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知的巨人の百歳学(127)ー禅の達人・鈴木大拙(95歳)④『1945年8月『日本敗戦』の混乱をみて <言葉を言い換えて事実の本質忘れて、無責任となる感情的な行動(センチメンタリズム)を脱せよ。感傷的でなく、もっと合理的、論理的に考なければならぬーと警告した。。

      2018/12/15

日本リーダーパワー史(279)
 
『日本沈没・崩壊は不可避なのか』-鈴木大拙の一喝!②
 
鈴木大拙(95歳)は1945年8月『日本敗戦』の混乱をみて              

① 言葉を言い換えて事実の本質忘れて、無責任となる感情的な行動(センチメンタリズム)を脱せよ。感傷的でなく、もっと合理的に考なければならぬーと警告を発した。
② そして、約70年後の現在。3/11原発事故を引き起こし、日本は再び低線量長期被曝、財政破綻・失敗国家を転落中だが①「言葉の弄び」(原発事故収束・国民生活が第一・・)②だれも責任を取らない無責任亡大国、③「そしてみんなで借金を先送りすればこわくない」の3重苦で一億亡国の惨状にある。

 

 
 以下は、鈴木大拙著『東洋と西洋』(桃季書院刊、1948年)の中で「物の見方」の論文で大拙が上げた大東亜戦争での日本の敗戦の原因とそのあとの態度について述べた部分である。
 
第一、 無條件降参(無条件降伏)、敗戦を終戦と言い換え、文字を弄んで、事実、本質、戦争責任をも忘れてしまう。
 第二、『戦陣訓』で国民に死を強制しながら八月一五日以降に切腹したものは何人あ
ったか。軍人を本職とするもののうちではわずかである。
 第三、降参(敗戦)は恥かしいことか、死んでしまはなければならぬことか。
第四、この死でしまえばすべての事の解決法なのか。
第五、切腹、自刃、自殺、特攻精神は、単なる感傷性の行動に過ぎない。もつと合理的
に物事を考へなければならぬ
第六、日本では人を戦争の主体としているが、欧米では戦争は力の抗争であり、戦争観は違う。
第七、欧米人は降参は恥辱ではない、力のないのに抗争を続けるのは非合理である
第八、日本人は人を相手とするが、不思議に人格を無視する。

 

 
 
 
 鈴木大拙著『物の見方-東洋と西洋とはこう違う』(1948年)
 
ほとんど四年に近いほど続いて、最後に無條件降服となった大東亜戦争(1945年8月15日、敗戦)は、これからの世界の歴史で、どういう風に取り扱はれるようになるか、今のところは固よりわからぬが、これだけはにわかに言へる、日本の歴史は今度で大決算せられた、さうして吾等はこれから全く白紙になって新たな道を踏み出さなくてはならぬと。
 
白紙と云っても、今天から生れ落ちた日本人ではないのであるから、まづ二千年位の歴史は過去にある、これを忘れると云ふわけには行かぬ。白紙と云ふのはこの歴史にこだはるなと云ふのである。出来るだけ冷静な頭で、虚心坦懐に、科学的に、合理的に、世界性を持った立場から、自らを解剖して見よと云ふのである。出来るなら今までの日本人としてではなく、全く客観的な立場に自らを求めて見たい。さうしてそれから出る結論の上に立って、これからの日本人の行く途を辿ると云ふことにしなくてほならぬ。
 
 
自分はこれを、東洋的見方、西洋的見方と云ふ風に分けてこの間題の一面に解れて見たいと思ふのである。
 
 
 
それは無條件降参(無条件降伏)と云ふことである。日本人はこの降参(敗戦)を嫌ふ、それで今度も、上は詔勅を始め、下は政府及びそれ以下の諸役所の諸文書及び諸施設にも降参と云ふ文字を出来るだけ避けて居るやうである。終戦と云ふ字がその代に使はれる。併し事実の真相を最も的確に云ひ表はすのは、終戦でなくて降参である。
 
吾等は降参によりて、終戦したのである。降参しなかったら、日本は殲滅によりて終戦したであらう、それも終戦である。これは文字を弄ぶものである。日本人はこれに慣らされて居る。鮨を「すし」と云はないで「すもじ」と云ふ、梨を「なし」と云はないで「ありのみ」と云ふ。これは平安朝時代からの習はしである。体面を避ける、男性的・合理的ならざる心理状態である。
 
ただの終戦でなくして降参となると、日本人は上下を通じて、一人も残らず切腹して果てるのが、『戦陣訓』(1)の説くところである。ところで、八月一五日の詔勅が出て、切腹したものは何人あったか。軍人を本職とするもののうちで
も、殆んど指を屈する位であらう。
 
多くの軍人は平気で居た、混雑まぎれに国民の物贅や金銀をも盗んだ。事実は降参でも、終戦と云っておけば、当然、切腹すべきものでも切腹しなくてもよいことになった。ところで降参と云ふことが、そのやうに厭ふべきことか、恥かしいことか、死んでしまはなければならぬものか。
 
さうしてこの死でしまふと云ふことがすべての事の解決法なのか。普通の切腹とか、自刃とか、自殺とか、特攻精神とか云ふものは、単なる感傷性の行動に過ぎないのではなからうか。吾等はこれからもつともつと合理的に物事を考へて行かなければならぬのではないか。
 
 
物の見方
                                                     
欧米人の戦争観は日本人のと違ふ。日本では人を戦争の主体として居るが、前者年にあっては戦争は力の抗争である。
 
それ故、力が尽きれば降参して、お互に無益の流血を避ける。弾薬も尽きて、抵抗力がなくなれば、降参する、これは名誉の降参である。弾丸もあり、弾薬もあり、身体にも何等の傷を負ふことのないのに降参するは、卑怯の所以で
ある。日本人の戦争は力の争ひでなくて人の争ひであるから、どんなことがあつても降参せず旨殺してしまふ。
 
それが名誉の戦死だと云ふことになる。欧米人の間では降参は恥辱でも何でもない、力のないのに抗争を績けると云ふことはすこぶる非合理である、この方が却って人間的でないとさへ考へられる。
日本人は、敵を悪むべきもの、「鬼畜」の類だと見る。それ故、降参すれば向うのものは自分を殺すにきまって居る、敵の手でいぢめられて死ぬより、自分の手で死ぬのがよいと、感情の上で判断する。人が主体になると自らそのやうな物の見方になる。
 
欧米人は力を中心に考へる故、自ら非人格的になる。それで、戦時における捕虜の取扱いについては特別の規則が作られてある、人格の尊重が説かれるのである。日本人は人を相手とするのであるが、不思議に人格を無視する。さうして捕虜はいくら虐待しても苛責しても惨殺しても構わないと云ふことにして居る。降参と云ふ事象に対する東西の物の考へ方の相違がこんなところから出る。
 
 
今度の戦争で絶海の孤島に閉ぢ籠められて、最後の一人まで死が強要せられたと云ふ富貴は、どう云ふ風に考へて見るべきであらうか。
 
又、特特攻隊とか何とか云ふものを組織して機械の不完成を人の命で補充すると云ふやうなことは、果して「悠久の大義」と云ふことになるのか、又これは日本人の科学的技術的能力の未だ欧米人の域に達せざることの自白と見るべきであらうか。今度の戦争で米人は「特攻隊」の出現を見て、日本軍の武力的抗争の末路に瀕したことを悟ったと云って居る。
 
これなら日本の攻略は日を期して待つべきだと考へたのである。それが米軍は「特攻隊」を「自殺隊」と見た。「悠久の大義」も何もあったものでない。絶海の孤島における日本軍全部の討死も、米人から見ると、武士の花と散ったのでも何でもなく、「人の命の如何に安きことよ」と冷笑の対象となったにすぎない。彼等は何も感心して居ない。
 
この命の安売りと捕虜の虐待、又は惨殺とを睨み合はせて、米軍は日本人の考へ方は
人格中心でないと批評して居る。
 
 降参が嫌で討死すると云ふなら、無條件降服などあり得ないことになる。しかしながら、これが千人や二千人の話せなく、又一軍団や二軍団の話でなくて、
国全体の話となると、物の考へ方は違って来なくてはならぬ。降参しても生き延びなくてはならぬ、生き延びて居れば、又その中に盛り返す機合もあるべきだ、「人は一代、名は末代」と云っても、その名を語る人さへもなくなれば何の名ぞ、人があればこそ末代もあるのではないか。
 
理窟で推して行くと、かう云ふことになる。感傷的に感ずるところでは、敵に頭を抑へられるのは屈辱だ、寧ろ死んでしまへと云ふことたならう。これと、一時の怒りにまかせて自らを傷つける場合と、その間に何の差があるであらうか。
 
感傷(センチメンタルリズム)と合理性
 
 
 第一次世界戦争の時、英国の一学究も徴用せられて戦争に参加した。どこかの戦場で弾丸がなくなって、降参した。ドイツ軍はこれを捕虜収容所に入れた。その時、他の捕虜の一人がその究兵に一緒に収容所からの脱出を勧めた。
 
看守に何か物品か金銭を贈賄すると、目をつむって居てくれると云ふのである。併し学究はそれに應じなかった、「降参は力尽きての話で、何も恥づべきことでない、無益の抵抗は意義をなさない。看守を買収することは、併しながら、人
格を無視することである。彼を一人格と見ないで、道具にしてしまふことである。これは本道徳である。自分はそのやうな不道徳行為をしたくない」と。
 
これが倫理学専攻の学究兵卒の脱出案拒絶の弁であった。日本人を此場におかせたら如何なる結論を出したか、吾等日本人は皆知って居るであらう。
し大多数の日本人はこの学究の倫理観に対して何と云ふであらうか。彼等はこれを一顧に値すると見るかどうか知らん。国家のため又は主君のためなら、敵国人の人格など云ふものを考へるヒマはないと云ふであらう。これはさう云ふ風に考へるのが日本人的考へ方であると信じられる。此ところにも、日本人的感傷性考へ方と、欧米人的合理性考へ方との封照を見ることが出来る。
 
吾等はこのやうな場面に出くはすと、すべてを国家観とか全体主義とか封建的道徳観の上から判断せんとする。
 
 

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