百歳学入門(29)『女性センテナリアンからの百歳名言』ー宇野千代 『死なないような気がするんですよ』
2015/01/02
百歳学入門(29)
『女性センテナリアンからの百歳名言④
前坂 俊之(ジャーナリスト)
101歳
●奥むめお 101歳(1895年10月24日~1997年7月7日) 婦人運動家。政治家。大正8年、日本初の婦人団体である新婦人協会に参加。平塚らいてう、市川房江らと共に理事に就任。働く婦人の地位向上を目指して職業婦人社設立。戦後、参院議員に当選し3期務める。主婦連合会を結成して会長に。勲二等宝冠章を受賞し、没後に正四位を追賜。
●有馬秀子 101歳(1902年5月15日~2003年9月25日) バー経営者兼ママ。銀座でバー「ギルビーA」を50年近く経営し、100歳になっても自らママとして接客にあたった。遠藤周作などを始めとする作家、政治家、大企業の経営者などが贔屓にした。毎朝牛乳を2本飲むのが健康法。毎週一度は美容院に通うなどお洒落にも気配りを欠かさなかった。
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●櫛田ふき 101歳(1899年2月17日~2001年2月5日) 女性解放運動家。平和運動家。戦後、婦人民主クラブの結成に参加し初代書記長、委員長。婦団連会長。新日本婦人の会代表委員。原水爆禁止世界大会議長団。著書に自伝「二〇世紀をまるごと生きて」をはじめ「たくさんの足音―その一つが歩んだ道」「素敵に長生き」「八度めの年おんな」など。
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●石井桃子 101歳(1907年3月10日~2008年4月2日) 児童文学作家・翻訳家。作家では「ノンちゃん雲に乗る」「幻の朱い実」。翻訳家では「クマのプーさん」「ヒーターラビット」などが代表的作品。戦前・戦後を通じて子供たちに夢を与え続けた。自宅の一角に「かつら文庫」を開設。第1回芸術選奨文部大臣賞、読売文学賞。日本芸術院賞を受賞。
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●蔦清小松朝じ(つたきよこまつ あさじ)(明治27年(1894年)―平成8(1996)年8月18日)101歳
●蔦清小松朝じ(つたきよこまつ あさじ)(明治27年(1894年)―平成8(1996)年8月18日)101歳
(蔦清小松は屋号、名は朝じ。本名加藤はる。
東京下谷生まれ。平成6年2月8日、百歳の誕生日を迎えた。根っからの三味線好きで、みずから芸者を志額。芸事厳しい吉原で芸者修行を積み、16歳ではじめて柳橋のお座敷へ。以来80年以上の長きにわたって格式の高さを誇る柳橋で芸者をつづけ、いまも≠柳橋朝じ〝として多くのごひいきに愛される、花柳界最高齢の現役芸者である。常磐津の世界では、「岸沢式あさ」の名で知られる第一人者。昭和63年「伝統文化ポーラ賞」「文部大臣賞」、平成元年「黄綬褒章」受章。
(百歳名言)『女は、キリッとしていないと光りません』
平成六年二月八日、あたしは百歳になりました。うれしいことに、いまも週に一度はお座敷がかかります。「朝じを呼んどくれ」のひと言をお客様からいただくのが、あたしにとってなによりの喜び。そのためには、芸に対して.も、身じまいもだらしなくしてはいられません。キリッとした柳橋芸者だからこそ、お客様はお座敷に呼んでくださるのです。芸者にかぎらず、女はキリッとしていないと光りませんし、シャンとしていなくては見場も悪い。顔の造作や着る物がよくても、だらしなくてはどんな仕事もつとまらないし、女もつとまらないものです。心がキリッとしていれば、姿もシャンと引き締まります。女なら、いつもき。きりしゃんで、光っていなきや、つまらないじゃありませんか。』
『女は女はきりきりしゃん―あたしは百歳現役芸者 蔦清小松 朝じ (単行本 -1994/5)
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100歳
●多田小餘綾 100歳(1907年4月27日 ~2008年4月6日 )
阿波踊りのよしこので有名な歌手。お鯉さんとして知られている。日本コロムビア大阪支社、ポリドールレコードに所属。2006年に「お鯉~唄声は時代を超えて~」のCDが発売され、2007年には徳島県民栄誉賞を受賞。自身が目標としていた「100歳での現役よしこの歌手」という前人未到の記録を達成する
高城清子(経営者年商100億円)
小林清子(女医)○
●大宅昌 (1906年10月19日~2007年5月24日)100歳
評論家。ジャーナリスト大宅壮一の妻。大宅壮一文庫理事長。大宅壮一の蔵書をもとに設立された雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」の理事長を1971年の発足以来務めていた。1981年に出版された「愉しく生きる老い」はベストセラーになった。三女は評論家の大宅映子。
奥出きぬゑ (明34年生) 100歳
●(百歳名言)「本気で、やる気で、元気で、根気」
これは出来る限り人に迷惑をかけたくないと心掛けているきぬゑさんが大事にしている四つの〝気〟だ。「ここまできたので、ただ一つの願いは寝付かないこと。この子達(左手足)が頑張ってくれるから」
リハビリは死ぬまで続けると先生とも約束していると言う。その先生が「あんたはもっともっと生かしておく」と言ったそうだ。この言葉こそ、きぬゑさんに出会った誰もが抱く思いに他ならない。
帰り際、「元気でやる気で、ですね?」と言うと、「本気と根気もよ」ときぬゑさんの声が笑顔とともに返ってきた。
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●柴田トヨ(詩人くじけないで)
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99歳
棚橋絢子 (1839年~1939年)99歳
教育者。失明の漢学者棚橋大作と結婚,愛知県で寺子屋や私塾などを開く。その後上京,貴族の娘の家庭教師や学習院等で教師として活躍。 58歳の時,名古屋市が高等女学校(現在の菊里高等学校)の創設を依頼し,初代「おなご校長」として評判となる。その後,東京高等女学校(現東京女子学園)の初代校長。
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●高見澤潤子 99歳(1904年6月3日~2004年5月12日) 作家。評論家。
漫画家の田河水泡と結婚。矗江の筆名で戯曲などを発表。「サザエさん」作者の長谷川町子との出会いで洗礼を受ける。「信徒の友」編集委員長、荻窪教会長老会会長などを歴任。基督教関係の著作物を多数執筆した。主な著書に「兄小林秀雄」「のらくろ一代記」「愛の重さ」など。
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●沢蘭子 99歳(1903年~2003年1月11日) 大正・昭和前期の美人女優。
本名は志づ子。仙台市出身。宝塚歌劇団を退団して、大正時代から日活向島・帝国キネマなどで活躍。主な代表作品は「籠の鳥」「女人哀愁」「港の日本娘」「夜ごとの夢」「朝日は輝く」など多数。
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●野上弥生子 99歳(1885年5月6日~1985年3月30日)
小説家。夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚。「ホトトギス」に『縁』を掲載して作家デビュー。「海神丸」で文壇の注目をあつめ、以降「迷路」で読売文学賞。「秀吉と利休」が女流文学賞。71年に文化勲章受章。敗戦までの日本の知識層のさまざまな生き方を重層的に描いた。
●松田解子
井上八千代(三世)
●大村はま 98歳(1906年6月2日~2005年4月17日) 国語学者。教育家。新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒各人の実力と課題に応じたオーダーメイド式の教育方針「大村単元学習法」を確立。「ペスタロッチー賞」、日本教育連合会賞など受賞。「大村はま国語教室の会」創設。勲五等瑞宝章受章。著書に「教えるということ」など多数。
●井上八千代 98歳(1905年5月14日~2004年3月19日) 京舞井上流四世井上八千代。3歳で三世井上八千代に入門。14歳で名取。47年家元となり四世井上八千代を襲名。代表作は「長刀八島」「海士(あま)」「鉄輪(かなわ)」など。人間国宝認定。芸術院会員。日本芸術院賞、芸術祭賞を受賞。文化勲章受勲。2000年、孫の井上八千代に家元を譲る。
●香川綾 98歳(1899年3月28日~1997年4月2日) 香川栄養学園の創始者。医学博士。日本における栄養学の普及に多大な功績を残した。「本邦食品のビタミンB1と脚気の研究」で医学博士号。胚芽米の普及、4群点数法、計量カップと計量スプーンなどを提唱普及させた。藍綬褒章、勲二等瑞宝章など受章。文化功労者。
●宇野千代 98歳(1897年11月28日~1996年6月10日) 小説家。
教員を経て『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等で当選し、作家としてデビュー。幼い子供を置いて上京する。尾崎四郎、北原武夫らとの恋愛をもとに男女の関係を赤裸々に描く。勲三等瑞宝賞、菊地寛賞、文化功労者。モデル、デザイナー、実業家でもあった。
八十六歳で、一九八三(昭和五十八)年、『生きて行く私』を出版し、宇野千代ブームを巻き起こし百万部を突破、年間ベストセラーとなった。その内容で、明治の女性ながら、何者にもとらわれず恋愛も仕事にも精一杯生きた人生が描かれていた。
百歳名言①忘れるというのは自分を救う最良の方法なんですね。
百歳名言②何歳になってもヨーイドンー私はヨーイドン教の教祖なのよ。
百歳名言③食事は朝が七時、昼が十二時。食事夜が五時と決め、間食は一切し
ない。料理が好きで、全部自分で作り、片づける。
百歳名言④運動不足を解消に毎日、マンション部屋の中を一万歩も歩く、歩く。
百歳名言⑤自分を「駆け出しお千代」と呼んで、仕事にも恋にも健康法にも
果敢に挑戦、「何歳になってもヨーイドンで始めればいいのよ」
百歳名言⑥「行動こそ人生。今、このときが人生なのだ」
百歳名言⑦「トシのことなんか一度も考えたことがないわ」
百歳名言⑧「人間はなにごとも自分の考えたとおりになる」「できると思えば、
どんなこともできる」
百歳名言⑧「毎日机に必ず坐る」「書けると信じる」「一万歩歩く」「たわし
健康法」「玄米食」を実行して行動的な女に変身した。
百歳名言⑨「人間同士のつき合いは、心の伝染、心の反射が全部である。幸福
は幸福を呼ぶ。
百歳名言⑩ 九十八歳で、『私何だか死なないような気がするんですよ』を出
版、大往生した。
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