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日本リーダーパワー史(630) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(23) 『川上操六参謀次長と日清貿易研究所を設立した荒尾精 「五百年に一人しか出ない男」(頭山満評)ー表の顔は「漢口楽尊堂店長」、実は参謀本部の海外駐在諜報武官。

      2015/12/31

日本リーダーパワー史(630

 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(23)  

 『川上操六参謀次長と日清貿易研究所を設立した荒尾精

「五百年に一人しか出ない男」【頭山満評)

荒尾の表の顔は「漢口楽尊堂店長」、実は参謀本部の海外駐在諜報武官。

        前坂俊之(ジャーナリスト)

川上が支那(中国)問題に関心を示したのは1876年(明治9)、陸軍省第二局出仕時代のことで、それ以来、心血を注いで大陸作戦を計画し研究を積み、その遺憾なきをきした。

川上は対中国・朝鮮問題には抱負を持っており、明治8年の江華島事件、同15年の壬申事件、17年の甲申事件の失敗から朝鮮問題を解決するには最終的にはその宗主国・清国との戦いはさけられないことを認識してした。

このため、清国の現状の調査には参謀本部で最も有能な人材を選りすぐって中国の要地、奥地に派遣した。

明治維新以来、アジア政策の先覚者として研究し、身を挺し責任をもって、自ら全権大使として中国・朝鮮問題の解決を主張したのは西郷隆盛である。

明治17年、安清(清国とベトナムの衝突)問題を中心として清仏戦争の起ると、参謀本部より多数の将校を派遣された。これより先、福島安正(陸軍大尉)は北京公使館付武官として北京におり、小島正保(陸軍大尉)小沢徳平(中尉)ら3人は南北支那の各地方にあり、青木宜純(少尉)は広東地方に派遣されて、廣瀬次郎と変名して潜伏すること三年、北京で柴五郎(中尉)と共に北支那一帯の地理を踏査し、諜報任務にあたった。

日本リーダーパワー史(128)空前絶後の名将・川上操六⑲日清戦争前哨戦のインテリジェンス・・

<川上の対中国インテリジェンス網>http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3277.html

当時、小沢豁郎(陸軍中尉)は、福州にあって、哥老会という地下組織(孫文の辛亥革命にも関係)と結びついて清仏戦争を機に革命運動を企んでいた。

これが陸軍部内に洩れ伝わり、陸軍でも問題視して、柴五郎を派遣して中止させようとした。小沢を待命処分として、とくに軍艦を派遣して本国に護送すべしとの強硬意見もあった。しかし、川上は小沢の心境に同情し、「小沢の計画は実行に着手したものではない。国家のために計画したものに過ぎず待命処分の必要はない」と、小沢をかばったので、小沢は香港に転勤することで1件落着した。小沢とその同志は、川上を大いに徳としたことはいうまでもない。

明治20年7月、陸軍中佐・山本清堅、陸軍大尉・藤井茂太、同柴山尚則は、参謀本部の命によって北支地方に派遣された。その任務は戦争になった場合の支那沿岸上陸地点の決定、軍隊の輸送方法、上陸後における戦略目標に対する作戦、地形の戦術、戦略上に及ぼす影響の調査であった。

一行は朝鮮仁川にわたり、チーフを経て天津に着いたが、天津には陸軍大尉・渡辺錠太郎が滞在していた。

当事、北京には柴五郎(砲兵大尉)青木宣純(工兵大尉)石川潔太(同)らが日本公使館に滞在してみた。山本、藤井らは北京に留まること10日、北京より永平府街道をへて山海関、その北方を視察した。

藤井らはこの秘密行について、次のように証言している。

「この長さ二百数十里にわたる旅行が安全であったのは、煙草・仁丹・精銘水・絆創膏のような日本の薬品類を携帯し、村落に休憩し、または夜間に入る毎にこれを中国人に売ったのである。これは現地人の歓心を買うのに大きな効果があった。万一の検査を受けても、手帳、筆記、その他の疑惑をまねくよう物品は一切持参しなかった。必要なるものは、一切、頭に記憶させねばならぬから、その苦心は尋常一様ではなかった」

川上操六と荒尾精「五百年に一人しか出ない男」【頭山満評)

川上は中国問題を研究のため、参譲本部を中心として有能な将校を次々に支那各地に送り込み情報収集に努めたが、そのナンバーワンが頭山満に「五百年に一人しか出ない男」といわれた荒尾精(1858~1896)である。

荒尾は尾張藩士の家に生まれ、廃藩置県によって東京に出て私立学校に入学し、中国語や英語を学び、外国語学校に進み、フランス語を専攻した。陸軍教導団砲兵科に入学。更に陸軍士官学校に入り、明治15年、陸軍少尉となり、16年、熊本第13聯隊付き、18年、転じて参謀本部支那部付となり、ここで川上の知るところとなり、19年春、参謀本部付のまま支那に派遣された。

当時著名な「楽尊堂」本店の店主・岸田吟香の全面的な協力を得ることができたので、大陸奥地の中枢の地・漢口で「楽尊堂支店」を開き、諜報任務にあたった。

ここで「楽尊堂」本店の店主・岸田吟香にふれる。

日本天才奇人伝⑤近代の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝②<陸軍参謀本部員の荒尾精ら情報部員をバックアップして中国各地の情報を収集させた>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1869.html

台湾出兵に日本初の従軍記者として岸田は参加した。当時は写真版などまだなくて、すべて木版画の時代。写真撮影は三脚を立てて長時間をかけての時代なので、戦闘状況などの撮影できない。新聞や雑誌のカットはすべて浮世絵師が書いていた。ところが、吟香の絵は現地の写真画であり、「東京日々」の大きな特ダネとして新聞は売れに売れた。台湾従軍から帰ってきた吟香は、月給二百五十円の福地源一郎社長につぐ鉱待遇(月給百円)となった。

1877年に東京日日新聞発行所である日報社(毎日新聞の前身)を退社して、銀座にクスリ屋の「楽善堂」を開いた。1880年、中国の上海イギリス租界に楽善堂支店を開き、眼薬「精錡水」の製造販売を主体にして、雑貨や書籍などをも扱って大儲けした。各地に支店を拡げた。岸田は表向きには一介の貿易業者だが、東亜に志をもち、西欧列強の清国侵略に対して日清が手を組んで排撃し、アジアの解放を念願する気骨のある国士であった。その頃中国では、岸田の名は日本人で一番よく知られており十八省に鳴りわたっていた。

荒尾の表の顔は「漢口楽尊堂店長」だが、実際は、参謀本部の海外駐在諜報武官。

この漢口は、交通、運輸が揚子江やその大小数十のその支流を通じて中国本土の半分以上の省に広がる物産の集散地であり、大陸の重要な情報基地であった。ここを情報収集の基地とし、宗方小太郎、井手三郎らと共に商業の傍ら、支部を支那の各地に置き、北は北京を中心として、蒙古・イーリーに、満洲に、西南は雲貴などに派遣して風土、気候、人情風俗、農工商、金融、運輸、交通などを調査研究した。

明治22年4月、荒尾は漢口での三年間の諜報活動を終えて帰国し、参謀本部に2万6千字にものぼる復命書を提出した。この復命書には「貿易富国」(支那改造、東亜建設の基礎を樹立せんと欲せば、日支提携の策をこうじ、両国の貿易を振興するにしくはない)の構想が記されており、貿易振興は日中間の急務であり、中国に日清貿易商会を設立して、日清貿易研究所を付属機関として設立し、貿易業務人材の育成を行なうことを提案していた。

つづく

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