★10最重要記事再録/日本リーダーパワー史(812)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉗『日本最大の国難・日露戦争で自ら地位を2階級(大臣→ 参謀次長)に降下して、 全軍指揮したスーパートップ リーダー児玉源太郎がいなければ、日露戦争勝利は なかった ーいまの政治家にその胆識はあるのか?』★『トランプ米大統領の出現で、世界は『混乱の時代』『戦国時代に逆戻りか」 に入ったが、日本の国民にその見識 と胆力があるのかー問われている」
★10最重要記事再録/
日本リーダーパワー史(812)『明治裏面史』 ★
『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、
リスク管理 、インテリジェンス㉗
4年前に書いた以下のブログを再録する。
「時代も歴史も世界も目まぐるしく変化する。 地球も変化し、その中で生息する人類、
民族、国家、組織、企業、人間、個人も興亡、盛衰する運命にある。
明治150年の前に日本は三度目の敗戦を迎えている。
その日本興亡史の中で、救国のトップリーダーは児玉源太郎である。
トランプ米大統領の出現で、世界は『混乱の時代』『戦国時代に逆戻りか」
に入りつつあるが、日本のリーダー、国民にその見識
と胆力、決断、実行力があるのかー問われている」(この文章は追加した)
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日本リーダーパワー史(377)2013/04/24
空前絶後の名将・川上操六(48)番外編
日本最大の国難・日露戦争で自ら地位を2階級(大臣→ 参謀次長)に降下して、
全軍指揮したスーパートップ リーダー児玉源太郎がいなければ、日露戦争勝利は なかった
ーいまの政治家にその胆識はあるのか?
前坂 俊之(ジャーナリスト)
(以下の文章は 2013/04/24に書いた)
最近の政治家の行動で気になったことを書く。政治家は言うまでもなくその国のトップリーダーであり、大臣以上はその国の運命を担うトップリーダーである。国難に当たっては全身全霊燃え尽きてもこの克復に当たる覚悟がなくては真のトップリーダーではあり得ない。
平和時の外交とは武力によらぬ言葉による戦争である。昨今の日中韓の冷戦、外交衝突を日々ニュースで見ながら、日本の政治家には『治にいて乱を忘れず』、今、日本は国難に遭遇しているという緊張感、危機意識をどこまで自覚しているか、危惧する。
それと同時に、『この150年間の日中韓の戦争・外交・交渉史』における日本側のオウンゴール(失敗)についてのどこまで学んだのかも気になってくる。
最近では
① 自民党幹事長を務めた加藤紘一氏(73)が引退して、三女を後継者にするというニュース(4/19)。グローバルな時代に追い越されている日本で、政治家はいつまで徳川時代とかわらぬ時代遅れの身内主義、世襲制を続けているのか
② 安倍晋三首相が靖国神社に供物を奉納し、麻生太郎副総理兼財務相ら複数の閣僚が参拝したことを受け、韓国側が日韓外相会議の中止を決めた。(4/22),いつまでこの問題に自縄自縛されているのか、歴史問題に決着をつけてもっと賢明な外交がなぜできないのか。
③ 「超党派の日中友好議連が訪中取りやめ 靖国問題影響との見方も」—自民党の高村副総裁が会長を務める超党派の日中友好議員連盟は、5月1日から中国を訪問する予定だったが、22日、中止を決めた。(4/22),これも自民党のバラバラ外交,朝貢外交の失敗ではないのか。
④ 『アベノミクス』は世界の経済史上最高に難しい「細い細い、長い長いナローパスの綱渡り」を突破しないといけないのに、こうした、外交能力、対外交渉能力、インテリジェンスの欠けた自民党の面々が果たしてこの超難関の国難脱出劇に成功できるか不安になってくる。
それ以上に『国家倒産』という一大国難に遭遇しているという危機感が政治家に乏しい事、その胆力、胆識の欠如である。
ここで、日本最大の国難であった日露戦争で敢然と地位を2階級も降下して指揮にあたったスーパートップリーダーの児玉源太郎の胆力、そのインテリジェンスを振り返る。
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――『日清戦争は川上操六が起こした戦争である』、日露戦争は『児玉源太郎によって勝利した。
『日清戦争は川上操六が起こした戦争である』、日露戦争は『児玉源太郎によって勝利した』といわれているが、まさしくその通りと思う。
なぜなら、明治天皇は「日清戦争は朕の戦争にあらず』と戦争に反対の意向をもっており、日露戦争でも敗北恐れて最後まで外交交渉に望みをかけて開戦の詔勅を遅らせたほどだからだ。
当時の政治家、軍人、国民の大部分もアジア第一の大国中国、世界の軍事超大国ロシアには勝てるはずがないと思っており、世界の見方も日本敗北とみていた。
18,19世紀はヨーロッパの征服と植民地化の嵐が世界中に吹き荒れた時代だが、その中で自力で侵略から独立を守り通した国は世界中で日本一国だけ。タイは英仏勢力の緩衝地帯として取り残された結果にすぎず、日本にとって最大の国難の両戦争は「戦略思想」と「インテリジェンス」によってかろうじて勝つことができたことをわすれてはならない。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公は秋山真之だが、確かに秋山は日本海海戦の勝利の立役者だが、これは海軍側の勝利であって、広くに日露戦争全般についての戦略、研究、兵站、インテリジェンス(情報網の構築)、戦争支援の軍事、政治、経済、産業全体の構築の頭脳を持っていたのは児玉源太郎のただ1人と言ってよい。
児玉は台湾総督として、台湾の近代化、国家建設、行政、産業のインフラ整備をやった傑出した軍政家、行政官でもあり、この時代にこうしたオールラウンドの才能をもった軍人はほかにはいない。
小林道彦「児玉源太郎」(ミネルバ書房、2012年)の中で、小林は「立憲主義的軍人」と児玉を高く評価しているが、明治の文豪・徳富蘆花が児玉を「ナポレオンにたとえ、かれは日露戦争に殉職せり」といったのとあわせて、明治に児玉源太郎がいなければ「坂の上の雲」はなかったのである。
その児玉は日露戦争終結10ヵ月後にこれまた54歳の若さで急死する。川上操六、田村怡与造、児玉と歴代参謀総長はそろって日本救国のために殉職したといえよう。
以下、坂本藤良『参謀の理想像はここにあり』(『参謀の条件』プレジデント社、1995年に収録) によれば、
児玉源太郎はチビで身長はわずか157センチしかなかった。額が禿げ上がり、色浅黒く、口元はきっと結ばれている。村上浪六(明治・大正の大衆作家)はその鋭く恐ろしい目つきを
「私は幼少より絶えず偉い人をたくさん見なれてきたが、児玉さんほど小さい目で恐ろしい光を放っていた人はない。勝海舟の目も小さくて光っていたが、児玉さんほどには光らない」(『現代』昭和2年4月号)と書いている。
その「恐ろしい光りを放つ」目が永遠に閉じたのは、日露戦争が終わった9ヵ月後の翌年の夏、明治39年7月23日のことであった。
彼は、強大なロシア軍と戦う弱小日本軍の総参謀長として、小柄な体の全精力を消耗し尽くして死んだ。1種の〝戦死〟と人々は見た。乃木大将を葬儀委員長として、今の神宮外苑で葬儀が行われたが、一万人もの人々が参列して、この名参謀の壮烈な死に涙したという。
日露戦争で幸徳秋水、内村鑑三らが「非戦論」「戦争反対」の論陣をはった日刊紙「萬朝報」の社主で、あの〝まむしの周六〟の黒岩涙香も、
「われらは深く彼れの死を哀惜す。彼れ、もとより人格崇高一代の師表たるべき人物に非ずといえども、その明敏聡慧(めいびんそうち、賢明で英知、インテリジェンスがあること)は、ほとんど倫(りん=類、人の意味)を絶す。……多方に応酬して八面玲瓏(れいろう=あらゆる面で光り輝くさま=…・精励刻苦(せいれいこっく) 心身を苦しめるほどに物事に心を打ち込んで励むこと、ほとんど絶倫なり)
明治の権力者のスキャンダルをすっぱ抜き、まむしと恐れられた,当代きっての人物眼のあった黒岩涙香をして、明治の最大級のトップリーダーとの評価なのであった。
参謀本部次長田村恰与造の急死
陸海軍中央部の若手、中堅、「湖月会」のメンバーが中心となっては開戦論で上司を突きあげた。陸軍の参謀総長は大山巌大将、元老だったが、これには恐れをなして次長の田村恰与造に、時局の解決を図れと激しく迫った。しかし、田村次長は容易に腰をあげなかった。田村の肚は「対ロ戦の勝算は低い。ここでは勝ち目のない戦いを避けて満洲の経営はロシアにまかせ、日本は韓国をおさめるという満韓交換論であった。
こうした中で政府は対露交渉に踏みきった。参謀本部も具体的な作戦計画に取り組んだ。
三十六年八月当時の参謀本部のメンバーは次の通りである。
総務部長、少将井口省吾、第一部長、大佐松川敏胤、第二部長、少将福島安正、第三部長、大佐大沢界雄、第四部長、中佐大島健一、第五部長、大佐落合豊三郎である。
ところが、「日露間が風雲急を告げ、もはや開戦避けられず」という矢先に田村参謀次長は激務と心労で病に倒れ、10月1日に五十歳で急死したのである。日露戦争開戦わずか4ヵ月前のこと。
日本陸軍にとって一大痛恨事である。後任をすぐさま決めなければならぬ。陸軍首脳は青くなった。とりあえず福島安正に次長事務取扱を命じたものの、後任者の選考が極めて難航した。
10月8日にはロシアの第3期満洲撤兵の期限がきたが、これを再び無視して、撤兵せず、韓国国境への侵攻を強化してきた。それなのに肝心の政府はトップリーダを決められない。まさしく、危機に脳なし、リーダーシップの不在が続いた。
謀次長には福島安正、伊地知事介少将が候補に上った。
この大山の提案に山県が同意せず、暗礁に乗りあげた。山県も大山も、この大国難に対処できる全能の参謀は児玉以外にないと内心、考えていたのである。だが児玉は副総理、内務大臣、台湾総督で桂内閣の大黒柱である。それを、後輩の田村、福島や伊地知の候補に上ったポストに2階級も降格してついてくれとは言い難い。大山は、「児玉を総長にしたら」と桂に提言した。
これには桂が「大山をやめさせるわけにはいかない」と反対していき詰まった。
危機迫る中で、肝心の戦争指揮者が決まらない、陸軍も国民もトップの決断をじりじりしながら見守っていた。
児玉はその情勢を察知して桂首相を訪れ「次長は誰に決ったか?」と腹をわって話を聞いた。「この際、迅速に決めなければならぬ。ガマ入道(大山参謀総長のニックネーム)のためにわしがやってやろう」と即決し、みずから桂首相に申し出た。
10月12日、1田村前参謀次長の急逝で、児玉は2階級降下して参謀本部次長を兼任。内務大臣を免じた。児玉はフロックコートを軍服に着換え、参謀肩章をつって決然として参謀本部に現われた。参謀本部の部長以下を集めて、『諸君の一層の精励を望む。』とただ一言、あいさつしたのみ。軍服姿の児玉の眼光炯々、決然とした一言に参謀本部は俄然歓喜に震えた。
総務部長井口省吾少将は日記にこう書いている。
『児玉男爵、内務大臣を去って参謀本部次長の職に就かるるに合す。以て天の末だ我帝国を棄てざるを知る。何等の喜悦、何等の快事ぞ・・陸軍、中、少将の内に求めて、適任この人の右に出ずる人はあらじ。』。
『東京朝日新聞』は児玉の後日の訃報に対して
「再昨年の秋、参謀次長の田村中将薨去の後、この人が内務大臣より一転下し、フロックコート脱いで再び軍服を着け、急に参謀本部に入れる時は、わが国民の百人中、九十九人までは、みな露国との戦争の到底避くべからざることを内々に覚悟しおりたる際なりしが、相語っていわく、よくも就きたり、又よくも就かしめたり、と。しかし、この人の果決、精毅が国民の信頼を得ありしによる……
メッケルは「児玉がいる限り、日露戦争は日本が勝つ」と断言していたが、もし、この児玉の名誉も命もいらね、国難に決然とたったリーダ―シップがなければ、明治の『坂の上の奇跡』はなかったことだけは間違いない。
10月12日、田村前参謀次長の急逝で、児玉は2階級降下して参謀本部次長を兼任。内務大臣を免じた。当日、軍服姿で現れた児玉は参謀本部でのあいさつは「これまで通りの貴君らの精励勤務を望む」と一言あいさつしたのみ。その軍服姿の眼光炯々、決然とした一言に参謀本部員は思わず奮い立ったのである。
――――――――――――――――――――
十月二十八日、銀行クラブで銀行家の例会があった。この席で日本郵船社長近藤廉平は、東亜旅行の視察談を行い、金融界の多数名士を前にして露国戦備の模様を語り、開戦が一日遅れば我に一日の損がある。もはや戦費を顧慮して遽巡すべき時ではないと力説した。渋沢もこの席でテーブル・スピーチを行い近藤に和した。大変な変りようである。近藤の朝鮮、満洲、シベリア国境への旅行は児玉が勧告、斡旋したものであった。
(「名将児玉源太郎」加登川幸太郎著 日本工業新聞社 昭和57年)
次に紹介するのは三十六年十月十六日、児玉新次長は、内相官邸へ参謀本部各部長を晩餐に招き、宴終ってから次のスピーチである。(機密日露戦争76-77P)
この中で、児玉は「国が敗れるときは、日本もその企業も個人もすべて絶滅する」との危機感をのべたうえで、 全責任を自己一身に負担し、その責任を内閣にも、又参謀総長に分かたず、、一身を国家に捧げる決心を以て立案し、実行する」と言明している。
文字通り、日本を興し、明治の奇跡を起こしたのは、この児玉の決断、実行、勝利の最強のリーダシップであったのだ。
<児玉の現状分析と対策>
「露国の圧迫は日に日に激しくなってきている。帝国たるもの一大決心を以て起っ時がきた。ロシアとわが国を比較すれば、海軍力でわれわは劣ることを自覚しなければならぬ。
陸軍力では、同等であると信ずるが、ロシアは日本は劣るとみるかもしれないが、とにかく兵力においては、さして差はない。ロシア側の唯一の頼みは、財力が優っている点であろう。
ロンドンにおける日本公債の下落は主としてロシア側の策謀によってである。その手腕や実に驚くべきである。われわれにはほとんどできないことである。たとえ出来たとしてもその真似事たるに過ぎない。
わが外交がいたずらに警告、抗議をするだけで、何の方策もないのに比べれば、ロシアの策謀はや感心すべきである。そもそもロシアの今日の領土侵略を敢えてするのは遠く三百年来の国是(ロシアの膨張主義)に由来し、わが国が武力を以って起つても、一朝にしてその国是を放棄するとは思われない。両国の戦争はついに免れないのである。
そして、帝国(日本)がこの戦争に費やすところ、これを一年間と見て八億円が見込まれる。いかにしてこの軍費を得るべきか。ロシアがわが国を侮蔑するのは、つまりこの点にある。我が国は弱点をしのぐ工夫がなければならぬ。
予は、全責任を自己一身に負担し、この責任を内閣にも、又参謀総長にも分たず、一身を国家に捧げる決心を以て熟慮考究の上、一策を按じ、着々これが実行を試みつつある。
それは国内大会社、郵船会社を始め、各汽船会社、鉄道会社等を説き勧め、各自進んで無償輸送させることである。九州では石炭をロシア人には売渡さない契約をしたと聞いた。
会社社長は大いに、わが勧誘に賛同している。ただ株主の意向如何を気づかうのみである。
固より政府は、輸送を無期限に無償で約束させようとするのではない。一時支払いを延期するのみである。戦争止み、平和に復するならば、少くも通常配当以上の賠償をなすべきは政府の義務であろう。
帝国にして万一敗戦せんか、各会社がたとえ、戦時好配当をできても戦後の絶滅は免かれないであろう。これを思えば、一時の支払延期の如きは忍ぶ能わざることではない。この理を解する者は、皆争って無償軍用に供するに甘んずるであろう。
この方策が万一、失敗すれば、責任は余一身にある。各部長はこのことを知り 戦争開始のため財政の諸準備と軍費調達の経緯を知らない態にして置かれたい」
もって児玉次長のインテリジェンスとリーダシップを見ることができよう。
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