『Z世代のための世界が尊敬した日本人(47)』100回も訪中し、日中国交回復の「井戸を掘った」岡崎 嘉平太(ANA創業者)
世界が尊敬した日本人(47)
前坂 俊之
(ジャーナリスト、静岡県大名誉教授)
中国革命の父・孫文を支援したのは宮崎滔天、梅屋庄吉らの日本人の民間人たちだが、戦後の日中国交正常化のイバラの道を切り開いたのは100回も訪中して、周恩来との親交を深めて「井戸を掘った」岡崎 嘉平太である。
岡崎は明治30年(1897)4月、岡山県賀陽郡吉備中央町で、農家の長男に生まれた。旧制岡山中、一高を経て項東大に入学した。当時、多数の中国留学生が日本で学んでいたが、大正4年(1915)、対中国21ヵ条の要求などで、日中間の対立がエスカレートし、学生同士も疎遠になっていた。
そんな中で、岡崎は多くの中国留学生と交友を結んだが、ある日、その1人から「上海の英租界の公園入口には、犬とシナ人入るべからず、との立札がある」との話にショックを受けた。
これは日本人、アジア人全体に対する侮辱と感じた岡崎は「日本の運命は中国との関係にある。日本は中国と争うべきではない。中国やインドと共にアジア諸民族の独立をかちとるべきだ」という「アジア主義者」となった。その友人は日本の対中態度に腹をたてて、抗日運動家となって帰国した。
その後、岡崎は日本銀行に入り外国為替部次長を経て、昭和14年(1939)日中合弁の上海華興銀行の理事で中国へわたり、中国認識を深めていった。日中関係は岡崎の志しと違って、支那事変から、「暴支膺懲」(横暴な中国を懲らしめる)、大東亜戦争と最悪の事態となっていく。その間、岡崎は大東亜省「参事官、同18年には上海大使館参事官として再び中国に戻るなど、中国通の経済官僚として戦争、外交の最前線で苦労した。
1945年(昭和20)8月15日、日本敗戦。勝利した中国・蒋介石主席は「抗戦勝利での全中国軍民」への告文をラジオ放送し、侵略した敵・日本に対しては「以徳報怨」(過去をとがめず、怨みに徳をもって報いる)を布告して、日本人をばかりでなく、世界を驚かせた。この原案を書いたのが●徳相ではないか、との情報があり、岡崎が必死で調べて10数年後にやっと台湾にいる本人と連絡が取れた。
- は自分は関係ないとしながらも「中国は建国の途上なので戦後も日本の助力が必要。戦争責任は日本の軍閥にあり、国民は関係ない」という一文を蒋介石に献策していたことがわかった。
戦後、岡崎は官僚から池貝鉄工、丸善石油、日本ヘリコプター航空(全日空、ANAの前身)などの社長に転身し、次々に再建に成功して、その経営手腕は高く評価された。その間、ストップしたままの日中貿易を何とか復活し、国交回復へつなぐ道を模索していた。
しかし、東西冷戦、朝鮮戦争以後は米国の対中共封じ込め政策によって、独立後の日本は台湾と国交を結び、中華人民共和国とは国交断絶状態が続いていた。
岡崎は「アカ」「反体制の財界人」などと右翼団体から妨害・脅迫を受けながら、政府に働きかけ松村謙三(鳩山内閣文相)、高碕達之助(岸内閣通産相、東洋製罐社長)を担ぎだして昭和38(1963)年から『LT貿易』(廖承志・高碕の覚書に基づく貿易)を実現した。
この前年に岡崎は初めて周恩来首相に会い、その人格に打たれ、以後18度も会見して「生涯の師」と仰ぐまでの深い信頼関係を築いた。
当時、日本では国交正常化に先立って「中国側の戦争賠償請求額がどうなるか」ーと神経をとがらせていたが、周恩来は『わが国は賠償権を求めない。両国の人民は日本軍閥の被害者なので請求できない』と岡崎に伝えていた。
「中国の心、アジアの心を相手の身になって考える』、『信はタテ糸 、愛はヨコ糸、 織りなせ 人の世を美しく』との信念を基に、すでに70,80歳の高齢になっていたにもかかわらず、岡崎は合計100回も訪中して、黒子に徹したのである。
昭和47年(1972)9月、日中共同声明の調印式が北京で行われ、田中角栄首相、周恩来首相が署名しついに国交正常化が実現した。周恩来は「中国では水を飲むときには井戸を掘った人を忘れないのです」と岡崎の功績をたたえた。
92歳の長寿を保った岡崎は平成元年(1989)年9月に亡くなったが、今でも中国でもっとも尊敬されている日本人なのである。
関連記事
-
速報(431)『日本のメルトダウン』『日本とアベノミクス(下)国家主義者か、国際主義者か」「橋下発言」はアメリカからどう見えるか』
速報(431)『日本のメルトダウン』 ●『 …
-
世界も日本もメルトダウン(964)『東大よりプリンストン 渋幕・渋渋、国際人の育て方 渋谷教育学園理事長 田村哲夫氏』●『やばいぞ内申書優等生、仕事がなくなるかもー またもやらかした文科省、改善のはずが改悪に』●『ドゥテルテ大統領の超法規的殺人に隠された真実』●『トランプは負けた。アメリカ民主主義も負けた。』●『 石原慎太郎、伸晃、宏高親子は「永田町で終わった人」』●『ボブ・ディラン氏、ノーベル賞の熱狂と距離』
世界も日本もメルトダウン(964) 東大よりプリンストン 渋幕・渋渋、国際 …
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(227)』『日本復活のためには先進各国から多様な人材を受け入れて彼らとの多国籍討論の場に日本人を引きづりだすこと』☆『日本人同士では通用している事がダイバシティ環境では時代遅れで全く通用しない事を思い知らせること』
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(227)』 日本を舞台に選 …
-
「日本スタートアップ・ユニコーン史」★『アメリカ流の経営学を翻訳・マネする前に、明治のスタートアップ起業者魂に学ぼう』★『グリコの創業者 江崎利一(97歳)『 「私の座右銘は、事業奉仕即幸福!。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る」』
2012/03/12 /百歳学入門(35)記事再録再編集 長寿経営者 …
-
『オンライン講座/ 初の現代訳『落花流水』一挙掲載 ―ヨーロッパを股にかけた大謀略 「明石工作」の全容を記した極秘文書 小説より面白いスパイ報告書。
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』(前坂俊之著、新人物 …
-
★『Z世代への遺言・日本ベストリーダーパワー史(2)ライオン宰相・浜口雄幸物語②』★『歴代宰相の中で、最も責任感の強い首相で、軍縮・行政改革・公務員給与減俸』など10大改革国難打開に決死の覚悟で臨み、右翼に暗殺された』
2013/02/15 日本リーダーパワー史( …
-
最高に面白い人物史⑧人気記事再録★日本風狂人伝⑩ 尾崎士郎-「人生劇場」を書いた男の中の男
日本風狂人伝⑩ 尾崎士郎-「人生劇場」を書いた男の中の男   …
-
速報(415)「サイバー攻撃の技術や実態について」 ④名和利男 サイバーディフェンス研究所情報分析官部長の動画会見
速報(415)『日本のメルトダウン』 ●『21世紀のグローバルワール …
-
知的巨人の百歳学(151)ー 東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳)―『禅は「不立文字」(文字では伝えることができない)心的現象』★『「切腹、自刃、自殺、特攻精神は、単なる感傷性の行動に過ぎない。もつと合理的に物事を考へなければならぬ」』
東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳) 前坂 俊之(ジャーナリスト) J …