<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑩『裏付けを持ってチャレンジせよ』(稲盛和夫)●「逆命利君」(広瀬宰平)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集⑩ 前坂 俊之選
★裏付けを持ってチャレンジせよ
稲盛 和夫(京セラ会長) 『心を高める、経営を伸ばす』
挑戦、チャレンジというのは実は、たいへんな困難と危険が伴います。また、計り知れ
ない労苦と忍耐力、並はずれた努力と、素晴らしい勇気を必要とします。
つまり、リスクに耐えうるだけの裏付け、困難に立ち向かう勇気、苦労もいとわない忍
耐、努力などの要素を備えてはじめて、口にできることなのです。
単に言葉の遊びとして、チャレンジや挑戦ということを、口にしてはならないと思いま
す。このような要素なくして、チャレンジする者を蛮勇と言います。
企業経営において、チャレンジを続けていくには、このような精神状態が経営者になけ
ればなりませんし、どんな危機に遭遇しても、安全に航行できるだけの資金力と、豊かな
財務内容が企業に備わっていなければなりません。覚悟と裏付けを持った者のみに、チャ
レンジする資格が与えられるのです。
●経営者は常に危機を創出していく人間で
なければならない
中内 功(ダイエー創業者) 『中内功の一日一訓』
「若い企業を支えるのは危機感である。経営者は、常に危を創出していく人間でなけれ
ばならない。安定を打破して、危機感をつくりだし、それを乗り越えたあとに、再び危機
をつくりだしていく。そのたびにビジョンはつくり変えられていく」
中内はこうして危機を常にバネにして、ガンバリ続け、頂点に登りつめていった。
「危機とは、言い換えれば、これでよいのかという不安である。不安とは、安心をつく
るバネでもある」とも述べている。
この“危機感”を別の表現で「店はつぶすということを、前提に考えていないとダメだ
。どんどん、お客の方の価値感が変わっていくわけだが、その変化に適応できなくてはい
けない」ともいう。
“スクラップ・アンド・ビルト”。どの業界でも、企業が生き残っていくためには、こ
の破壊と創造が不可欠だが、これには血のにじむ努力がいる。
●逆命利君
広瀬 宰平(住友初代総理事) 『社長・重役のための名言・格言』
「逆命利君」は「命令に逆って、君を利す」の意味で、今も住友の精神に底流として脈
々と息づいている。広瀬は別子銅山が明治政府によって、没収される寸前をくい止めた明
治期の“住友中興の祖”といわれた人物。激しい性格で住友家の家長をいさめ、夫人を座
敷牢に押し込めたこともあった。
ある時、十二代住友家の家長・友親が数万円もする茶道具を買った。それを知った宰平
は「住友家の財産は、別子銅山の地下何百尺の地底から、坑夫が命がけで掘り出した銅の
利益。万金を出して茶器など買うなど、もってのほか、代々の質素、倹約の心をお忘れか
」と主人を激しく叱った。友親は自らの非を悟って謝ったが、宰平はやめない。友親の夫
人が「もうやめて下さい。主人もわかっていますから…」と口をはさむと、宰平は激怒し
「住友家の将来にかかわる重大事に、女子供が口をはさむとはけしからん」と大工を呼ん
ですぐ座敷牢を作り、閉じ込めてしまった、という。その宰平の座右の銘がこれである。
●ゼロの立場でものごとを考える
井植 歳男(三洋電機創業者) 『社長・重役のための名言・格言』
井植は義兄の松下幸之助(姉婿)と協力して、松下電器発展の原動力となったが、一九
四七年(昭和二十一)に独立し、三洋電機を興した。そして、三洋電機は総合家電メーカ
ーとして、押しも押されぬ存在に発展する。
井植は言う。
「淡路島の農家のセガレに生まれた私は、いつもゼロやマイナスから出発し、その日そ
の日新しいものを、作る立場に置かれてきたから、少しぐらいの困難にはくじけない」
「途方に暮れることもあったが、苦しい時、私は“無”つまり知恵も財産も信用もゼロ
、の心境に立ってものごとを考えた。すると、ゼロより若干持っていることが、わかって
活路が開けてくる」「成功するほど、何回もゼロの立場に立ち返って、反省し勇気を出し
てきた」
松下電器と三洋電機という二つのビッグ企業を生んだ井植の創業の秘訣がこれであった
●金貨一円になれ
佐伯 勇(近鉄グループ総帥) 『運をつかむ』
これは佐伯の先々代社長種田虎雄の言葉だが、佐伯はこれを金科玉条にして、社員には
いつも「金貨一円になれ」とハッパをかけていた。
「紙幣の一円は、日本国内だけしか通用しないが、金貨であれば、世界中一円の価値で
とおる。この金貨のように、どこでも通用する人物になれ」という意味であった。
このためには、一刻も早く仕事に精通するように努力すること。創意工夫して、仕事を
大いにレベルアップすることだ。
佐伯はさらにこうも言う。
「金貨一円というのは、単に、仕事のエキスパートになれ、というだけではない。ゼニ
の取れる技術や英知を備えているばかりでなく、人間的にもりっぱな人間になれ、という
ことや。実力もないのに、“ゴマスリ”で一時的に昇進しても、メッキは、すぐはげ落ち
る。多いようで少ないのが人間や。いつも“金貨になろう”と努力せよ」と。
●すべからく“始末”に敏感たるべし
松下 幸之助(松下グループ創業者) 『松下幸之助大事典』
私は九歳で、大阪・船場の火鉢屋や、自転車屋でデッチ奉公した。この時、教わったの
が、出入り勘定の「始末」ということ。関東の人たちは「始末」をケチと誤解しているが
、文字通り、「はじめ」と「おわり」を合成した言葉で、「はじめとおわりにケジメをつ
ける」という意味である。
会社経営に当てはめると、数字の出入り、経理にケジメを、万全を期すということであ
る。いずれにしても、ケジメに鈍感な会社に、成功は望み得ない。
どんなささいな仕事でも、「始末」をないがしろにしては成り立たない。チリも積もれ
ば、山となるではないが、仕事に対して安易な姿勢が根づいてしまうと、いざ直そうと思
ってもなかなか難しい。松下の経理システムは完璧であると、よくおほめの言葉をいただ
くが、何のことはない。はるか昔に私自身が船場で体験し、学んだことを時代に合わせて
改良工夫しただけのことなのである。
●「十年間はこのままで行け、自分の考えを出すのは
十年たってからだ」
十年たってからだ」
堤 康次郎(西武グループ創業者) 『後継者の条件』
一代で“西武王国”の基礎を作った康次郎は、昭和三十九年三月に七十歳で亡くなった
。この時、死期を悟った康次郎は義明を呼び、こう遺言していさめた。それまで、帝王学
を身をもって教えてきた康次郎のこれが最期の言葉であった。武田信玄と勝頼のことが、
彼の脳裏に浮かんだであろう。
義明がリーダーとしての十分な資質に、恵まれていることを熟知しながら、まだ三十歳
という年齢を考慮してのことだ。三十代はじっくり内部を固め、四十代になってから飛躍
すればよい―と教えたのであった。
義明は忠実にこの遺言を守り、内部を固めきり、十年後から義明流の時代を先取りした
経営手腕を発揮した。デベロッパー投資のストップ、ボーリング場、ホテル、レジャー施
設、プロ野球と、康次郎から受け継いだ西武王国を何倍も巨大にしたのである。
◎勝負どころをつかめば中小企業も大企業に勝てる
上山 保彦(日本生命社長) 『孫子の兵法と経営戦略』
もともと戦略とは、戦いの上で、小を以て大に勝つ方策である。小を一本にまとめ、大
(相手)の一部分に全力をぶつければ、こちらが大となり、相手の小を攻めることになる
。
ナポレオンの当初の連戦連勝は、この戦法を駆使して成功したのです。敵の兵力を牽制
して、各所に分散せしめ、決戦の場にわが兵力を集中し、わが方の優勢を堅持して勝った
。のちに、部将の一人が「陛下は常に少数をもって、多数に勝った」と言うと、ナポレオ
ンは「いや、そうではない。私は常に多数をもって、少数に勝ったのだ」と答えた。
企業社会においても、このナポレオン流のやり方は十分に威力を発揮する。中小企業で
あっても、日本でも有数の巨大企業を相手に、打ち勝っているケースは、いくらでもある
。孫子は敵と味方が同数の場合、味方の兵力を一カ所に集中し、敵を十ヵ所に分散させれ
ば、敵の十倍の兵力で攻撃することになる、と言っている。
◎勝負の決め手は引く手にあり
吉田 忠雄(YKKグループ総帥) 『なしたもんだの経営』
人間の価値が一番正確にハカれるのは、仕事に行き詰まった時の、対処の仕方です。人
間、順風満帆の時には、誰でも一定の力さえあれば、波は乗り越えることができますが、
ひとたび事が起きた時、どう切り抜けるかにその人間の力量があらわれます。
過去の栄光を思い浮かべ、後退のみじめさ、かっこうの悪さを思い、いつまでも対面を
保つことにうつつを抜かし、どうしようもないところまで来て一気に倒れる。これは最悪
のやり方です。
商売と、荒れた土地を目前にした登山家とは、よく似ています。一生懸命にやったこと
が裏目に出た時は、人よりも一歩でも早く後退すべきだと思います。引き手が早いことは
、負けない原因となるからです。前進は誰れにでもできますが、実のある後退をするのは
、大変な勇気と力がいります。ひとたび敗けが見えたら、切れ味よく引くことです。機敏
で、切れ味よい引き際、事にあたっての余裕ある態度は、多くの人に好感を持たれます。
◎事業は石垣、小さなゆるみで崩れる
日比 翁助(三越中興の祖) 『続 悪の管理学』
一つの事業は一つの大きな石垣である。
上は社長、重役から、下は給仕、小使いに至るまで、みな、その石垣の石である。大き
い、小さいの差はあっても、おのおので固めている部署の重要さは同じである。
小さな石が「俺なんぞどうでもよかろう」と一つゆるめば、すぐその上がゆるみ、右が
ゆるみ、左がゆるんで、どこまでも広がっていく。
やがて、大きな石も転げ落ちて、石垣全体が総崩れとなるものである。石垣は一つひと
つだが、お互い支え合い、持ち合い、助け合ってビクともせぬ石垣が築かれるのである。
石垣は部分的に見れば、それはひとつの石だが、総体的には、やがて一つの大きな石で
なければならぬ。事業にどんな小さな部分のゆるみが出ても、もうおしまいである。
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