日本リーダーパワー史(721)『強中国夢』(中華思想単独覇権主義)をめざす習近平共産党政権は「近代中国の父・孫文」の『覇道より王道をめざせ」という日本への遺言を読み直さねばならない。<孫文「大アジア主義」の演説全文を再録>②
日本リーダーパワー史(721)
(再録)日本リーダーパワー史(204)『辛亥革命100年』
『日本は西洋覇道より,東洋王道を目ざせ』ー
孫文「大アジア主義」の演説全文(2011/10/23)
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2833.html
孫文の大アジア主義の演説全文
大正13年(1924)11月28日,神戸高等女学校で神戸商業会議所外5団体の主催による講演会「大アジア主義」を行った。
〔亜細亜復興の起点〕
我が亜細亜は最も古い文化の発祥地である。即ち数千年以前において、巳にわが亜細亜大は非常に高い文化を持ってゐたのであって、欧洲最古の国家、例へば希膿(ギリシャ)、羅馬(ローマ)等の如き国の文化は、いづれもわが亜細亜より伝へたものである。
又亜細亜は昔から哲学の文化、宗教の文化及び工業の文化を持ってゐた。 これらの文化はいづれも古より世界に非常に有名もので、現在世界の最も新らしい文化は、いづれも我々のこの古い文化より発生したものである。
然るに最近数百年来、我亜細亜の民族は漸次萎痺し、国家は次第に衰微して来た。 一方、欧洲の民族は漸次発展し、国家は次第に強大となって来たのである。
欧洲の民族が発展し、国家が強大となるに伴れ、彼等の勢力は次第々々に東洋に侵入し、わが亜細亜の民族及び国家を漸次滅亡せしむるにあらずんば、圧制せんとする勢となりて来た。
この勢がズツと続いたため三十年以前まではわが亜細亜には1国として完全なる独立国家はなかったのである。 この勢が続いたならば国際関係は益々面倒となったであらう。
然し否塞の運命も極点に達すれば泰平となり、物極まれば必ず通ずとあって、亜細亜の衰微が斯くの如く極点に達した時そこに福の転換機が発生した。
その転換機こそは即ち亜細亜復興の鷲をなすものだったのである。 亜細亜は一皮は衰微したが、三十年前に再び復興し来った。然らばこの復興の起点はどこにあったのか。
それは即ち日本が三十前、万国と締結した一切の不平等条約を撤廃したことである。日本の不平等条約撤廃のその日こそ、わが亜細亜全民族復興の日だったのだ。
日本は不平等条約を撤廃したので遂に亜細亜における最初の独立国となったのである。当時その他の国家即ち中国、印度、波斯(ペルシャ、イラン)、アフガニスタン、アラビア及び土耳古(トルコ)等は、何れもまだ独立の国家でなく、欧洲より勝手に翌を割かれ、欧洲の植民地となってゐたのだ。
三十年前においては、日本も亦欧洲の植民地と目されてゐたのであるが、日本の国民は先見の明があり、民族と国家の栄枯盛衰の関係を知ってゐたので、大に奮発して欧洲人と闘ひ、凡ゆる不平等条約を廃除し、遂に独立国となった。
日本が東亜の独立国となってからは、亜細亜全体の国家及び民族は、独立に対し大なる希望を懐いて来た。 即ち日本は不平等条約を撤廃して独立したのであるから、吾々も日本に倣はねばならぬとの考へを持つに至った。
之より勇気を起して種々の独立運動を起して、欧洲人の束縛より離脱せんとし、欧洲の植民地たるを欲せず、亜細亜の主人公たらんとする思想が生れた。
三十年以前において、わが亜細亜全体の民族は、欧洲は逸歩した文化を有し、化学も非常に進歩し、工業も発達し、武器は精巧であり、兵力は強大である。
然るにわが亜細亜は欧洲より長じたものは1もない。
亜細亜は欧洲に抵抗出来ない、永久に欧洲の奴隷となる外ないと考へてゐたのである。 即ち非常に悲観的の思想だった。
然るに三十年前日本は不平等条約を廃除して独立国となった。而してそれは日本と近接してゐる民族国家に大なる影響を与へたが、当時はまだ亜細亜全体に充分の反響はなかった。
即ち亜細亜民族は全体的にはそれ程大なる感動を受けなかったのである。 然しながら其後十年をへて日露戦争が起り、その結果、日本は露国に捷ち、日本人が露国人に勝った。
これは最近数百年間における亜細亜民族の欧洲人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利こそは全亜細亜に影響を及ぼし、亜細亜全民族は非常に感謝し、極めて大なる希望を懐くに至った。
〔日露戦争と亜細亜民族の興起〕
私はこれに関して親しく見たことをお話する。日露戦争の開始された年、私は欧洲にゐたが、或る日、東郷大将が露国のバルチック艦隊を全滅させたことを聞いた。
この報道が欧洲に伝はるや、全欧洲の人民は、恰も父母を喪ったが如くに悲しみ憂ひ、英国は日本の同盟国でありながら、大多数の英国人は眉をひそめ、是がかくの如き大勝利を博したことは決して白人種の幸福を意味するものでないと思った。
正に血は水よりも濃しの観念である。 帰途私はスエズ運河を通ると、沢山の土人(注・現地人)-それはアラビア人だつたがーは、私が黄色人種であるのを見て「お前は日本人か」と問ひかけた。
私は「さうでない、私は中国人だが何かあったのか、どうしてそんなに喜んでゐるのか」と問ふと、彼等は「日本は露西亜が新に欧洲より派遣した海軍を全滅させたと聞いたが、それは本当か、自分たちはこの運河の両側にゐて露西亜の負傷兵が船毎に送還されるのを見た。
これは必定、露西亜が大敗した証拠だと思ふ。以前は吾々有色人種は何れも西方民族の圧迫を受け、全く浮ぶ瀬がなかったが、此度日本が露酉亜に勝ったといふことは東方民族が西方民族を打破ったことになる。
日本人は戦争に勝った。吾々も同様に勝たなければならぬ。これこそ歓喜せねばならぬことではないか」といふのであった。
これを見ても日露戦争が亜細亜全体に如何に大きな影響を与へたかが判る。日本が露西亜に勝ったことは、東方にゐた亜細亜大はそれほど感じなかったかも知れないが、西方にゐて常に欧洲人から圧迫を受け、終日、苦痛を嘗めてゐる亜細亜大がこの戦勝の報を聞いて喜んだことは異常なものであった。
日本が露西亜に勝って以来、亜細亜全民族は欧洲を打破らうと考へ、盛んに独立運動を起した。即ち、波斯(ペルシャ・現在のイラン)、土耳古(トルコ)、アフガニスタン、アラビア等が相継いで独立運動を起し、やがて印度も運動を起すやうになった。
亜細亜民族は、日本が露国に勝って以来、独立に対する大なる希望を懐くに至ったのである。蘭来二十年に過ぎぬが、填及、土耳古、披斯、アフガニスタン及びアラビアの独立が相次いで実現したばかりでなく、印度の独立運動も亦漸次発展し来った。
これら独立の事実は、亜細亜の民族思想が最近進歩したことを語るものである。この思想の進歩が極点に達した時、亜細亜民族は容易に適合して起つことが出来、この時こそ亜細亜民族の独立運動が成功するのである。
亜細亜の西部に居る各民族は近来相互に親密なる交際を続け、又真面目な感情を持つに至ったから、彼等は容易に連合するであらう。亜細亜東部の最大民族は日本と支那とである。
中国と日本とはこの運動の原動力をなすものであるが、今まで両国とも相関せず焉の態度を採れるため十分の連絡がとれなかった。
然し将来吾々亜細亜の東部に居る各民族にも必ず相連絡するの気運が動いて来ることを信ずる。欧米は斯る趨勢を十分に知ってゐる。故に米国の或る学者の如きは、曽て一書を著して有色人種の興起を論じ た。
其の内容は日本が露国に勝ったことは、黄色人種が白色人種を打破ったことである。将来この現象が拡大さるれば、有色人種は連合して白色人種に刃向ひ来り、酷い目に逢ふから、白人は予め注意せねばならぬといふ意味である。
彼は後に更に1冊の本を著はし、一切の民族解放運動は凡て文化に背反する運動なりといってゐる。 彼の主張によれば欧洲における民族解放運動は固より亜細亜の民族解放運動も亦文化に背反してゐるといはねばならぬ。
斯る思想は欧洲における特殊階級の人々が何れも抱いてゐる所のもので、彼等は少数の人を以て欧洲及び自国内の多数の人々を制圧してをり、更にその毒牙を亜細亜にまで拡張し、わが九億の民族を圧迫して彼等少数人の奴隷と為さんとしてゐるものである。
而してこの米国の学者が、亜細亜民族の覚醒を以て世界文化に対す る背反なりといふ所から見れば、欧洲人は自ら文化の正統派を以て任じ、従って欧洲以外に文化が発生し、独立思想の起ることを文化の背反となしてゐるのである。
彼等は欧洲の文化は正義人道に合し、亜細亜の文化は正義人道に合致しないと考へる。最近数百年の文化に就いて見るに、欧洲の物質文明は極度に発達してをり、東洋の文明は何等大なる進歩をなしてゐない。従て、之を単に表面的に比較すれば、欧洲は東洋に勝ってゐる。
然し根本的に之を解剖すれば、欧洲における最近百年来の文化は如何なるものであるか、彼等の文化は科学の文化であり、功利主義の文化である。
この文化を人類社会の問に用ゐたものが即ち物質文明である。物質文明は飛行機爆弾であり、小銃大砲であって、一種の武力文化である。
欧洲人はこの武力文化を以て人を圧迫する。これを中国の古語では覇道を行ふといふのである。わが東洋においては従来、覇道文化を軽蔑し、この覇道文化に優った文化を有してゐるのである。
この文化の本質は仁義道徳である。仁義道徳の文化は人を感化するものであって、人を圧迫するものではない。又人に徳を抱かしめるものであって、人に畏れを鞄かしめるものではない。
斯る人に徳を抱かせる文化は、わが中国の古語では之を王道といふ。 亜細亜の文化は王道の文化である。欧洲において物質文化が発達し、覇道が盛んに行ほれてより、世界各国の道徳は日日に退歩し、のみならず、亜細亜においても亦道徳の非常に退歩した国が出来た。
近来欧米の学者中、東洋文化に多少とも注意してゐる者は、東洋の物質文明こそ西洋の物質文明に及ばないが、東洋の道徳は西洋の道徳より造かに高いことを漸次諒解するに至った。
〔覇道文化と王道文化の相違〕
覇道の文化と王道の文化と結局何れが正義人道に有益であるか、私はこゝにー例を挙げて説明する
。今より吾年前より二千年前まで二十年余の問、中国は世界における最強の国家であった。 現在における英国及び米国と同様の位置にあった。
英国も米国も現在の強盛は列強であるが、中国の昔の強盛は独強であった。
然しながら独強時代の中国は、弱小民族及び弱小国家に対し如何なる態度を取ったか、当時の弱小民族及び弱小国家は中国に対し如何なる態度を執ったか。
当時弱小民族及び弱小国家は何れも中国を宗主国となし、中国に朝貢せんとするものは中国の属藩たらんと欲し、中国に朝貢することを以て光栄とし、朝貢し得ざることを恥辱とした。
当時中国に朝貢した国は、亜細亜各国のみならず、欧洲西方の各国まで、遠路を厭はず、朝貢した。当時の中国はこれら多数の国家、遠方の民族の朝貢に対し如何なる方法を用ひたか。
陸海軍の覇道を用ゐ彼等の朝貢を強制したであらうか、否、中国は完全に王道を用ゐて彼等を感化した。彼等は中国に対して徳を感じ、甘んじて其の朝貢を希ったのである。
彼等が一度中国の王道の感化を受くるや、二代中国に朝貢したのみならず、子々孫々まで中国に朝貢せんとした。これらの事実は、最近に至っても尚証拠がある。
例へば印度の北方に二つの小国がある。三はブータンであり一つはネパールである。この二つの国は小国ではあるが、其民族は非常に強く、又非常に精博で、勇敢に戦ふ。
中にもネパール民族は殊に勇敢である。現に英国は印度を治めるに当り、常にネパール民族を兵士に採用して印度を服従せしめてゐた。
つづく
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