日本の「戦略思想不在の歴史⑯」―『元寇の役のヨーロッパ史での類似性』●『元寇の役では西国だけでなく東国からも武士たちが加わって、日本全体が一致協力して戦い、初めて国家意識が生れた』
日本の「戦略思想不在の歴史⑯」
元寇の役(1254年)では2度にわたり、元軍の大軍団による侵略を防いだ。ユーラシア大陸のほとんどが蹂躙された中で、唯一守った。
それから約600年後も19世紀にイギリス、フランス、ロシアなどの西欧列強がアジア侵略の手を伸ばす中で、これまた日本だけが独立を守り抜いたのである。
この元寇の役に匹敵する例は、ヨーロッパ史ではワールシュタットの戦い(ドイツ語)レグニツァの戦い(モンゴル語)がある。1241年4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍がポーランド・ドイツ軍とポーランド西部のレグニッァで撃破した戦争である。
ワールシュタットとはドイツ語で「死体の山」を意味するほどの壮絶な戦いとなった。文禄の役(1254年)では「骸骨、野を覆う」というほどの『むごい』(蒙古)戦争になったのと同じ殺戮戦であった。
モンゴル帝国の第2代皇帝オゴデイはすでに占領していた中央アジアのホラズム帝国、黒海沿岸のグルジアから西方遠征軍(5万のモンゴル戦闘兵と2万人の徴用兵、漢族、ペルシャ人兵士を動員)従えて、キエフ大公国、ルーシー諸国をまず滅ぼした。
1241年3月12日に同遠征軍はハンガリー王国に侵攻した。各地で勝利をおさめた後、モンゴル軍は部隊をふたつに分け、北上させてポーランド中部へ進撃、3月中旬、クにクラクフ公国のボレスワフ5世はポーランド軍が敗れたため、モラヴィアまで避難、モンゴル軍はクラクフに到着したが、ほぼ無人となっており火を放って、ポーランドの大部分を制圧した。その後。各地の軍勢が集結してきたドイツ・ポーランド連合軍との間で、ワールシュタットの大会戦となった。
ポーランドのヘンリク二世率いるドイツ・ポーランド連合軍は封建騎士、民兵や徴用された歩兵、ドイツ騎士団、各地の騎士団ら総勢2万5千。一方、モンゴル軍は2万。
モンゴル軍の騎兵戦術の常道作戦によって攻撃と偽装撤退を繰り返し相手を混乱させ、煙幕を焚き敵軍を分断して、挟み撃ちにするもので、逃げるドイツ・ポーランド連合軍を追撃して皆殺しにした。これら三つの戦闘で15万人もの戦士を殺戮したといわれる。
ポーランドを席捲したモンゴル軍は一時オーストリアのウイーン近辺まで進撃したが、モンゴル皇帝・オゴディーが急死したために、撤退した。
ワールシュタットの戦いはモンゴルの侵攻に対して、東ヨーロッパの命運を決した、悲劇の戦いとなったが、モンゴル軍の撤退によって、これ以上の「西ヨーロッパ」の侵攻は中止された。
ドイツ・ポーランド連合軍は敗れたとはいえ、モンゴル軍を撤退させたのだから、その奮戦,健闘は大きなものがあった。
一方、元寇の役もいささか類似している。
二度にわたる蒙古来襲を阻止できたのは、日本の武士の勇敢な行為というよりも、絶好の機会に介入した自然の威力、台風によるところが大きかった。
日本のモンゴル襲来は2度とも台風によって阻まれた。実際の戦闘は日本側の敗北が濃厚だったが、大草原や陸上での騎馬戦闘にたけていたモンゴル軍も、海上の戦闘は未経験で弱かった台風、低気圧による強風、で夜間に戦闘から引き上げた軍船が互いに衝突、破壊されて沈没したためにモンゴル軍が一斉に引き上げたうえでの翌日、「博多湾から一斉にモンゴル軍船団は消えていた」と文献にある。日本側の辛勝であり、ラッキーだった。そのため、この強風、台風を「神風」として、祭り上げたのである。
だが、武士たちが死力を尽くして戦ったことには議論の余地はない。
『仮にも、武士たちに取りたてていうほどの功績がなかったと考えるならば、わが祖先の栄誉ある武勲に泥を塗ることになろう。いずれにせよ、日本が蒙古艦隊を壊滅させたことは、三〇〇年後にイギリス人がアルマダの無敵艦隊
を破ったことと同列に考えてもよい歴史的な偉業である。
この日英両国の記念すべき勝利は、参戦した武士や兵士たちの恐れを知らない勇気と、当時の国家指導者の不退転の決意によるものだった。」と原勝郎博士の『日本通史』祥伝社(2014年)で述べている。
同書は「元寇の役」のその後の日本史への影響としてーー
- この外圧によって日本の国家意思が統一されたこと。
- 鎌倉幕府が誕生した時点では、まだ国家の統一が本州の北端にまで及んでいなかった。
- 元寇の役では西国だけでなく東国からも召集した武士たちが加わって、日本全体が一致協力して外国の侵略者と戦った。
- 日本全国から集まって来た人々が国を守るために協働したのは、武家政権の樹立以前では見られない光景であった。
- 元寇の役で初めて国家が団結する必要性を感じるようになった。
泣く子には「蒙古が攻めてくるぞ」と脅して黙らせる習慣は、全国すみずみまででほんの70年前まで続いていたが、蒙古の恐怖がいかに全国民を骨の髄までしみ込んでいたかを示すものであろう。
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