名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集(14)『大黒柱に車をつけよ』(岡田 卓也) 『迷うようなことに、迷うな』(石川一郎)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集(14) 前坂 俊之選
●訪問は留守なほどよい、誠意は会う前から届く
伊庭 貞剛(住友家総理事) 『幽翁』
頼みごとがあって人を訪問する際は、天気が悪い時などはイヤなものだし、訪問して相
手が留守の場合はムダ足と思いがちである。しかし、伊庭は違うという。
「人を訪問するには、雨風か、大雪で歩けないような日は吉、天気のよい遊山気分の日
は逆に凶だ。羽織やタビが、ビショ濡れになっているような姿をみると、先方はまず気の
毒に感じて、こちらの用談に身を入れてきいてくれるものじゃ」
「いくら訪問しても、先方が留守で会えぬことがある。わしは留守なほどよいと思う。
四度も五度も留守で、やっと六、七度目に会えたというような時には、たいがいの頼みご
とは、先方が心よく承知してくれる。
こちらの誠意が、会わぬ先から先方に届いているか
らだ」。大事なのは誠意である。誠意は会う会わないという前に自然と通じるものなのだ
。物事を成すには身を以てこれににあたり、どこまでも労を惜しんではならない。これが
誠意でり、誠意がなければ、人は信頼させられないと。
●情報に対する経営者のあり方九ヵ条
小林 宏治(日本電気社長) 『C&Cは日本の知恵』
これは小林が親しくしている米・コパーズ社社長のフレッチャー・バイロムの経営心得
。小林はこの含蓄ある考えを大いに参考にしていた。
一 柔軟に処し、固定的な姿勢を排せ。
二 耳を澄まして情勢の変化をさがせ。
三 社内外の人たちとの接触面を広げよ。
四 いつでも直観がよく働くような状態にしておけ。
五 大事な情報ほど姿を見せない。しかし、隠れているところを自分で知っておけ。
六 優秀な人材を獲得し、社内にとどめておくために会社を成長させ、人材を活用せよ
七 理クツばかりの単なるスペシャリストを排せ。
八 優先順位は論理的見地よりも、実現性の有無を基準とせよ。これなら、できるとい
うものから検討せよ。
九 ほどほどの回数の失敗ならやってのける覚悟を持て。失敗を恐れるな。
●経営多角化のポイント
鈴木 哲夫(HOYA社長)
『企業家の条件』
鈴木は、まず「二一世紀に入っても繁栄を続ける会社」を検討し、「ガラス産業だけに
属していては成長が難しい。世界的にみて、ガラス産業はやや成熟化し、斜陽化しつつあ
る。そこで、思い切って社名からガラスを取り、同時に新しい会社のビジョンをつくろう」と経営方針を
変更して、社名を「保谷ガラス」から「HOYA」に変えた。
変更して、社名を「保谷ガラス」から「HOYA」に変えた。
その鈴木が語る経営多角化のポイントとは―
一 関連ある分野で、多角化をはかっていく。関連のない分野で多角化すると、難しく
て果も上がらない。
二 市場のトップになれる領域を狙え。自分が勝てる戦場で、戦うことを基本とし、十
年やってみて、トップに立てなかったら、撤退する考えでやる。
三 金の成る木をもって多角化する。新事業を始めて数年間は必ず赤字になる。金の成
る木、つまり儲かる事業をもっていて、キャッシュを生み出していないとリスクが
大きすぎる。
“
●製品は娘、出荷は嫁入り
西本 貫一(ノーリツ鋼機社長)
ノーリツは、カラー写真のスピード現像、焼付けの処理ができるミニラボのトップメー
カー。世界のシェア六五%を占め、「海外の方がノーリツは有名」といわれるほど。売上
高四二二億。
西本は街の写真館から身を起こし、一代でノーリツを築き上げた“ワンマン経営者”。
彼は「製品は娘、出荷は嫁入り」と説く。
「遠くに嫁ぐ娘にはそうそう会えない。娘が嫁ぎ先で病気もせずに、いつまでもかわい
がってもらえるようにするのが親(メーカー)の務め。それでも、時々、娘が元気にして
いるかどうかが気になるのと同じで、機械の様子を見に行きたくなるものだ」とアフター
サービスの大切さを話す。
「経営は紙一枚一枚の積み重ねと同じです。きっちり積まないと、紙の山でも崩れる。
メーカーの原点は日々の生産の現場にある」とも強調する。
●迷うようなことに、迷うな
石川 一郎(経団連初代会長) 『亡夫石川一郎の処世訓』
世の中は右か、左か誰がみても明白なことがある。このようなことは、自分がことさら
意見を述べなくても、黙っていれば誰かが手柄顔で正しい結論を出すものだ。
どちらに結論が転んだとしても、よいようなことは他の人たちに任せておけばよい。
ただし、世の中には、自分が見て、極めて大切なこともある。自分のためではなく、全
体のために、である。このような場合には、自分の立場を犠牲にしても、頑張るべきであ
る。本当に重大なことであるならば、自分の立場など捨てても、自分の意見が皆に採用さ
れるように、あらゆる努力と工夫をしなければならない。
「つまらぬことに迷うな」―仕事や家庭の私事でも同じである。どちらでも、大差ない
ことをいつまでも、クヨクヨと迷っているとはくだらないことだ。どちらかに早く決めて
、あとは忘れてしまうことである。
●大黒柱に車をつけよ
岡田 卓也(ジャスコ社長) 『大黒柱に車をつけよ』
岡田は、三重県四日市にあった老舗「岡田屋」の長男として生まれたが、一七五八年操
業で二百年以上の歴史を持った岡田屋には代々、「大黒柱に車をつけよ」というユニーク
な家訓が残っていた。
この家訓に従って、岡田は同じようなスーパー二社と合併して「ジャスコ」を設立した
。
大黒柱といえば、本来不動なもので動かしてはならないものであろう。それに車をつけ
るということは、いつでも家や店を動かせるようにしておけということ。
つまり、立地条件がかわり、時代やモノ、人の流れがかわれば、条件
の良い場所へ、将
の良い場所へ、将
来発展の望めるところへ、ためらわずに店舗を移せということである。家訓に従って、岡
田屋は次々にいい場所に移っていった。
この家訓は現代流にに直せば、時代の変化、ニーズに的確に対応せよということでもあ
る。時代に取り残された“不動の大黒柱”は滅びゆき、店は歴史的な文化財とはなり得て
も、栄えることはない。
●三ヵ国語をマスターせよ
大屋 晋三(帝人社長)
これは昭和三十五年三月、新入社員歓迎の席上で大屋が述べた言葉。
「三ヵ国語をマスターなどというと、ひじょうに困難なことに思うかもしれぬが、一ヵ
国語に十年かけることだ。私は今六十五歳だが、私がこの原則を諸君らの年からはじめて
いたら、今や大したものだと思うが、残念ながら中年にして気がついたので、今さらホゾ
をかむも及ばない。
二十五歳から三十五歳までの十年間、英語なら英語の一ヵ国語に集中する。十年もやれ
ば、マスターすることができる。
次に三十五歳から四十五歳までドイ
ツ語ならドイツ語をやりたまえ。四十五歳から五十五歳までは別の外国語をやる。
ツ語ならドイツ語をやりたまえ。四十五歳から五十五歳までは別の外国語をやる。
このことを文字通りに実行すれば、五十五歳までに英仏独
の三ヵ国語を自由に話し、書くことができる。このような人は、社内いたるところに働く
場所がある。
現在、わが帝人には一万五千人の社員がいるが、このような人は一人としていない」
●五つの方法でねばれ
早川徳次(シャープ創業者) 『経営資料集大成・』
シャープは現在液晶のトップメーカーだが、もともとスタートは「シャープペンシル」
。それから「ラジオ」「テレビ」の家電、電卓、液晶と技術革新で主力商品を時代に合わ
せてきた。八十年前の創業時代、早川は商売成功のコツとして「ねばりの必要」をこう話
している。
「シャープペンシルを開発して、日本で一番良い販売店を選んで東京・銀座の伊東屋と
いう文房具店に持ち込んだ。『こんなもの売れない。第一、どこにさすのだ』という。そ
のたびごとに改善し、とうとう三十六種類もこしらえた。毎月六種類ずつ六ヵ月かかって
、一ダースずつ、三つの箱に違うものを入れて持っていくと、やっと主人が会ってくれた」
「どんなにむつかしくても、やるという熱意と誠意を持っていなかったら成功しない。
不景気だとか、金づまりの時は誠心誠意、誠を持って解決し、五つの対策で考える必要が
ある。一つでうまくいかないと、ダメと思ってあきらめないで、二つ、三つ、四つ目と考える。だいたい、
三つ目ぐらいにはうまくいく」
三つ目ぐらいにはうまくいく」
●学問、読書のドレイとなるな
出光 佐三(出光興産創業者) 『出光佐三語録』
出光は少年の頃から眼が悪く、読書や勉強するにしても、十分できなかった。眼科の良
医を求めて、探し歩いたが、どこでも断られた。眼は年を取るほど悪化し、視力は〇・〇
に近く、ご飯のおかずも懐中電灯で照らし、眼鏡をかけた眼をくっつけてみて、やっと見
えるほどだった。
失明に近い状態で、眼科からはサジを投げられた。出光は「眼がよく見えないために、
オレはよく考える」と豪語していた。大成してからも部下への訓示が独善的、神がかり的
になったのは、『この眼の不自由』と大いに関係があった。
読書や他からの知識ではなく、自分の頭で考え抜いた結果だけに、細部にこだわらぬ大
胆不敵な発想と行動になって現れ、「日章丸」や石油の国際資本に対しての、徹底した戦
いを可能にしたともいえる。
出光は「新卒業生には『まず卒業証書を捨てよ』といい聞か
せ、現代の世相は学問、知識に依頼心を持って、肝心の人間を忘れている。学問にとらわ
れ、理論のドレイになるな」と訴えている。
●腹の虫をおさえる
池田 成彬(三井財閥のリーダー) 『新・三六五日の実業訓』
人間である以上、いろいろ腹の立つことに出くわす。腹が立って我慢するか、我慢でき
ないか、そのキリギリのところにきた時、その三分間か五分間、そこでやはり我慢してい
まうのだ。
腹立ちが爆発するか、しないかは、この三分間か五分間である。ここをぐっとこらえて
過ぎると、不思議にもう腹が立たなくなる。かえって馬鹿馬鹿しくなることさえある。
怒らなくてもよかったと思い出す。それが、この三分か五分の境目になる。
私はどこか体が痛い時に
「痛いということは、どういうことなんだ」
「痛いといったところで、それがなんだ、つまりそれだけのことじゃないか」
と自問自答の中に我慢する。気に入らぬことがあっても、腹を立ててドナってみたからと
て、格別どいうこともないのだから。
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