『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーター』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス⑦』★『日本軍はなぜ強いのかー武士道に根源あり』★『正義の主張も腕力の裏付けなくしては貫徹できない』◎『日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と 漢字でかいた祝賀文を金子に送る』
2021/07/27
2017/06/28日本リーダーパワー史(835)(人気記事再録)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
<日本軍はなぜ強いのかー武士道に根源あり>
さて、奉天の戦争がいかなる衝動をアメリカ人に与えたかというと、わが軍は鴨緑江を渡って以来、連戦連勝、ただ沙河の戦で少し負けたくらい、わが軍というものは強い。あの奉天の戦は当時の日露両軍の兵数から砲門の数、その他戦争の日数を比べてみますと、世界始まって以来の大戦争といってもよい。
それで非常にアメリカ人の感動をひき起した。これは何がゆえに日本がかくのどとき立派な兵隊を持っているか。又かくのごとく忠勇なる兵隊はいかなる訓練によってできたかということについて、アメリカの陸海軍の軍人は勿論、学者、政治家、教育家、実業家その他の人も研究を始めた。
で、それらの人が寄り寄り私を各クラブ、協会等に呼んで、日本の軍人の教育はどういう方法をもってやっているか。どういうわけでかくのどとき勝利を得たか、実は我々は今まで日本はかくのごとく勇武な国とは思っていなかった。少し話を聞かせてもらいたいというのである。
●カーネギホールで6千人の聴衆を前に大演説
ニーヨークに政治論理学協会というものがありますが、その会長のアドラス氏の案内で4月2日にニューヨークのカーネギーホールで公開演説を致しました。カーネギー・ホールはアメリカ第一等の広い公会堂である。そこには六千人ぐらい入るすばらしい大きい会場があります。
その演題は彼らの要求によって「日本人の性質及び理想」というのを選びました。もう戦が勝つことは分っている事実であるから、日本人の性質及び理想につき聞きたいという要求であったためにこの演題に致しました。
約束通り行ってみますと、六千人ばかりの聴衆が来ている。その会場がまことに音響の反射悪いから、私の英語が向うの隅まで通るや否や不安に思われたが、あらかじめ準備をしておいて、それから演説しました。幸いに隅々まで声が通って、二時間以上の演説が一言一句も漏らさずアメリカ人の耳に入ったということでありました。
この「日本人の性質及び理想」という演説の内容は、いちいち詳しく申し上げませんが、ただその骨子だけを申し上げます。
「そもそも日本の文明の原則は正義である。正義を遵奉するというのが原則である。これに反して欧米の文明の精神は、勢力を得るということである。」
これは私が冒頭に述べた意見である。
「ゆえに生存競争の舞台においてもし東西の両国が衝突するときには、今日までの実例に徽するに正義は常に勢力に圧迫せられ、道徳上の識見は常に物質的の腕力に圧倒されるという結果をもたらしたのである。現に支那がアヘン戦争においてイギリスから負けたが、これはアヘンをイギリスの商人が売り込むためで、つまり支那人の体質を軟弱にさせ、病気にさせるような、人道に背く商売をしたから起った戦争である。
それに支那が反対したがためにアヘン戦争が起って、支那は香港を取られ結局正義が腕力に圧迫されたのであります。近く我国においても同様二十七、八年の戦争(日清戦争)で、我軍が支那に勝って遼東を占領した。ところが露独仏の三国が干渉して、日本が遼東を支那から割譲させることは東洋の平和に害があるから支那に戻せというのである。
表向きは遼東還付の忠告であるけれどもつまり圧迫である。当時日本の陸海軍は戦後の疲弊から回復しないため、やむをえず涙を飲んでこれを環付した。
日本は最初からどういう考えを抱いているかというと、日本は数千年前すでに支那から儒教を取り入れ、インドから仏教が伝来したのを同化させ、ここに文明の基礎を築き上げた。ゆえに精神的訓練を経て、正義の守るべく人道の貴ぶべきことは十分知っているが、いかんせん交通の関係上欧米人の有する学術・技芸・機械的の方面には今まで力を尽くさなかったからこの方面で思わぬ不幸を見るに至った。
★正義の主張も腕力の裏付けなくしては貫徹できない
日本は古来から、正義公道を道義の根本としているが、これに加うるにヨーロッパの物質的の文明、すなわち腕力、機械の発明、学術の応用をもってし、これによって彼に対抗するの外はないと決心したのである。よって明治の初年から殖産工業を盛んにし、陸海軍を拡張し、一面には憲法を制定して人民に自由の権利を与え、信教を自由にし、議会を開いて、国民をして政務に参画せしめた。ためにヨーロッパ今日の文明的政治を立ちどころに施しえた。祖先伝来の正義公道という国をなす根源は少しも忘れずして今日まで来た。ゆえに日本の国民教育の方針は、いわく、自負することなかれ、弱者を虐げることなかれ、常に自ら慎んで放らつな挙動をすることなかれ。他人に対しては丁寧懇切にして決して粗暴な振る舞いをするなかれ、などである。」
「この日露戦争の影響がいかに日本人の頭に響いたかと言えば、いかほど正義を主張するも腕力が乏しくては決してこれを貫徹することができぬということである。
又国家は軍備が充実してなければ、いかに外交的折衝が巧みでも何の効能もないということを今度の戦で痛感した。翻って今度の日露の戦が欧米人にいかなる影響を及ぼしたかといえば、これまで欧米人は自ら称して文明の民である。
アジア・アフリカの未開国の人民を救うのが我々欧米人の天職である。よってキリスト教を伝播して哀れな未開化又は野蛮の人民を救ってやる。これが我々の天職である。
それで我々の行くところ、未開の国は取ってもよい。未開の人民を虐げても彼らを文明に導くためには少しもかまわないというので土地を分割して取る。それが天職と彼らは心得ている。ところがこれまで彼らが未開国と侮ったアジアの一隅にある日本が、何ぞ知らんキリスト教国のロシアを一撃の下にたたきつけたのをみて日本という国は恐るべき国だ。
今まで我々がアジアを救うのは我が天職と思っていたのがすでに間違いである。アジアの人民は欧米人に向ってはただ命これ従うものと思っていたが、日本という強国が出てきた。これすなわち今度の戦によって日本の国民の真価を欧米人が発見したのである。又この戦争がアジアにおける我が同種族の人民にいかなる影響を及ぼしたかと言えば、これまでは欧米人から言われればご無理でもっともで、いかに正義を主張しても何らの効能もなくただ、白皙人種の悪虐無道のロシアをたたきつけた。
我々もまた日本と同じ人種であるから、潜在力は十分あるということをアジア人をして自覚させた。そこで彼ら東洋人種は日本の先轍にならって、欧米文明を扶植し機械を輸入して発憤すれば、将来は独立を回復することができるという希望を抱くようになった。
★東洋と西洋の融合を行う
これが今度の戦の影響である。第一は日本国民に与えた影響、第二は欧米人種に与えた影響、第三はアジア人種に与えた影響である。
しかし日本国民はこれを誇って欧米人は我々には敵対できないというようなどう慢な考えは決して起こさぬ。しからば日本人の将来における希望は何かといえば、将来においては東洋の特性と西洋の学術とを融和せしめ打って一丸となして一つの新文明を造り、世界の人民をしてその恩恵に浴せしめ、全世界の平和を維持して世界皆兄弟という東洋西洋の聖教の本旨を実現させるという大希望を日本人は抱いている」
とこう演説した。これは欧米人から言わせれば随分思いきったうぬぼれ演説かもしれぬが、私は思いきって六千のアメリカ人に向ってこう演説した。ところがそれが翌日の新聞に出て、大変ほめる者もあれば、攻撃する者もあるというわけでありましたが、これが日本人の性質及び理想ということについて、私がアメリカ国民に向かって公会堂において公開演説をした初めての演説であります。
そうすると、それから面白い結果がでてきました。その演説が新聞に出るや否や、ロシア大使のカシニーは新聞紙上において私の説を反駁をして、非常な毒舌悪筆をふるって縦横無尽に悪口を言って、私に戦をいどんできた。そうして「ニューヨークヘラルド」紙がロシア大使のこの攻撃論文を載せた。
しかしながら私はこれまでロシア大使カシニーの議論に対してはたびたび攻撃したから、もう不問に付して何も取合わなかった。これは四月二日です。そうすると同月二十三日に匿名の手紙がきて、こういうことが書いてある。
「拝啓貴下は米国に遊ぶこと前後数回、しかしてこの国に在留せらるること、幾星霜に及べり。ゆえに米国人が虚偽の言論をもって世人を瞞着する特性あるのを見破られ、しかして自らそのひそみにならい、昨年以来各所において日露戦争に関し虚偽の言論をもって米国人を欺瞞(ぎまん=だます)されている。
しかるに米国人中、また貴下の術策に陥らず術策を看破するの具眼者あることを記憶せよ。貴下自ら警戒せられよ。しからずんば変、あるいはその身にいたらん。」
金子男爵貴下
一米国人
とこういう手紙が来た。これは脅迫状である。すなわち私が演説したり活動するのをみて、演説を止めなければ-ロシア攻撃を止めなければ、変が及んで爆弾が飛ぶかも分らぬという脅迫状である。私はこれも一笑に付して、少しも顧みなかった。それでこの演説は随分アメりカには影響があった。
●ルーズベルトがロジェストヴェンスキー艦隊の接近を憂慮
それから五月の初めに大統領が午餐を共にしたいから来てくれと言ってきました。この午餐には大統領の二家族と、私と、それから二、三の友達、ならびにかつて日本に来たビゲローという人がおりました。
食後、大統領が、「実に日本の陸海軍の軍人の勇武には驚き入った。日本国民というものは実に偉い人種である。」としきりにほめた。
それから食事が済んで、例の通り二階の書斎に上っていろいろ外交上の話をしたときに、ルーズベルトがこういうことを言った。
「私はかつて君に言ったとおり、ロシアは奉天の戦であの通りの大敗北をしたから、無論講和を請うだろうと思っていたが、いまだに請わぬ。請わぬのみならずロシアからの報告を見ればロジェストヴェンスキーがアジアの海岸に来りだんだん日本に近寄ると、停泊港で受取ったところの報告により、彼がヨーロッパを出てくるときとはよほど意見が違って、艦隊の数といい、兵力といい、日本の艦隊は恐るに足らぬから必ず対馬海峡がどこかで日本の東郷艦隊を全滅してしまいましょう。
又クロバトキンは奉天では負けたけれども、ハルピンに五六十万の兵隊をもっているから、北方から坂落しに来て、今度は大山軍をことごとくアジアから追い払ってしまいましょう。そのときに至って初めて講和談判をする。今は講和談判をする時期ではないとそういっているから仕方がない。いずれはロジェストヴェンスキーのバルチック艦隊の運命によってきまる。
これが日露両国の決勝戦である。日本がこれに負ければとにかく、勝てば講和談判になる。これが一番必要な時機である。実はロジェストヴェンスキーの艦隊が日本海に近づくことについてはぼくも非常に憂慮している。
もし日本が負けたならば、講和談判はいかになるか、ぼくは憂慮に堪えぬ。この海戦がすなわち最後の決勝戦である。そこで君に忠告したいことがある。これはどうか日本政府に君から言ってもらいたい。
ぼくは今度ロジェストヴェンスキーの艦隊と日本の艦隊との戦でどっちが勝つか分らないと思う。全体ロジェストヴェンスキーの勢は偉いものである。君の方にも勝算はあろうけれども、もし日本が必勝を期するならば、ぼくはここに日本政府に忠告したい。
それはぼくが日本の軍事についてかれこれいうのはさし控えるべきであるけれども、これまで日本のために働いてきたから、これだけは日本の政府にぼくの意見を通じてもらいたい。決してぼくが日本の戦略にくちばしを入れるというわけではない」と断わって言った。
★東郷司令長官がロシア艦隊を撃破!
ルーズベルトはかつて海軍次官として経験があるから海軍のことは十分承知している。そこでいうのに、「ぼくの考えではロジェストヴェンスキーは対馬海峡を一直線に乗り切ってウラジオストックに入るであろう。これに反して東郷艦隊はロシアの艦隊が一直線に進んでくるのを、対馬海峡かどこかで丁字形の陣形をもって応戦するかもしれぬ。そうすると向うは一直線にきて日本艦隊の真中を突いて、その主力艦をつぶし、日本艦隊を中断して両方に打ち割って、その間を突き抜けてウラジオストックに逃げ込んだならば大変である。
それであるからこのT字形の戦術を止めて、日本の艦隊を二つに分けて、一隊は朝鮮海岸に寄せ、一隊は北九州に並べ、対馬又は壱岐の海岸に潜航艇、水雷艇を沢山置いて、ロジェストヴェンスキーの艦隊が来たならば、左右から水雷艇で撃ち、そうして本当の戦は海峡の真中に来た頃を見計らって両方から挟み撃ちにしてはどうか。
丁字形では向うの主力で衝かれるから不利である。ゆえにぼくはこういう戦術を考えた。これはひとりぼくの考えだけではない。アメリカの海軍の戦術家も同意見である。これを君どうか日本政府に通知してくれたまえ」
と熱誠をもって言った。それで私はただちに暗号電報をもって日本政府に通知した。
ところがこれは後で聞きましたが、日本の東郷大将はルーズベルトの意見とは反対に別にみるところがあって、やはり丁字形でこれを迎え撃って、あの通りに全勝を得た。これについて
帰朝後島村速雄、加藤友三郎、いずれも当時東郷大将の参謀長又は参謀になっていた人たちの話を聞き、又海軍側の友人に聞くと、日本でも丁字形で撃つか、あるいはルーズベルトの言うように二つに別れて挟撃ちにするかということについては随分議論があって、東郷艦隊の幕僚中にも意見が別れていて、最後まで決まらずにいたが、いざロジェストヴェンスキーの艦隊が来たから出て行くというときに、東郷大将の命令で左に行けというので左に行ったということを聞きました。
これは東郷大将の偉いところであの丁字形をルーズベルトは危ぶんでいたのに、その戦略を用いて敵を全滅したということは、全く東郷大将の策略がよろしかったのと、又我が将校、水兵の武勇なる結果であると私は思うのであります。
◎日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と
漢字でかいた祝賀文を金子に送る
そこでここに一つの話をしたいことがある。待てども暮せどもロジェストヴェンスキーは来ない。ところが五月の二十七日は土曜日である。私はいつまで待ってもロジェストヴェンスキーの消息がないから、土曜・日曜の二日は秘書一人を伴い、一人はニューヨークに残して、アトランチック・シティーの海岸に行って休養しようと思って、かの地に行きその晩は友だちの家で晩餐に招かれて夜の十一時頃ホテルに帰った。
そうすると、まだ旅客が起きていてホールに皆集まっていた。私の顔を見るや否や事務員が飛んで来て赤の電報-外国電報は赤い紙であるーその電報を見せた。それを見ると私がニューヨークに残しておいた秘書から打った電信である。今日バルチック艦隊と日本艦隊と衝突した。そうしてその電報の趣意はこうであります。
『長崎駐在のアメリカ総領事の電報によれば、ロジェストヴェンスキーの艦隊と東郷艦隊と対馬海峡で衝突した。敵の軍艦六隻を撃沈し九隻を捕獲し東郷艦隊無事』
という電報である。そのとき旅客は皆私の周囲に集まってこれを見せろというから、それを私が読み上げるや否や、そこにいた男女はわあわあ言って万才を唱え、そうして私を食堂に連れて行って思い思いにシャンペンを抜いて、万才、万才、日本の大勝利と絶叫した。
夜の十一時過ぎ旅客の男女は知ると知らざるとを問わず、皆万才を唱えシャンペンを抜いて喜んだ。ところが喜んだのは喜んだがあまり電報がよすぎる。六隻を撃沈し九隻を捕獲して東郷艦隊無事とある。
あの大戦争に多少は事実より誇大に言ったかもしれないけれども、東郷艦隊無事とはあまりよすぎる。明日にでも本当の電報が来て、ひょっと間違っていたら大変であると思った。この電報はアメリカの総領事が長崎から打ったので、それが一番先にアメリカに来た。
その晩は私は興奮してあまり嬉しくて寝られない。とうとう夜が明けて東天が白々になったから一番汽車で帰ろうと思ってアトランチック・シティーのステーションに来てみると、駅待ちの電報がニューヨークから来ていた。それを見ると沈んだロシアの軍艦、捕獲したロシアの軍艦の名前まで書いてある。これで本当だということが分かった。
そうして列車に乗っている旅客は知ると知らざるとを問わず私の坐席に蝟集(いしゅう)して皆私の手を握って、大勝利でめでたいめでたいと言う。わずか三十分ばかり汽車が行くと、もう号外を汽車の中に売りに来る。そうして私に買ってくれと言う。
それからニューヨークの停車場に着くと、この私の五尺三寸の小さい体が七尺以上になったように自分も思いました。通行人が私の顔を見るとわいわい言って万才を唱えた。それから向う河岸にボートで渡って馬車に乗った。左右のアメリカ人の家には日の丸の旗が立っている。又通行人が私の顔を見れば帽子を取って万才、万才と言う。
実にこのときの有様は偉いものであった。そこで帰りましてただちに天皇陛下に祝辞を申し上げた。それは田中宮内大臣を経て電報を打ちました。「米国人は日本海軍の大勝利をもって世界未曽有となし狂喜雀躍、願わくは微臣の祝詞を両陛下に上奏あらんことを請う。」
それからしばらくすると今度はルーズベルトから手紙が来た。その手紙をちょっと読み上げますが、こういう文句であります。
謹啓 陳者今回の大勝利は貴兄にも定めてご満足のことと察し申し候 かのトラファルガーの戦勝、もしくはスペインの 「無敵艦隊」Invincible Armadaの撃破も這般(しゃはん=このたび)の大勝には遠く及ばずと愚考つかまつり候
今後三週間内に御出府の機会これあり候わば 一度拝晤(はいご=お会いすること)つかまつり候 今朝竹下海軍中佐の訪問に接し候際 たまたま海軍大臣来り合せ同中佐の辞し去られるをみて 中佐こそは多幸をうらやまるべき人に候 日本人全体殊に日本海軍の将士は今や欣喜の情胸に満ち殆んど手の舞い足の踏むところを知らざるの感あるべしと語り申され候 敬具
1905年5月30日
万才!!! ワシントン大統領官邸
セオドール・ルーズベルト
男爵 金子堅太郎殿
手紙の中に「万才」と書いて圏点(けんてん=強調する点)を三つも打ってあります、よほど嬉しかったものとみえる。 そこで三週間のうちに都合がついたら来てくれといいますから私は行った。行くや否や手を握って、実に未曽有の大海戦にあの通りの勝利を得ようとはぼくは思わなかった。
その電報が来たときにはルーズベルトは電報を持って自分の官房にいて来客に会ったが、午前から午後まで来る人ごとに東郷艦隊の勝利の模様をいちいち説明して、殆んど自分は日本の海軍の大将のような気持でいたが、顧れば自分はアメリカの大統領である。
それに日本の海軍の戦の事ばかり朝から晩まで話していて、何も公務が手につかなかったといった。よほど嬉しかったとみえる。これがこのバルチック艦隊の全滅のときの有様である。
そこでルーズベルトが申しますには、もうこれでいよいよ講和談判になる。陸軍はあの通り、海軍でもこの通り、ロシアが頼みと思ったバルチック艦隊が全滅したから、これは講和談判になる。これからぼくが一肌脱いで両国の間に尽力しよう。こう言ってこれから講和談判に着手致しました。そこでいよいよこれから講和談判のことを申し上げます。
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