人気記事再録/『ニューヨーク・タイムズ』で読む日本近現代史①ー日本についての最初の総括的なレポート<「日本および日本人ー国土、習慣について>
日本についての最初の総括的なレポート<「日本および日本人ーその位置、国土、気候,習慣など>『ニューヨーク・タイムズ』(1860(万延元)年6月16日付)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① この1860(万延元)年は1月に勝海舟、福沢諭吉ほかが乗り込み咸臨丸が出発、同時に遣米使節団が出発して3月28日にワシントンで大統領に会見、5月9日には遣米使節の新見正興らが、ニューヨークでペリーの遺族を訪問、一行はニューヨークの5番街をパレードして沿道30万人の大歓迎を受けた。
② ニューヨーク・タイムズは米国内で高まった隣国「日本」への関心にこたえるために、日本についての最初の総括的なレポートを掲載したもので、その正確、科学的な分析力には驚く。
③ 一方、このころの日本は鎖国から目覚めて開国する寸前で、いわば海外の知識は皆無で、その研究はもちろん知的要求は死刑に処せられ厳しく禁止されていた。鎖国の禁を破った明治維新の祖・吉田松陰は処刑された。もちろん西欧では200年前から誕生していた新聞メディアも日本ではなかった。
④ 日本の封建社会と西欧の近代民主主義国家の情報落差はこんなに大きいものがあったが、いま日本は西欧と肩を並べる先進国と自負しているが、国民の人権、平等、、思想、宗教の自由という価値観で比較するとまだまだ大きな差があることが認識できる。
⑤ 日本のメディアの外国報道にも、これくらいの視野の深さと科学的、合理的な知性と奥行きがあればいいのだが、残念ながら150年前のニューヨーク・タイムズのレベルに達しているものがどれくらいであろうか。
「日本および日本人ーその位置、国土、気候,習慣など>
『ニューヨーク・タイムズ』(1860(万延元)年6月16日付)
『ニューヨーク・タイムズ』(1860(万延元)年6月16日付)
日本使節団の来訪により.日本および日本人のあらゆることに関心が高まっている。そこで,この独特の民族について興味をそそられる既知のおもな事実のいくつかを.そういう情報をあまり得ることのできない読者の皆さんのために調べてみた。
日本帝国はアジア大陸の東海岸から少し離れたところに位置する列島である。日本本土は日本,九州,四国という3つの大きな島からなっている。一番大きな島は日本で.面積は約10万平方マイル,つまりグレート・ブリテン島より5分の1ほど大きい。一番近い東側の陸地はカリフオルニアで.その距離は5000マイルである。
一方,中国とは420マイル.カムチャツカとは270マイル離れている。日本という名称は「日出ずる王国」という意味の中国語がなまったもので,これは彼ら自身の神がかった特徴はともかくも,祖先は神々であるという彼らの考えに合っている。
日本本土を取り囲んでいる小さな島々は岩だらけの不毛の島であることが多いが.中には肥沃で美しい島もある。海岸は接岸がむずかしい。それは.たくさんの岩や小島が航路に散在しているばかりでなく.強風が吹くため,その狭い海上の波は大洋上より,もっと荒々しいからである。ケンペルはこう言っている。
自然は日本人にぜいたくで快適な暮らしに必要なものすべてをふんだんに与え.他の国と交易をしなくてもやっていけるようにすると同時に,接岸を危険なものにすることによって.これらの島々を他から遮断された独立した1つの小世界に形作ろうとしてきたようである,と。もちろん自然の防壁は日本政府が排他的な政策を実施するのに大いに役立ったとは言えるが.鎖国の動機はもっと違う理由によるものだ。1549年に訪れたフランシスコ・ザビエルをはじめとする初期のローマ・カトリック教宣教師たちは,日本人に温かく迎え入れられた。
しかし精神的な勝利にあきたらず.世俗の権力にまで手を伸ばそうとしたので,政府にあの迫害を行わせる結果となった。1637年4月12日,3万7000人のキリスト教徒が死に追いやられた。それと同時に政府は.日本を世界から孤立させることになる命令を布告したのである。
この命令により日本の船も日本人も.日本からの出入国はいっさい許されなくなった。禁を破った者には死罪が科せられたのだ。
日本の気候はその南端と北端ではかなり違う。南端の地方では多くの点でイギリスの気候に似ていると言われている。九州の長崎の緯度は330で,1月の平均気温は華氏35度,8月は98度である。雨は1年を通じてよく降るれ7月.8月は特に多い。暖冬を除いて12月と1月には霜が降り,時には雪が降ることもある。夏には日中は南の海農,夜には東の海風が吹き込み,涼を与えてくれる。
おもだった島々の表面は概して起伏が激しいが.内陸部にはかなり広い平野がいくつかある。
丘が海岸の近くまで迫り,海と丘の間には,ごくわずかな細長い土地を残すのみになっているところが多い。死火山である書土山は一番高い山と言われ,その山頂には絶えず雪が積もっている。
川はたくさんあるが,短く,浅く,流れは象である。貨物船の航行は不可能だが.小舟で海から教マイルのところまで上っていける川はいくつかある。日本の南部には長さ60マイルと言われる湖があるが,その幅はわずかしかない。
日本でとれる野菜類はほとんどが温帯地方によくあるものばかりである。しかし森林は非常に乏しいので,許可なしに木を切ることは許されず,しかも木を切るときは首木を植えるという条件付きだ。最も普通に見られる森林樹はモミとスギだが.スギは巨木に成長し,直径18フィート以上のものもときどき見られる。南部では熱帯植物である竹が自生または栽培されており、その大部分は工場で使われる。クスノキは大変大きく.樹齢の高い木が見られる。
シーボルトはケンペルが135年前に見て書き記したクスノ牛を訪れている。葉は生い茂り,幹の回りは50フィートもあった。地方の人たちは細かく切った根と幹の煮っめ汁で樟脳を作る。粟とクルミの木や、そのほかオレンジ,レモン,イチジク.スモモ.サクランボ,アンズの木もある。
日本政府の排外政策は農業重視を促すことになり.耕作可能の場所でまだ耕されていないところはどこにも見当たらない。丘の高い場所では段々畑が作られ.手作業で耕作されているが,それは大変美しい自然の風景を呈している。
日本人は木の小さい奇形を作ったり人工的な大きさに育てたりする技術に非常にたけている。このようにすみずみまで耕されているので.野生動物のすみかは残されていない。家畜は食用にされないので.必要以上に増やされることはない。馬は小害いが丈夫でよく働く。
牛は耕作に使われる。牛乳やバターを摂取するのはイギリス人の野蛮な習慣とされ.また商品として彼らと取引する気もないので.牛は乳をしぼられることなく荷役用としてのみ使われている。ラクダのように背中にこぶのある,並はずれた大きさの野牛は.荷車を引いたり背中に重い荷物を乗せて運んだりするのに使われる。
日本は中国人が入植した国と思われていたが,人々の身体的な特徴や言語から言って.この説は支持できない。日本人自身.中国人と比較されるのを恥辱と考えている。
人々はすべて世襲の階級に分けられている。皇帝の一族を除くと.1番目の階級は世襲による帝国の家臣たる諸侯である。2番目は世襲の貴族で領地として土地を所有し,1人の世襲の侯に対し.騎士として軍役の義務を負っている。3番目は聖職者。
4番目は軍隊.つまり貴族の兵士たちである。5番目は専門職の階級で.下級役人や開業医などが含まれる。6番目は商人階級で,あらゆる分野の後人も含む。その次が一般の労働者。非常に多くの人が最後の階級に属しているわけだが.その境遇は土地所有者というよりは,農業労働者である点で実際には農奴にあたる。
まだもう1つ階級がある。全員が革や毛皮を扱う仕事に従事し.絶えず死んだ動物に触れていることから.常に不浄の状態にいると思われている。他の階級の人たちと一緒に住むことは許されず、自分たちだけで村を作り住まなければならない。茶店や他の娯楽施設に行くことすらできないし.彼らが食事に使った器を.他の階級の日本人は決して触ったり使ったりしようとはしない。看守や死刑執行人はこの階級の出身者がなる。
4番目の階級までは帯刀2本,5番目の階級は帯刀1本の特権と.5番目までの階級はすべて.それ以上の者には禁じられている特別な種類のズボンを着用できる特権を持っている。それぞれの階級は互いに一線を画しているが.その境界線は必ずしも越えられないものではない。
今までの俗界の皇帝の中で最も有名なのは16世紀の終わりごろ統治していた皇帝で,彼は木こりから王座に就いたのだ。このように全国の中で.すぐれた才能の持主は人々に兄いだされ,受け入れられて.報われるのである。
日本の統治の形態は中世ヨ一口ッパの封建制度に若干似ている。主権は最高統治者の手にゆだねられているが,国の大部分は家臣の諸侯に支配されている。諸侯は君主に税を納めたり.軍役を提供したりする。慣例だけではなく,職務もそっくりそのまま父から息子へ伝えられる。
日本には2人の君主がいる。1人は世俗の君主,もう1人は精神的な君主と呼ばれている。この特殊性は日本の歴史では次
のように説明されている。神々の子孫ということになっている片方の君主の一族が,西暦1195年まで1800年間にわたって帝国を統治してきた。
このとき,暴動の鎮圧にあたっていた軍隊の指揮官が自ら謀反を起こし、その正当ぎ君主から俗権の大部分をもぎ取り、宗教上の権力だけを残したのだ。それ以来この独特な政府が生まれ、今もそれが続いているのである。
宗教上の権力者は天皇,その宮廷は内裏の名で知られている。事実上の君主は将軍という名前で呼ばれているが,公方様という,最初に権力を奪った人物の敬称でも呼ばれる。2人の君主は宮廷と首都を別々に有している。宗教上の君主は京都に住み.俗界の君主は江戸に住む。天皇は名ばかりの最高権力者で.俗事上の権力はつゆほどにも持っていない。文字通り.生まれてから死ぬまで京都に閉じ込められ.その小さな領国で.そこから入る収入と将軍からの献上品で溝足しなければならない。
将軍は7年に1回,華美な行列を従えて天皇を訪問する。将軍の権力は以前は絶大であったが,今ではかなりなおざりにされている。
将軍職は世襲ではあるが.大評議会は将軍を退位させる力を持っている。評議会の重要な決議は常に将軍のところに持ってこられるが,将軍はたいがい調べもせずに即座に承認してしまうのだ。
しかし.もし将軍がすぐに承認しなかったり,法案を拒絶したりすると,直ちに将軍に最も近い血筋の3人の諸侯の裁定をあおぐことになる。その決定がすべてを決する。3人の意見が将軍の意見と違うときは.将軍は前言を取り消す機会すら与えられぬまま.直ちに王座を息子かだれか他の後継者に渡さなくてはならない。その反対に,もし3人が将軍の意見に賛成するならば,否決法案を提出した評議会だは死が待ち受けている。それを支持した人が死を命ぜられることもまれではない。
臣下の諸侯は自分の領地内では一種の主権を行使しており.帝国をおびやかす危険というのは,おもにこれらの諸侯なのである。諸侯の忠誠を確保するため.その家族を君主の居城近くに住まわせ,諸侯自身もその半分の期間はそこに住まわせている。
またスパイによって,諸侯の公私にわたる一行動はひそかに監視されている。都市も町もすべて5世帯で1つの班を作り,1人1人が全員の行動に対し責任を持っ。班でいつもと違うことが起こると、ただちに残りの4家族がとがめを受けぬように逐一,役所に報告する。法律や慣習が変わらないのは.この厳しい監視制度のせいである。
というのは,諸侯であろうと庶民であろうと,ほんの少しでも変革を提言しようとする最初の人には避けられない破滅が待っているからである。
外国人に対するその徹底した排他主義は,政治目的上,政府によって定められている法律にすぎないのであって,日本国民の意向ではない。
日本人同士は付合いがよい。女性は奴隷としてではなく伴侶として認められている。その地位はキリスト教の影響を受けている国の女性はど高くはないが,日本の母親,妻や娘は中国の奴隷や家の下働きとは全然違うしこまたトルコのハーレムのように気まぐれな欲望を満たすために売買されることもない。日本人が一夫多妻制でないという事実は.日本人が東洋諸国の中で最も道徳的で洗練されているということを,はっきり特徴づけるものだ。この堕落した習慣がないことは,女性のそのすぐれた性格にうかがわれるばかりでなく.家庭的な美徳が大いに行き渡っていることの当然の結果でもある。しかし.めかけを囲うのはよくあることだし.売春も非常に多い。
売春宿と呼ばれる施設は公に認可を受けており,持主は商人階級で刀を1本差す資格を与えられている。江戸には600人の遊女をかかえる,詩侯の宮殿のように素晴らしい造りの遊郭がある。しかし.これらの施設の持主が死ぬときには.道徳的な復讐のようなものが科せられる。というのは,売春宿は公に認可されてはいるものの.評判が悪く,持主が死んだときには,まともな葬式は出してもらえないのである。
日本ほど命がそまつにされている国もない。ほんのちょっとした犯罪に対しても死刑が執行され.自殺は頻繁なだけでなく賞賛されている。役人が罪を犯したり.その組織下で法律違反があったなら,たとえそれが彼にとり不可抗力な違反であろうと,彼は間違いなく死刑になるので,それを予期して切腹してしまうのだ。この行為によって彼は財産の没収や家族の死を防ぐのである。切腹は腹部を2回,十文字形に切って行われるが,頼みになる従者が首切りを行うことで完成する。
美術のいくつかの分野では,日本人は際だった技を身につけている。彼らは解剖学や遠近画法について無知であり.そのため彫刻や風景画に関しては洗練されていない。
しかし個々の事物を表現する場合においては,細部にわたる正確さと.自然への誠実な信奉を表す。芸術としての建築学は存在するとは言いがたい。彼らの寺院.宮殿,私邸は全部低層でまにあわせの構造になっていて.多くの場合木造である。つまり地震が多いので,建築物に対して執心を向けることが少ない。おそらく他の環境下にあれば.彼らの帆心はこれほど低くはなかっただろう。
読み書きは最下層の人々の間にさえも広まっている。階層.性別に関係なく.子供たちは全員,初等学校へ行く義務がある。
大学や専門学校は全国の都市にひしめいている。美大な数の安い本が,貧しい子供たちの教育を目的として日本の出版社から常に発行されている。金持ちと教養ある人々に対しては,より高級な本が出版されていて.読書は男女を問わず楽しみの1つとなっている。
天皇の都は日本のアテネと呼べるほど.文芸の盛んな都市のようだ。
以上,日本と日本人について,読者の皆さんにいくつかのことを上音己のように挙げてみた。このいろいろな観点から見て恵まれた国と独特の人々を,世界の貿易と文明の影響に再び開放するという栄光は.間違いなくアメリカの力と事業に属する。国民としては.日本人は抜け目がなく用心深い。
そしてわれわれと同様.彼らは不当な動機をすぐ見破り.たちまち憤慨する。今回の日本使節団の使命の成功の重要性を.どれほど高く評価しようとも評価しすぎることはない。なぜなら,わが国の商業的利益のみならず.このはるかに離れた東洋の風土の申し子たちに良きことがもたらされるかどうかは,すべてこの使節の成功にかかっているからである。
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