名リーダーの名言・金言・格言・苦言(20)『買ってもらう。作らしてもらっているとの気持ち』豊田 喜一郎(トヨタ創業者)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集(20) 前坂 俊之選
●『買ってもらう。作らしてもらっているとの気持ち
豊田 喜一郎(トヨタ自動車創業者) 『豊田喜一郎』
豊田は“大衆車”を目指してスタートした。そのためには量産しなくてはならない。量
産のためには、それを維持する販売力が必要であり、お客に接する心がけが大切となる。
喜一郎は口を酸っぱくして―「作ってやる、売ってやるではいけない。買ってもらう。
作らしてもらっているという気持ちでなくてはいけない」と言っていた。
幹部にこの言葉は、染み込んでいた。「儲ける前に、まず使う人に儲けてもらわねばな
らぬ。そうすると自然、トヨタを可愛がってくれる」という言葉も。
喜一郎は販売力強化のために、当時、日本ゼネラルモーターズにいた神谷正太郎(後に
トヨタ自販社長)をスカウト。これがきっかけで、日本ゼネラルモーターズの人材がごっ
そりトヨタに移った。喜一郎は販売店を大切にし、昭和十一年に生産力が上がらず、販売
店が苦境に陥った時、当時一台販売して利益が三百円の時代に、一店平均一万円の見舞い
を渡して回った。トヨタの販売力の強さの秘密はこんなところにあった。
◎人によくすることは、自分にもよくすること
早川 徳次(シャープ創業者)
早川は二歳で養子に出され、小学校二年で退学、九歳で飾り職人になるなど、苦労をな
めつくした。十九歳で独立、金属細工の技術を生かし、シャープペンシルを発明。事業で
成功するが、関東大震災で工場が壊滅し、妻子も失う不幸にあった。大阪に引っ越して、
一から出直し、大正十三年にシャープを設立。ラジオを製作して大ヒット。戦後は「人に
マネをされる商品を作れ」をモットーに、テレビ、太陽電池、電卓など次々に開発、シャ
ープを発展させた。その早川の“五つの誓い”がこれ。
一 近所をよくする。近所を儲けさせる。
二 信用、資本、奉仕、人、取引先、この五つの蓄積を行え。
三 よい人をつかんだら、決して放すな。
四 儲けようとする人は、儲けさえあればいいんだ。何事にも真心がこもらない。
五 人によくすることは、自分にもよくするのと同じだ。人を愛することは、自分を愛
するのと同じだ。事業の道も処世の道も、これ以外のものはない。
◎金を借りるより知恵を借りる
立石 一真(オムロン創業者) 『人を幸せにする人が幸せになる』
とかく当座しのぎに、銀行の方に、足が向いてしまうのが人情だが、金というものは経
営に力がついてこなければ、企業についてこない。それにはまず“経営の知恵”を借りる
べきである。その知恵を、簡単に貸してくれるのがコンサルタントである。
借りた知恵は金と違い、返す必要もないし利子もつかない。安いものである。
報酬金が安いと、ついた担当のコンサルタントを粗末に扱う。コンサルタントにもらっ
た宿題なり、調査統計の答えを出すのが、遅れてムダ足を運ばせることになる。
その点、高い報酬のコンサルタントの場合だと、人情としてそのようなムダば出来ない
ので、結果としてうまくいくようである。とはいえ、報酬が高ければ高いほど、よいとい
うのではない。おのずから、適正な額が望ましい。この場合、コンサルタントの指導力も
それ相応に優秀であるから、効果も顕著であるし、自然、企業の利潤も増えてくるので励
みが出てきて、張り切らざるを得ない。
☆伝統がないのがホンダの伝統
本田 宗一郎(ホンダ創業者) 『わが友本田宗一郎』
本田は権威や伝統などは全く認めなかった。新しいものを自分たちの力で作っていこう
という精神で燃えていた。
“日に新に”の精神である。本田は言う。
「ホンダが、なぜここまで伸びたかと言えば、ホンダに伝統がなかったといえると思う
。過去がないから未来しかない。
それだけに、古い過去のひっかかりにわずらわされずに
、伸び伸びやれた。だから、よその会社のように、やれ五十年とか、三十年の歴史と自慢
するような伝統は持たせたくない。強いて伝統という言葉を使うならば、伝統のない伝統
、『日に新に』という伝統を残したい」
そして、大切なのは、伝統や会社などの権威ではなく、商品自体の良さであるという本
質をピシャリと指摘する。「年数が尊いのは、その内容がいい時である。誇りうるものは
、伝統でも、会社の大きさでも、工場の立派さでもない。品物自体である」
◎人使いのコツは細かいことまで指示せず、
自主性を引き出すこと
自主性を引き出すこと
松下 幸之助(松下グループ創業者) 『山本五十六と松下幸之助』
松下はほめ上手であったが、部下をおだてたり、おもねったりしなかった。部下のこと
を考えながら、人を育てる工夫をしていた。松下はこう述べている。
「人を使って仕事をする場合、部下が未熟な場合が少なくない。つい『ああしたらいい
、こうしたらいい』と言いたくなるのが、人情である」
「しかし、あまり細々と、指図することに終始していると、部下は安易になる。上の人
から言われないと、動かない姿になってしまう。これでは人は育たない。やはり大事なこ
とは自分でいろいろと考え、発想し、みずから行っていく、という自主性である。そうい
う自主性をもって仕事をしていて、はじめて人も育ち、仕事の成果もあがってくる」
「指導者として大事なことは、このように、人々の自主性を引き出していくことで、決
して命令に従う、というような姿にしてはいけない」
◎研究開発はカルタ取りだと思え
小林 大祐(富士通社長) 『トップの頭脳生活』
“果報は寝て待て”というコトワザがあるが、仕事上の着想、発想に関してはこれはあ
てはまらない。果報は待っていたのでは決して得られず、むしろギリギリの、時間的制約
や自分の職業生命をかけた、責任感の中から得られるものだ、と思う。
その意味で、私は社の研究開発に従事している者たちに常々「自分たちのやっているの
はカルタ取りだと思え」と言っている。カルタは、たとえ答えが同じようにわかったとし
ても、一瞬でも早くパチッとやられれば負けになる。研究開発も同じで、成果の発表が一
瞬でも競争相手より遅ければ、それで負けだ。
時間という観念抜きの“発想”など企業にあり得ない。厳しい時間的制約と責任感があ
れば、どんな人間も創意工夫を余儀なくされ、その発想を単なる空想にとめないで現実の
行動に移していかざるを得なくなる。時間はカネであり、勝負なのだ。明確な目標が与え
られ、責任を感じれば、人間というのは驚くほど能力を発揮する。
◎企業は大きくしてはいけない
中島 董(キューピーマヨネーズ創業者) 『幹部の責任』
中島は「経済道義こそ企業の根幹であり、売れれば売れるほど安くし、利益を社会へ還
元する」という理念で、戦後十七回も値下げに踏み切った。
昭和二十三年に一四〇・のびん入り二百円の製品を、合理化によって約三分の一以下の
七十円まで値下げした。
中島は「企業は大きくしてはいけない」と断言する。「大きくなればなるほど、自分の
目の届かぬところができ、お客にすまないし、ノレンに傷がつく」と。
人は小よりも大を好む。とかく、内容も伴わないのに、経営規模だけ大きくしようとす
る。大黒柱をそのままにして、より大きな家を立てると、大黒柱に荷重がかかって倒れた
り、ゆがむ。企業の原理も同じ。
やたらに、従業員の頭数だけを増やしたのでは、大黒柱を太くしないで、家だけを大き
くしたのと同じだし、自らの大きさを無視してドンドン膨張すると必ず悪い結果を招く。
◎持てる力を一点に集中すれば、必ず穴があく
鬼塚 喜八郎(アシックス社長)
昭和二十四年に従業員二人で始めた「オニツカ」は現在、世界のスポーツシューズのト
ップメーカー、「アシックス」として世界のスポーツマンから愛好されている。
その鬼塚の経営理念、戦略は「一点集中のキリモミ経営」である。中小企業が大資本を
相手に勝つ方法、“弱者の戦略”は常に自社の開発力、販売力、資本力の持てる力のすべ
てを一点に集中させること、という。
アシックスはまず、バスケットシューズに全力を投入、成功すると、今度はマラソンシ
ューズ、次はバレーボールシューズといった具合に一点集中し、突破してきた。
この“キリモミ戦略”の経営はキリが一点に集中して穴を開けていく戦略で、これはと
思われる市場を徹底的に攻める。一つの商品に力を入れ、シエアが七、八〇%になるまで
他に手を出さない。販売戦略も同じで、全国にあるスポーツ店から陸上関係者が最もよく
集まる陸上専門店三百店を選び、差別化作戦でその店だけにしか売らないことで全力投入
して成功した。
◎商売の秘訣は世間より一歩ずつ先に進むこと
服部 金太郎(セイコー創業者)
服部は明治初期に時計の修繕工からスタートし、一代で世界有数の時計王国・セイコー
を築き上げた立志伝中の人。服部は自分の成功について、服部時計店の重役たちに次のよ
うに言っていた。
「自分は他人が仲間同士で商売をしている時に、一歩進めて外国商館から仕入れた。他
の人が商館取引を始めた時には、さらに一歩進めて、外国からの直輸入をやった。
他人が直輸入を始めた時には、こちらはもう自分の手でそれを製造し始めた。そして他
人が製造を思いついた頃は、とうに世界的水準に達する立派な国産品が、出せるようにな
っていたのである」
「すべて商人というものは、世間より一歩先に進む必要がある。ただし、それは一歩だ
けで、一歩よりよけいに進み過ぎてはいけない。何歩も先に進み過ぎると、世間とあまり
かけ離れて、商売人ではなくなってしまう」
●『何も問題がないのは、問題だ
後藤 新一(三洋電機相談役) 『よっしゃ、イチから出直しや』
三洋電機副社長時代、後藤は各事業部を回り、「何か問題はないか」と聞くことが多か
った。その答えで、すべてがわかる。論外なのは「何もありません」
問題がないはずがない。どこに問題点があるのかもわかっていない。それこそわかって
いない。次は「あります。これとこれです」
問題を把握しており、挙げることはできる。少しましだが「どういう対策をしているか
」と問うと返答できない。これも落第。
「問題はこの点とこの点で、それに対してはこうような手を打っています」
これで及第である。
問題は発見すると同時に対策を講じて、解決していかねばならない。問題意識を持ち、
適切に処置しているところは業績も伸びていくが、ただ問題点を指摘するだけのところは
うまくいくはずがない。
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