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(昭和史事件発掘> 『愛のコリーダ』阿部定事件(昭和11年)とは一体何だったのか

   

『愛のコリーダ』阿部定事件とは一体何だったのか
               前坂 俊之
              (ジャ-ナリスト)
 
 
 阿部定が今もなおさん然と輝き、人々の心を捉えて離さないのはそこに極限の愛の形、灼熱のエロスが凝縮されているからであろう。事件は今から七〇年も前のことだが、時代を超えた激しいインパクトが秘められている。
 
 事件が起きた一九三六(昭和十一)年は陸軍の青年将校たちのクーデタ・二・二六事件が発生した年として昭和史に刻まれている。戦争とファシズム、革命が大きなうねりとなってもり上ったこの時代と、阿部定事件とは著しいコントラストを見せている。

 

 革命、暴力の嵐の中で、全く関係ない時点で生活しながら、それに翻弄されていく無数の民衆。そんな一人として、阿部定は政治的なものの対極にありながら、私的な男女の愛の営みの中で革命的な行為、根源的なテーマを突きつけたといえるだろう。
 事件は新聞の社会面でよく見かける痴情のもつれによる殺人である。不倫の中年カップルが愛欲の限りを尽くして、情痴の果てに女性が男性を絞め殺し、しかもそのシンボルを切り取ったという例のない猟奇事件、
絞殺された男は大腿部に血で「定・吉二人きり」と書かれ腕にも「定」と彫り込まれていた。
 
  当時、マスコミといえばラジオ、雑誌もあるが、何といっても新聞が圧倒的な比重を占めていた時代である。

逮捕されるまでの三日間、新聞は完全に阿部定一色で塗りつぶされ、騒然となった。

グロテスクな猟奇事件の犯人として捕まった阿部定は上品そうな美人であり、新聞に載った写真では妖艶に笑っており、犯行の動撥について「愛するあまりに殺した。好きで好きでたまらないからよ」と臆せず自供したので、さらに大きな関心を呼んだ。戒厳令の下で軍部のテロにおびえて、震え上がり、沈黙を守っていた新聞もこの事件ではうっぷんを晴らすかのように連日大々的に、センセーショナルに報道した。
 
  高橋鉄は、事件は強烈な愛欲の独占欲から引き起こされたものであり、「被告が命を懸けた色情を持っていないで、単に残虐行為だけだったならば、世人は定を憎んだでしょう」と東京精神分析学研究所編『阿部定の精神分析的診断』(昭和十二年一月刊)の中で指摘したが、人々はお定のスキャンダラスな行為の背後にある「愛の激情」を見抜いて、心をゆすぶられたのである。
 
  阿部定は一九〇五(明治三十八)年に東京神田のタタミ職人の末っ子として生まれた。少女のころから素行がおさまらず、不良行為に手を焼いた両親は十七歳でお定を横浜の置屋に芸者として売ってしまった。
 お定の少女時代はここに収録した「畳屋のお定ちゃん」(婦人公論」昭和十一年七月号)に的確に描写されている。これはお定の子供時代の近所の女友達とそのお母さんの証言を記録したものだが、明治末から大正初期にかけての、江戸の雰囲気が残った東京神田で、お定やそれを取り巻く少年少女の生活ぶりがいきいきと措かれている。そこにはまるで樋口一葉の「たけぐらべ」にも似て文学的な魅力さえ漂っており、おしゃまで、ボーイフレンドを巧みに操り、不良少女に転落していくお定の姿はその後を暗示している。
 
 以後の、娼妓となって二十歳で大阪飛田遊廓に、以後、前借金が五百円、千円と膨らんで行き、信州飯田、名古屋、大阪の松島遊廓、丹波篠山と転々しながら、ある時は女郎屋を決死的に脱出して全国を流転し、石田との運命的な出会い、そして熱烈な恋と事件のクライマックスに至る一連のドラマは「予審訊問調書」の中に見事に語られている。
 
 阿部走を語る場合にその時代性、衝撃性と同時にこの予審調書の存在が欠かせない。「予審訊問調書」の全文を収録している「艶恨録」は、もしこれが存在しなければ、阿部定事件は単なる無数にある「殺人・死体損壊事件」の中の一つとして埋もれて、忘れ去られてしまっていたことであろう。
それくらいこの調書は重要であり、その後、何人もの作家や映画監督が作品をつくったのも、この迫真の調書が残されていたからである。
これは単なる「供述調書」「犯罪調書」の枠を超えた、阿部定の血を吐くような告白であり、稀有の人間ドキュメントであると同時に、性文学の傑作といってよいものである。
 
  そこには性も自由もガンジガラメにされたあの冬の時代、極限状況の中で純愛を貫き、きびしく主体性をもって奔放で豊かに自由に性を生き抜いた阿部走の凄絶な生きざまと、それを完壁に語りきった鮮やかな告白がある。情痴の限りを尽くした待合での数日間に夜も昼もついでのセックスやその時の心理描写は、微に入り細をうがち過ぎており、そこまでいうのか、と一種の露出狂的な部分も感じられるが、それだからこそ余計に迫力がある。
  昭和十一年二月、すでに三十二歳となっていたお定は旅館「吉田屋」に女中奉公に出るが、そこの主人が事件の相手となった石田吉蔵(四十二歳)であった。ここで出会った二人は主人と女中という関係をこえて激しい恋に落ちる。わずか三カ月だが、激しく、切なく燃焼する。
 
商売としてそれまで何百人、何千人の男を知っており、色事の砂漠のような世界に生きてきたお定だが、それ故にその胸には愛への強烈な渇きがあった。吉蔵とはじめて売春でも買春でもない対等な男女の恋愛関係、平等のエロスに出会った。                                                             二人で過ごした一週間は身も心も一体となった強烈なエロティシズムを、燃え尽きるほどのお互いの肉が蕩けるような時間を、生まれて初めて味わった。甘美な絶頂の完結として死の予兆が芽生えてくる。
 
  吉蔵にはもともとマゾヒズムの気があり、行為の最中に紐で首を絞めてもらいながら、性感を高めていた。窒息寸前まで首を強く絞められるのを特に好んだ。痴情の果てに、吉蔵の頼みもあって、定が腰ひもでギユーと強く絞めすぎて、殺してしまったのである。高橋鉄は「情死心理とサディズムとの双方を含んだもの。熱愛の極致で情死を遂げるのは古来、情死心理の教えるところであります」と弁論書で動機について述べている。
 
  そして、「愛するがゆえに」、その大事なものを包丁で切り取って、ハトロン紙で包み形見として帯の間に入れて逃げて行くが、このあたりはまさしく、近松門左衛門の心中ものの歌舞伎「道行き」そのものである。
  予審調書でお定は「私のやったことは男にほれぬいた女ならば、世間によくあることです。ただ、しないだけです」ときっぱり述べているが、愛の極致の行為、愛の賛歌そのもである。
  事件について、私がここで即断すべきではなく、読者それぞれが、阿部定自身が「語り尽くし」詳細を極めたこの予審調菅をじっくり読んでほしいが、裁判の結果、細谷裁判長は「二人は乱淫の習癖に陥って、軽度の精神障害によって衝動的になした犯行」として阿部定に殺人罪、死体損壊罪で懲役六年の実刑判決を下した。
 
 しかし、「この事件は殺人そのものよりも、死体損壊、被告のその後の行動の特異性が注目を浴びた」と裁判長も指摘したように、マスコミも、人々の関心ももっぱら男性のシンボルを切り取った行為のみに焦点が当てた。「惨酷な犯罪」「愛欲図絵」「異常性欲」「変態」として事件はクローズアップされて、阿部定には「毒婦」「妖婦」「魔性の女」「昭和の高橋お伝」などのレッテルがはられたのであ
る。
 
 しかし、一方ではエロティックで、グロテスクだが、どこか愛すべきユーモアがあり、愛しすぎた故の犯罪ではないか、という同情的なイメージが当初から阿部定にはつきまとっていたことも確かであった。
一九四一(昭和十六)年五月、恩赦などによって、お定は服役していた栃木刑務所を四説年半ぶりに仮出所する。以後、都内で名前を隠して密かに暮らしながら結婚していた。′解 お定自身はすでに刑期を終え、世間は自分のことをすっかり忘れてくれているものと思っていたが、そうではなかった。
 
戦後、阿部定は再び脚光を浴びた。阿部定への本格的な、興味が始まったといえるだろう。性も自由もセックスも厳重に封印していた天皇制ファシズムの政治、社会体制が戦後百八十度変わり、男女平等、アメリカの民主主義が一挙に入ってきた。
 
 人間性の復活が声高に叫ばれた。エロス、セックスの解放、性の自由こそが人間性の復活の根源であるとして謳歌される世の中になる。そんな風潮の中で、阿部定がそのシンボルとして復活したのである。
 カストリ雑誌の全盛期を迎え、『昭和好色一代女・お定色ざんげ』というエログロナンセンスなお定本が何点も本屋に並び、「エログロの女王」として、脚光を浴びた。
 お定は「世間じゃ、ただ肉欲だけでしかみないんです」と抗議の声を上げるが、マスコミの好奇な目が一斉に注がれ、結婚は破綻してしまった。
 そんな中で、阿部定を「極限の愛のヒロイン」として、戦後の評価を決定したのは、昭和二十二年に対談した作家の坂口安吾であった。
 阿部定のそれまでの毒婦、妖婦、チン切りといったイメージとは全く違って、坂口安吾は「東京下町育ちの明るい、気立てのよい美人で、純情可憐な女らしい女」として一度で彼女が気に入り、「恋愛のヒロイン」に祭り上げてしまった。
 マスコミに再び本名で登場するようになった阿部定は自らの「チン切り事件」の大衆演劇で女優を務めたり、それもすぐやめてまたもや水商売を転々とする。
 女中をしたり、大阪でバーのマダム、旅館の女将となったり、さすらいの生活を続けた。
昭和三十年九月に上野で開業した大衆酒場「星菊水」は大金を積んで彼女を招き「阿部定来る」と大宣伝して商売を始めた。お定は挨拶状を配って、仲居頭としてここで七、八年勤めていた。
 その後、台東区内で自分の小さな一杯飲み屋「若竹」を始めたが、ここで三年目に突然いなくなり、このあとは千葉県勝山のホテルで女中をしていたが、「私はしょせん駄目な女です」との書き置きを残して蒸発した。
 昭和四十九年十一月に滋賀県大津の尼寺に「尼になりたい」とのお定からのハガキがあり、しばらくここにいたが、これを最後にその後の消息はプツツリと途絶えてしまった。何人ものライターがその後の阿部定の行方を追跡したが、わかっていない。
 
さて、阿部定は一体どんな女性だったのだろうか。妖婦、魔性の女なのか、それとも、純愛の女なのか。それは本書に収録した資料の原典によって、読者の皆さんがそれぞれ自分で組み立ててほしい。
お定が時代を超えて何度もよみがえってくるのは、愛についての普遍的なテーマが宿っているということであり、なるべく原文をいかして資料を生のままの形にして提供したのはその見事な語り口と、時代との緊張関係を伝えたいためである。
 
 ところで、今、なぜ阿部定なのだろうか。
1997年の渡辺淳一著『失楽園』が260万部を突破するという、空前の大ベストセラーとなり、失楽園現象、不倫ブームをまき起こした。
ストーリーは中年の不倫カップルが愛の頂点で青酸カリを飲んで心中していく、という現代の悲恋物語だが、この中で阿部定事件が重要なモチーフとして登場する。
予審調書を主人公が、読み聞かせて二人でお定の純愛とその行動に深く共感して、死を決意する動機ともなっており、いわば現代版の阿部定物語といってよいものである。この影響もあり阿部定への関心が一挙に高まった。
 
現代は個人の自由の尊重と、既成の男女の価値観の崩壊で、今や、不倫や離婚、性の自由へのハードルが大幅に低くなっている。新聞の世論調査でも「不倫は許されることもある」が全体の半分近い四五%にのぼり、好感のもてる人から不倫の交際を誘われたならば、三人に一人が心が動くという不倫肯定派も増えている。恋愛も不倫も、阿部定の時代とくらべて何の制約も障害もなく、全くの自由で好きに出来る時代なのである。
 それだからこそ、豊かな社会から、飽食の時代を迎え、性の自由からさらにホモ、ゲイ、
レズビアン、セックスレス夫婦など、個性化と細分化が進んだ現代はセックス以上に精神
 的な性愛がより求められているように、思える。単なる男女の肉の交わりは回避して、それ以上の精神的な性愛、エロスを強く求めている。
 一方では、今の若者は恋愛に関して臆病になっている。男女の間でも距離をおいてのめり込まない若者たち。一人の人を徹底して好きになって恋が終わると傷ついてしまう。恋によって傷つくことの方を恐れている。
 「個」の時代の恋愛、べたつかない植物的な恋愛からみると、阿部定の強烈な熱愛と行動は全く別世界の、驚異と映るであろう。
 その点では、阿部定にみる肉の交わりを至上のエロスとする絶対愛は、その中でも一つの頂点を極めたものといってもいいが、あまりに古典的な純愛にもみえる。
 
 「一度も恋をしなくて死ぬ人だってたくさんいるでしょう」とはお定の言葉だが、今も同説じような恋愛の砂漠時代なのであろう。人々は愛に飢え、恋愛を熱望したくても、出来な解い時代なのに、阿部定の灼熱の恋はあまりに強烈すぎるのではないだろうか。はたして今は、あのような熱烈で真剣な恋愛やエロスの歓喜、極限の愛が存在するのだろうか。
「あなたは本当の恋をしましたか」と阿部定はわれわれに鋭く突きつけてくる。
 
    <以上は前坂 俊之編「阿部定手記」〈一九九八年、中公文庫〉解説>

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