速報(118)『日本のメルトダウン』『ファイナンシャル・タイムの警告(2011/8/4 )<日本 防御すること、そして復興すること>』
ること、そして復興すること>』
『生き残りの難しいエリアは捨てる勇気も必要。将来性の
難しいものは投資しない姿勢がポイント。国家ビジョンからの
政治の取捨選択が重要』
菅が退陣を表明したということで、早くも野田、馬渕、鹿野らの民主党の小物政治家が総裁選に手を上げて、それを十年一日のように、競馬レースのダフ
近く来る巨大波の日本国債の格付け低下、それによる日本国債の金利上昇、日本のデフォルトへのカウントダウンという経済クラッシュ、3・11もすでに過去のものという「健忘症の日本人」にとっても、巨大地震の方は待ってはくれません。人間が止めることのできない自然エネルギーで、いつまたきてもおかしくないのです。
18年前の奥尻震災の今と対比させ、生き残りそうもない地域は救済すべきではない、税金の無駄遣いになると力説しています。
( 記事の要約と訳者コメント)
1. 復興構想会議のビジョンや政府の復興計画が 出始めているが、これらの実現は、不可能と悲観する程、背後に困難な情勢を抱えている。
詳細計画の立案から実行体制の総合的な確立に完璧を期しても、至難かも知れない。
2. 自然災害からの安心安全の確保、壊滅した経済活動の再構築と維持・持続力の確保、コミュニテイの再強化と維持、若年層の再結集と拡大・人口減少の歯止めなどが復興で実現されるべき主題となる。
これらが解決に向かうには、成案と実行に向けた政府、自治体、地元の強力なチームワークが不可欠だが、現状は?極めて心許ない。
⒊ 現状回復も重要だが、地域の今後、10年、30年先を見据えた対応の方が遥かに重要。税金の無駄遣いにならない様に。
生き残りの難しいエリアは捨てる勇気も必要。将来性の難しいものは投資しない姿勢がポイント。国家ビジョンからの政治の取捨選択が重要。』
以上
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『" Japan : Protect and revive』(日本 : 防御すること、そして復興すること)
” この事は、我々の衷心からの願いです、つまり、大災害の後に続く、再建に向けた努力は、日本国中に反響して、国全体の復活に繋がって行って欲しいと云うことです "。
この様な希望は、理解する事は容易である。数百キロに及ぶ太平洋沿岸地域の数多くのコミュニティに加えられた破壊は、先進国では極めて稀なことであり、明らかな空白地帯が出来て、全く新しいアプローチを強く必要とする、ことが新たに求められている。
日本では、被災地域の復興が必要とされるという意見に反対する人は、ほとんどいない。生気の無い経済成長、機能障害に陥っている政治、益々維持することが難しくなっている国家債務などは、3/11の津波によって破壊された福島第一原発の安全システムの失敗も加わって、国民の不安感を一層助長している。
5月のフィナンシャルタイムズとのインタビューで、カン・ナオト首相は、日本という国は今 一寸した袋小路にいるという。 " 我々がこの大災害によって齎された危機を克服する時、又次の先行する危機も克服しなければならない、それは、日本の構造危機とでも呼ばれるべきものだ"、と彼は言う。
差し当たっての問題は、世界第三位の規模の経済が、1980年代に破裂した巨大な資産バブル以来、ずうっと付き纏って来た困難の解決に取り掛かるための効果的なアクションを引き出す触媒として、この大災害を活用出来るかどうか、である。
東北地方、地震と津波で荒廃した沿岸部はその一部であるが、ここは確かにスタートさせるには都合の良い場所である。それは、日本の幾つかの最も根の深い諸問題、即ち、急速に老齢化が進み、人口が減少して行く、不安定な地方財政、明らかに末期症状から出られない農業、漁業など、いずれも主要な問題事例と、広く看做されている。
もし沿岸部のコミュニティの再建が出来、この様な問題に回答を与える事ができれば、その地域は確かに国家にとってモデルになる事が出来る。
然し乍ら、この様な結果はほとんど予測出来ない。国際的な標準から見れば、大災害に対する日本の短期間のスピーディな処理は、屡々印象的であるが、一方で、特に目下進行中の福島第一原発の原子力危機は、政府の多くの間違いを白日に晒している。放射能の被曝から全住民を護るという政府の約束に対する信頼は、不適切な放射能検査の発覚や避難エリアに関する混乱した意思決定もあり、地に落ちている。
原発プラント周辺の町からは、何万という住民達が遠く離れた一時避難用の宿泊施設に移っているが、彼等にとって、再建は遥かに遠い夢のままである。そして先月、公的基準値を遥かに上回る放射性セシウムに汚染された数百頭の牛の肉が、日本全国のショップに配達されていることが分かった。
カン氏と彼の内閣は、日本の原子力発電の将来に関する意見の相違の真っ只中で、首尾一貫したエネルギー政策について、提案出来る様、そして又大災害の後の安全審査や修理でストップした原子炉を再開するかしないかの問題で、もがき苦しんでいる。
東京を中心とした関東地方ではピーク時の電力使用を昨年の15%カットとする要請に対し、人々は見事にこれに対処し 他の地域でも企業は労働日、労働時間のシフトを余儀なくされたり、オフィスでも労働者達がうだる様な暑さの中に置かれて居る。しかし、エネルギー供給の将来見通しが不確かなため、製造拠点を中国など他国への移転を加速する恐れに拍車が掛かっている。
楽観主義者達は、第二次世界大戦からの日本の復活を引用し、多くの都市が灰燼に帰したが、如何にして多大な困難が克服されて来たかの好例としてこれを取り上げている。然し、アンドウ・タダオ氏、日本の建築家のリーダーの一人
は、声高に、彼の同胞達が戦後世代と同じかどうか、知りたいと思う時、多くの人に語りかける。” 今、我々は往年の様な子供達を欠いているし、大人達もそんなに一生懸命には働いていない、生きることは戦うことだが、我々は、戦う事を好まず、それを避ける国民を作って来てしまった。
アンドウ氏、復興への政府の基礎的なビジョンを纏めた復興構想会議の副議は又、大臣と官庁の間の意思決定の遅い事を嘆いている。
” 今、世界は日本が如何に再建するかを注視している。もし再建が失敗するという様な事があれば、その時は日本は世界からの信頼を失う事になるだろう、そして信頼出来ない国への投資は来なくなるなるだろう、とアンドウ氏は警告する。
大災害の後に続く再建、それには震災のない平時予算の規模の税金を必要とするが、この再建を真に成功させる事は、途轍もない挑戦となるだろう。 地震と津波は、20000以上の死者と行方不明者を残し、20万戸以上の家屋に全壊又は深刻なダメージを与えた。凡そ23000ヘクタールの農地が塩水に浸かった。21000以上の漁船が流失した。マグニチュード9.0の地震を引き起こした地殻プレートの変動は、東北地方沿岸の陸地の地盤沈下をもたらし、ある場所では1M以上も沈下し、多くの港や町を、将来の津波や台風でダメージを一層受け易いものにしている。
再建の結果発生するコストは、既に極端に延び切った政府債務に追加される余分な負担を課すことになる、国家債務の総額は国内総生産の200%となっている。津波による瓦礫、2000万トン以上の処理には、6800億円の費用が掛かると予想される。政府の計画では、これから5年間で再建費用は19兆円が費やされ、主に特別国債や増税で資金調達される。
この様な出費によって、東北地方沿岸のインフラ施設が広く復旧することが確実に保証されなければならない。しかし、真の問題は、各地域の住民の安全が保証されるかどうかであり、そして既に長期に渡る経済の低迷と人口の減少で苦しむこの地域社会が、経済的に維持継続できるかどか、である。
一つの核心となるアプローチが、復興構想会議によって提起され、地震の危険性の極めて高い日本列島のその他の地域にとってモデルとなるよう期待されているのが、” 被災を減らす為に” 完璧な防御施設を確保して行くという希望を捨てる事である”。
防波堤、岸壁、堤防は再建されるべきである、理想的には、前よりも強固に、従って小さい津波や台風には対処出来る。しかし、3/11の規模の津波に対処出来る様な巨大な壁
を作る様な意図は全く持たない。その代わり、居住地を高台に移動したり、土地を嵩上げしたりすることとなる。今までと異なり、より強調すべき事は、住民は何時でも、必要があれば逃げることが出来、逃げ易い用意が出来ていることを保証することにある。
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岩手県大船渡市、3/11には大打撃を受けているが、市当局者は、すでに再建計画の原案を書き上げている。トダ・キミアキ大船渡市長は、市中央部の地図をパラパラめくり乍ら、港に隣接する村の近くで、丘の側にある居住地域に、どうやって家屋を建てて行くかを説明し、高速道路や鉄道の線路用の築堤が、住民を津波から護る内陸の防護壁としてどの様に使用されるか、を語った。
然し、被害を受け易い地盤の低い所から何万の住民を移動させる事は、資金調達と土地使用法の問題を提起している。トダ氏は又、各コミュニテイの中で、再建の仕方について合意に達するのはかなり難航するし、何人かの住民は、危険が有っても、海の側に居続けることを選択しそうである、と言う事を認めている。
多くの沿岸部の村や町の人口が屡々急激に減少している事に対し、それを如何に食い止めるか、という課題は、大変深刻で不確実性を伴うものである。ここでは、高校を卒業すると若い人は殆ど居なくなり、高齢の漁師と農民が後継
者探しで、今迄以上に激しく奮闘しなければならない。
この大災害は、農業や漁業部門の根本的な問題について、原点に戻ってその解決に取り組む絶好の機会を作っている。私企業が漁業協同組合の事前の管理下で、漁業権を与えられる新しい領域を新設すべきという要求がある。しかし、
この様な提案は強い反対に会っている、今回の津波によって全て流されて白紙の状態になっている事が、現在の利害や習慣まで消し去っている事を意味しない、ことを思い出させている。
もっと広い見地から、政府は震災に侵された県に、特別地域、特区を新設する計画を進めている、そこでは、創業や企業することが、課税緩和策や一貫して合理的な行政管理によって助成される。お役所仕事に縛られると職業人からの文句が出ないような別のモデルを採用する。
然し、政策の変更だけで、無数の漁村の連なる沿岸部の人口減少にストップを掛けられるかどうか、は明確ではない。例えば、とトダ氏は主張する、もっと根本的な変更が必要であると。保守的なコミュニテイは、若い人を歓迎する環境作り、改革を歓迎するようなことが必要である。” これは大船渡市だけの問題ではない、日本全体の問題である”、と彼はいう。
最も合理的な政策対応は、幾つかのコミュニテイをそのまま再建しようとする事よりもむしろ、より安全に計画ニュータウンに、単に彼等を統合することかもしれない。然し、このアプローチも地元への強い愛着のある地域には殆ど説得力が無い。
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宮城県の南三陸町は、津波によって殆ど町の痕跡を抹消された。17666名の住民の内987名が死亡又は行方不明となっている。家屋の約70%と店舗とビジネス拠点の85%が浚われた。サトウ・ジン町長は、津波の奔流が多くの同僚を奪い去った時、タウンホールの屋根の手摺りにしがみ付いて生き残った一人である。
住まいを失った生存者は現在、地域周辺の仮設建屋や遠く離れた仮住まいに散らばっている。どの位の人数が戻ってくるかを知るのは不可能だが、サトウ氏は、南三陸町を生き還らせる決意である。彼は言う、今最も必要なことは、住民が希望を失わないようにする為の中央政府からのアクションであると。
政府は復興構想会議のビジョンに基づいた包括的なプランを提案している。然し、一寸した意見の一致の後、弱体化したカン政権とその対立グループ、そして倒閣を決めている野党の間で政争がまた戻っている。大災害地域において、困難な情勢があるにも拘らず、相変わらず中央では、政争が続いている、とサトウ氏は云う。我々は100名以上の国会議員の訪問を受けた、此処にいる間は、異口同音に、何と恐ろしい事だろう、何をどの様にすればよいのか、と云う。然し、地元に戻ると、彼等はその事を全て忘れてしまう様に見える。
政治的な掴み合いの効果は、過大評価すべきではない。政府とその抵抗勢力は、双方の相違を捨て、最重要な復興資金法案を通すべきである。この大災害は又、団結した日本の柔軟な回復力を改めて強調している、被災地域で予想よりも遥かに素早く元気を取り戻している会社など。
東北は再生可能エネルギーを発展させる国民運動の有力候補地として今脚光を浴びている。原発の新設を嫌う世論の高まりと共に、風力、太陽光、バイオマスに向けての、投資、研究開発、改革の方向転換は国家の成長の源泉となる。
確かに、その問題全てに関し、日本が社会的、経済的財政的な蓄積を恐ろしく沢山持ち、それをまだ自由に裁量出来る事を疑う者は殆どいない。とりわけ、東北の人達によって示された不屈の精神と決断力は、元気の無い国民を鼓舞するモデルとなっている。
北東部沿岸に沿って、住民たちは、津波で打撃を受けたコミュニテイに、形だけでも平常な姿を戻す為に、懸命に働いている。例えば、岩手県越喜来(オキライ)村、未だ津波の齎した瓦礫が散乱している。然し、ナカイ・スミコ氏、85才は、すっかり汚泥で塞がってしまった交通島から雑草を引き抜き乍ら、” 少しでも綺麗にするべきと思う、誰か他の人に頼むより、自分自身で行動する方がベターです、と。
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奥尻島 再生の結果:再建された島は継続する人口流出をせき止める事に失敗している。
18年前、日本の島、奥尻島は、この3・11に日本の東北地方沿岸を破壊した巨大津波と殆ど同じ位凶暴な津波に襲われた。
今、この島は、この最も新しい災害地域(東北地方沿岸部)にとって、これから困難な課題が待ち受けることを赤裸々に警告している。
奥尻島の再建は失敗であったと云うことではない。1993年7月12日の夜半に襲った地震と津波で、198名が亡くなり、500以上の家屋が倒壊又は致命的な打撃を被り、僅か4700名の住民の島にとって大災害となった。然し、復旧は迅速であった。
南部の港、青苗地区ー此処の大半は津波で破壊されたがー この住民の多くはより高い土地へ再定住した。港に隣接して居住する事を主張した人達には、海面より遥か上に居住用地盤が、土木工事で提供された。素早く避難出来るルートの付いた、印象的な新しい港内施設が建設された。
この災害は、劇的ではあったが、一地域に限定されたものであった。奥尻は、豊富な寄付と政府の投資、合わせて1000億円を優に超える金額で賄われた、とみずほ総合研究所のオカダ・ユタカ氏は云う。資金は、インフラの復旧、生存者の新居の建設、失われた漁船の充当、そしてビジネス全体の再出発などに使われた。
然し、この努力が有ったにも拘らず、この島は急速な衰退に陥っている。1993以来、人口は1/3迄減少し、家族の人数も減り、若い人も地元の農業、漁業の生活を拒絶し、外に機会を求めて出て行く。奥尻島で実際に働いている漁師の数は、500から約200名に迄落ち込んでいる。 ” 人口流出に歯止めを掛ける事に失敗していると云わざるを得ない ”、とタケダ・アキラ氏、奥尻震災の復旧計画に参加した当局者の一人は云う。
この様な失敗は、地元の当局者の失敗では殆どない。人口減少は、日本全国の孤立した集落に共通する大きな流れである。然し、奥尻島の経験は、同様の人口統計上の弱点に悩まされる東北地方沿岸部を復興させる事が如何に難しいかと云う事をクローズアップしている。援助や再建投資ももっと幅広く拡大する必要があるし、借金のある状態は、金利の減免措置を受けられる。
東日本大震災復興計画に参加した当局者たちは、コミュニテイが実効性を持ち、それが維持継続出来る事を保証するのが不可欠であると理解している。それが港湾施設を集中させたり、新しい産業を呼んでくるとか、やり方は別にして。
然し、みずほのオカダ氏は云う、奥尻島の教訓の一つは震災後、如何に再建するか、再建するべきかどうか、について政府当局は結論を急がない方が良い、と。荒廃した地域の再建を放棄したり、住民達に高めに設定した基金を分担して貰うとか、何処か他の場所に単純に移動させる、なども良いかもしれない、と彼は云う。
” 人が生き残る事のできない町にこの金を全て使う事は、非常に大きな無駄である、今回も再び同じ事が起きるならば、100の奥尻島が出来る事になる、それは、日本にとって、非常に大きな損失を意味することになる、 ”と彼は云う。
完
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