日本リーダーパワー欠落史(748)『 対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習問題』 欧米が心配する『安倍ロシア朝貢外交の行方は!?』 プーチンの恫喝外交に再び、赤子(お人よし外交) の手をひねられるのか!?北方領土の悲劇―ロシアの残虐殺戮、無法占領の責任を追及せず、 2島返還で経済援助までつける安倍外交の失敗』★『戦争終結後に非戦闘員3700人を大虐殺』●『軍人ら約60万がシベリアに送られ、強制労働に従事させられ、6万3000人が死亡した』
2016/11/16
日本リーダーパワー欠落史(748)
対ロシア外交は完敗の歴史、その歴史復習問題ー
欧米が心配する『安倍ロシア朝貢外交の行方は!?』
プーチンの恫喝外交に再び、赤子(お人よし外交)
の手をひねられるのか!?
北方領土の悲劇―ロシアの残虐殺戮、無法占領の責任を追及せず、
2島返還で経済援助までつける安倍外交の失敗
11月8日付「英フィナンシャル・タイムズ」は社説『日ロの経済協力と北方領土』で
「日本と同盟関係にある欧州連合(EU)も米国とロシアとの溝が深まるなか、安倍首相がプーチン大統領と会談する
のは理解に苦しむといえる。
安倍氏はロシアに近づき、中ロを引き離したい考えだ。歯舞・色丹の2島は4島の陸地面積の7%で、
経済や安全保障面での価値はほとんどない。小利のために、G7の結束を犠牲にするもので
あれば重大な過ちだろう。」と書いた。
北方領土の悲劇―ロシアの残虐殺戮、無法占領の責任を追及せず、2島返還で経済援助をつける安倍外交の失敗
北方領土の歴史復習問題―ロシアの戦争犯罪を追及せよ
➀太平洋戦争終結後の中立条約残存期間中のソ連参戦と戦争終結後の無法な千島占領
③戦争終結後の非戦闘員の大殺傷――約45万人の南樺太の日本人のうち4400人を殺戮、
このうち軍人約七百人を除いた約3700人が一般の犠牲者である。
④軍人全員はシベリアに抑留――総計58万2800人の将兵と1万1730人の民間人がシベリアに送られ、
強制労働に従事させられ、うち6万2636人にが死亡した。(昭和五〇年・厚生省調査)
明白な戦闘法規違反であり、戦争犯罪、人道に反する罪である。
ーこの残虐非道を無視するの、中名生氏はこの問題を的確に書いている。
<以下は中名生 正昭著『尖闇、竹島、北方四島〈増補新版〉一激動する日本周辺の海』(南雲堂、2012年)から、
引用させていただいた>
戦争終結後のソ連軍の占領――中立条約残存期間中のソ連参戦
戦前、南樺太(サハリン)には約四十五万人の日本人が住んでいた。豊原(規・ユージノサハリンスク)に樺太庁があった。
1943年(昭和18年)、政府は外地だった樺太(南樺太)を内地に編入した。
1941年(昭和16年)12月8日、日本は、アメリカ、イギリスに宣戦を布告、太平洋戦争が始まった。ソ連との間には同年4月、五年間の有効期間を持った『日ソ中立条約』が結ばれており、両国は互いに中立を守った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_nissochuritsu_haki.html
しかし1945年(昭和20年)2月4日か11日まで、ヤルタで開かれたルーズベルト、チャーチル、スターリンによる米英ソ三国の首脳会談で、クリル列島と南樺太をソ連の物とする密約が交わされた。
これは当時、日本に対して中立国であるソ連が日本の領土を処分する約束をすること自体、中立国としての大きな義務違反であり、連合国が基本理念とした「領土の不拡張」をうたった「カイロ宣言」にも抵触するものである。
日本の敗色が濃厚となった昭和20年4月5日、ソ連は日ソ中立条約の不延長を通告してきた。この時点でまだ1年間の条約期間があった。
8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下した。その2日後の八日、ソ連は対日宣戦
を行い、中立条約残存期間だったにもかかわらず、満州と南樺太に侵入した。
8月10日、日本は、ポツダム宣言の受諾を通告。15日に終戦の詔書を出して、日本は戦闘を停止、3年8ヵ月にわたる太平洋戦争は終結した。
戦争終結後の千島占領
ここで大きな問題となるのは、ソ連軍による千島列島への攻撃である。それは戦争終結の2日後から行われた。千島列島の最先端・占守島にソ連軍の攻撃が行われたのは、戦争終結2日後の8月18日だった。
当時、占守島には対米決戦に備え日本陸軍の最精鋭部隊が駐屯していたが、終戦と知って降伏準備を進めていた。すでに戦車のバッテリーとガソリンは抜かれて一か所に集められ、その他の武器も焼却する用意をしていた。そこへ霧にまざれて近づいて来た船団を当初は米軍と思ったほどである。
上陸したのが、ソ連軍とわかったのは「ウラー、ウラー」という突撃の声を聞いてからだった。「敵から攻撃を受けたら自衛戦闘は妨げず」という基本方針に従って日本軍は急拠、戦闘準備をして反撃した。ソ連軍は上陸地点に釘付けとなったまま、23日になって停戦が調印された。
以下にソ連軍の千島占領の状況を時間的に記すとー。
占守島(8月18日上陸、8月23日停戦調印)、松輪島(8月26日上陸)、新知島(8月26日上陸)、得撫島(8月26日上陸)、択捉島(8月28日上陸)、国後島(9月2日上陸)、色丹島(9月1日上陸)、歯舞賭島志発島(9月4日、日本軍を色丹島に移して武装解除)、歯舞賭島多楽島<9月6日上陸)
日本が連合国と「ミズーリ」艦上で降伏文書に調印したのは9月2日だが、その後もソ連の軍事行動は続いた。この点からも北海道の延長である歯舞諸島の占領は違法である。
ソ連は翌1946年2月2日に「南樺太と千島列島の領有宣言」を出した。占領した土地を講和会議や条約などの手続きを経ることもなく、一方的に領有宣言をすることは、これこそ「侵略的行為」である。
これを日露戦争の時の日本の軍事行動と比較してみると、日本の樺太占領は、戦争中に行われた。占領は南北樺太全域に及んだが、戦後の講和会議で南樺太が日本領に、北樺太にはロシアの支配が回復された。占領したからといって即自国領となるものではない。ましてその占領自体が、戦争終了後に行われたのである。
戦争終結後の非戦闘員殺傷ーー約3700人が一般の犠牲者である。
南樺太にソ連軍が国境を越えて侵入してきたのは、ソ連が対日宣戦した8月8日であった。しかし戦争終結後に大量の非戦闘員が殺傷された。
当時、南樺太には、約45万人の日本人がいた。ソ連軍が北部国境を越えて侵入したのは8月8日だが、問題は終戦の8月15日以後である。
西海岸の真岡には8月20日、海上から砲撃したのち上陸、戦闘の意思のない日本軍の2度にわたる軍使を射殺、逃げる市民を後ろから射撃、市民1000人が犠牲となった。
「これが最後です。さようなら」―真岡郵便局に勤務していた九人の女性電話交換手は8月20日当日、当直だった九人の女性交換手は、二十代のうら若い乙女たちだった。ソ連軍の砲撃に続く上陸にあって、ソ連兵が近づくを見て、近接の泊居郵便局に別れの電話をした。「死んではいけない」という泊居の局長の叫びも及ばず全員が服毒自殺をした。
悲劇は樺太庁のあった日本の行政の中心地。豊原でも起きた。豊原駅前に集まった避難民に対し、ロシアの飛行機が銃爆撃を繰り返し、100人の死者が出たのは8月22日のことだった。反復繰り返しの銃爆撃は誤爆というようなものではなかった。
戦争が終わったからといって、即座に停戦できるものではない。そこには現地レベルでの停戦交渉も必要である。しかし、停戦のための軍使を射殺したり、非戦闘員を殺害することは許されない。まして豊原爆撃は、樺太全域の停戦交渉が成立した二時間後の出来事だった。また北海道への引き揚げ者を乗せた船が国籍不明の潜水艦に攻撃されて、1000人の犠牲者を出した。
約45万人の南樺太の日本人のうち、この二週間の死者は4400人に達した。このうち軍人約七百人を除いた約3700人が一般の犠牲者である。
軍人全員はシベリアに抑留
千島と南樺太に駐留していた日本軍4万人は、武器をソ連軍に引き渡した後、本土へ帰れるはずだった。しかしソ連は軍人全員をシベリアに抑留した。
満洲(中国東北部)にいた関東軍とともに、総計58万2800人の将兵と1万1730人の民間人は、シベリアを始め東はカムチャツカから、西はウクライナまでのソ連各地とモンゴルをふくめて2000余所の収容所に送られ強制的な労働をさせられた。
日本への引き揚げは1946年(昭21年)12月から始まり、ようやく56年(昭和31年)にほぼ終了するが、この間の死者は6万2636人に達した。(昭和五〇年・厚生省調査)
これは明白な戦闘法規違反であり、人道上も許されないことである。
ヒトラー以上の虐殺者・スターリンの言葉
太平洋戦争が終わった時、ソ連書記長のスターリンは「これで日露戦争の仇をとった」といい。「千島と樺太を解放した」とも強弁した。
自国民を含めて2300万人を大粛清、大漁虐殺した独裁者スターリンの唾棄すべき言葉である。
http://matome.naver.jp/odai/2135649887103563901?page=2
もともと、「日清戦争後」のロシアの武力強奪外交の「三国干渉で」で涙をのんだ日本に対して、その後傍若無人の満州、朝鮮へのあくなき侵略、無法な略奪に対して、隠忍自重の末に日本は自衛戦争としての「日露戦争」をおこした。
安倍外交も外務省の歴史無視、国益無視の軟弱外交には驚く。
こうしたソ連、ロシアの歴史的な戦争犯罪を追及せず、略奪された北方領土のわずか2島返還(全体の面積の7パーセント)を返してもらうために1兆円を超える経済援助をするというのは、売国的な行為、正義と人権に反する外交ではなく害交そのものではないか。
70年過ぎたといって、このあと、100年たっても国家の筋は通さねばならない。
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