前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(149)再録★『三菱財閥創業者/岩崎弥太郎の経営哲学は①海外留学、大卒社員を採用する教育重視②速戦即決主義』★『断じて往く』★『「創業は大胆に、守成は小心なれ」』★『岩崎家の家訓十訓』

   

前坂俊之著「痛快無比のニッポン超人図鑑(2010年、新人物文庫」より

岩崎弥太郎は弟の弥之助を一八七二年(明泊五)にいち早く米国に留学させ、破格の八千円を留学費用として渡した。あの時代に海外の知識を広く吸収させ、経営に役立てようという先見性こそが今日の大三菱の基礎をつくったのである。
 その後、岩崎久弥、岩崎小弥太も米国、英国へ相次いで留学させている。
 このように、弥太郎の人材育成の方針は、慶応義塾の卒業生ら学問のある者を積極的に用いたことであった。
「汽船会社を経営して、初めは普通の学問のない子弟を使用していたが、無教育で何が大切かわからない。この子弟を教育して、学者の気性を体得させることは難しいが、逆に学問のある者を教育して、外面を俗にするのはやさしい」と弥太郎は話していた。つまり、学問を実学に活かしたのである。
萱人事を尽くして天曾待毒

断じて往く

 一八七七年 (明治十)に西南戦争が起きたが、三菱は一般航路を停止してまで、全汽船を軍用に転用し、巨利を得た。この時、弥太郎は三十六時間経過すると、無効になる重大な商用が起きた。当時、汽車が大阪まで開通しておらず、汽船は軍用にすべて引き揚げられており、空でも飛ばない限り大阪に着く望みはなかった。
 川田小一郎(のちの日銀総裁)、豊川艮平ら三菱の幹部は額を集めて相談したが、あせるばかりで策の施しようがなかった。しかし、弥太郎は諦めず、語気鋭く言った。
「往く。断じて往く。人力車に前びきと後押しを付け、三十六時間走り続ければ、往きつけないこともあるまい。若い時、土佐から江戸まで走り続けて十三日間で着いた」
 弥太郎は有り金をフトコロにねじ込んで、東海道を下った。人夫の頬を札束で張りながら、章駄天のように駆け抜け、浜名湖の渡しは強風で渡船がストップしていたが、金で動かし、とうとう三十六時間以内に大阪に着いて商用は成功した。
 
 ぁる時、弥太郎は弟の弥之助を激しく叱った。土佐は紙の生産地で紙価が安く、紙を粗末に扱う習慣があった。
 弥之助が領収書を保存するため、真っさらの紙に一枚一枚はりつけているのを見た弥太郎がドナッた。
「使い古しのホゴ紙を使えば、いくら節約できるか計算してみよ」
 弥之助が計算してみると、当時の金で四百円(今の金で数百万円)の差が出た。
 弥太郎は「タルの穴より一滴も漏らすな」をログセにしていた。必要な経費は惜しまないが、ムダな支出は一切するなと戒めていた。
 弥太郎は、各支店からの報告書に一つひとつ目を通し、情報を知ることに努めていた。
少しでも不利益や不合理があると、減給や格下げして、容赦しなかった。彼は豪放姦落な中にも、こうした緻密な計算と合理性があった。
 
 弥太郎は部下にサムライ精神を捨てさせ、商人となるよう、徹底して教育した。のちの日本郵船社長の近藤廉平(日本郵船創業者)らが入社すると、彼はハカマを脱いで、前だれをかけることを命じた。

「前だれは商人の礼服だ」というのが、弥太郎のモットーであった。

 石川七財が〝三菱″と染めぬいたハッピを着て、得意先回りをやらされた時、石川が不満を言うと、弥太郎は叱った。
「得意先の番頭や小僧に、頭を下げると思うから腹も立つが、逆に、金に頭を下げると思えば腹も立つまい。今、この扇子を君に進呈するから、今後、腹が立ったらその扇子を見よ」
 よく見ると、裏面に一枚の小判がはりつけてあった。
 

 弥太郎の経営訓は「創業は大胆に、守成は小心なれ」であった。

 

岩崎家の家訓

 三菱グループ創業者
一小事にあくせくするものは大事ならず、よろしく、大事業経営の方針をとるべし。
一ひとたび着手せし事業は、必ず成功せしめざるべからず。
一断じて投機的に事業を企てるなかれ。
一国家的観念をもって、すべての経営事業にあたるべし。
一奉公至誠の念に、すべて寸時もこれを離れるべからず。
一勤倹身を持し、慈善人にまつべし。
一よく人材技能を鑑別し、すべからく適材適所に配すべし。
一部下を優遇するにっとめ、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。
一創業は大胆に、守成は小心たれ、樽よりくむ水にまして、もる水に留意すべし。
 
攻めと守りの両面をキチンと押さえてある。大胆細心、慎重が見事に合わされて、三菱発展のダイナミズムの原点となった。
 

 

 

 

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/世界史を変えた「真珠王.御木本幸吉(96歳)の世界戦略と長寿逆転突破力』★『「ないないづくし」の三重県の田舎の海で、日本初代ベンチャービジネス元祖の独創力をエジソンもノーベル賞級の大発明!と激賞』★『ミキモトパールの発明が20世紀・中東の「石油の世紀」のきっかけとなった』

『世界史を変えた「真珠王.御木本幸(97歳)の独創力と長寿健康法」★ https …

『Z世代のための百歳学入門』『日本歴史上の最長寿118歳(?)永田徳本の長寿の秘訣は?・『豪邁不羈(ごうまいふき)の奇行です』★『社名・製品名「トクホン」の名は「医聖」永田徳本に由来している』

2012/03/04  /百歳学入門(33)記事再録編集 『医聖』-永 …

『Z世代のための世界天才老人・「ジャパンアニメ」,「クールジャパン」の元祖・葛飾北斎(88歳)の研究』★『その創造力の秘密は、72歳で傑作『富嶽三十六景』を発表、80歳でさらに精進し、90才で画業の奥義を極め、百歳で正に神の領域に達したい。長寿の神様、私の願いをかなえたまえ!』★『「100歳時代」「超高齢少子化社会」の最高のモデルではないでしょうか』

2022/02/09   の記事再録 葛飾北斎(88歳)米タ …

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑩」★『「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力①』昭和戦後の日本が敗戦によるどん底から奇跡の復活を遂げたのは松永安左エ門(95歳)が電力増産の基盤インフラ(水力発電ダムなど)と9電力体制を万難を排して実現したことで高度経済成長が実現した』①

第4章 「電力の鬼」・松永安左エ門(95歳)の「岩は割れる」①   昭 …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑲★『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』「釣れない・恋れない・釣りバカ日記③」 ★ 『自然に帰れ』―母なる海に抱かれて、魚と戯れる、また楽しからずや」 『鎌倉沖プライベート・シーで、同窓会ラブを思い出したよ』

  2010/07/03  「釣れない・ …

no image
2019年8月→2018年夏までの『鎌倉・稲村ケ崎サーフィン/ベスト傑作集』ビデオ4本一挙公開

稲村ケ崎サーフィン/ベスト傑作集   台風8号接近中の鎌倉稲村ヶ崎サー …

no image
書評/河田宏著「第一次世界大戦と水野広徳」三一書房(1996)★『中野正剛と水野広徳を論議させたところはまるで「三酔人経綸問答」』

書評「図書新聞」(1996年6月15日)掲載 河田宏「第一次世界大戦と水野広徳」 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(129)『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐、ジャーナリスト・水野広徳』③

終戦70年・日本敗戦史(129) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

『 オンラインW杯カタール大会講座 ②』★『1次リーグ突破のオーストラリア、日本、韓国3チームは史上初の快挙』★『スペイン戦に勝った日本の秘訣は武道精神・・ハーフタイム後、逆転に成功(小よく大を制す、柔よく剛を制す、一発必中の武道精神)すると、『日本人は再び合気道(完全防備)に夢中になった』(ドイツ紙) 』

  ドイツ紙の戦評分析 「森保監督は合気道(柔道)の大ファンに違いない …

no image
現代史の復習問題/日中韓150年史の真実(10)ー日清戦争の原因の1つとなった朝鮮の防穀令事件とは一体なにか』★『この朝鮮流の詐術外交(数字のごまかし、引き延ばし、ころころ変わる外交交渉)に手こずってきた歴代内閣は強硬手段をちらつかせた。』

  2016/04/24  記事再録日本リーダーパ …