百歳学入門(153)元祖ス-ローライフの達人「超俗の画家」熊谷守一(97歳)③『(文化)勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、そんなことは一切きらい』
2016/07/20
百歳学入門(153)
元祖ス-ローライフの達人・「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)③
『(文化)勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。
ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。
かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、
そんなことは一切きらい』
熊谷の若い頃の話で、絵が売れず生活が苦しい時代、紹介されたコレクターの家へ作品を持っていった。
その人から、「この絵の出来栄えをどう思いますか」と聞かれると、熊谷は即座に「あまり良い出来とは思いません」と正直に答えた。「描いた本人が不出来というなら買うわけにはいかない」と怒り断られてしまった。
また、広島県の知事をした湯沢三千男が(熊谷画伯の代表作とも言われる『ローソク』の所蔵者)から「十点くらい描いて送ってくれれば売ってあげる」と言われた時も、期限までにとうとう一枚も描かず、それを聞いて東郷育児さんがあきれていた、という詰も伝えられている。
熊谷は戦争のさなかに、庭に防空壕らしき深い穴を掘ったが、その底にきれいな地下水が溜まって、小さな池のようになった。夏は絶好の涼み場所となったらしくその周辺に座って、黙々ときざみたばこを手製のパイプで吸いながら、ひとり悠然と時を過ごしていた。
昔から、人工的に手を加えない庭が好きだった。垣根に沿って栗、桃、柿、いちじく、クルミ、ねむの木、あけびなどが植えてあって、庭には格好の木陰ができていた。
戦争をはさんで窮乏生活が続くなか、夏になると庭の土の上にゴザを敷き、その上で手製の木枕をして昼寝をする。
目がさめるとそのままの姿勢で地面に動き回るアリを眺め、その動作をしみじみと観察し、「アリを上から見下ろすのと、ゴザの上に横になって水平に近い位置から眺めるのとでは、ずいぶん違うものだ」と秀子夫人に語ったりする。
絵の題材に対する観察は、まことに鋭いものがあった。庭の植物や身近な動物、風物への愛情のこもった作品は、こうした視点から完成されていった。
熊谷は八十歳を過ぎた頃から、あまり外出をしなくなった。村山祐太郎が秀子夫人に尋ねると、「目まいがするので外出を嫌うようになって、写生にも出かけなくなりました。もう歳ですからねえ」とのことである。
耳鳴りもするので、部屋中ラジオを持ち歩き、仕事をする時でも画架にかけ、お風呂場にまで持ち込んでいるという。ラジオの音で耳鳴りのわずらわしさをまぎらせていたのであろう。
「その耳鳴りも弱くなるにつれ、耳が遠くなってきましてね。庭に出ることもだんだん少なくなり、油絵は五月から九月頃までに二、三枚がやっとになりました」
-----------------------
1968年(昭和43)、熊谷は88歳で文化勲章受章者に内定した。ピカソ、マチスと並び称される画家であることは、すでに多くの人々によって位置付けされていたが、野にあって全くの自由人であった熊谷を文化勲章選考委員によって評価されたのだ。ところが熊谷さんはそれを喜ぶどころか、「これ以上人が来てくれては困る」と断ったのである。
文化勲章は年金も付き、日本では評価が最も高い勲章で、これまで辞退した人はいない。坂本繋二郎が、いったんはことわったが、結局受賞した。1972年(昭和47)の勲三等叙勲も辞退した。その後の、文化勲章の辞退者は大江健三郎をはじめ多くいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8B%B2%E7%AB%A0#.E8.BE.9E.E9.80.80.E8.80.85
村山は、文化勲章で宮内庁が再三にわたって熊谷さんを説得していると聞いて、早速、熊谷邸を訪れた。
「社会的な功業を顕彰する最高の栄誉です。なんともお目出度い。先生は辞退されるということですが、そんなことおっしゃらずに、どうかお受けになってください」
いくら無欲といっても、向うから呉れるというものを戴かない法はない。実業界で活躍している人間からすれば、こんな有難い話を断わるという気が知れない。「貰っておいても邪魔にはなりません」と、村山は一生懸命に口説いた。
家族のためにも素直に受けてほしかったのである。画壇や親しい人達も、大いに説得したようである。
だが、「めんどうで煩わしい」と言って、がんとして聞き入れなかった。さらに説得すれば、「欲しがっておられる方もあると聞いてますから、どうかその方に差し上げてくださればよい」と言う。宮内庁にもそう固辞して、とうとう最後まで譲らなかった。
日が経つにつれ、村山は、やっと理解できた。
熊谷が文化勲章を受ければ、世間の評判は高まるには違いないが、その半面で静かな日々は失われる。熊谷にしてみれば、無心に芸術三昧の日々を送る方がふさわしい。なまじ勲章を受けて、世間に引っ張り出されては堪らないであろう、と考えた。
「芸術新潮」(昭和42年5月号に「画家のことば」として熊谷御夫妻のこの件の話が出ている。
夫人ー「普通はよほどの人でも地位とか名誉みたいなもの、どこか好きですよね。ですから田舎の人なんか、そういうことわからないらしいですよ。本当にいらんということはあると思えないらしいです。文化勲章でも、そんなものいらんと言うたんだからといっても、いや又言ってきますよっていって、わからないんです。
ただ私はね、やっぱりそういうものを貰っておいたほうが、国でも作品を大事にしてくれるというようなことを、これでもいろいろ考えるんですから。私は俗の俗ですから」
熊谷 ー「やりきれないんだよ。私はね、小さいときから勲章はきらいだったんですわ。よく軍人が勲章をぶらさげているのを見て、どうしてあんなものをべたべたさげているのかと思ったもんです」
熊谷は続けて「勲章もきらいだが、ハカマも大きらいだ。ハカマがきらいだから、正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいこと、そんなことは一切きらい。結婚式に招かれてもハカマははかない。モンペで通すこと」などを話した。
その翌年、座臥を報じたある新聞で、熊谷は淡々と次のように語っており、村山はそれを読んで、改めて自分の未熟さを恥じいったという。
「…犬が横になって寝るのも、猫が病気になると地べたに寝ころんで眠るのも天の理。私はゴザをしいて庭に寝ころんで眠り、アリが走ればそれが絵になる」
「絵を上手に描こうとは思わない。上手になってどうするんだ。絵は描いているうちにどうなるかわからない。そこがおもしろい。腹が減ったら食う。食うときが旨いので腹がふくれればおわりだ。いまはなにも欲はない。しいて欲しいと思うのは、いのちだけだ」
(以上は田口栄一『天真のふたり・熊谷守一と村山祐太郎の世界』(星雲社、平成2年刊より)
関連記事
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(151)再録★-『名門「東芝」の150年歴史は「名門」から「迷門」「瞑門」へ」●『墓銘碑』経営の鬼・土光敏夫の経営行動指針100語に学べ』★『日本老舗企業にとって明日はわが身の教訓、戒語です』
2017/02/ …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(225)』<日馬富士暴行傷害事件の問題点>『急速な少子化、サッカー、野球などの他スポーツへの若者の傾斜、過酷な肉体労働の忌避など、乾坤一擲の策を講じても「日本人中心の相撲界」の将来性は相当厳しいのではと感じられます』
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ ウオッチ(225)』 <F国際ビジ …
-
-
安倍<多動性外交>の行方は(1/31)「靖国参拝・ダボス発言は成功か失敗か」「NHK新会長「従軍慰安婦発言」動画座談会(70分)
日本リーダーパワー史(471 ) <安倍<多動性外交? …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(90)記事再録/★『地球環境破壊、公害と戦った父・田中正造②ー 「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信 『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで戦った。
2016年1月25日/世界が尊敬した日本人(54)記事再録 月刊「歴史読本」(2 …
-
-
日本が初の議長国となった20カ国のG20首脳会議(6/28/29日)の結果はー首脳宣言では2年連続で「保護主義ついての文言」は米国の反対で盛り込めず、代わりに入ったのが『自由』、『公平』、『無差別』、『透明性』、『予測可能』な『安定』した貿易」と、単語を六つ重ねて反保護主義を強くにじませる苦肉の文言。
G20首脳会議の結果は 日本が初の議長国となった20カ国のG2 …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』< 米国、日本、東アジアメルトダウン(1061)>★『トランプの今度の場外乱闘の相手は、「史上最悪の狂暴悪役・金正恩低国」北朝鮮で、互いの罵詈雑言の応酬はヒートアップし「第2次朝鮮核戦争!?」は勃発するのか①』★『トランプ真夏の世界スリラー劇場」第2幕のはじまりはじまり』
『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国、日本、東アジアメルトダウ …
-
-
日本リーダーパワー史(488)アジアが世界の中心となる今こそ100年前の 大アジア主義者・犬養毅(木堂)から学ぼう
日本リーダーパワー史(488) …
-
-
『鎌倉絶景動画スペシャル!>「秋深し 紅葉の鎌倉古寺をぶらぶら散歩して約800年前の座禅、瞑目のイケメン大仏をしばらく凝視すると、サプライズと感動で心が染みる」
『鎌倉絶景スペシャル!>「秋深し 紅葉の鎌倉古寺をぶらぶら散歩して約800年前の …
-
-
『女性百寿者の健康長寿名言③』「本気でやる気で元気で根気」●『女は、いつもキリッとしていないと光りません』
『女性百寿者の健康長寿名言③』 前坂 俊之(ジャーナリス ――― …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究①』★『H・G・ウェルズ(文明評論家)は「日本国民はおどろくべき精力と叡智をもって、その文明と制度をヨーロッパ諸国の水準に高めようとした。人類の歴史において、明治の日本がなしとげたほどの超速の進歩をした国民はどこにもいない。』★『明治大発展の国家参謀こそ川上操六参謀総長だった』』
日本リーダーパワー史(842)「日露戦争」は川上操六プロデューサー、児玉源太郎監 …
- PREV
- 巨人ベンチャー列伝ー石橋正二郎(ブリジストン創業者)の名言/至言/確言百選②●『知と行は同じ。学と労とも同じ。人は何を成すによって偉いのではない。いかに成したかによって価値あるものなのだ』●『新しき考えに対し、実行不能を唱えるのは卑怯者の慣用手段である』
- NEXT
- 日本メルトダウン(924)『グローバリズム(国際主義)、ポピュリズム(大衆迎合主義)を勝ち抜くリーダーシップは・MLBの上原投手、イチロー流の生き方ー①『人気よりも実力、結果で示す』 ②『ユーモアとコミュニケーション上手」 ③『独立自尊し、謙虚に分をわきまえる』<真のリーダーとは『愚者」ではつとまらない。『賢者』 (スマート人間)で、『結果勝利」がなにより重要>