日本リーダーパワー史(785)「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス②『最強の外交力で日英米の協力でロシアとの外交決戦を制する
2017/03/21
日本リーダーパワー史(785)
「日本史の復習問題」
「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワーと
リスク管理 、インテリジェンス②『最強の外交力で
日英米の協力でロシアとの外交決戦を制する
ロシア宮廷のベゾプラゾフの陰謀
宮廷派の巨頭べゾプラゾフは、極東でイギリスのインド帝国にも匹敵する大帝国をロシアのために建設する大計画を、皇帝に献策していた。彼の満州・北朝鮮鮮占領計画の発案は彼が鴨緑江木材株式会社の主宰者である個人的理由が発端であった。
べゾプラゾフは、当時ロシア近衛の一連隊長であったべゾプラゾフ少将の実兄で年齢は50歳余。軍から退役後、宮内省狩猟局長、宮内高官などを経て皇帝の寵愛を受けて、満州の視察を命じられ、鴨緑江沿岸の木材開発に着手した。
これより先、朝鮮政府は、明治29年8月に、鴨緑江木材伐木権をロシア人プリネルに許可したが、この権利の譲渡を受けたのが、べゾプラゾフの鴨緑江木材株式会社であった。極東の莫大な森林資源と、鴨緑江周辺の豊富な木材の有望性について、ロシア宮廷に吹聴し、皇室財産の増加になるからと資金提供を呼びかけ、ニコライ皇帝からも、莫大の資金を引き出していた。
新人べゾブラゾフの勢力が宮廷内で一挙に増えて、永年国事に貢献した顕官功臣を追い抜いて、何の官位も持たぬ彼を、皇帝は好んで相談相手にして、極東政策を任せてしまった。日本との衝突など全く問題にしていなかったべゾブラゾフは同森林地帯への利権開発に猛進したのである。
ともかく、当時のロシアの極東政策が、べゾブラゾフ一党の営利目的と密接に結びついており、日露戦争の可能性を過少評価したことが日露戦争の勃発とそれによる帝政ロシアの瓦解につながった。
日本の実力を見くびる
当時、ロシア側は日本の実力を見くびっており、在日ロシア公使館付き武官として、わが国情を知り、日本軍隊をも知っていたヴォガック少将は、在北京ロシア公使館付き武官を兼ね、清国との満州密約談判にも参加していた。その折り彼が、清国大官に対して、強圧、威嚇する態度をとったのに対してその清国大官が
「このような条約を結べば、外国から重大な故障(批判)を招く恐れがある」
と言うと、ヴォガックは
「外国とは、どこの国のことであるか? なに日本なのか、日本が・・アハハ(笑)」と、嘲笑、哄笑したという。
また、明治33年以来の在日ロシア陸軍武官のワンノウスキー大佐は、日本軍隊を「乳児軍(ちちのみ軍)・・」と形容して、「日本陸軍が、欧州最弱の軍隊に対比する道徳的基礎を得るまでにも、約一世紀を要するであろう」と本国に報告していた。
駐日ロシア公使ローゼンは、明治36年4月に赴任したが、たまたま、神戸の大観艦式に列席した。その時に陪観のため神戸に来たロシアの快速巡洋艦アスコルトの艦長グランマッチコフ大佐と会って、日本海軍に関する見解を質したところ、同大佐は「日本海軍の物質的部分は至れり尽くせりだ、しかしながら、船の操縦には将卒は果たして合格するだろうか」と否定的に答えたという。
また、ロシアの陸軍大臣クロバトキンは、当時ウイッテらと共に、穏健派と称されていたのであるが、明治36年6月、日本に来て視察を遂げた後「われらは13日の間に、四十万の軍隊を日本国境に集めることが出来るし、その用意がある、これはわれらの敵を破るに足る兵力の三倍の数である。日露戦争は単に軍事的散歩に過ぎない程度のものであって、わが軍をドイツ及びオーストリア国境から動かす必要すらもない」と豪語していた。
ロシア、撤兵条件に新たに驚くべき7条件の強欲要求をだす
ロシアは事実上、第二期撤兵を行なわず、なんら誠意ある態度を見せないのに対して清国政府は、ロシアの駐清代理公使プランソソンに対し、「なぜ撤兵を実行しないのか」を質した。これに対し、ブランソンは答えた。
「本国政府において、現に帰国中であるレッサー公使に、親しく満州の情況を諮問する必要があると、言っておるのであるが、同公使は目下静養先にあって、まだそのことが行なわれていない、撤兵は多少の遅延はあっても必ず実行されるだろう。 ロシアは、撤兵協約の規定に違反する意志は全然ない」
ところが、奉天城内は1千の露兵がおり、依然としてロシア軍政官が駐在している。営口その他要地を占領しているロシア軍は全然撤退の色はなく、4月18日、逆に満州撤兵に関し新たなる七ヵ条の要求を清国政府に突き付けた。
ロシアの7ヵ条の要求事項は次の通り。
(l) ロシアから清国に還付すべき土地はいずれの部分を問わず、如何なる事情においても、これを別国に譲与し、売却し、または租与することを禁ずる。もし、これに反する時はロシアは自国に対する脅威とみなし、自国の利益を保護するため断然たる措置をとる。
(2) 蒙古、全新疆の政治組織は、これを変更すると、必然人民の動乱を惹起し、ロシアの境界一帯の治安を混乱させるので変更することを禁ずる。
(3) 清国政府は、予めロシア政府に知らせることなく、満州において新たに港口、城市(都市)を開き、外国領事の駐在を許すことを禁ずる。
(4) 清国北方においては、ロシアの利益が優越であるから、清国において行政事務のため、外国人を常用することあるも、右外国人の権力は清国北方(直隷省を含む)の事務に及ぶことを禁ず。もし清国にして、北清地方における各般の行政事務めため、外国人を招へいするときは、ロシア人管理の下に、特別の官署を設くべきで、
これらの事務は全部、ロシアの技師の手に委任させること。
(5) ロシアは営口及び旅順において、並びに盛京省を通じて電信線を有する。そしてこ れらの諸線と営口北京問の清国電柱に架設せるロシアの電線とを通達するは極めて緊要なので、営口旅順間、並びに盛京省内各地の電線の存在する限りは、営口北京間のロシアの電線もまた維持せらるべきこと。
(6) 営口税関の収入金は、同地還付後においても、依然現在どおり霹清銀行に預け入るべきこと。
(7) 占領中ロシア臣民及び外国会社が満州において正当に獲得したる権利は、撤兵後も引き続き効力を有すべきこと。
かつ鉄道沿線各地における民衆の生命を安全にするは、ロシアの義務に属するので、鉄道列車による旅客及び貨物の輸送に伴い、流行病の北京地方に蔓延するのを防ぐため、営口還付後同地に検疫局を設ける要がある。
ロシア国民政官はこれがため最良の方法を講ずべきである。税関長並びに税関医には、ロシア人を採用し、 これを総税務司監督の下に置く。
―――などなどである。
小村、慶親王に警告す
この時、小村外相は直ちに慶親王に対し
➀清国の主権及び領土保全を毀損し、満州での列国修約上の権利利益を傷害すべき譲与をロシアに行うべきでない。
②満州問題に関し、従来日本が清国に与えた友誼的援助に鑑み、日本政府は清国において、日本政府の同意をまたずして、このような譲与を許諾することはないと信ずるーと打電した。
アメリカはロシアの手に乗らず
一方、小村外相はイギリス、アメリカ両国政府との協同措置を講じ、在北京の英、米両国公使も慶親王に対してわが国と同様の警告を与えた。、当時わが国とアメリカとは、北清事変の北京議定書に基づける追加通商条約の締結に関し、日本は満州での奉天、大東溝を、アメリカはハルビン、奉天及などでの市港開放を清国側と協議していた。
これにロシアからの新要求の3条は触れるところがあったが、ロシア外相は、アメリカへは次のように弁明した。
「ロシアが満州の市港を外国貿易に閉鎖したり、ロシアのみを公職に雇うとか、利益の独占をはかるとかいう内容は全く含まれていない、撤兵の遅延しておるのは、ロシア政府は、清国が果たして露清協約所定の義務を履行したかどうかを確知するの必要があるためである」
当時、ロシアの不撤兵に対するアメリカの世論は、反ロシアに大きく傾いていたが、在米ロシア大使カシニーは 「満州におけるアメリカの利益は、ロシア官憲において十分これを保護するから、アメリカは満州に領事官を駐在せしむるの必要はない、もし外国領事の満州駐在を許せば、イギリスはこれを利用して、アメリカ商業の発展を妨げ、絶えずアメリカの利益に邪魔するだろう」と英米間の離反を画策した。
当時ロシアは日英両国からの抗議に対しては、これを無視する態度をとったが、アメリカに対する態度は、資本をニューヨーク市場で国債を発行して外資を導入しようとしていた手前、アメリカの御機嫌取りに汲々としていたのである。
転々とかわる清国の態度
日英米三国の警告を受けた清国政府は、ロシア代理公使に対し、七ヵ条の要求の全面拒絶を回答し、満州還付協約のすみやかな履行を求めた。
ところが、ロシア代理公使は、改めて慶親王に対し
「遼河流域の不割譲、都邑港口の不開放、蒙古行政組織の現状維持の3項目を清国政府が保障するならば直ちに撤兵する」と声明した。
慶親王はこれも拒絶したところ、ロシア側は書面の回答を要求し、慶親王は外務部からその旨公文をもって回答したが、その公文の文章が娩曲だっためか、意図を誤解されたのかロシア代理公使は折り返し外務部に対し
「清国政府がロシアの要求を保障したことは、自分の満足するところである」と声明を発した。
これに、驚いた慶親王は「外務部公文はロシアの要求を拒絶する内容の説明である」とロシア側に使者で伝えたが、結局うやむやになった。ロシア代理公使が清国の公文を誤読したのか、わざと誤読を装い一方的に声明した外交かけひき、詐術を仕掛けたのかは不明だが、いずれにしてもロシア側の強圧的態度と中国的のあいまいもこな言動のギャップが示されている。
一方、アメリカはロシアに不信感を募らせた。
国務長官ジン・へイの5月12日付の大統領ルーズベルトに送った文書では「私はカシニーに対して、ロシアの侵略的方針は、必然的に各国のシナ分割を促すの結果となると語ると、彼は各国はすでにこれに着手した、シナは崩壊しつつある、ロシアはその分け前に預かる権利がある」とはっきり答えており、ロシアの傍若無人態度がよくわかる。
結局、文治派に属するロシアのレッサー公使が5月に北京に帰任したが、清国はこれを期にその態度を一変した。日米両国との通商条約談判でも、満州の市場開設要求を退け、慶親王も病と称して日、英、米三国公使との会見を避けるようになった。
さきのロシア側の七ヵ条要求についての清ロ交渉は継続され、清国政府は日英米三国公使に助言を求めることを忌避した。
清国・ロシアの2国間交渉で、満州問題をすみやかに解決しようとする方向に舵を切り、結局、ロシアの術策にはまっていった。
以上は参考、引用文献は黒木勇吉「小村寿太郎」講談社(1968年)、「機密日露戦史」(谷寿夫著、原書房、1966年)から)
つづく
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