日本リーダーパワー史(704)「福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したか」⑩『林董(ただす)外務次官の証言する朝鮮防穀令事件の真相』防穀令により朝鮮地方官がワイロを貪った。
2019/08/09
日本リーダーパワー史(704)
日中韓150年史の真実(9)
「福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したか」⑩
『日清戦争の引き金の1つとなった防穀令事件
<1889年(明治22)>とは』ー
防穀令を布いて穀物の輸出をストップし、
朝鮮地方官がワイロを貪ったのが原因』
前坂俊之(ジャーナリスト)
防穀令とは
http://sinojapanesewar1894.com/360ktradeswjapan.html
1889年防穀令事件、地方官が不作の大豆の日本への輸出を禁止、手落ちあり予告期間に不足。このため日本商人に損害発生として朝鮮政府に賠償要求。賠償解決は1893年で交渉期間長引く。この事件は日本の国会でも問題となり、対外硬派の政府攻撃の材料となった。
https://wikimatome.org/wiki/%E9%98%B2%E7%A9%80%E4%BB%A4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi054.html
日清戦争前夜の日本と朝鮮(18)
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi054.html
Wiki林董
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E8%91%A3
以下は林董(はやしただす)外務次官の証言する
朝鮮防穀令事件の真相』
『後は昔の記他 林董回顧録』(由井正臣校注、
平凡社東洋文庫、1970
日本人が支那を恐れたる1例を挙げれば、明治26年に、朝鮮国と防穀令の外交交渉がある。これはわが国と朝鮮との条約に、朝鮮国内に凶作の微侯がある年は、朝鮮の地方官は穀物の輸出を禁止することができるという内容の条約だった。
ところが地方官は、ややもすればこの権利を濫用して、わが国(日本)の商人らが秋の収獲を見越し、農民の手付金を払って約束をして、秋になって穀物を運搬輸出する時に,たちまち防穀令を布いて穀物の輸出をストップして、ワイロを貪る手段としていた。
明治22,23年頃には、江原道・黄海道などでこの弊害が最も多く、日本商人が蒙った損害は莫大となり、表面の取調だけでも二十万円以上に上った。このため、青木周蔵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%91%A8%E8%94%B5
が外務大臣の時より、この事について交渉を開いていたが陸奥宗光
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%、A5%E5%AE%97%E5%85%89
が外務大臣だった時、大石正巳氏が朝鮮公使となり、何か政治家的に手柄を示そうとして手荒く朝鮮政府に談判に及んで、ついにその年七月二日、わが政府の認可を得、15日を限り最後の回答を要求した。
朝鮮政府は損害額の見積もり方が不当なりと称して要求に応ぜず、いよいよその月十七日となって、十五日の期限はその夜の十二時に終るため、何とか手段を取ることになり、この日、外務省で閣議を開かれ、有力大臣ら、外務大臣の官房に集会した。その時に在天津の荒川巳次領事より電報あり、李鴻章より伊藤博文大臣あての伝言の入電である。
「伊藤氏がもし朝鮮に出兵する事があれば、李鴻章も朝鮮を保護する為に出兵する」との内容であった。この電報が届くと、あたかも青天霹靂の如く、会合の大臣らは互に顔を見合せて一言もなく、朝8時より夕刻6,7時までの会議で何事も決定せず散会した。
この日、私(林外務次官)は陸奥外相に向い、「閣下は実に辛棒強き人なり。よくも今日のような相談に忍耐して居られることですね」と言うと、陸奥外相は答えて、「今日の如きは何でもなし。これより多くの忍耐を要することは閣議にはいくらもあるよ」と笑いながら言われた。
この時、幸いにもわが海軍の練習艦が、遠洋航海のために品川沖で、糧食を積み石炭を運ぶなどしていそがしく準備していた。在東京の朝鮮公使はこれを見て、『朝鮮へ派遣される軍艦だ』と勘違いして、その旨を本国へ電報した。朝鮮政府はこれに恐れ、又、一方で、この時、陸奥外務大臣は李鴻章に交渉して、袁世凱を通じて朝鮮政府に説諭させたので、ついにその翌日を以て損害の償金を払うことを大石に回答して、この難行した事件は一件落着した。朝鮮の内情を顧みれば、実に堂々たる独立国政府の体裁ではなく、ほとんど児戯に類せるもの。(子供の遊びのような政府である)」
朝鮮の事には李鴻章が必ず干渉することは、かねてより知られていた。最後通告の要求を申出す時によく考慮すべきことなのに、初めにこれを考慮せず、最後になって、ただ一片の電報のために恐怖、畏縮するとは一体何事か。しかし、当時の日本人が清国を恐れていた有様とはこのようなものだったのである」
と述べている。(同回想録70-71P)
筆者の感想ではこの『最後の最後までゴネ得でねばる」外交(害交)詐術は今の北朝鮮の「とんでも・核脅しクレイジー外交」に引き継がれている「死に至る朝鮮病」である。同時に
この林談話で示されているのはカミソリ大臣といわれた陸奥宗光外相の剛腕外交術である。
対中国・韓国・北朝鮮外交はこの陸奥外交(強圧・柔軟・理詰め外交)で2枚腰、3枚腰でかかる以外にない。
関連記事
-
-
知的巨人の百歳学(131)-『石油王・出光佐三(95)の国難突破力/最強のリーダーシップ/晩年長寿力』★『『人間尊重』『つとめて困難を歩み、苦労人になれ』『順境にいて悲観し、逆境にいて楽観せよ』★『活眼を開いてしばらく眠っていよ』
2011/07/31記事再録/ 日本リーダーパワー史(179) 『国 …
-
-
日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)
日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー 『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠 …
-
-
★『オンライン60歳,70歳講座/長寿逆転突破力を発揮し老益人になる方法』★『今からでも遅くない、70歳からの出発した晩年の達人たち』★『農業経済 学者・近藤康男(106歳)ー70才の人生の節目を越えて、以後40冊以上の大著を完成』★『渋沢栄一(91歳)-計画を立て60から90まで活動する,90歳からスクワットをはじめ、1日3時間以上読書を続けた』
2020/08/06 /人気記事再録 &n …
-
-
日本リーダーパワー史(98)『幽翁』伊庭貞剛・大住友精神を作ったその禅による経営哲学(リーダーシップ)
日本リーダーパワー史(98) 『幽翁』伊庭貞剛・住友精神を作った経営哲学 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(188)記事再録/近代のルネッサンス的巨人・日中友好の創始者・岸田吟香は『230年ぶりに上海に住んだ最初の日本人』★『ヘボンと協力して日本最初の和英辞典を出版、毎日新聞主筆、目薬屋、汽船、石油採掘、盲人福祉など10以上のベンチャービジネスを興した巨人』
2013/01/29 日本天才奇人伝④記事再 …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(520)東京都知事選に細川元首相が出馬(1/14)「原発の問題は国の存亡に関わる問題」
速報「日本のメルトダウン」(520) &nb …
-
-
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』⑥
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六『提督の恋』⑥ …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(23)南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展するのか。 『中国の夢』(中華思想)対『国際法秩序』(欧米思想)との衝突の行方は!(上)
日中北朝鮮150年戦争史(23) 南シナ海、尖閣諸島での紛争は戦争に発展する …
-
-
『2023年【令和5年』正月の長寿お年玉プレゼントです』★『百寿者の<長寿健康名言>のクスリを一服を進ぜましょう』
前坂俊之著「百寿者百語 生き方上手の生活法」海竜社 2 …