知的巨人の百歳学(160)記事再録/「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」といわれた土光敏夫(91歳)のモーレツ経営10訓
百歳学入門(60)
「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」
といわれた土光敏夫(91歳)
土光敏夫のモーレツ経営10訓
① 一般社員は三倍、重役は十倍、私はそれ以上に働く
② 六十点主義で即決せよ。決断はタイムリーになせ
③ 成果が上がったら報告するのではなく、報告するから成果が上がる
④ 頭を酷使せよ
⑤ 廊下コミ(コミュニケーション)を積極的に行え
⑥ 幹部はエライ人ではなく、ツライ人だと知れ
⑦ まず、信頼される自分になれ
⑧ 地位につけて能力を発揮させよ
⑨ 会議の五原則
⑩ 明日にしようという心にムチを打て
1896年(明治29)9月―1988年(昭和63年)8月 91歳。
岡山県生。東京高工卒業。石川島造船所に入り、昭和二十五年石川島重工社長、同三十五年播磨造船所と合併、石川島播磨重工社長、同三十九年会長、同四十年相談役。この間東芝社長、日本原子力事業社長などを歴任、経団連会長、同四十一年勲一等瑞宝章。
財界の荒法師
後年、「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」といわれた土光敏夫が、経営者として世間から注目を集めたのは経営危機に陥った赤字企業を再建する〝再建屋としての手腕
と業績″にあった。
昭和二十五年(一九五〇)経営危機にあった石川島播磨重工の社長に就任し、きっそく再建に取り組んだ。彼の再建法は、徹底的にムダを省いて合理化を推し進める、きわめて
オーソドックスな方法であった。
彼のすぐれたところは、技術者時代に現場で学んだ「合理的精神」をとことん極め、それを会社再建や企業経営に活かしたことだ。合理化は従業員の犠牲を伴うため、多くのサ
ラリーマン経営者は嫌がった。
しかし、土光は並みの経営者と省き、むしろ合理化を徹底することが赤字企業の救済・経営健全化につながるとの信念を持っていて、会社再建に際しても自ら率先垂範し、安
易な妥協を決してしなかった。
土光の会社再建の手腕と業績に注目した、当時経団連会長を務めていた石坂泰三は、昭和四十年、経営危機にあった東芝再建を彼に依頼した。当時事でに六十九歳になっていた土光にヒカて、東芝再建はきつい仕事であった。しかし、ここでも彼は〝率先垂範・合理的精神″のモーレツ経営を発揮した。
社長就任時の取締役会で、土光はいきなり「社員諸君にはこれから三倍働いてもらう。役員は十倍働け。俺はそれ以上働く」と挨拶し、社員や役員の意識改革を強く迫った。
東芝の体質改革は容易でなく、ミスタ」合理化やモーレツの元祖とまでいわれた土光でさえ、東芝の体質を根本から変えるまでに至らなかった。それでも、彼は東芝の再建にめ
どを立てて、昭和四十七年に会長に退いた。
食事はメザシに梅干
土光は昭和四十九年に植村甲午郎の後を受けて第四代経団連会長に就任。第一次石油ショック後の日本経済の安定化と企業の政治献金の改善などに尽力したが、晩年の活躍で特
筆されるのは、昭和五十六年に鈴木善幸首相や中曽根康弘行革相に請われて第二次臨時行政調査会長に就任し、行財政改革に取り組んだことだ。
当時、行革推進を宣伝するためにNHKのテレビ番組で「夕食はメザシに梅干」の質素な食事が紹介された。そのため、世間には「メザシの土光」のイメージが定着した。
彼はもともと健康管理には人一倍注意していて、早寝早起きに心がけ、散歩を欠かさなかった。毎朝四時に起床、食事はメザシと麦飯、自宅でつくった大根やキャベツなど野菜を食べ、きわめて質素である。
休日は、一般の経営者と違ってゴルフや釣りをするのでなく、もっぱら庭いじりと畑仕事を楽しんだ。自宅の応接間にはエアコンはなく、夏は扇風機、冬はストーブと、私生活でもムダ排除・経費削減に努めた。
休日は、一般の経営者と違ってゴルフや釣りをするのでなく、もっぱら庭いじりと畑仕事を楽しんだ。自宅の応接間にはエアコンはなく、夏は扇風機、冬はストーブと、私生活でもムダ排除・経費削減に努めた。
土光は、母親登美の影響もあって日蓮宗に深く帰依し、晩年まで法華経の研究を行っていた。彼は、母親が〝女子教育の必要性″を感じて横浜市鶴見に昭和十六年創立した橘女学園を受け継ぐと、夫婦に必要なわずかな生活費を除いて、自分の収入のほとんどを学園に寄付していた。
土光は、昭和六十三年八月四日、老衰で91歳の長寿を全うしたが、若い頃に培った合理的精神を晩年まできわめ、生涯現役でそれを貫いた。
八十三歳の時のインタビューで次のように話している。
朝は早い。午前五時前には床を抜け、約三十分、間庭で木刀の素振りをやる。財界人の多くがゴルフや優雅な健康法を楽しんでいるようだが、木刀振りは安上がりでいいもんだ
よ。
もう何十年も前から続けている。一人でやれるし、だれにも迷惑かけないし、自分のペースでやれる。その受え金もかからないし、この上ない健康法である。
私にはガードマンみたいなのがついているが、木刀で体を鍛えているから、賊なんかこわくないよ。
左翼でも右翼でも、何でも来いだよ。木刀の素振りで軽く汗ばむと、今度は仏間に座して二十分、一心にお経を読み続ける。この時、心の中は「空」である。ただ祈るのみである。
またお経は、腹の底から声を出すので、これまた健康にもよいのである。
ついで洗面、朝食という順になる。朝食は和食をガッチリととる。七時半~八時には東芝の役員室に着く。食べ物は和様いずれでもよく、何でもたっぷりたいらげる。経団連では会長、副会長会などで昼食時にカレーライスが出るが、ほとんどの人がメシの方を残すのに、私だけは一つぶのこらず平らげてしまう。カレーが足らなければ香物をぶっかけて食べてしまう。
夜は宴席やパーティなどがあるが、あまり宴席などは好まない。付き合いで出るが、そんな時でも九時前には帰宅し早寝、早起きに徹することにしている。
関連記事
-
鎌倉カヤック釣りバカ動画日記(2015/2/28)−坂の下周辺でシーバースに挑戦『老人と海』<金を残すより「筋肉貯金で百歳生涯現役めざせ」
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2/28)−坂の下周辺でシーバースに挑戦『老人と海』< …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(152)再録/『知的巨人の長寿学』の牧野富太郎(94)に学べ<植物研究と山歩きで、世界的な植物学者になる>★『学歴差別をものともしなかった「日本の植物学の父」』
2010/10/31 記事再録 …
-
「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英同盟」③「協約は純然たる攻守同盟」-と加藤高明〔明治35年2月12日 時事新報〕★『常に『光栄ある孤立』を誇っていた大英帝国が、国を開きてわずかに四十年、欧米人の眼よりすれば小弱国、半開化の日本と一蓮托生の協約(日英同盟)を結んだことは、日清戦争、三国干渉、北清事変を通して日本の真価を認めたため』
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英同盟」③ …
-
『リモート京都観光動画」/『外国人観光客への京都ガイド』★『京都・清水寺へぶらり散歩』、五条・清水坂からゆっくり参拝、境内へ、総門』★『清水寺前は産寧坂(三年坂は世界中の観光客が愛する和風的な町並み』
清水(きよみず)とは東山区中央部、東山西麓の清水寺を中心とした地区名。 東は清 …
-
★10 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(178)』2016/5『ポーランド・ワルシャワ途中下車④『世界遺産の旧市街』『タクシー・ドライバーが「トヨタは全く故障がなかった、トヨタしか使うつもりはない』と絶賛した
★10 『F国際ビジネスマンのワールド・ カメラ・ウオッチ(178)』 20 …
-
『オンライン講座/不都合な真実で混乱する世界』★『コロナ・ウクライナ戦争・プーチン・習近平・金正恩の大誤算』(5月15日までの情況)(上)
前坂俊之(ジャーナリスト) ロシアのウ …
-
知的巨人の百歳学(139)-『六十,七十/ボーっと生きてんじゃねーよ(炸裂!)」九十、百歳/天才老人の勉強法を見習え!』★『渋沢栄一(91歳)こそ真の民主主義者、平和主義者』★『「社会事業は私の使命である」が最後までモットー。日米関係を打開するため米国へ老体を鞭打ってわたり、「次回ここに来るときは棺を一緒に乗せてくるかもしれない、それでも私は必要とあらば参ります」と断固たる決意を述べた。』
2017年8月9日記事再録/『晩年長寿の達人/渋沢栄一(91歳)④』 …
-
『百歳学入門(205』ー 日本の食卓に長寿食トマトを広めた「トマトの父」カゴメの創業者/蟹江一太郎(96)の長寿健康/経営10ヵ条』★『でんでん虫、そろそろ登れ、富士の山」』★『日本一 前後かわらぬ トマトかな」その理念は『正直、感謝、共存共栄、漸進主義』●『人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し(家康の遺訓)』★『長寿はトマトを売り歩いた苦労のおかげ』
百歳学入門(70) 日本の食卓に長寿食トマトを広めた「トマトの父」 …
-
「4K動画撮影」外国人観光客のための新幹線からの富士山撮影法(2018/12/25,28)-東京から下り新幹線は右側座席、逆の上りでは左座席からなら撮影できる、また、出入り口ドアからも撮影できるよ。冬場(11月―4月)は晴れの日が多くベスト・ビューティフル・MT Fujiを堪能できる。
外国人観光客への新幹線スピード富士山観賞法(12/25am10)ー三 …
-
記事再録/知的巨人たちの百歳学(132)『数百億円を投じ仏教を世界に布教した沼田恵範(97歳)
2015年4月11日/百歳学入門(110) 世界が尊敬した日本人 …