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『リーダーシップの日本近現代史』(330 ) <日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る②>『売り家と唐模様で書く三代目』の日本病②<初代が裸一貫、貧乏から苦労して築き上げて残した財産も三代目となると没落 して、ついに家を売りだすようになるという、国家、企業、個人にも通用する 栄枯盛衰の歴史的名言>ーリーダーシップとは何かー

   

 

   日本リーダーパワー史(237)記事再録

 
<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱る②>
―日本病(死にいたる病)―
★『売り家と唐模様で書く三代目』②


<初代が裸一貫、貧乏から苦労して築き上げて残した財産も三代目となると没落

して、ついに家を売りだすようになるという、国家、企業、個人にも通用する
栄枯盛衰の歴史的名言>ーリーダーシップとは何かー

 
       前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)
 
<第3の敗戦><亡国の惨状>にある日本の現在の政治状況をみると、太平洋戦争中に『売り家と唐模様で書く三代目』といった演説が不敬罪に当たるとして起訴された「憲政の神様」尾崎行雄の裁判での陳述、警告が思い出される。
 第一回総選挙(明治23年)に衆議院議員となった尾崎は以後、連続当選して明治、大正、昭和敗戦までの3代、63年以上にわたりとして日本の政治、社会の変転を見てきた。
藩閥政治を批判し、普通選挙法の実施を求め、大正デモクラシーの先頭に立った。昭和に入り、犬養毅と並んで軍国主義の勃興に対して、「議会政治を死守せよ」と叫び、軍国主義を敢然と批判し、太平洋戦争中は東條内閣とも戦い、その結果が「不敬罪」の起訴につながった。
90歳をすぎていた尾崎は裁判闘争でくじけず戦い、そのなかで三代目につぶれて行った日本の政治と国民性について痛烈に批判している。
1945年(昭和20)以降の日本は再び、現在、この三代目が日本を潰す『日本病(死に至る病)』にかかってしまったのである。日本人がいまだに封建的な日本人から、真の市民意識、国民意識をもった近代日本人にまだ脱皮できてないためである。現在の制度も一応、議会制民主主義の帽子をかぶってはいても、頭の中味は徳川幕藩体制下の士農工商の身分制度の精神の残滓が多く残っている。  

ここで、尾崎の歴史的証言に耳を傾けてみよう。政治家、国民にとって一番必要なことは自国の歴史の振り返り、他国とのコミュニケーション、外交の失敗、戦争の経緯をつぶさに検証し、将来へナビゲイションとすることである。
 
河村名古屋市長の軽率、歴史音痴発言「南京事件はなかった」という発言が問題となっているが、政治家の自国の歴史音痴、歴史を知らないことが対立、紛争、戦争、貿易摩擦の原因になって、自国を滅ぼしたことを忘れてはいけない。日本の政治家ナンバーワンの明治、大正、昭和の失敗史の講義を聞くことにしたい。
以下は『尾崎咢堂全集第9巻―不敬罪事件の真相』(昭和30年、公論社)より
 
 
尾崎 行雄(おざき ゆきお)は安政5年(1858年12月生れ)で、明治7年に慶応義塾に入り、福沢諭吉の教えをうけて、政治家の道を志した。
70年前の1942年(昭和17)の尾崎の証言は
『現在を予言している』
 
浮誇驕慢(ふこきようまん)で大国難を招いた昭和前期の三代目
<今回の福島原発事故と同じ。クリーンエネルギーという原発神話、技術大国日本では原発事故はありえないという技術過信と驕り。事故、地震、津波を想定外とする油断、怠慢こそ浮誇驕慢(ふこきようまん)そのもの>
 
 
 
 第三代目ころの社会、国民感情はどうなったのか
 
 全国民は、右の如き精神状態を以て、昭和四、五年ころより、第三代目の時期に入ったのだから、世態民情は、いよいよ浮誇驕慢(ふこきようまん=浮かれるて、慢心しておごり高ぶること)におもむき、あるいは暗殺団体の結成となり、あるいは共産主義者の激増となり、
 
あるいは軍隊の暴動となり、軽挙盲動、きびすを接して起こり、いずれの方面においてか、国家の運命にも関すべき大爆発、すなわち、まかりまちがえば、川柳のいえるが如く『売家と唐様でかく3代目』と書かねばならぬ運命にも到着すべき大事件を巻き起こさなければ、止みそうもない形勢を現出した。
 
 予はこの形勢を見て憂慮に耐えず、何とかしてこの大爆発を未然に防止したく思って、八方苦心したが、文化の進歩や交通機関の発達によりて世界が縮小し、その結果として、列国の利害関係が周密に連結せられたる今日においては、国家の大事は、列国とともに協定しなければ、裏誠の安定を得ることは不可能と信じた。よりて列国の近状を視察すると同時に、その有力者とも会見し、世界人類の安寧慶福を保証するに足るべき方案を協議したく考えて、第四回目、欧米漫遊の旅程に出た。
 
 しかるに米国滞在中、満州事件突発の電報に接して、愕然自失(がくぜんじしっ)した。
 
この時、予は思えらく『これは明白なる国際連盟条約違反の行為にして、加盟者五十余ヵ国の反対を招くべき筋道の振舞である。日本1ヵ国の力を以て、五十余ヵ国を敵に廻すほど危険な事はない』と。
果たせるかな、その後開ける国際会議において、我国に賛成したものは、一国もなく、ただタイ国が、賛否いずれにも参加せず、棄権しただけであった。
 
 このころまでは、我国の国際的信用は、すこぶる篤く、われに対して、悪い感情を抱く国は支那(中国)以外には絶無といってもよいほどの状況であって、名義さえ立てば、わが国を援(たすけ)けたく思っていた国は、多かったように思えたが、何分、国際連盟規約や不戦条約の明文上、日本に賛成するわけにいかなかったらしい。
 
連盟には加入していない所の米国すら、不戦条約その他の関係で、わが満州事件に反対し、英国に協議したが、英政府はリットン委員(会)設置などの方法によって、平穏にこの事件を解決しょぅと考えていたため、米国に賛成しなかった。
 
また米国は、国際連盟の主要国たる英国すら、条約擁護のために起たないのに、不加入国たる米国だけが、これを主張する必要もないと考えなおしたらしい。
 
予は王政維新後の二代目、三代目における世態民情の推移を見て、一方には、国運の隆昌を慶賀すると同時に、他方においては、浮誇驕慢(ふこきようまん)
に流れ、ついに大国難を招致するに至らんことを恐れた。
 
故に昭和三年、すなわち維新後三代目の初期において、思想的、政治的、および経済的にわたる三大国難決議案を提出し、衆議院は、満場一致の勢いを以て、これを可決した。
 
満州事変に関して上奏文を宮相に密送す
 
 上述の如く、かねてより国難の到来せんことを憂慮していた予なれば、満州事件の突発とその経過を見ては、一瞬も安処するあたわず、煩悶懊悩の末、ついに、天皇陛下に上奏することに決し、一文を草し官相(内大臣)に密送して、天皇の書見に供たせられんことを懇請した。
 
満州事件を視て、大国難の種子が蒔かれと思いなせるがためである。ムッソリーニや、ヒトラーの如きも、武力行使を決意する前には、列国を怖れて、躊躇していたようだが、我が満州事件に対する列国の動静を視て安心し、ついに武力行使の決意を起こせるものの如く思われる。
 
 しかるに、支那事件(日中戦争)が起こり、英米と開戦するに至りても、世人はなお国家の前途を憂慮せず、局部局部の勝利に酔舞して、結末の付け方をば考えずに、今日に至った。
 
しこうして生活の困難は、日に日に増加するばかりで、前途の見透しは誰にも付かない。どこで、どうして、英米、支那を降参させる見込みかと問わるれば、何人もこれに確答することは出来ないのみならず、かえって徴音ながら、ところどころに,やっと『国難来る』の声を聞くようになった。
 
 全国民の大多数は、国難の種子は、満州に蒔かれ、その後幾多の軽挙盲動によりて、発育、生長せしめられ、ついに今日に至れるものなることは、全く感知せざるものの如し。
 
衆議院が満場一致で可決した三大国難決要の如きも、今日は記憶する人すらないように見える。
維新後三代目に当たるところの現代人は『売家と唐様で書く』ことの代わりに『国難とドイツ語で書いて』いるようだ……」
 現在不敬問題となっているのは、この意味の一端中、議会政治に関するものを略述して、一般公衆、特に選挙人の反省を促せるものに過ぎない。この事実がどうして不敬罪に該当するかほ、何人もこれを理解しかねるだらう。以上
 
昭和十九年四月十四日
大審院第3刑事部
裁判長 三宅正太郎殿
 
                 被告 尾崎行雄
 
                        (つづく)

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