「Z世代への遺言・日本を救った長寿逆転突破人の研究①」★『「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)は70歳から再出発、昭和敗戦(1945年)のどん底から立ち上がり電力増産の基盤インフラ(水力発電ダムなど)と9電力体制を万難を排して実現し、高度経済成長を実現した『奇跡の男』①
2021/10/05「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑩」
「電力の鬼」・松永安左エ門(95歳)の「岩は割れる」①
1945 年(昭和戦後)の日本が敗戦によるどん底から奇跡の復活を遂げたのは1つは昭和天皇の「聖断」とその後の国民の統合の象徴となったこと。2つ目は吉田茂首相の政治逆転突破力、3つ目は「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)が電力増産の基盤インフラを万難を排して実現した「長寿逆転突破力」にある。「日本の資本主義の父」渋沢栄一が明治の「殖産振興」のリーダーとすれば、松永は、大正期の最大の経済人で、昭和戦後の経済大国への道を切り開いた逆転プロデユサーだったのです。
昭和戦時中の統制経済下は日本の全ての電力施設を国家が接収・管理した特殊法人「日本発送電株式会社」(日発電)が日本のエネルギー全体を牛耳っていた。戦後、松永はこれを独力でたたき壊し、各電力会社の自由競争で水力発電ダムを建設し、電力増産を進める方式に転換し「死に体」だった日本経済をよみがえらせた。
昭和天皇、吉田首相は「一身二生」(途中の逆転人生で、前半生と後半生では別々の人生を送った)生涯ですが、松永はさらに『一身三生』の波乱万丈の生涯を送っています。松永の生涯はまさに『逆転昭和史の奇跡の物語』です。
-
元寇の役でモンゴル軍が攻めてきた時に生まれた混血児
松永は1875年(明治8)12月、長崎県壱岐の素封家松永安左エ門の長男として生れた。「先祖は1274年の元寇の役でモンゴル軍が攻めてきた時に生まれた混血児で、代々漁師をしていた」というから、幼少期からの反骨精神がうかがえる。子供の時から野生児で、冒険心に満ちあふれ13歳の時、南アフリカの 金鉱採掘で巨富を得て英国の植民地首相セシルローズの英雄物語を読んで発奮し、米国に渡って、新大陸で事業家になろうとしたが、父から反対された。
1890年(明治23)15歳で東京の慶応義塾予備科(現在の慶応大)に入学。ある日、松永が校庭で先生方にお辞儀をしていると、着流しに角帯、頭巾をかぶり長い杖を持った老人から肩をたたかれた。福沢諭吉だった。
「お前さん、うちでは先生にお辞儀をする必要はないんだ、虚礼めいたお辞儀なんかいちいちせん方がいい。この学校で先生はわしぐらいだが、わしにもお辞儀をする必要ない、単なる会釈だけでいい」と叱られた。入学最初から「人の上に人を作らず、人の下に人をつくらず」の人間平等、独立自尊の精神を叩き込まれた。早速、福沢先生の一番弟子となった。
藩閥、官界を嫌った独立自尊の精神の福沢から薫陶をうけて、松永自身も自らを徹底して実学で鍛え上げる自由主義経済人となった。福沢諭吉の女婿である福沢桃介と手を組んで、株で大もうけしたあと、電力事業に取組んで福岡市に福博電気軌道会社(西鉄の前身の一つ)を設立、電力事業に成功して、瞬く間に九州一円の電気、ガス会社を九州電灯鉄道にまとめあげた。1917年(大正6)、43歳で博多商工会議所会頭に収まり石炭にかわる「大電力時代」の到来を一早く予見した。このころ、ある雑誌の読者投票で日本3大美男子の1人に選ばれている。
大正当時、電灯会社は全国に乱立し、公益事業にあぐらをかき暴利をむさぼっている電灯会社も少なくなかった。松永は「大量の電力を安く消費者に」をスローガンに九州電灯で成功し、福沢桃介の名古屋電灯と合併した東邦電力社長となり、今度は東京に殴りこみをかけて成功、東京電力(三井財閥系)などを買収して全国制覇した。
1932年(昭和7)、58歳で名実ともに『電力王』に輝いた。日本で当時1億円以上の資本金をもつ巨大会社は満鉄(南満洲鉄道株式会社)、八幡製鉄、5大電力会社しかなく、松永の電力関係の支配資本は14億円に上り、日本一の資本家にのし上がったのです。この過程での松永の経営名言には裂ぱくの気迫がこもっています。
-
「岩は割れる。筋を見つけよ」
「今、自分の前に大きな岩があるとする『ああダメだ。とても割れない』とあきらめたら負けだ。まず、勇猛心をわき立たせる。この精神力が岩を割る秘訣。どんな大きな岩でもスジがある。そのスジに、一カ月でも二カ月でも根気よくタガネを当てる。やってやりまくる。そのうちに、髪の毛ほどの筋が見えてくる。その筋に猛然とタガネをぶち込む。岩の持っ巨大な力で、自ら割れてしまう」事業も同じ、どこにタガネを打ち込むか見定めて全力をあげて取り組む。どんな苦境に立っても、自分で工夫、勉強し、サービスに努める、これは将来信用がおける人とみられれば、銀行は金を貸してくれる」
これが松永の経営哲学であり、戦後、不死鳥のように日本経済をよみがえらせる原動力となった「長寿逆転突破力」です。
-
「バカになり切って、やるだけのものをやれ」
もう1つがこれ。これは松永の「バカと利口の逆転の法則」でなかなか含蓄がある。「世の中、おかしなもので、同じ程度の利口の場合、利口そうな顔をしている方を利口と思い込み、バカな顔をしている方をバカと思い込む。これは大間違いだ。初め化けの皮ははげないが、そのうちはげると、利口そうなヤツは「案外バカな奴」と評価を下げる、逆に、バカな顔をしていた者は「案外こいつ利口だな」と評価が上がる。バカが利口に逆転する。秀吉は木下藤吉郎の時から、バカにされつつ、その実は、バカにする奴をバカにしながら、ついに天下を取った。これは、信長のゾウリ取りになってから、その持ち場、立場でバカになりきり働いた結果によるのだ」
官吏は人間の屑(くず)である
1936年(昭和11)、2・26事件が起こり、時代は軍部ファシズムに突入、国防力強化のために「電力国営論」が巻き起こった。電力連盟代表の松永は猛反対し、37年末の長崎での会合で商工省の進める産業合理化運動を批判し、「産業は民間の諸君の自主発奮と努力にまたねばならぬ。官庁に頼るなどもってのほかで、官吏は人間の屑である。」と極言した。激怒した若手官僚たちがピストルで射殺するという噂がとび、謝罪、陳謝に追い込まれ、批判の口が封じられた。自由主義者への弾圧もますます激しさを加えてきた。
ある時は東条英機陸相、及川古志郎海相らのいる前で、松永の盟友だった近衛文麿首相にも「戦争をするつもりで電力事業を国営にしようとしているが、国をあやまらせる」と面罵し軍部、警察から要注意人物としてマークされた。
1939年(昭和14)の国家総動員体制に基づく「電力国家管理法」で国が強制的に電力会社をトラスト(企業合同)する「日本発送電株式会社」(日発電)が設立された。松永が営々と築き上げた東邦電力やその関連事業のすべてが取り上げられてしまった。
軍閥、官僚との戦いに敗れた松永は関係する会社約百社のすべてを辞任、実業界から完全に引退した。松永65歳の時です。近衛首相から松永は大政翼賛会総裁、大蔵大臣に就任を要請されたが、公職を一切固辞して埼玉県柳瀬村(現所沢市)の山荘に引っ込んで、西伊豆の堂ケ島で一番安い家を買い茶室「一日庵」をつくり、「耳庵」と号して茶道三昧の隠遁生活に入った。耳庵とは『論語』の一節の「五十にして天命を知る。六十にして耳従う(六十で何を聞いても動じなくなった)からとった。国家の産業基盤の根幹の電力エネルギーの日米の圧倒的な格差を知っていた松永は「日米戦争になれば必ず日本が敗れる」を見抜いていたのです。
つづく
関連記事
-
日本メルトダウン脱出法(766)「中国バブル崩壊「世界大恐慌」の可能性(大前研一)」●「TPPを取り巻く不穏な政治(浜田宏一)」●「残り任期3年、安倍政権に打つ手なし(大前研一)」
日本メルトダウン脱出法(766) 東証一部上場へ、郵政3社の未来絵図ー大前研 …
-
<ヨーロッパ3国の面白ミステリーとは⑥●「ドイツの『ベルリンの壁』の崩壊」「イタリア男の流儀」「スウェーデン妖精の国」
< ヨーロッパ3国の―面白・ミステリーとは>・・⑥ ●「 …
-
日本メルトダウン(928)『東京にはもっと集中と成長が必要だ 「保守・革新」というアジェンダ設定は終わった(池田信夫)』●『 “IoTの勝者 ARM”買収でソフトバンクが狙うもの (1/2) 』●『中国が「島ではなく岩」と抗議の沖ノ鳥島に、日本が100億円を注ぐ理由』●『「中国依存度が高い国」ランキング、5位に日本』●『温暖化で仁義なき海に…北極海と日本の戦略』●『高齢者の「貧困率が高い国」1位韓国、日本4位』
日本メルトダウン(928) 東京にはもっと集中と成長が必要だ 「 …
-
日本メルトダウン脱出法(885)『日本が核武装したら「世界の孤児」になる理由』●『ここ数年の市場混乱、非伝統的政策の無効性に関係か=米連銀総裁』●『汚染された大地に住む中国人の「チャイニーズ・ドリーム」』● 『コラム:リアリティ番組のスター、よき大統領になれるのか』
日本メルトダウン脱出法(885) 日本が核武装したら「世界の …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(304)★『凡人超人奇人たちの往生術➂/『一怒一老、一笑一若、少肉多菜 少塩多酢 少糖多果 少食「多岨(たそ)この字が正確 、少衣多浴 、少車多歩 少煩多眠 少念多笑、少言多行 少欲多施(渋沢敬三)』
2010/01/21 百歳学入門③記事再録 & …
-
人気記事再録/世界が尊敬した日本人(54)地球温暖化、地球環境破壊と戦った世界の先駆者/田中正造―『ただ今日は、明治政府が安閑として、太平楽を唱えて、日本はいつまでも太平無事でいるような心持をしている。これが心得がちがうということだ』」
2016/01/25世界が尊敬した日本人(54) 月刊 …
-
梶原英之の渾身歴史ルポー『日本の物語としての辛亥革命(2)』ナゾに包まれた孫文像と盛宣懐(下)
<辛亥革命百年と近代日中の絆―辛亥百年後の‘‘静かなる革 …
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』①『近衛文麿、東條英機の手先をつとめたのは誰か』①「水谷長三郎(日本社会党議員)」
1年間連載開始―『ガラパゴス国家・日本敗戦史』① なぜ、米軍B …
-
(まとめ)『日本宰相ナンバーワン・伊藤博文のリーダーシップを無料電子図書館で読む』 ―
(まとめ) 『日本宰相ナンバ …
-
「終戦70 年」ージャーナリスト高杉晋吾氏が「植民地満州国の敗戦地獄」の少年体験を語る(3/3)
「終戦70 年」歴史ジャーナリズム)ージャーナリスト高杉晋吾氏が 「植民地満州国 …
- PREV
- 「Z世代のための日本リーダーパワー史(1233)』★『三苫薫選手と岸田首相を比較する-プロとアマ、実力と人気稼業』★『憲政、議会政治の神様・尾崎行雄は「売家と唐様で描く三代目」を唱え、「三代目が日本をつぶす」と警告していた。今やその「日本沈没」の極限に』
- NEXT
- 『日経新聞(2月10日)は「日銀の黒田総裁の後任に、元日銀審議委員の経済学者、植田和男氏(71)の起用を固めた」とスクープ』★『政治家の信念と責任のとり方の研究』★『<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相(元日銀総裁)を説得、抜擢した』