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『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊱「日本の国会に関する客の問に答える」『申報』1891(明治24)年2月

      2015/01/01

  

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』

 

 

1891(明治24)年223日光緒17年辛卯115日『申報』

 

 

日本の国会に関する客の問に答える


 

客人が夢●(田に宛)生に尋ねた。「あなたはかつて船に乗って日本に行き.その名士たちと広く交際し.日本の国政全般を自由に観察できたでしょう。日本が創設した議会についても詳細にご存じでしょうか」と。

 

●(田に宛)生は次のように答えた。

 

「日本の議会は昨年ようやく完成し,東京日比谷練兵場,外務省の正面にあります。議会は2院に分かれ,1つは上院,1つは下院です。定例によれば国家の大事は,まず下院に付して代議士に協議検討させます。代議士は各地方の名望家から選ばれ,彼らに民間の意思を代弁させます。

 

下院の審議が終了するとこれを上院に送ります。上院は一名貴族院とも言い,その代議士の多くは朝廷の貴顕から選出され,中には日本の皇帝によって勅遺される者もいます。上院が同意するに至ると皇帝に通知し.裁可を仰ぎます。裁可されると即座に内閣の大臣の手にゆだねて,この法律を施行するのです」。客人は次のように尋ねた。「あなたの言われることによれば,その立法は公正.その定例は周密であると言うことができます。

 

あえてお尋ねしますが,どうして議会を開催して審議しているときに,中から騒動を起こす人がいるのですか。先ごろ,第1回議会が開催され,皇帝が馬車によって行幸され,霞が関のロシア公使館の前に至るや.公使館の使用人であった日本人が,内から瓦を投げつけました。扈
従(こじゅ)の人々は助けを求め.壮士が彼と格闘するに至りました。さらに昨日の新聞にも次のような記事が掲載されました。

 

西暦29日、茨城県人青木氏が突然井上角五郎議員のほおに10回平手打ちを食わせ.総理大臣山県伯爵が重要演説を行うと.多くの議員がこぞって排撃して乱れ騒ぎ,紛糾して審議を中断させるに至りました。これは,国家が議会政治制度を開設したけれども.民間ではなおこれに不満を抱いているということを意味しているのではないでしょうか」。

 

●(田に宛)生は次のように答えた。

 

「議会政治制度は実にヨーロッパで始まりました。およそ民主および君民共主の各国では,国政はすべて協議決定した後にその制度を実行します。1院しか設置しない国もあれば,上下両院を分設した国もあります。ヨーロッパの典籍を調べると,イギリス議会の審議時期は国王の裁可にかかり議員の一存で行うことはできません。重要な国事があれば,国王と枢機にかかわる閣臣が協議し,会期の35日以前に各議員に通知し.会期にはすべての議員を召集します。事情があって欠員が生じた場合には.すぐに議会で必ず議院中の人間が事情を説明し,公遷して補充します。

 

エドワード朝になると議員は1年に1回召集され,もし重要な政務があれば,1年に2回召集されると定められました。チャールズが君主となってからは,今後もし3年間議会が召集きれない場合は,国璽を保管する首相が主旨を伝えて上院を召集して協議し.あわせて下院議員を公選させることを許可しました。仮に首相がこれを不問に置けば上院議員12人が照会し.審議することを許します。

 

さもなければ,地方官が自発的に書議を行うか,あるいは民間の有力者が議員を公選するかすることができます。議員がすでに選挙されたのに責任逃れをして出てこない場合には,衆議して処罰します。

 

審議の中ではただ年度予算の一件を最重要事項とします。各地の徴税権は下院にあり.もし下院の議決を経なければ.国王や大臣といえどもいかんともしがたいのです。

 

その審議は毎年正月1日から開始され6月末に終了します。閉会の日には国王が親しく上下両院に臨席し.議長は審議事項を逐一回王に奏上し.裁可されれば施行され,さもなければ,次回の審議にゆだねられます。

 

日本は事々に西洋人を見習い.それでまた議会を設置したのです。その会議のときに常に騒然として静粛でないのは,民心に反することがあるわけではなく,皆ただ刑法が軽すぎるので.民が軽挙妄動しがちなのです。

 

日本人の性質は任侠を好み,不満があるとややもすれば抜刀して斬りつけます。昔.大将軍が政権を担当していたときには,厳格な法律と刑罰が多く全く仮借することがなく,しもじもの民がわけもわからず誤って罪を犯せば微細な事件といえどもすべて一律に処刑しました。たとえ藩侯に列せられるような高貴な身分であっても,切腹を免れることはできませんでした。浅野内匠頭が無惨に殺害されたことは多くの歴史書に記載され,はっきりと確かめることができます。

 

それで恐怖して公然と反乱に立ち上がる人間がいなかったのです。明治になって政治が維新を唱え.フランスの刑法を取り入れて日本の実情に適合させました。万事軽さに従うのは,ヨーロッパの規定と同じです。民は斬首を規定した条文がないことを知り,次第に大胆にも徒党を組んで横行するようになりました。また.いわゆる壮士なる者があり,男子が武術.腕力をたのんで血気にはやり,思いのままに振る舞い,少しでも気にくわなければ報復を企てます。

 

現在.議会で騒ぎを起こしている者は一時の怒りにかられているだけであり,どうして真に議員と不倶戴天の関係にあるということがあるでしょうか。そもそも,何事につけて旧来のやり方に従うことは容易ですが,これを改めるのはまことに困難です。

 

日本は従来,ことごとく上古の遺風を順守してきましたが,明治帝が即位してから,以前の慣習をすっかり改めました。下駄を靴に変え,ゆったりした着物を窮屈な洋服に変え,床に座るのを改めて机を使用し.中回の文章に変えて西洋の構文字を学びました。国家においてはもとより旧習を一掃して,急激に富強の成果をあげようとしています。

 

しかしながら,しもじもの民にどのような知識があるでしょうか。ややもすれば.それは民衆を苦しめるものだ。われわれの祖先には何千年何百年来の旧来の法制があるではないか。なぜいったんにして.ことごとく改めてすべて言語.衣服の異なる人間の模倣をするのか』と言います。

 

それ故に,国会を開設し,審議を行うときになって,古きを厭い新しきを喜ぶ議員に対し怒りをぶつけ,やみくもに一時の憤まんをはらしているのです。私が思うに.古語にも「民を貴となし,君を軽さとなす」とあります。

 

これは昭然として万古不易の道理です。日本の民がすでに必ずしも西洋の模倣を喜ばないからには,国家の政令はすでに古い制度を廃し新しい制度に改めたとしても,衣服.家屋.文字.言語など,事の軽重にかかわりのないものにろいては,やはり民の都合に任せ,むやみに強制しないのが良いのです。さもなければ,国家の政令がたとえ行われたとしても,民はこれに心服しないものです。どうして隙に乗じて反旗を翻し,蜂起する者がいないと言えるでしょうか。

 

薩摩のかつての事件を教訓としなければならないのです」。客人は提案した。「あなたの言葉は本当に正しい。新聞に書き.あの国の政権担当者に知らせるようにすればよいでしょう」。●(田に宛)生はこれを承諾し,筆を執ってこの一文をものした。

 

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