知的巨人たちの百歳学(143)世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに登録された昭和天皇の叔父の東久邇稔彦(102歳)
2015/12/16
知的巨人たちの百歳学(143)
世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者として
ギネスブックに登録された昭和天皇の叔父に
当たる東久邇稔彦(102歳)
前坂俊之(ジャ−ナリスト)
『昭和史キーワード』終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言の「 戦争集結に至る経緯
,並びに施政方針演説 』の全文(昭和20年9月5日)http://www.maesaka-toshiyuki.com/
102歳。世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに登録した昭和天皇の叔父に当たる東久邇稔彦について知ってる人は今や、少ないだろう。
皇族軍人として前半生を送り、日本の最大の危機に際して宰相として、難局に当たり、後半生は一転して皇族を離れて自由奔放に暮らして百寿を全うした飛びっきり“異色な皇族”である。
東久邇内閣が誕生したのは、終戦2日後の昭和20(1945)年8月17日のことである。「終戦では降伏に抵抗する陸軍が暴発する可能性がある。天皇の威光による皇族内閣しか軍人をおさえて、この難局は乗り切れない」と木戸幸一内府から何度も口説かれていたが、「真っ平ご免です」とガンと固辞していた。
最後に敗戦で憔悴しきった天皇から「東久邇たのむ」と懇望され、『終戦の処理がすめばすぐやめさせてもらいます』とついに引き受けた。無条件降伏による国の滅亡、連合軍の進駐、占領という日本歴史上最大の難局に『終戦管理内閣』として引っ張り出されたのである。
この時、東久邇は57歳。皇族で初めて総理大臣になった例は、日本の憲政史上、後にも先にもこれ以外にはない。
東久邇稔彦は、1887年(明治20)12月、久邇宮家【朝彦親王)の第9子として生まれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E7%A8%94%E5%BD%A6%E7%8E%8B
貧乏宮家だったため、生後すぐ京都の農家へ里子に出され父母の顔を知らずに育った。野山を元気にかけ回って、孤独な「やんちゃ坊主」としてのびのびと成長する。
十九歳で東久邇家が創設されて皇族の一員に。それでも自由奔放で、やんちゃな性格はかわらず、窮屈な皇族生活に入って度々周囲と衝突する。明治44(1911)年、明治天皇との陪食を体の不調を理由に断わったため、大正天皇からきびしく叱責された。東久邇は「皇族を辞めます」(臣籍降下)を申し出てひと騒動になった。
1915年(大正4)に明治天皇の第九皇女の聡子と結婚する。同九年、夫人と子供らを置いたまま単身でフランスにわたった。陸大、政治法律学校に通い、マルクスの「資本論」を読み、社会主義も勉強した。画家のモネやルノアール、政治家・首相となったクレマンソー、
ペタンらの軍人とも交友を深めて、7年間にわたって自由奔放に人間性を謳歌したパリ生活を送った。
この間、大正天皇とはうまくいかず、大正天皇の様態悪化によって宮内省から帰国の要請が再三あったが一向に帰らなかった。皇室の殻を破った大胆で自由な発想、その叛骨ぶり、国際的で視野の広い考えはこのパリ生活の中で養われた。
その後、陸軍軍人として大将まで登りつめたが、軍国主義に批判的で日米戦争にも反対し、和平、終戦を口にして軍からにらまれた。近衛文麿や重臣から、第3次近衛内閣の後継首相に出馬を打診されたこともあったが、これは幻に終わり、東条英機の開戦内閣が誕生した。その欧米派の「皇族のホープ」東久邇がどたん場の終戦直後に登場したのは何とも歴史の皮肉である。
首相就任直後の8月27日、東久邇は「軍も官も民もすべてが総ザンゲすることが、わが国の再建の第一歩であり、国内団結の第一歩である」と記者会見で述べた。この「一億総ざんげ」論は戦争責任を国民に押しつけるものだ、との強い反発を招いたが、一躍、流行語となった。
8月30日、マッカーサー元帥は厚木に降り立った。9月10日、武装解除、戦争犯罪人の処罰など、日本占領政策を発表した。九月二七日、モーニング姿の昭和天皇は米大使館にマッカーサーを表敬訪問。軍服姿のマッカーサーと直立不動の緊張した天皇が並んだ写真を各紙は翌日一面トップで掲載した。この写真に驚いた山崎巌内相は朝日、毎日、読売を不敬罪で発売禁止処分にした。これにはGHQが激怒し、「新聞・通信の制限を一切撤廃せよ」と日本政府に命令し、山崎内相の罷免、政治犯の釈放などを強くもとめたため、10月5日、ついに東久邇内閣は退陣に追い込まれた。内閣史上最短の54日間である。
しかし、わずか十数日で国内を「降伏」で統一し、連合軍上陸にも全く危害を加えなかった陸海軍の完全武装解除を実現した、その危機管理能力は高く評価された。
首相を辞めた東久邇はすぐ「臣籍降下」し、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B
敗戦の責任をとって直宮家以外の皇族は全員皇籍を離脱すべきだ、と主張。昭和22年10月の皇室改革で皇籍離脱し、やっと念願の庶民になった。
東久邇は生まれ育った環境と、長いパリ生活によって庶民感覚を身につけていた。商売にも大変熱心で新橋駅西口の闇市マーケットに皇族のまま「東家」という乾物商を開いたり、喫茶店、タバコ販売、古美術商などを次々に開店したが、いずれも失敗。25年には新興宗教「ひがしくに教」の開祖となって世間をアッと驚かせて法務府から教名の使用を禁止されてこれも解散となった。ヨーロッパの皇族のように「やんちゃ皇族」そのままに、自由奔放に暮らしたのである。
その後、国を相手に2度も土地の訴訟を起こしたり、91歳の昭和53年には聡子夫人と死別したが、その直後には知人の女性を無断で入籍していることが週刊誌のスキャンダルで報じられて話題になるなど、晩年まで元気で波乱万丈の人生を送った。
「最晩年は、子供や孫とは別に一人暮らし。お手伝いさんらが身のまわりの世話をするほかは訪れる人も少なく、視力もほとんど失い、終日、机に向かってラジオを聞く毎日。数年前から入院生活を続けていた」(朝日新聞」平成2年1月20日付)」という。
平成2年(1990)年1月に102歳で亡くなったが、世界の首相経験者の最長寿者とし、ギネスブックに登場した。
100歳の現役ダンサー、新作舞台にミュージックビデオに大忙し
http://www.afpbb.com/articles/-/3049730
コーヒー1日3~5杯、死亡リスク低下と関連
http://www.afpbb.com/articles/-/3066991
関連記事
-
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(147)』『アブーバクル・バグダディの「イスラム国宣言」についてーイスラム国自称カリフーを読み解くー「イスラム主義のグローバル化が進行し、民主主義、世俗主義、国民国家との戦いが これから延々と続く。
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(147)』 「イスラム主義の …
-
★5 日本メルトダウン・カウントダウンへ(897)安倍首相は消費税率引き上げを「2年半延期したい」と言明「政治家は信なくば立たず」 ★『政治が国民から信頼を失えば、国家は滅亡する」
日本メルトダウン・カウントダウンへ(897) 安倍首相は消費税率引き上げを「 …
-
『オンライン,鎌倉武士の魂/鎌倉古寺/仁王像巡礼の旅へ』★『外国人観光客への鎌倉古寺の一番おすすめは「妙法寺」ー京都の「苔寺」より上④』★『鎌倉時代の武士をみたいのなら妙法寺に往けー「夏草や兵どもが夢の跡」じゃ』
★5鎌倉紅葉百選ー『苔寺』の妙法寺の紅葉は中世の面影を残している …
-
<F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(212)>『エアバッグのタカタが1兆円の倒産』★『Takata Saw and Hid Risk in Airbags in 2004, Former Workers Say – NYTimes.com』★『本件は、日米のジャーナリズムが誰の味方をしているか?が明確に現れた深刻な事件です。 本当に情けないの一言です。』
<F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(212)> Takata …
-
日本リーダーパワー史(825)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス㊴』戦争に勝つための必要条件は外交、軍事、財政の3本柱の協力一致である。』
日本リーダーパワー史(825)『明治裏面史』 ★ 戦争に勝つための必要 …
-
『Z世代のための新日本・世界史クイズ?『「歴史の研究」(12巻)などで世界的歴史学者アーノルド・トインビーは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をしのぐf業績を上げた」と高く評価した日本史最大の偉人とは一体誰でしょうか??②」★『電力の鬼・〇〇安左ェ門です。』
「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の …
-
日本リーダーパワー史(871)―『慰安婦問題をめぐる日韓合意をひっくり返した韓国政府の二重外交』★『そのための歴史研究・「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実の10回連載』●『公式文書すらない日韓合意、韓国の見直しを非難する安倍首相のほうが異常で非常識』
日本リーダーパワー史(871) 北朝鮮の核ミサイル問題をめぐる危機と同時並行して …
-
『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争⓶』★『ロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」がウクライナ軍の対艦ミサイル「ネプチューン」によって撃沈された事件は「日露戦争以来の大衝撃」をプーチン政権に与えた』★『巡洋艦「日進」「春日」の回航、護衛など英国のサポートがいろいろな形であった』』★『ドッガーバンク事件を起こしたバルチック艦隊の右往左往の大混乱』
前坂 俊之(ジャーナリスト) 日英軍事協商の目に見えない情報交換、サポートがいろ …
-
日本作家奇人列伝(39)日本一の大量執筆作家は誰だー徳富蘇峰、山岡荘八、谷崎潤一郎、諸橋撤次ら
日本作家奇人列伝(39) 日本一の大量執筆作家は誰だー 徳富蘇峰、山岡荘八、丹羽 …