前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

百歳学入門(51)昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝②『精神修養編』『無一物・無一文 無所有・一日不働・一日不食』

      2018/07/14

百歳学入門(51)―『百歳精神修養編』
 
<昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝②  
●『無一物・無一文 無所有・一日不働・一日不食』
◎『力をもって立つものは、力によって亡ぶ。
金で立つものは、金に窮して滅び、ただ、
徳あるものは永遠に生きる②
 
 
                                        前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
<山本玄峰(1866-1961) やまもとげんぽう-95歳は昭和の傑僧、禅宗の老師。臨済宗妙心寺派の管長となり、後に静岡県三島の龍沢寺の住職>
 
 
和歌山県東牟婁郡本宮町で、生まれてすぐ捨て子となるが、近所の人に助けられる。字を習うこともなく、百姓の手伝いや筏流(いかだし)をして成長。眼病にかかり、医者にも失明を宣告されたため、二十二歳で願をかけて四国を裸足で計七回もお遍路に回った。
 
このとき、高知の雪寺(せっけいじ)で行き倒れとなり、「自分は目も見えず、読み書きもできないが、坊さんにしてもらえますか」と和尚に頼み込むと、「親から授かった目は年を取れば見えなくなるが、仏さまからさずかる心の目は一旦開かれれば、つぶれない。お前の心眼は修行次第じゃ」と弟子入りを許された。
この入信までは食べること・結婚・失明などのことがあり、つぶさに人生の艱苦をなめ、教育らしい教育は受けられなかった。
その後、静岡県三島の龍沢寺(りゆうたくじ)の住職となったアメリカに、印度に遊び、八十二歳で妙心寺派管長に推された。昭和三十六年六月三日入寂す、年95。以下はすべて高木蒼梧著『玄峰老師』(大藏出版 1963 年)からの現代訳である。
 
 玄峰は思想、信条を超えて、「来るものは拒まず」で救済した。一九三一(昭和六)年、血盟団事件の右翼の黒幕・井上日召の弁護に法廷に立ったが、武装共産党のリーダー・田中清玄(その後、日本の黒幕とも呼ばれる)はこの時の玄峰の話を聞いて感激して、弟子入りした。
 
ある日、老師が「お前は何のために修行するのか」と問うと、田中は「世のため、人のためです」と答えた。「フーン」また、しばらくたって同じ質問があり、同じ答えをすると、「ばか者、わしは自分のために修行をしとる。人のためではない」と大喝した。 

一九四五(昭和二十)年四月、老師は鈴木貫太郎枢密院議長(元海軍大将、侍従長)に会った。「一刻も早く戦争を終わらせなければならぬ。負けて勝つのです」と献策、鈴木は1週間後に首相に就任。八月十二日に鈴木首相の使者が訪れ、終戦の決意を伝えたのに対して、
「これからが貴下の本当のご奉公。忍び難きを忍んで、行じ難きをよく行じて、国家の再建に尽くしていただきたい」との書状を托した。
 
 私(浅井栄資)がまだ若かった頃、老師(玄峰)を静養中の温泉宿に尋ねて、同じ部屋に泊った。その翌朝早く目を覚ましたら、老師がタオルを下げて帰って来られて、「いい湯だよ、行っておいで」といわれるので、私は寝床から抜け出して、湯に入って来る。
部屋に帰ると、中はきちんと片づいている。途中で寄った洗面所や便所はきれいになっていて、便所のはきものはきちんと揃えてあった。
 
「さすがは老師のひいきになさる宿屋だな」と感心したが、少しして入って来た女中さんが、都農の内を見回して、『どうもすいませんでした』と謝ったので、「ハッと気がついた」。
赤面して、「老師が私の寝床まで」といいかけたら、老師は「うん」といわれたまま、すぐに話題を転じらわれた。しかし私は、顔から火の出るような思いをした。
 
後になって分ったことであるが、老師は人の知らぬ内に、便所のはきものを揃えたりなさるし、一本の割ばしも、初めに使ったものを紙に包んで取って置いて、滞在中は決して新しい箸にまた手を付けなかった。老師はあらゆる機会に陰徳を積むことを実践しておられたのである。
 
 ある時、話のついでに、「私の力が足りませんで」と口をすべらせたら、柔脚な顔で聞いていられた老師が、一瞬となって、「それは違う。力でなくて徳だろう」といわれた。頂門の一針とは、全くこのことである。(浅井栄資「平常すべてこれ説法」)
 老師(玄峰)は初めて竜沢寺へ来ら当時、第一に植林に留意された。寺の樹々は今、相当に大きくなって、それが寺の財産となっている。
 大工等が仕事していますと、老師は胸にかけられた頭陀袋(ずたぶくろ)の中から、「今日は少ししかないよ」といって、骨折りを下さいました。それが当時小僧であった大工たちの思い出となっております。
 
 私(佐藤惣八)は子供が大勢でした。それで老師は、生活に困るだろうとの思いやりから、「上の学校へやると金がかかるだろう。多くは困るが、少しずつなら寺で貸そう」というありがたいお言葉で、それには涙が出ました。お礼を申して帰ろうとしたら、「遠慮するなよ。何なら返さんでもよいよ」とのお言葉でした。
 
このせちがらい世の中に、金を貸すから子供を教育せよ。金は都合で返さんでもよいという方があるでしょうか。私は拝借しませんでしたが、そのお言葉をカに、はたらきつづけて、御期待に添いたいと息いました。(佐藤惣八『深夜の木材選び』)
 
 老師様(玄峰)は、旅へお出ましになる時、留守中への御指示に、「たとえ乞食(こじき)のような人がたずねて来ても、立って物をいうようなことのないように、お腹のすいた人が見えたら、何はなくとも、お客様に差し上げると同じようにして、出して上げて下され。いつ来られても上げられるように、一人分くらいの食事は、いつでも用意して置くように、心がけて下され。
 
わしの苦い時、行脚をして、何日も食べずに歩いた時に、一椀(わん)の飯を恵まれた時のありがたさを、生涯忘れることが出来ない。どうぞそういうお人は、ねんごろにして上げて下され」と、しみじみと申されました。私(中川深雪)はそれを開いて、尊いおさとしに、心を打たれました。
 
 ある時、「わしのとこへは、馬鹿と貧乏の集まるところじゃ。智慧者や金持は、寄りつくと損をするぞ」と申されました。(中川深雪「老師さまのおんことども」)
 
 
 
 老師(玄峰)が犬山の瑞泉寺に居られた時のこと、犬山に大工場を建てるのに、地主の一人だけが、譲り渡しに応じないので、老師から話して貰うことにした。それで老師がお頼みになったが、それでも地主は、「先祖代々からの土地だから」といって承知しない。
 
 そうしたら老師は、「ああ、そうかい」というなりその家の仏間へ行って、仏壇の蘭で坐禅をせられた。昼飯時になって、呼びに行ったが、石地蔵のように一黙不動である。夕刻になったのでまた呼びに行ったが、微動だにもせられない。 

地主は驚いて、「老師様は、いつまで坐ってお出でですか」と怖る怖る間いたら老師は地主を見通って、「お前さんが、どうしても土地を売ってくれないなら、わしはもう坊主になっていられん。一且引受けて来たのじゃから、断食して死んでお詑びする。跡はどうとも、よいようにしてもらいたい。」そういって、また坐禅を統けられた。これにはさすがの地主も我を折って、とうとう土地の提供を承諾した。(長尾大学「これ以上坊主になれぬ」)

 老師(玄峰)は常に財布の底をはたいて、惜し気もなく人々にやってしまわれた。そして、「わしの金は日本国中に預けてある。だからどこへ行っても、不自由したことがない」と、常々いっていられた。ある時東京から帰られて、数包みの布施を頭陀袋から取り出して、「預って置いてくれ」といわれるので、「何ほどありますか」と開いたら、「知らぬ。あるだけあるよ」とのことでした。
 
早速整理した上で、郵便局に預けて置きましたら、その後数回小僧の使が来、その都度渡して金のなくなったところで、老師にお目にかかといわれます。「もうありません」と申し上げたら、「ああそうか。ではまた東京へ出かけて、説教強盗をして来るかな」といって、かっかと大笑せられました。(倉田錦平「説教強盗でもするか」)
 

<昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝① >
http://maesaka-toshiyuki.com/longlife/detail/1350
 

<百歳学入門連載>
http://maesaka-toshiyuki.com/longlife

 - 健康長寿 , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
リクエスト再掲載/日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」

日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信 …

no image
宮本悟 聖学院大学特任教授が2月9日、日本記者クラブで『北朝鮮の核実験、 ミサイル発射した軍事力』について講演し、記­者の質問に答えた。

宮本悟 聖学院大学特任教授が2月9日、日本記者クラブで『北朝鮮の核実験、 ミサイ …

no image
日本メルトダウン脱出法(821)『視点:日本に必要な「3つの変化」=イアン・ブレマー氏』●『アングル:中国「爆買い」の火は消えるか』●『北朝鮮核実験で明らかになった世界の現実ー「他人任せ」の日本に3つの危機が迫る(古森義久)』

  日本メルトダウン脱出法(821)   視点:日本に必要な「3つの変 …

no image
人気リクエスト再録『百歳学入門』(235) 『日本歴史上の最長寿、118歳(?)の医聖・永田徳本の長寿の秘訣とは『豪邁不羈(ごうまいふき)の奇人で結構!』★『社名・製品名「トクホン」の名は室町後期から江戸初期にかけて活躍した永田徳本に由来する』★『107歳?天海大僧正の長寿エピソ-ド』

    2012/03/04 記事再録百歳学入門( …

ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『ピカソ美術館編➄」★『ピカソが愛した女たちー画家の精力絶倫振りは、超弩級、地球人とも思えません』

  「ラ・セレスティーナ」、1904年 ピカソ23才の作、下町のやりて …

『Z世代のための鈴木大拙(96歳)研究講座』★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』    

   2018/12/14  記事再録/ …

no image
日本リーダーパワー欠落史(748)『サッカーにも共通する日本失敗の原因は<実力より、人気、ブランド、視聴率重視>』『サッカー・サウジアラビア戦はいつもの【セルジオ越後】選評がズバリ的確』●『本田は「リトル本田」のまま。原口と大迫が“看板”なんて重要でないと証明したね』★『若手の成長株の抜擢が成功の鉄則』★『「京」また世界一に!―スパコンの実用性を競う「HPCG」』

 日本リーダーパワー欠落史(749)  『サッカーにも共通する日本失敗の原因は …

百歳生涯現役入門(179)-『晩年の達人/渋沢栄一(91歳)④』★『不断の活動が必要で、計画を立て60から90まで活動する』●『煩悶、苦悩すべて快活に愉快に、これが私の秘訣です。』★『90歳から屈身運動(スクワット)をはじめ、1日3時間以上読書を続けていた』

                         百歳生涯現役入門(179)- …

no image
日本メルトダウン(1010)ー1月9日付日経朝刊『どうする2025年のその先―現実を直視せぬこの国』(芹川洋一論説主幹)「2025年、日本では3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という人類史上かつて経験したことのない超超高齢社会を迎える。

 日本メルトダウン(1010)   今からちょうど20年前の日経新聞の1997年 …

no image
知的巨人の百歳学(128)ー大宰相・吉田茂(89歳)の晩年悠々、政治健康法とは①<長寿の秘訣は人を食うこと>『「いさざよく、負けつぷりをよくせよ」を心に刻み「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」と外交力に全力を挙げた。』

2013/11/04  記事再録/百歳学入門(83) 大宰相・吉田茂( …