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日本リーダーパワー史(244)明治日本の「諸葛孔明」ー空前絶後の名将・川上操六(30)

   

 
 日本リーダーパワー史(244)
 
<歴史は結果論からみては間違う場合がある。サッカーの試合同様、戦争もやっ
てみなければ勝敗はわからない>
 
明治日本の「諸葛孔明」というべき川上操六(30)
 
前坂俊之(ジャーナリスト)
 
明治のリーダーの大多数は、清国、ロシア、西欧列強の超大国を前にしてその圧倒的な軍事力、国力、外圧に怖れおののき、日本全体が敗戦ムードに入りつつあった。
その時、陸軍参謀総長川上操六は日本が侵略される「最悪のシナリオ」を想定し、軍事力の増強につとめて「あらゆる危機から目をそむけず」清国、満州、シベリア、ヨーロッパ、ロシアに情報網を張り巡らせ、的確な情報収集と諜報に基づいて、断固たる行動をとり、先手必勝で日清、日露戦争での勝利の礎を築いたのである。
「最悪を怖れず、準備した」稀有のインテリジェンス・リーダー・川上操六のおかげである。仰天の日清・日露戦争裏話。

 
 
3の敗戦へ、亡国の混乱、混迷へ
 
3・11から1年になる。原発事故の収束は全く見えていない。廃炉までに約50年、放射能による低線量長期内部被曝が国民にどのくらいの被害をもたらすのかも見えない。福島、日本を舞台にした人類史上初めての目に見えない静かなる放射能との長期戦争がはじまったのである。これに加えて人口大減少、超少子超高齢化、国の大借金という4重苦に日本は襲われている。もはや第3の敗戦が必至の情勢で、カウントダウンが始まっている。
この未曾有の3・11国難を経験して、私はこれまで頭では知識としてわかっていた「日本病」=死にいたる病=が再発してきたことを強烈な震災、原発事故被曝体験から実感できた。今の日本の混乱、混迷、亡国の惨状はこの日本病の再発によって日本全体が冷静、合理的な判断ができない入院患者となっている状況に等しい。この150年の歴史の中で幕末の崩壊混乱期、大東亜戦争の末期的な状況と同じ敗戦期のプロセスである。
 
日本民族にとっても中国、韓国、アジアの多数に人々にも歴史上最大の悲惨事となったわずか70年前の大東亜戦争のきちんとした総括さえ、自らの手で行わず、責任者も追及せず、裁かず、忘れ去ってしまう国民性こそ『日本病』正体そのものである。この恐るべき遺伝子を自らの免疫性によって徹底治癒できなければす、再発することを防ぐことはできない。
何度でも負けるのは、自らの手で変ることのできない、自己改革、変革できないのが『日本病』の症状なのである。
 
その不治の病『日本病』の正体とは一体何なのか。
 
それは『危機の正体』をはっきり見つめて、徹底的に情報分析して、対策を立案し、断固として実行にうつすというインテリジェンス(叡智・情報能力)と行動力の欠乏である。
最悪のシナリオを想定しない。それも恐ろしいから目をそむける。見て見ぬふりをする。目をつぶる。考えない。思考停止する。危機を先送りする。来ないことを祈る、神頼みする。確実にくる危機を想定外として、なにも対策を立てない病気である。
かっての国難、例えばも約800年前の蒙古襲来のときに、当時の鎌倉時代の北条幕府は各寺社に対して「元軍が襲来しないことを祈願せよ」と命令を発して、神頼みする一方、元との交渉にもいっさい応ぜず、北条時宗は問答無用と元の使者を切り捨てて交渉を拒否した。
今から150年前のペリーの黒船来航に対して、どうだったのか。日本の外交交渉、今回のTPPの交渉の先駆例として参考になるが、
黒船来航10年前に米国が日本に開国を促すため艦隊を派遣する情報は当時ヨーロッパで普及していた新聞によって報道され、オランダ国王から「アメリカが日本の開国を求めて艦隊を派遣する」との情報が将軍あてに寄せられた。これに驚いた幕府の老中は一体何もやったのか。危機対策としてさらなる情報収集と対策を協議すべきなのに、オランダ国王に『そんな不吉な情報はいごおことわり」と情報伝達を拒否、比叡山その他の代表的な寺社に「黒船襲来拒否」の神仏祈祷を命じたのである。

そして、危機に目をつぶり、問題先送りしてしまう。外交交渉の拒否、ひきこもり、鎖国体制による「見ざる、言わざる、聞かざる」という日本病そのものである。そして、10年後に予告通り、ペリー艦隊は1853年6月3日に浦賀に来航して、国内騒然となっても、どう対応してよいか分からない。混乱状態が続いたのである。
日本人は危機情報を不吉と感情的に判断して、合理的、科学的に思考しない傾向がある。

国の運命を担う政治家、リーダー、知識人にとって、国家の防衛、安全、運営の問題についてはあらゆるケースを想定して対策を立てることは最低必須条件である。そして、断固行動することが任務なのである。

 
今回の地震、原発事故で露呈された政府、官僚、学者、知識人の「想定外の論理」こそ、『日本病』そのものである。もともと[想定外]というのはインチキである。近代人として不可欠な科学的、合理的、論理精神の欠如であり、思考の停止である。クリーンエネルギーなんて放射能被害を考えれば、クリーンでも安全でもない。
 
事故が100%ないと想定外として目をつぶって,世界の巨大地震津波の70%が集中する国土の狭小の地震危険大国で、わざわざ海岸に集中的に原発を立地して、それもスリーマイル、チェルノブイリの2度の事故を経験しながら無視する。考えない。想定しない。「日本の科学技術はアメリカ、ロシア以上なので、あのような原発事故はありえないとする」「想定外とする論理」は、理解を絶していると言える。はっきりいえば世界史上にない空前絶後の大バカものということだ。
 
『日本病』とは[想定外の論理]―近代人としの科学的、合理的、論理的思考の欠如
 
しかも、事故後1年を経過するが、政府の早すぎる事故収束宣言といい、目に余る犯罪的な情報隠しといい、被災住民の放置、復興の遅れ、今後おきてくる放射能の内部被曝への取り組みの鈍さなど、近代民主主義的な国とはいえないテイタラクである。民主主義とは何か、法治国家と何かもしらない政治家、官僚、国民どぁるころを露呈している。すべての面で、原発自爆事故の敗戦による混乱、混迷が一段と深刻になってきていると言えるだろう。
同時に「日本病」の再発といえば、「人口急減、超少子超高齢化」も想定外ではありえないではないか。1980年代から遠からず人口減少は何度も指摘され、少子化、超高齢化も赤ランプの警告が回っていた。
 
1200兆円に迫る財政赤字の垂れ流し、倒産の危機迫るもバブル崩壊以後、世界中から警告がでており、「わかっちゃいるけどやめられない」「みんなで借りれば怖くない」と国民1人当たり800万円をこえる借金ずけ、サラ金の贅沢を今も続けているのだから、日本倒産は想定外どころか、目前のイタリアの豪華客船の沈没と同じく差し迫っていると言えるだろう。
 
こうした、「第3の敗戦」迫る、自滅国家の亡国状況が日日進行している状況の中で、いま一番必要と思うのは、幕末明治以降の近代日本歴史のなかで危機対応力、想定外、敗北の論理ではなく、想定外をせず、最悪もすべてを想定して、戦略を組んで危機突破したリーダーに学ぶことであろう。
 
「日本病」にかかっていない明治トップリーダーが『坂の上の雲』の奇跡を起こした。
 
明治の大躍進『坂の上の雲』の奇跡を起こしたのはそのような「日本病」にかかってなかった明治のトップリーダーたちである。黒船到来以後に徳川幕府はこの外圧で国内は騒乱状態になり、明治維新となった。いわば1900年のグローバリズムに翻弄された日本丸が沈没したのである。
 
次なる外圧、グローバリズムは西欧列強のアジア、中国、韓国、日本の植民地獲得の砲艦外交の襲来である。これに危機感を持った明治のリーダーたちは日本の独立を維持するために開国して、各国と国交をむすび、西欧に学び「富国強兵」「殖産振興」をスローガンに「坂の上の雲」を目指したのである。
 
そして、「日清戦争」(明治27年)「日露戦争」(同37,38年)を戦い、日本人だけでなく、世界中の人々の事前の予想を完全に覆して、奇跡の勝利をおさめたのである。
サッカーの「ワールドカップ」にたとえれば、初出場の世界で無名のランク外の小国日本が、いきなりトップの国をやぶったのと同じである。2年前のワールドカップで岡田監督率いる男子の日本チームが事前の1回戦敗退を予想されたなかで、準決勝まで勝ち進んだのと同じで、日本の存在が世界の目にとまったのは日清、日露戦争に勝利したためである。
 
稀有のインテリジェンスリーダーの陸軍参謀総長・川上操六
 
 
その小国日本の躍進のカギを握った監督は一体誰だったのか。司馬遼太郎の『坂の上の雲』では秋山真之兄弟、東郷平八郎らに重点が傾いているが、当時の日本で稀有のインテリジェンスリーダーで危機突破力のあった陸軍参謀総長・川上操六の存在が全く忘れ去られている。
 
川上こそ最高のインテリジェンスの持ち主だが、川上の伝記本はこの100年で徳富蘇峰によるわずか1冊しかない。川上は日本の10倍以上の陸軍世界最強国・超大国ロシアの侵攻を打ち破るため、『日本のモルトケ、諸葛孔明』となって獅子奮迅の活躍を、一切秘匿して静かに潜行して、その大参謀力を果たした。
 
当時、明治のリーダーたちの大部分も中国、ロシア、西欧列強の大国を前にして、その強圧、威圧に怖れおののいて右往左往し、日本全体が敗戦モードに入りつつあった時、川上率いる陸軍参謀本部は「最悪のシナリオ」を想定し「あらゆる危機を想定外」とせず、世界に情報網を張り、的確な情報収集と諜報によって、断固たる行動をとり先手必勝で日清、日露戦争で危機突破に勝利したのである。川上のくみ上げたインテリジェンス戦争のおかげである。
 
 
明治のリーダーが直面した国難とは『西欧の列強に植民地にされる寸前のアジアの小国日本』の恐怖であり、亡国への恐怖である。西欧の圧迫から世界にデビューしたばかりの貧乏小国日本をどう守るのか、ロシアの侵略からどう国を守るのかーという日本の歴史上でみても元寇の役に次ぐ最大・最恐怖の難問・国難であった。現在の国難と比べて、どちらがより深刻な問題であったのかは、言うまでもないであろう。
 
 
その問題解決のためで明治のトップリーダーの立てた国家戦略が『富国強兵』である。当時のグローバルスタンダードは経済力ではなく、今のソフトパワーなどではもちろんなく、軍事力で経済をかちとっていく領土拡張の砲艦、脅迫外交の帝国主義時代なのである。

まず、戦略として
ヨーロッパに視察団を派遣して、特にドイツの軍政に学び軍事戦略、最新軍事技術を導入し、教官を招いて陸軍大学で士官となり教育してもう。これによってメッケル少佐が招聘された。
雇い外国人を3千人以上を高給で招へいしあらゆる分野でトップにして学び、教育してもらい、思想、技術を取り入れた。当時は英国の大学での教科書をそのまま使い、授業もネイティブの英語、ドイツ語で教えていた。今のような日本人教員ばかりによる日本語による講義が制度化されたのは大正中期以降である。今の移民受け入れ拒否の姿勢とは大違いで、外国人頭脳の導入、必死の勉強が成功につながった。
日本の政治、行政、官庁の仕組みも西欧のシステムを導入して、日本流に改革、現実に合わせと組織を次々に変えた。問題解決能力のもつ強い組織づくりをトップダウンでおこなった。現在の各省庁の既得権維持に政治力が全くメスを入れられないという無力なリーダーではなく、危機突破力、強力なリーダーパワーを持っていたからこそ、西欧以外の有色人種の国で歴史上、はじめて西欧大国をやぶり、侵略を食い止めることができたのである。戦後のマルクス的な歴史観である左翼右翼史観、侵略史観をはなれて、冷静客観的に見て行く必要がある。
 
では、日本最大の行政組織であった陸軍で、いかに戦いに勝利する組織づくりを行ったのか、川上、桂太郎、児玉源太郎の陸軍三天皇のリーダーシップとチームワークを見て行こう。
これは韓国サムスンなど世界的巨大企業の勝つための戦略とまったく同じものである。今の民主党の前近代的な鵜合集団、私利私欲共通派閥集団(決して政治理念を共有した、政治リーダーの集団ではない)や鳩山由紀夫、小沢一郎、菅直人らのトップリーダーの国益・国民益をそっちのけの派閥・党派抗争、多動性バラバラ無思考症候群的行動とはまるで違う。
 
 
  川上こそ「日本の諸葛孔明」、日本戦史上、最高の軍師、戦略家
 
川上操六が参謀本部次長(実質上の参謀本部トップ)となったのは、前後2回ある。2回目は明治22年から日清戦争を広島大本営で明治天皇の側で全軍指揮して勝利し、そのご31年(日露戦争の6年前)までの10年間にわたっており、次なる日露戦争に備えて川上の才能はフル回転して、勝利の方程式をつくり燃え尽きて死亡する。川上こそ日本の諸葛孔明、日本戦史上、最高の軍師、戦略家といって間違いない。
 
川上は明治18年6月、ドイツより帰朝すると陸軍少将に進み、すぐ参謀本部次長になった。
明治維新によって開国した若き日本は国内戦争に明けくれ、西南戦争(明治10年)という国内最大の内乱事件を何とか乗り越えたが、陸軍は対外戦争など想定外の体制であり、参謀本部など陸軍の片隅の存在だった。
 
明治11年末、ドイツ軍政を研究して帰国した桂太郎の献策により、陸軍卿山県有朋はじめて参謀本部を作り参謀機関の独立をはかった。
最初の参謀本部の組織は、管東・管西の二局制。陸軍省は軍事行政を担当、参謀本部は作戦計画をつかさどり、監軍本部は検閲、教育を分担し、鼎立した。
明冶十七年、大山陸軍卿一行、川上操六、桂太郎を次期リーダーに据えて、教その教育と戦略立案をさせるためにヨーロッパを1年間にわたり視察、研究してきた。
 
大山一行の帰朝後、ドイツより招へいしたメッケル少佐に諮問して、新兵制の調査に着手。川上が先輩であり、同僚である薩摩、長州の諸将官を超越して参謀次長についた。
同時に、軍政についたのは桂太郎である。この2人の間でその足らざるところを補い、軍制改革に貢献したのは川上の後輩で参謀本部第一局長・児玉源太郎大佐である。
 
明治19年3月、児玉大佐が臨時陸軍制度委員長のなると、桂、川上とも審査委員となり、問題は3人でともに協議した。これより、川上、児玉は参謀本部にあり、桂は陸軍次官として陸軍省を牛耳り、3人コンビで兵制と軍政の一体改革が急ピッチにおこなわれた。
 
その改革の主なものは
 
 陸軍省の官制を改革し行政機関の統一と事務の整理
 フランス式からドイツ式へ兵制の基礎を改革した
 監軍部を復活して、教育軍政の統一と改善を図った
 鎮台を廃止して、師団をもうけて、国軍の編制を変えた。
 参謀本部条例を改正して陸海軍両部の併置の制度を排して軍令機関を統一
 陸軍の経費機関を改正、徴兵令、給与令、その他で経費を削減した。
 ドイツの兵站制度にならい兵站条例を創設して兵站機関の運用を図った。
 
 
川上の第2次参謀次長時代
 
明治22年3月、陸軍参謀本部条例が改正されると、川上は近衛歩兵第二旅団長から、再び次長になり、陸軍中将に昇進した。時に川上は43歳。川上は満を持して、全知全能を傾けて、インテリジェンス戦略を練りに練って帝国陸軍の大発展の原動力となった。

日本の10倍以上の陸軍最強国・超大国ロシアの侵攻を打ち破るため、まさしく『日本のモルトケ、諸葛孔明』となって獅子奮迅の活躍を、一切秘匿して静かに潜行して、その参謀力を果たした。そのため、政治家のように国民に広く認知されることはなかった。

 川上はヨーロッパ視察、ドイツ陸軍参謀総長・モルトケに弟子入りしてその戦略を学んで自家薬籠中のものにした。

明治27年になって日清戦争が勃発すると、川上の采配よろしく日本軍は連戦連勝で清国を打ち破り、アジアにおける日本の躍進を世界に示した。それは偶然のたまものではなく、川上の用意周到な準備と、桂、川上、児玉の三本の矢、文殊の智恵、日本のトップリーダーたちのインテリジェンスの賜物であった。

 
桂太郎(日露戦争当時の総理大臣)は自叙伝にこう書いている。
 
『陸軍内部の改良、各種の改革できたのは第一に私が登用された後、大山陸軍大臣の信任を受け、山県伯(有朋)の信用を得た事にある。あわせて川上、児玉両少佐と心と一にし、私をすてて公に奉じる決心により、この結果をおさめることができた。
また明治17年に川上少将と同室中でほとんど1年間のヨーロッパ視察で寝起きを共にした結果、相互に協力することがなければ困難であった。また児玉少将の鋭敏にして、我が主張に賛成し、中において自ら難局に当たりて事の整理をできる基礎を作ってくれなければ、また1の困難を感じたであろう。

これらの数種類の原因が融合して、この事を成し遂げることができたのは第一にはわが帝国陸軍の幸福の本となり、第二にはわが当初からの目的が、達成できたのである。将来のためにここに記述し置くことは、最も必要ことなりと信ず。」
この日本興隆の基礎を打った明治のトップリーダーのおかげで、今日があることを忘れてはならない。
 

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