日本リーダーパワー史(703)★100全リーダー必見、全国民必見の感動ビデオ★『佐藤 康雄東京都緊急消防援助隊総隊長: 3・11いかに原子炉災害の冷却作戦に臨んだか』(動画26分)
2016/05/26
日本リーダーパワー史(703)
全リーダー必見、全国民必見の感動ビデオ
佐藤 康雄: いかに原子炉災害の冷却作戦に臨んだか
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20160420-00000000-ted
http://tedxseeds.org/Speaker/%E4%BD%90%E8%97%A4%E3%80%80%E5%BA%B7%E9%9B%84/
翻訳
こんにちは、このような素晴らしい場所で、またこのようにたくさんの素敵な皆さんの前で話せることを楽しみにしてきました。この写真3月19日福島第一原発3号機燃料棒貯蔵プール、これがカラカラになってしまったところへ大量かつ継続的に充水するというミッションを成し遂げた後の記者会見の写真であります。
この写真ご覧になったことある方ちょっと手を挙げて頂けますか。ああ、嬉しいですね。見ていない方もいらっしゃるようですけど、その方は後でYouTubeででもご覧ください(笑)。このミッション、福島から帰りましてすぐにこの記者会見ということですので、髭を剃る間もありませんでした。
今日はしっかりと髭を剃って参りました(笑)。実は今日はこの体験談を皆さんにお話ししながら消防の世界にほんの少しですけれどもお招きできればなと考えています。と言いましても時間があまりありませんので、この舞台の上にいらっしゃる方には東京消防庁のヘルメットを被っていただいてご参加いただこうと思っていますので、ぜひお被りください(拍手)。ご協力ありがとうございます。
3月11日14時46分東日本大震災が発生しました。マグニチュード9を超える史上4番目という超巨大地震、10メートルを超える千年に一度という巨大津波1万人の方がお亡くなりになり、5千人を超える方が未だ行方不明であります。
お亡くなりになった方にはご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆さまには心からお悔やみを申し上げます。実はこの超巨大地震、東京にも被害を及ぼしたということはあまり認識されておりません。震度5強の地震があり、そして34件を超える同時延焼火災がありました。
東京の防災を担う私としましては一刻も早くこの災害を終息させ、そして東北地方、非常に被害があるということですので、少しでも早く緊急消防援助隊を東北に送りたいという気持ちでもう精一杯でした。ところが徹夜が明けた翌12日、なんと福島第一原発1号機爆発したじゃありませんか。
絶対に飛行機がぶつかっても爆発しないと言われていたのになんで信じられませんでした。また、14日になりますと3号機も爆発しました。福島第一原発、皆さんご存知のとおり6基の原子炉がありますが、そのうちの1号機から4号機までが連続的に爆発したんです。
これは電源喪失による冷却装置が働かないことによって水が充足されていないことに原因があるということでした。元々原子力災害につきましては国家機密ということもありますので、国が対応することになっています。ということで自衛隊のヘリが2機空中から充水しようということで果敢に向かってくれました。
けれども、非常に高い放射能エネルギーでなかなか目的を達せられなかった。そして、また警察も国家の範疇ですので放水車を出してくれて、そして放水しようとしましたけれどもこれもなかなか難しい、こういう状況でした。
このとき我々東京の消防は本来東京の消防庁ですから東京をやるんですけれども、原発というのは任務にありませんが、これは消防・放水の専門家われわれに依頼が来る可能性がある。じゃあその研究を始めようということで部下たちと同時に始めたのがこのときであります。
東京消防庁には81の消防署があります。そして、そこには全部レスキュー隊がいます。その中から精鋭を募りまして4つのハイパー・レスキュー隊を作って東京消防庁に10ある消防方面本部のうち4つの方面本部に配置しております。
これは阪神大震災の経験から大きな災害があったときに派遣するためであります。このうちの一番下、右下にありますこの第二消防方面本部これにつきましては東北の方に気仙沼の方にすぐに行っております。
残りは3部隊があります。実は消防は原発こそ任務に入っていませんけれども東京で放射能を使ったテロあるいは研究所で放射能が漏れたこういったことを想定して基準を作り装備を作り日々訓練して参りました。
どんな基準かと申しますと、この三角の右側に書いてありますけれども普通のときは1回で浴びる放射能放射線の限度被ばく限度は30ミリシーベルトと決めております。ただし、人を助けるという時については100ミリシーベルトまで認めようと、ただし100ミリシーベルトまで認めた場合にはその職員はもう決して一生涯放射線災害には出さないという基準であります。
じゃあ、今度原発に行くときにどこまでを限界にしようかということを、これは先生にも入って頂いて検討しましたが、半径2キロぐらいの構内です、危ないとなって100ミリで逃げたら、100ミリ超えてしまいます。ということで、そのときの限界は80ミリシーベルトにしようということをまず決めました。
それから装備、この右上の方にあるのが放射線防護衣ですが、私から言わせればこれは防護衣ではありません防塵服であります。なぜかというと放射線の付いたそういう塵は防げるんです。
体内に入れないためにでも放射能そのものは電子レンジに人を入れたようなものですからどんどんそんなもの突き抜けてしまうんです。じゃあ、何が大事か時間で管理するしかないのであります。
3月17日、もう15日、16日になりますとまず燃料棒を冷やすことが喫緊の課題。国民の皆さんもどうやって冷やしてくれるんだろう、たぶんご心配だったと思います。3月17日、今言いました東京にいる全てのハイパーレスキュー隊を集めました。そして練っていた作戦本当は3つあるんですけれども、それがいかに短時間で人が少なく、被ばくを少なくできるかということを実際にやってみました。
当日、まだ現地では小雪が降るような木枯らしの吹く寒いところです。原発も海沿いにあります、風が強いんです。たまたま運よく木枯らしが吹くときですので風向きに対する影響も調べてみました。
実はこのとき一番指揮官として悩みました。東京3隊全部連れて行って留守にする。それは国難だからしょうがない、でもこのとき現地では400ミリシーベルトもの放射線濃度だったんです。
毎日100ミリシーベルト位ずつ上がっていく。我々が行ったときには600ミリシーベルトぐらいになるんじゃないか。1時間でですね。そうすると80ミリシーベルトだと10分も活動できないかもしれません。
ですから先ほど言った81ある消防署からレスキュー隊をたくさん集めて、その人たちにこの操作を教えて、それでお前たちハイパー・レスキュー隊はその先生になってくれとこの場でお願いしました。
どの隊長も「いや俺たちにやらせてくれ」、「俺たちが行く」、「いやだってお前たちには若い隊員もいるだろう」って言ったんですが、「俺たちが行く」この日のために訓練してチームワークができているんだ、悩みましたね。
でも、悩んだ末ハイパー・レスキューで行くことに決めました。それで、その日は各部隊にそれぞれ戻しました。ところが戻ったその日の夜中深夜0時50分なんと内閣総理大臣から出場要請が来たんです。
もっと本当は被害を少なくするために縮小しよう、色々検討しようと思ってたんですがその余裕はありません。2時に正式に出場命令をかけて、またもとの位置に集まれ、そしてこのように発隊式をやりまして8時には福島に着きました。
これが3号機が爆発した直後の航空写真であります。どういう作戦を採ったかと言いますと、上の方にあります矢印あれ海側にありますけれども、あそこに巨大なスーパーポンパーというポンプを据えつけて、そしてあの煙の出ている所、ここが3号機でありますけれども3号機の脇に屈折式放水塔車というものを設けて、そのノズルの角度それから繋げるホースは事前にもう繋げるだけ繋いでおく、そしてあの青の線まっすぐこれが一番最短ですから、車で150ミリというこんな太いホースはパタパタパタと延ばすそして繋げばあっという間に設定が完了する。
私の考えでは概ね7分ぐらいでできるんじゃないかなと読んでいました。この作業だけは東京電力と政府等と打ち合わせをしまして、東京消防庁は17時夕方の5時から作業してくれということになりましたので、これはJビレッジ原発から20キロ離れたところを前進指揮所にしたんですが、そこで準備をしてみんな出場しました。
ところが、私はそのJビレッジで待っていましたけれども、あそこは人里離れたところに原発を作りますので、携帯無線も通じない消防無線も通じない衛星無線も通じないんです。じっと待ちました。
送り出してその間政府から5時過ぎると、どうなっている、まだか、そんなものは判らない、蹴っ飛ばしたんですけどガンガン来る、戻って来たのを聞きますと想定以上に荒れていたんです。
隊長、7時過ぎに戻ってきました「どうしたできたか」、「放水できなかった」何こんな時間までいて放水できなかったということは全員被ばくしてもう失敗か、絶望的になりました。「いや違う」入ったのは偵察隊だけだと、偵察隊が時間かかったのはできないと言うだけでなくて、どこなら放水するためにポンプを落とせるかホースを延ばせるか調べてこんなにかかったと、本隊は門の外にいるそうかじゃあもう一回再チャレンジできるな、だけど800メートル延ばすんです。
その内のあそこの赤で描いている部分ここは瓦礫や屋外タンクが多くてとても車は入れません。手で延ばすしかありませんということです。何だよ、こんなに放射能が濃くて真っ暗な中、しかも瓦礫のある中、あんな大きくて普通、人が延ばしたことがない物をたくさんの人を晒して職員を晒して延ばすのかと、隊員にものすごく危険がかかるじゃないか。
でも私には一つは迷いは全くありませんでした。やらないという選択肢はないんです。先ほど言いましたようにどんどん放射能上がっていますから、もしここで撤退して体制を立て直してやる暇はありません。
じゃあもう一つ選択肢は何かというと、隊員の安全をいかに確保するかしかないんです。作戦をうんと皆ので練りました。2つの部隊をそれぞれ給水側それから放水する屈折式放水塔車側両方からホースを延ばそう。
そして、なおかつ人手が沢山要りますから、両方の部隊にマイクロバスを一台ずつ増強しました。そこにはたくさん職員を乗せていざというときには80ミリシーベルトになったらもう機材は全部置いて車に乗って戻ってこい次に控えている部隊が行くからこういう戦術を言い渡して第2回目の作戦に突入させました。
先ほど150ミリのホースを車で延ばすと、本当は今日ここでお見せしたかったんですが、東京消防庁でもそんなものは手で延ばすものではないし、手で三階まで上げられないから写真で勘弁してくれと、今日皆さんあそこで都知事に説明している、実はこれ10分の1の長さですから、1本50メートルで1つの重さが100キロあります。
それを7本以上暗闇の中で延ばすわけですこれが第二回作戦の決行です。3時間半ぐらい検討しましたので夜中23時になりました。これは、その門のところで打ち合わせをしているところです。そして、これが先ほど言いました屈折式放水塔車3万8千リットルも一分間で放水できます。それに対して延ばしているところです。
実はここで皆さんにスペシャル・サプライズを用意しています高山隊長来てください。私が説明するよりもこれは実際にこの現場で指揮を執った高山幸夫隊長であります(拍手)。高山隊長、隊長としてこのとき一番苦労したのはどんなところですか?
(高山)やっぱりですね任務の遂行とさっき部長がおっしゃった隊員の安全管理この両立をどう保って行くか、やれば危険が伴う、逃げるわけにいかないこの辺のバランスが非常に私としては大変でした。
(佐藤)最後に夜中の12時半に放水が完了しましたが放水した時に成功したかどうかってのはどういう風に判断しましたか?
(高山)目の前で「放水始め」という指示を出して、この150ミリのホースから水がぶわっと乗ってきましてホースからばっと水が出た瞬間はほんと天からの水のような神の水のように思えて、隊員全員ガッツポーズをしてやったという満足感でいっぱいでした
(佐藤)実は今日はこのスペシャル・サプライズでこの会見のときの3人揃い踏みで皆さんにお会いしたかったんです(拍手)。ところがこの左にいますのが富岡隊長というんですが実は今スペインに行っています。我々のこの勇敢な消防活動に対してスペインのアストリアス皇太子からこういう共存共栄賞をいただけるということで昨日授賞式でございまして(拍手)3人がいるのに2人ではまだ皆さんに申し訳ないのでもう一つスペシャル・サプライズを用意しました。
どうぞ(拍手)、実は先ほど100キロのホース暗闇で延長したと言いましたが、この装備25キロあるんです。ですから、この25キロの装備を背負ってなおかつ100キロのホースを延ばしたわけです。
はい、ごくろうさま、じゃあ外してください。ご紹介します彼は三縞圭隊員であります。なぜ、サプライズか(拍手)ありがとうございます。まだ本当は拍手は早いんですけどね、彼こそが先ほど3号機にへばりついた屈折式放水塔車を操作してくれた機関員なんです(拍手)。
あの暗闇の中で適切に50メートル離れた30メートル高いホースに水を注入してくれたんです。実は彼には1歳の娘さんが3月のときいました。そして、この9月22日にもう一人女の子が生まれました。
3月に行ったときは小さなお子さんがいて奥さんのお腹にも新しい命が宿っていた。それがあっても行ってくれた、嬉しかった(拍手)。実は先ほどこういう装備があるから、しっかりしてるから、訓練もしっかりやってる、情報もお互いにしっかり共有する、でも我々消防官がこういう命を懸けたところに行ける勇気というのは実はそれだけではないんです。
今、三縞隊員のお子さんの話をしましたが家族の愛があってなんです。私も先ほどのプロジェクトができたときに家内に「プロジェクトの発足に成功したよ」。その答え―これ記者会見でご覧になったかもしれませんけれど「日本の救世主になって」という言葉を家内からメールでもらいました。
これが私に力を与えてくれて背中を押してくれました。東京消防庁は今ちょうど今年で60年ですけれども、総隊長として警護部長がまず真っ先に現場に行ったというのは今回が初めてだそうであります。
そして、これからも多分無いだろうということであります。なぜ行ったのか、記者会見ではないのでお話しできるんですが、実は私は指揮を執りに行ったのではありません。総監と相談して始めから2人だけで相談して行こうということを言っていましたが、指揮は高山隊長が執った方がよっぽど上手いです。
私が行った目的は隊員の安全管理が一つ、そしてもう一つ、やはり死ぬ場所で状況が変わりますので、決断をすることが一つ、あと実はもう一つあります。責任を取るために行きました。これだけの場所ですから半分は戻れないと思った。
彼らは終わってみると結果ですけど家族の元に返せて本当に良かった(拍手)。実は福島の対応というのは我々消防活動の正にワン・オブ・ゼムであります。今回の東日本大震災では日本全国から緊急消防援助隊が2万7千部隊以上そしてなんと10万人以上の緊急援助隊が東北の被災地に駆けつけました。
そして、世界各国から国、地域、機関で197ヶ国もの支援の申し入れがありました。私も災害を担当してつくづく思いますけれども今まで文明・文化が発展してきたものこれは正に人間の絆によるものだと思います。
今東北地方復興に向けて全力で頑張っていますけれども消防もこういう風に皆と一緒に絆を作って支援しています。皆さんも一緒に支援してくれますよね(拍手)。人類はこういう絆があって発展してきて、こういう幾多の災害を乗り切れたんだと思います。
東日本大震災からもこの気持ちさえあれば必ずや立ち直れると思います、がんばりましょう。今日は本当に短い時間でしたけれども、消防の世界に入って頂きましてありがとうございました(拍手)。
(司会者)佐藤さんありがとうございました。ここで少しせっかくですので三縞さんにお話を伺いたいと思います。3月18日に出場が決まったとお聞きしたときにいろんな思いがあったと思うんですけれどそのときの心境を少しお話し頂けますでしょうか。
(三縞)もう、最初テレビで原発災害を見たときは正直行くことはないだろうというふうに思っていました。ただこの出場命令がかかった時というのは正直これはヤバいなどうしようかなっていう恐怖感と、もう誰もがやったことのないミッションだったので絶対やってやる、俺らがやるんだっていう使命感、ほんとそれが入り混じってたどうしていいか分からないような状態でした。
(司会者)もちろん三縞さん自身もそう思われたということはそれをご家族の方、お子さん、ご報告されたと思うんですけれどそれはどんなご報告だったんですか?
(三縞)原発事故イコールチェルノブイリ、もっと大きく言えば広島・長崎の原爆というようなイメージ、私の家族含めてそういう思いがあったようです。私のカミさんもさっき言った通り当時妊娠初期だったので、これで流産されたら困るなって本当にそういう思いでどうメールしたらいいのかもう電話はとてもできなかったのでどうしようと思った時に軽くちょっと飲みに行ってくるよみたいな感覚で、総理大臣命令出ちゃったから行ってくるよっていうようなメールを送りました。
そしたらですね皆からやってこいやってこいって、すごい命令だから行ってこいとカミさんからも国のためだから一丁やってこいと偉そうなメールが来ました。それが本当に力になったんですけど、出場当時の真っ暗闇でほんとにやる気になっているときなのに、もう寝るっていうメールが来たときにはちょっと寂しかったんですけど(笑)(拍手)。
(司会者)ぜひ三縞さんにここにいる260人の素晴らしい方々、そしてインターネットで見ている世界中の方々がいらっしゃいますので、今、三縞さんが思う気持ちをですね一言頂いてもよろしいでしょうか。
(三縞)あのミッションを成功したときは正直喜びました。あのときの危機を取り去ったというふうには思っています。ただ残念ながら現在まで原発は終息していませんし、本当に危ない現場で作業されている方が今でもいます。
また、津波災害そういったもので被災された方々というものが復興したかというと、とてもそういう状態ではありません。なので、両手を挙げて喜べる自分がいません。それでもあの時にちょっとでも被災された方々が、お、やったじゃねーかよ、じゃ俺らもやろうかっていうふうに思って頂いたときに始めてミッション達成したんだなっていうふうに思えるんじゃないかと、いうふうに思っています。
それと、もう一つ我々消防官っていうのはスーパーマンじゃないんですね。死んでしまっては私らも駄目なんですね。やっぱり私がミッションを終えて帰ってきたときに娘が寄ってきて抱っこしたときとか、先日生まれた子どもを見たときにですね、本当に生きて帰ってよかったと強く思いました(拍手)。
やっぱり自分の身を守れない人間に他人を助けることは絶対できない、そういうふうに思っています。高山隊長からも教わっていますけれども、目の前に私たちの助けを求める人がいるんであれば、それはもう全力で本当に自分の力の限界を越えてまでも助けて、その人が私と同じように生きて帰って良かったって思っていただけるように、これからも全力でがんばります。本当にありがとうございました(拍手)。
(司会者)佐藤さん高山さん三縞さん本当にどうもありがとうございました
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