★『明治裏面史』/『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊾★青木大佐の『特別任務班(鉄道破壊工作)』★『横川省三班は横川、沖ら2人がロシア側にみつかり銃殺刑、4人も惨殺された』
2017/08/15
★『明治裏面史』/『日清、日露戦争に勝利した
明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,
インテリジェンス㊾★
いよいよ開戦が近づくと、児玉源太郎参謀次長は北京公使館に山根武亮大佐と交代させた青木大佐を、その補佐官として坂西大尉を保定に送こんだ。立花小一郎中佐
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B0%8F%E4%B8%80%E9%83%8E
にかわって、新に佐藤安之助大尉を北京の補佐官として支那通の面々の陣容で固めた。
青木は後方概乱の任務達成の「特別任務班」(日本人決死隊)を編成し応募中50名を採用した外、馬賊を利用して、合計71人の特別任務班を結成し、一月中旬、張家口、熱河、錦州、赤峰などにメンバーを派遣した。
大体の編成は七個班(実際の行動隊は五個班)であった。
- 第1、2斑12人の目的はハイラル、チチハル鉄橋の破壊。本斑は赤峰まで行き同地北方馬丹城より伊藤班新第1班と横川班新第2班とに分つ。
- 第3斑(津久井大尉班)ハルピン鉄橋破壊を予定したが、警戒厳重の報告があり、中止し長陽を経て、その東方牡丹台の鉄橋破壊に変更した。
- 以上は鉄橋破壊の任務で各六名よりなり、合計十八名である。
- 第4班(井戸川辰三班、第五5班(橋口準)は共に馬賊操縦、敵後方の撹乱に任じた。
正式の班別は『伊藤大尉の第一班』「横川、沖の第2班」「津久井の第3班」『井戸川の第4班』『橋口の第5班』である。
各班共に支那服を着て支那語を用いるが、それだけでは充分、身を匿すことができないため袁世凱の同意を得て、衰軍兵営より各班へ下士官以下5、6名を配属することとなり、袁世凱は六十名の間諜(スパイ)を派遣した。
大本営は開戦と同時に敵の利用する電線の破壊作戦を下命した。
二月上旬、大本営は青木大佐に命じ、北京より蒙古を経てペテルスブルグに通ずる電線を破壊するため、先ず八達嶺(北京西北方張家口附近)の電線破壊を命じた。
大本営は旅順を孤立させるため、大石橋附近の電線破壊を予定し、一月十日すでに児玉参謀次長は在錦州の川崎大尉に命じてこの可否を問合わせ、後ち破壊準備を命じ、いよいよ動員命令と同時に2月5日、破壊を実施した。
このため6日、仁川の海戦は8日旅順沖の海戦当時まで旅順のロシア軍に知られることなく、7日になっても旅順ロシア軍司令部は日本の攻撃を全く知らずダンスパーティーに酔いつぶれていたという。緒戦成功となった。
各班の行動経過概要について
第一班と、沖 禎介(おき ていすけ、)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%A6%8E%E4%BB%8B
横川省三(よこかわ しょうぞう、)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E7%9C%81%E4%B8%89
の両班は明治三十七年四月上旬すでにハルビン以西におり、鉄道破壊に従事し、井戸川、橋口、津久井、花田、宮内の各班は、同年六月上旬頃より活動を始め、遼陽、戦後には遼西に召集したものは解散し、専ら遼東より召集することに方針をかえて、これを『満洲忠義軍(義軍)』と称した支那馬賊隊は、七月頃より翌年にわたり漸次、活動を活発化した。
井戸川辰三少佐、
橋口勇馬少佐http://spysee.jp/%E6%A9%8B%E5%8F%A3%E5%8B%87%E9%A6%AC/10096311
花田仲之介https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%94%B0%E4%BB%B2%E4%B9%8B%E5%8A%A9
等の各班の報告は、各々67回にもわたりあったが、その中で有力な情報も少なくなかった。
その一班に属する横川省三、沖禎介、松崎保一、中山直熊、脇光三、田村一三の六名の任務は、北京を出発して、内蒙古を縦断し、敵の後方に潜入し、東清鉄道のん江の鉄橋を爆破する。
また随時鉄道を破壊して、敵増援軍の南下を阻止し、随所に軍用電線を切断して露軍相互の連絡をたつ、というのであった。
この一行には、吉原四郎、前田豊二郎、大島与吉、森田兼蔵、岩村竜雄などの他班軍も加わり、これを現役の伊藤柳太郎大尉が指揮をとった。
横川ら12人は支那商人の服装をし、駄馬に銀塊五百元の入った袋(旅行中の資金)と爆破用の黄色薬の火薬・導火線・雷管等を入れた箱、それに小銃を布で巻いて弾薬と共に天幕などと一緒に梱包し、商品の雑貨類の奥に隠し持っていた。
総勢十二人は蒙古人に変装して、北京を忍び出たのは、一九〇四年(明治三十七年)2月21日であった。吹雪の中を28日にカラチソの王宮に立寄り、更に烏丹城につき二斑にわかれた。伊藤班はハイラルへ、横川班はチチハルへ。
チチハルの鉄橋爆破に向かった横川班は敵に発見され、横川と沖は銃殺された。
あとの四名(脇光三、松崎保一、田村一三、中山直熊)は、かろうじて逃げたけれども、けっきょく、味方についていたはずの馬賊に殺されたのである。
この横川班について、もう少し具体的に述べる。
吹雪や寒風に難行をつづけた横川斑は、ようやく興安嶺山脈に辿りつき、そこから東北方に深くはいり込んで、予定の日を過ぎた4月11日夕刻、チチハル地帯、東清鉄道トルチハ駅の西南、季家地房子という地点に到着した。
この地は、廃残家屋四、五戸が点在する砂丘の麓である。彼らは参謀本部作製の地図を頼りに、現地点の位置をたしかめたうえ、爆破決行の個所を物色した。北方の鉄橋を爆破目標と定めた。四十数日の難行で、食料も乏しくなっていたが、残りをよせ集めて栗がゆを炊いたのが最後の晩餐であった。
翌未明、松崎、由村、中山、脇の四人は、偵察に出かけた。折しもこの朝、トルチハ駅に西部護路軍を駐屯させて、沿線の警備にあたっていた司令官メジャーク大佐の題下、騎兵第二十六中隊のシロネバロフ中尉は、部下のコザック騎兵ゲジン軍曹に沿線の巡察を命じだ。
軍曹は五人の兵をひきつれて、二南下すること六キロ、夜も明けきったヤール河畔に、前日までなかった天幕ができている。彼らがこれを不問に付すはずはなかった。
近づいてくる馬蹄の音をきいて、横川と沖は、偵察に出た松崎たちが帰ってきたものと思い、のぞいてみるとコザック兵である。これが運のつきであった。
携帯品からは、攣曲した大歯の鋸や、強烈性の爆薬が出てきたので、ゲジン軍曹は横川、沖の二人を逮輸して、シロネバロフ中尉に報告した。
中尉の訊問を待つまでもなく、すでに観念した二人は、いままでの経過をすべて自白したので、敵国間諜の名目でハルピンの軍法会議で審判された。
「トルハチ駅付近において逮捕した日本人横川省三および沖禎介は、導火線、爆発薬、電線道路破壊機、強烈な綿火薬1、ブート半および蒙古、満州、北鮮方面の精密な軍用地図を携帯していた。四月二十日、臨時軍法会議において坂調べたところ、右両人は、日本軍の成功を補助するため、わがロシア帝国唯一の交通機関を爆破し損害を与えようとした。
もう一日の猶予を与えたならば、おそるべき大損害が生じたことは必定である。その国籍をかくすため、蒙古服に変装して深く満州境内に侵入し、東清鉄道トルチハ駅を去る三十露里の地点において発見された重大犯人なることが判明した。その犯罪行為は、陸軍刑法第二章第281条にてらし、横川および沖二名を絞罪に処す」
通訳がこの判決を読みきかせたところ、二人は自若として顔色を変えなかった。グロハトキン司令官の坂計らいで、絞罪は銃殺に代えられ、十二名の銃手の一斉射撃のもとに、横川省三は左に、沖禎介は前に倒れた。明治三十七年四月二十一日午前六時、横川は四十歳、沖は三十一歳であった。
後に惨殺された松崎、田村、中山、脇の四人も含めてハルピン南方の郊外に、「日本志士の墓」と刻まれた石碑が建てられた。
<以上、引用は谷寿夫『機密日露戦史』(281-291P),渡辺龍策「近代日本民衆交流外史」雄山閣 1981年(81-82P>
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