日中韓150年三国志―尖閣問題のル―ツの研究(パーセプション・ギャップ)―尾崎咢堂の「『朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て』②
『日清戦争勃発に至る<日中誤解>
(パーセプション・ギャップ)の研究―
憲政の神様・護憲の尾崎咢堂の「対中国・韓国論」②
『朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て』と
主張した尾崎の理由は!?
前坂 俊之(ジャーナリスト)
朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て
支那征伐論(中国との戦争論)を土産にして私は十一月上旬に帰国した。すると間もなく京城(ソウル)に変乱が起り、日・韓・支(中)三国の間に容易ならぬ紛議が生じた。この兵乱は朝鮮内部における進歩派と保守派の争いが原因である。
朝鮮の進歩派領袖は朴泳孝、金玉均、徐光龍等である。彼等はかつてわが国に来朝し、わが文物制度(文明)の整備しっつある状態を目撃し、朝鮮もこれにならわんとし、帰国後はその意見を建白した。これに対し政権を握っていた保守派は清国政府
に頼って進歩派の勢力を斥けようとしていた。
この両派の争いから日本公使館は保守派の暴徒によって包囲されて焼かれ、竹添公使は館員、兵士及び居留民とともに仁川の領事館に難を避けた。これは十二月七日の出来事だが、その電報が政府に入り、一度国民に伝えられると、議論は沸騰し、硬軟両論がやかましく論ぜられた。
当時私は支那(中国)と朝鮮と日本は共同して欧米の侵略に備えるべきであるという考えを根本としていたが、支那(中国)の無力と人心の腐敗を目撃してそれは不可範であるから、日本は単独で朝鮮を助け、朝鮮をして完全な独立を保持させようという意見であった。それを実現する方法として清国に監禁されていた大院君の帰国を清国政府に交渉するという案を提示し、これを新聞に掲げた。
大院君は国王の近親者で久しく政権を握っていたが、明治十五年七月の乱(注・壬午事変(じんごじへん))http://ja.wikipedia.org/wiki/壬午事変
に降し、その煽動者であるという嫌疑を受けて一清国宮延のために拘引され、それ以来、支那(中国)に監禁されているけれども、その名声が高く、彼を仰望するものは、わが国を怨み、且つ敵視してる有様であったから、朝鮮政府のために清廷に掛合って彼を帰国させれば単に進歩派だけでなく、大院君に嘱望する保守派の歓心をも博して、朝鮮人全体の日本に対する信頼が得られると考えた。
私はまた朝鮮問題は支那問題と関係がっ深かつたから「本邦の支那、朝鮮に対すべき国是を議す」「観争と平和」その他の論文を書いて支那に対する積極策をも論じた。これらの論文からその要点を拾って見ると次の通りである。
まず支那朝鮮に対する政策としては「進んで東洋諸国をして西洋諸国と競はしめんと欲せば、我れ2国を提携誘導するべきである。我が独立を保全せんと欲せば2国を挙げて欧洲諸国の併呑にまかせるべきではない」と記し、この二国とわが国との関係及び二国の実情を論じた後、朝鮮はこれを援け、支那はこれを討つべし」という緒論を掲げた。
すなわち朝鮮については「朝鮮人は活眼を備へて彼我内外の長短を見るの明.あり、能く己が短所を知って他の長所を根らんと欲す‥‥向後我が官民の彼を遇する益々丁寧親切なれば、其文明.一歩を進むる毎に彼れの我れを尊信するいよいよよ深きに至る可し、我れ朝鮮を輔けてその独立を全うせしむるは決して至難の業に非ず、益々今日の朝鮮政策を拡張し、その君臣をして我が恩威を感仰せしむれば足れり」と論じ、
支那に対しては「そのやや活眼を具えて、我が実情を詳かにする者は、我が人民の強健なる、我が兵士の勇猛なるを怖れること極めて深く、日夜我が呑嘴にあはんことをこれ憂う・‥・之に反して頑瞑固陋の徒は(この徒最も支那に多し)徒らに尊大自負にして、全く城外の事情を知らず、我壌地の狭小なる、我が民衆の寡少なるを聞き、すこぶるこれを軽んずるの意あり、たまたま本邦に遊んで、我が形勢を説く者に遇うも、この輩唯だ世間の事情に暗き、我が漢学先生と会して、邪説横行、財政紊乱、大道煙減など云へる無根の妄言を聞くのみなるが故、何より以て本邦の実情を尽すに足らず、道聴途説転々用い伝えて、ますます我を軽んずるの意を長ずるに過ぎざる也。故に機を見るに明かなる士は早く支那を輔導するの妄見を棄て、支那は決して輔く能はざる者と考えて、我が之に対する国是を定めざる可らず」と諭した。
また支那に対してはすでに欧洲諸国の分割が始っていたので、かかる情勢に機先を倒し、支那における変動を利用する政策として私は支那の討伐を主張した。
当時、朝鮮問題で政府は韓国政府と折衝中であったが、清廷が韓国側の背後にあって糸を引いていたから、日本が強硬な方針をとれば清国と一戦を交えなければならない形勢であった。私は支那と戦つても勝算歴々たるものがあると考えていたから、支那と一戦を交えることを恐れず、朝鮮問題の解決に当るべきであると叫び続けた。
<以上は尾崎行雄『民権闘争70年』(読売新聞社 1952年)>
関連記事
-
-
鎌倉鶴岡八幡宮の「さくら」を見に行く。外国人観光客でにぎわう(4月2日午後3時すぎ)②』 ★『4月5日(土)-6日(日)がほぼ満開だよ』
鎌倉鶴岡八幡宮とは https://www.hachimangu.or.jp/ …
-
-
『Z世代のためのウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究』★『国難がいよいよ切迫、万一わが軍に勝利あらざれば、重大なるご覚悟が必要です。ロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る』
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑭ 』021/09/01/記事転載2017/ …
-
-
『日本の外交力の弱さの復習問題』★『日清戦争の旗をふった福沢諭吉の日清講和条約(下関条約)から3週間後の『外交の虚実』(『時事新報』明治28年5月8日付』を読む』★『三国干渉(ロシア、ドイツ、フランス)の強盗外交に日本は赤子の手をひねられるように屈し、臥薪嘗胆する』
2019/01/31 記事再録/ …
-
-
『オンライン講座・日本政治はなぜダメなのか、真の民主主義国家になれないのかの研究』★『議会政治の父・尾崎行雄が語る明治、大正、昭和史での敗戦の理由』★『① 政治の貧困、立憲政治の運用失敗 ② 日清・日露戦争に勝って、急に世界の1等国の仲間入り果たしたとおごり昂った。 ③ 日本人の心の底にある封建思想と奴隷根性」
2010/08/ …
-
-
『日本史人物クイズ? /歴代弁護士で奇人ナンバーワンは誰でしょうかー米国伯爵?自称した山崎今朝弥(やまさき・けさや)はハチヤメチャ弁護士人生』
奇人弁護士のナンバーワンは誰だ・・山崎今朝弥 山崎今朝弥(やまさき …
-
-
「オンライン回想動画/鎌倉カヤック釣りバカ日記(2015/07/30 )★『海上散歩×釣り×筋トレ×リラックス×釣った魚の刺身×地産地消=最後にきたよ「33センチの大アジが」かわいいね
2015/07/30   …
-
-
日本リーダーパワー史(858)ー来年1月からNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まる。国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。
日本リーダーパワー史(858) 国難の救世主「西郷隆盛のリーダーシップ」に学ぶ。 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(11) 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。日本最強の陸奥外交力④『陸奥が徹底したこだわった宗属関係の謎とはー』李朝は、宗主国「清朝」の代表的属国。 朝鮮国王は、清国皇帝の奴隷のまた奴隷である。
日中北朝鮮150年戦争史(11) 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 …
-
-
記事再録/歴代最高の経済人とは誰か②ー『欲望資本主義を超克し、21世紀の公益経済学を先取りしたメッセの巨人』~大原孫三郎の生涯①ー『単に金もうけだけの経済人はゴマンとおり、少しも偉くない。本当に偉いのは儲けた金をいかに遣ったかである。儲けた金のすべてを社会に還元するといって数百億円以上を社会貢献に使いきったクラレ創業者・大原孫三郎こそ日本一の企業家
歴代最高の経済人は誰か②ー『大原孫三郎の生涯① 2019 …
-
-
日本一の「徳川時代の日本史」授業⑧福沢諭吉の語る「中津藩での差別構造の実態」(「旧藩情」)を読み解く⑧
日本一の「徳川時代の日本史」授業 ⑧ 「門閥制度は親の …
