日本リーダーパワー史(793)ー 「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス』⑪『ロシアのクロパトキン陸相が敵前視察に来日』『ク大将は陸軍士官学校視察で障害物突破競争の優勝者に自分の時計を褒美であげた』●『パーティーでは黒鳩金大将と日本の将軍の視線がぶつかり火花が散り、日本の将軍はさらに恐ろしい目つきでにらみ返して一触速発に』
2017/04/23
日本リーダーパワー史(793)ー
「日清、日露戦争に勝利」 した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、
インテリジェンス』⑪
日本政府はクロパトキン大将を准王族の国賓待遇で歓迎し「芝離宮」を宿泊所にあて接待した。寺内正毅陸相を接伴主任とし、村田惇中将、田中義一中佐を補佐役に命じた。
田中義一中佐(後に陸軍大将、政友会総裁、総理大臣)は川上操六参謀総長から明治31年5月18日付で対ロシア戦のための情報収集を命じられロシア大使館付将校として派遣されていた。
日本リーダーパワー史(89)名将・川上操六⑫日露戦争前、田中義一をロシアに派遣(上)
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3380.html
日本リーダーパワー史(90)名将・川上操六⑬田中義一のペテルスブルグでの活躍(下)<ダンスとギリシャ正教に入信>
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3378.html
その田中中佐は35年10月にその任務を12分に果たして帰国したばかりで、この役目には最適任であった。田中はロシアでクロバトキン大将とは何度も会い、自宅のパーティーにも招かれるほどの親密な関係であったため、神戸港まで大将一行を出迎え、上京中の汽車の中では、大将から直接にその視察希望を聞いて、児玉内相の指示通り、希望場所はすべて見せることにした。
一方、当時の国内では対ロシア強硬論が渦まいており、再び大津事件を起こしては一大事と、警護は特に厳重を極めた。参謀本部の小松秀夫中尉がクロバトキン大将の直接身辺護衛に当たり、田中中佐と共に神戸港まで出迎えた。
クロパトキン大将一行の視察重点
クロパトキン一行には各専門の将校十余名が随行していた。彼らは東京滞在の四日間、日本陸軍の軍隊・学校等の各種施設について、精力的に視察し日本陸軍の実力を偵察・チェックした。
視察の重点は日本陸軍の士気と練度。「軍隊の成否は士官の成否に比例する」というのがクロバトキン陸相の軍隊哲学で、陸軍士官学校の訓練状況を最も熱心に視察した。
同時に、「有事に際し最も真価を問われるものが、高級指揮官の野戦指揮能力である」が彼の第2哲学であり、日本陸軍の将官クラスの人々を多数招待してパーティを開催したいと申し出た。自ら敵将の品定めをしたのである。
士官学校視察のエピソードー全校生徒の障害物突破競争を『ハラショ』と絶賛
以下は、田中中佐の話だが、クロバトキン大将1行が陸軍士官学校生徒の訓練状況を視察して最も驚いたのは、猛烈な実戦的鍛練で、中でも徒手格闘術、野外銃剣術の凄じい練習ぶりにはいたく感心した様子であった。
クロバトキンは全校生徒の障害物突破競争が始まると、興奮して、ついに来賓席から飛び出し、一着になった生徒の肩を叩いてその敢闘精神をたたえて『ハラショ(素晴らしい) ハラショー』を連発した。さらに、賞品として自分のポケットから愛用の時計を取り出してこの生徒に与えて、周囲を驚かせた、という。
陸軍士官学校はクロバトキンのこの褒美がきっかけとなり、これを見習って、士官たる者は実戦向きの障害物突破競争能力も重視すべきであるとして、卒業式当日はその状況を天覧に供し、一等の勇者には恩賜品拝受をすることになった。以後これは伝統的な行事となった。
クロパトキン主催のパーティ風景ではいかにも日本的な珍風景
もう1つ、クロパトキン主催のパーティ風景では日本的な珍風景が続いた。招待された当時の将官クラスの日本陸軍上層部の連中は、いずれも明治維新の戊辰戦争に参加し、西南戦争で戦い抜いた猛者で戦国時代から抜け出たような無骨な武将がほとんど。
西欧式のパーティなど大嫌いで内心出席したくない者もいやいや出席、外交官的センスなどなかった。
しかも、三国干渉の張本人で、満州を占領し、居座っている敵国ロシアの親玉の主催するパーティなどに出席させられて、笑顔で話などできるかと、苦虫をかみつぶし一語も発せず、クロパトキンらをらみつけ恐しい顔をした将軍が目立った。
クロパトキン大将と将軍の視線がぶつかり火花が散ると、彼らはさらに恐ろしい目つきでにらみ返した。さすがにクロバトキン大将も手を焼いて、傍にいた田中義一中佐を呼び、
「ポドポルコーウニック(中佐)、タナカ!。一体、あの奴は何と申す者じゃ」と尋ねた。
田中中佐は小さい声で「ゼネラル・レイテナント(中将)、ハセガワ」と答えたのであった。ハセガワ中将とは、翌年の日露開戦時の近衛師団長、長谷川好道中将である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A5%BD%E9%81%93
もう一人、クロパトキンが注目した将軍がいた。この将軍も田舎のオヤジのような風采であったが、その眼光炯々たる恐ろしいほどの視線にクロパトキン大将も恐れを懐いたという。黒木為禎大将だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9C%A8%E7%82%BA%E3%82%82%E3%81%A8
<参考文献 島貫重節『戦略日露戦争(上)』原書房 1980年>
関連記事
-
-
<日中韓三国志・新聞資料編>『日清戦争の原因となった金玉均暗殺事件の新聞報道』(朝日,毎日、時事)
<日中韓三国志・新聞資料編> 『日清戦争の原因となった金玉均暗殺事件 の新聞報道 …
-
-
日本リーダーパワー史(29)ー明治、大正、昭和の40年にわたって活躍した全盲の代議士・高木正午
日本リーダーパワー史(29) 明治、大正、昭和の40年間活躍した全 …
-
-
知的巨人たちの百歳学(145)『94歳、生涯現役・長寿の達人・生涯500冊以上を執筆、日本一の読書家、著作家』の徳富蘇峰(94)に学ぶ 「わが好きは朝起き、読書、富士の山、律儀、勉強、愚痴いわぬ人」
知的巨人たちの百歳学(145) 再録『94歳、生涯現役・長寿の達人・生涯500冊 …
-
-
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊵『黄夢●(田へん宛)君の『扶桑攪勝集』の後に書す』1891(明治24)年8月
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年 …
-
-
片野勧の衝撃レポート(69)戦後70年-原発と国家<1957~60> 封印された核の真実 「戦後も大政翼賛会は生きていた」-「逆コース」へ方向転換(下)
片野勧の衝撃レポート(69) 戦後70年-原発と国家<1957~60> 封印され …
-
-
日本メルトダウン脱出法(775)「COP21迫る。産業革命後の気温上昇を抑える枠組みを作れるか」◎「【革新!温暖化対策・塗るとクルマで発電ができる日本発の太陽電池」●「「着るIoT」サービス開始―東レ、機能性繊維素材活用で作業者の体調を遠隔監視」
日本メルトダウン脱出法(775) COP21迫る。産業革命後の …
-
-
『オンライン講座・延々と続く日韓外交衝突の研究』★『2012年8月、野田首相の親書の発信とその受け取りをめぐって拒絶、つき返す、外交的非礼に反発応酬の後進国同士のようなニワトリケンカ外交が続いた」★『160年前の明治新政府の最初の李氏朝鮮(韓国・北朝鮮)との外交交渉でも日本親善大使の拒絶、親書拒否に対して、日本は反発、敵意をエスカレートしたのと同じケース」を今も繰り返している』
2012/08/24 日本リー …
-
-
『 オンライン講座/ス-ローライフの研究』★『元祖ス-ローライフの達人・仙人画家の熊谷守一(97歳)のゆっくり、ゆっくり、ゆっくり』★『小学校の時、先生はいつも「偉くなれ、偉くなれ」というので、「みんなが、偉くなったら、偉い人ばかりで困るのではないか」と内心思った』
2019/06/12 /知的巨人たちの百歳学(116) …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(227)』『日本復活のためには先進各国から多様な人材を受け入れて彼らとの多国籍討論の場に日本人を引きづりだすこと』☆『日本人同士では通用している事がダイバシティ環境では時代遅れで全く通用しない事を思い知らせること』
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(227)』 日本を舞台に選 …
-
-
日本リーダーパワー史(185)『世界一の撃墜王・坂井三郎はいかに鍛錬したか』ー<超人(鳥人)百戦百勝必勝法に学ぶ>
日本リーダーパワー史(185) 『世界一の撃墜王・坂井三郎はいかに鍛錬したか』< …