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◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に 生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで①」

   

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に

生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで①

 

<月刊「公評」(2013年11月号)に掲載>

前坂 俊之(ジャーナリスト) 

  

◎史上最高の弁護士・ジャーナリストであった正木ひろし

 


「人間性」という今回のテーマをみた瞬間に、私の脳裏に浮かんだ人物は正木ひろし弁護士のことです。人間性、特に日本人の人間性の特徴について、そのヒューマニズム、普遍的な人類愛についての視点から、正木弁護士の思想と行動を考えてみたいと思います。

正木弁護士といっても、今の若い人々には誰のことか全くわからないでしょう。ちなみに手元のスマホ、パソコンで「ウイキペディア」で調べていただく、人物の経歴が簡略に紹介されています。

正木ひろし(18961975)は弁護士兼ジャーナリストであり、1937(昭和12)に個人ミニコミ雑誌『近きより』を創刊し、日中戦争、アジア太平洋戦争、敗戦というファシズムの時代に、多くの知識人、言論人が戦争に協力したり、沈黙していった中で、ただ一人で良心のペンをふるい戦時体制批判、軍部批判を書き続けた抵抗のジャーナリストです。

アジア太平洋戦争で全面敗北した1945(昭和20)年8月以降は国家悪・権力悪との戦いを独力で続けて「天皇プラカード事件」「首なし事件」「三鷹事件」、「チャタレイ裁判」「菅生事件」、「八海事件」、「丸正事件」などの数多くの冤罪事件を手がけ、正義の追及と人権救済に後半生を賭けました。明治中期に足尾銅山の鉱毒問題で戦った田中正造が公害反対運動の先駆者とすれば、正木は冤罪や裁判悪と戦った人権運動の先駆者といっても過言ではありません。

明治以来、現在まで日本の知識人で、組織ではなく単独で国家権力と真正面から戦って勝利した人物は数少ないが、正木はその稀有の実例であり、まさに「日本の良心」と呼ぶのにふさわしい人物です。
正木は弁護士に1975年に78歳で亡くなりましたが、私は生前にあって取材し、裁判記録や個人資料も一部拝借して、彼の伝記を書くとの約束を交わしました。この約束は未だに一部しか果たしてないので、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、今回のこの文章がその一端になればと思い書いています。

私が正木弁護士に会うきっかけとなったのは、彼が告発した「誤った死刑」の八海事件(山口県下で1951年に起きた老夫婦殺害事件で、5人共謀の多数犯か、単独犯かで裁判が計7回繰り返された事件)の真犯人に出会ったからです。新聞記者となって1972(昭和47)年に広島県呉支局に転勤となりましたが、ここで正木弁護士が『裁判官人の命は権力で奪えるものか』(19553月刊、光文社カッパブックス)で告発した八海事件の真犯人Yにあったのです。

当時のベストセラーの代名詞となった光文社カッパブックスの『裁判官』は日本で初めての裁判批判本といえるもので、裁判中の死刑事件を担当弁護士が冤罪だとして告発した前代未聞の内容で一躍ベストセラーとなり、これを、山田典吾製作、今井正監督が『真昼の暗黒』(1956年)で映画化しこれまた大ヒット。大きな社会問題となりました。同映画は社会批判の問題作として「キネマ旬報」ベストテン第一位など56年の映画賞を総なめにし、最後の場面で無実の死刑囚の主人公が「まだ最高裁があるんだ!」と金網越しに絶叫するシーンは大反響を呼びその年の流行語にもなりました。

 

〇八海事件で「司法殺人」は許されるかと追及した正木弁護士

 

「神の名によって司法殺人は許されるか」という激烈な言葉で、正木弁護士は最高裁に挑戦状をつきつけたのです。これに対して、当時の田中耕太郎最高裁長官は55(昭和30)年5月の全国高等裁判所長官、地家裁所長会合で、「裁判官は世間の雑音に耳を傾けるな」、「流行の風潮におもねるな」と異例の反論を行い、マスコミでも裁判論争は過熱して、正木弁護士の勇気ある行動はますます注目を浴びていきます。

結局、最高裁は事件を高裁に差し戻し、広島高裁では無罪,さらに第2回最高裁では逆転し再び広島高裁に差し戻しとなり、今度は有罪となり、結局、17年余の長期裁判で7回の裁判を延々繰り返し、1975年3度目の最高裁で破棄無罪が確定するという異例の展開となりました。それこそ名前の通り「やっかいな事件」で、松川事件と並んで昭和戦後を代表する冤罪事件です。

真犯人Yは1953年に無期懲役が確定し、1971年に広島刑務所を23年ぶりに仮出所して 呉市内の更生施設に入り、造船所に就職、名前を隠して第二の人生にスタートしていました。新米記者だった私は、裁判でもめにもめた天下の大事件の主人公だったYだけに、どんなに怖いとらえようのない難しい人物かおっかなびっくりで取材に出かけたのです。一九七二(昭和四十七)年十二月のことでした。

 

あった瞬間から驚きの連続でした。私が質問する前から、一方的に事件について、裁判についてべらべらしゃべり続けて『警察はワシの指の間に鉛筆を入れてわしずかみにしてぎゅーと握り、あの手この手で拷問をくわえて、本当のことをいっても聞いてくれない。警察の筋書き通りに認めると可愛がってくれる。ウソの供実をしたのは死刑を逃れたいための一心から』という。

真実を見抜きたいと全神経を注いで凝視していた私の顔を正視せず、目をキョロキョロさせる落ち着きのない態度で、その話しぶりはつじつまのあわない、すぐウソと分かる、軽薄な話しぶりでした。どう見ても、思慮分別のある、信用できる態度ではなく、新聞、週刊誌などの記事、裁判書類を通してつかんできたYのイメージと本物とのあまりの落差に私は脳天をバットで殴られたようなショックを受けて、1時間も話をしないうちに、本性を見た思いでした。

 

Yは裁判中はその証言をめぐって弁護側から「虚言癖がある」として、何度か精神鑑定の要請がありましたが、裁判所はこれを拒否して、精神鑑定は行われていませんでした。出所後に入院中の病院で行われた精神鑑定が行われた結果では「知能指数は七〇点台(普通の場合は一〇〇点以上。八〇点から一〇〇点までが大体、ボーダーライン、症状の順位からいうと、正常、ボーダーライン、軽愚、呂鈍、痴愚白痴となる)で、軽愚」との鑑定が出され「虚言癖」は認認められたのです。

つまり、私の直観の方が、膨大な誤判の裁判書類よりも正しかったといえます。

Yの第一印象に衝撃を受けた私はYから徹底して取材し、関係者に総当たりして「なぜ、一目でこんな信用できないとわかる人間によって、日本の最高の知性の集団といってよい裁判所はふりまわされたのか」、「警察、検察はなぜ不正をおこなうのか」、「また「正木弁護士のヒューマニズム、思想と方法論を明らかにする」ことによって「日本の裁判の病理」を明らかにしたいと決意したのです。

呉で八海事件を最初から最後で献身的支援したのは原田香留夫弁護士ですが、その応援によって山口県、広島県内などの関係者を、休みを利用して片っ端から取材をはじめました。

                                                                                                                   つづく


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