(小泉譲『評伝・魯迅と内山完造』五月書房、1989年)

 
 
<第5条>
『富は決して私すべきものではなく、社会へ還元せよ』

 「自分の努力はただその土台を成すものであって、社会条件の変化というものが実際には太らせる大きな力であると思うのである。だから富というものは社会に負う処が多いのであって、決して私すべきものでは無い。 

誰でも富を私して平気でいられるのは、その富の成功を自分の努力によって得たものと、全く社会条件を無視した教え方をしているためである。自分の努力に社会条件が加わって成功して富を得るものであることを知らせさえすれば日本人は決して富を私する人間ではないのだ」


 クリスチャン的な思想を持った内山はいろいろな文化事業や自然災害に対する救済事業などには積極的に参加して「儲けた金」を吐きだした。
 
<第6条>
「商売には先ず捨石を打つことが第一歩」
 
谷崎潤一郎が上海を訪れて、三井銀行の支店長に中国の作家に会いたいと頼んだが、かなわなかった。支店長は内山にお願いした。「よし、よし」とばかりに引受けた完造は内山書店の二階に谷崎潤一郎を招いた。集ってくれた中国作家は、郭抹若、田漢、郁達夫、唐林、謝六逸、王独清らいずれも日本留学の経験のある日本語を解するものがほとんどだった。 

この時、完造は精進料理で有名な「禅悦斉」から一卓を運ばせて歓待した。これも完造が身銭をきっての日中文化交流であった。内山の商売の基本は「商売には先ず捨石を打つことが第一歩」であるという信念。その後、谷崎潤一郎は「上海交友録」の中で内山書店を紹介してくれたので大いに宣伝になり、谷崎に対して感謝をした。(小泉譲『評伝・魯迅と内山完造』五月書房、1989年)

第7条
『私の貸売りからも中国人はウソをつかない。相手を信用することだ』
 
「私は本屋を始めまして今日まで21年になりますが、初めから一遍の面識もない、しかも上海に住居しておらん支那人に貸売を始めました。日本人にお貸しするのと同じ様に貸売を始めました。
今日も四川省の奥からただ手紙で証文が来て送っても代金引換とか前金でない場合に送りますが、個人に対して送りますが、今日まで私の店がそれによって潰れないということが、支那人が嘘をいわんという証拠だろうと思います。
私の友達の土屋計左右と云う人が17年間上海に居りまして「支那経済の研究」という本を残して行きましたが、その序文に「私十七年間上海の三井銀行にお
った、その間何億円という為替の売買をした、しかしその売買の決算を滞りなくした者は支那人あるのみである」と判然書いている。(「新天地」〔大連発行の邦字雑誌〕1938(昭和13)年)

 

 
 
 

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